アサシンと女戦士
※ちょっと長めのお休みをいただいていました。連載再開します。
リアルの世界では、午後22時。明日の学校にそなえて、多くの若年層プレイヤーがログアウトし始める時間帯。
サイモンの世界では、お昼時になって街の料理店からいいにおいがただよってくる頃だった。
「はぁ~、ようやくログインできたぁ……」
『始まりの石碑』がある港町に、ひとりのプレイヤーがふらりと訪れていた。
頭上でくるくる回る真っ青な三角形の横に浮かぶプレイヤー名は、【ミミズク】。
今日のコスチュームは、だぼっとしたハーフパンツに半袖のジャケット。
ちょっと山歩きに出かける女の子のような恰好に見えなくもないが、動きやすさと隠密性を重視した暗殺者≪アサシン≫の標準的な装備だ。
恐ろしい監視者の母親がようやく眠りについて、アサシンはこの世界に再びログインすることができた。
さっき廊下ですれちがう妹の視線が妙に鋭かった気もするが、気にしないことにした。
妹は放っておいても何もしてこないので、問題ない。
この世界にくれば、決して邪魔は入らないはずだ。
港町は、いつも通り明るく平穏だった。
いつも通りすぎて、逆にアサシンはうすら寒さを感じた。
アサシンは、昨晩ここにゾンビが溢れかえっていた映像を見ていたが、そんなことなど、すっかりなかったかのように賑わっている。
けれども、市場をのぞくと対ゾンビ用の血なまぐさい武器が今でも主力武器として売られていて、さらに見知ったプレイヤーの数もいつもより少なく、かえって不気味さが増していた。
「なんだろう、夜の22時なんて、コアなプレイヤーならもっといてもいい時間帯だと思うけど……何かあったのかな?」
などと呟きながら、街中を歩いていると、酒場の裏路地にぺたん、と座り込んでいるプレイヤーを見かけた。
アサシンは、そのプレイヤーが持つ獣の耳やしっぽに、おおっと興味をひかれた。
後ろから見てもわかる、大きな獣耳。
スカートがどういう構造になっているのか気になる、ふわふわの尻尾。
オオカミ系の獣人、狗人の女戦士である。
自分のアバターの造形には自信のあるアサシンだったが、女戦士の方もシンプルな可愛さがある。
なにより、獣耳とシッポのある狗人は、春アプデで初めて実装された、けっこう人気の種族である。
アサシンも種族変更できるならしてみたかったが、11時間かけて作りこんだ今のアバターを乗りかえる気力がわかなかった。
「……第一プレイヤー発見」
他のプレイヤーを見つけたアサシンは、さっそく物影にひそんで様子をさぐった。
陰キャのアサシンは、うかうかと他のプレイヤーに話しかけるような度胸を持ち合わせていないのだ。
ようやく見つけた第一プレイヤーを穴が空くほど観察していたが、どことなく元気がなさそうだった。
大きな耳もぺたり、と垂れ下がって、落ち込んでいるようにも見える。
他のプレイヤーが少ないことといい、何かあったのだろうか。
アサシンはそう勘ぐったのだが、
「……まあ、何があったのかは知らないけど、私には関係ないし?」
などと言って、メニューを開いてSNSで情報収集をはじめた。
初対面のプレイヤーに何があったか直接きくなど、できるはずがない。
何かとやっかい事に巻き込まれて、結局時間をロスしてしまう。
やはり、陰キャにとって一番頼りになる情報源はSNSだ。
しかし、SNSで見つかる情報と言えば、夕食ごろにゾンビ騒動が起きたことぐらいである。
それでショックを受け、大勢の一般プレイヤーが離脱してしまっている。
原因らしいものは、ほかに見つからない。
けれども、女戦士が落ち込んでいるのは、それとは別の原因だろう。
そもそもログアウトする気配がない。嫌ならログアウトすればいいのに。
「何かあったんだ、なんだろう……」
ちらっ、ちらっと、座り込んだまま動かない女戦士を見ていた。
こんなときに、誰か他のプレイヤーが気にかけて話しかけてくれれば、と思うのだが、一向に他のプレイヤーは現れない。
「気になるなぁ、はやく誰か声をかけないかなぁ」
じーっと、目を細めて様子をうかがっているアサシンだったが、油断しているすきに、背後からぽんっと肩を叩かれて、悲鳴をあげそうになった。
「よう! アサシンじゃん! 奇遇だなぁ!」
見覚えのある眩い笑顔に、アサシンは顔をひきつらせた。
チャイナドレスを身につけ、さらりとした金髪をなびかせる美少女、【拳闘士】のアビゲイルだ。
「あ……! あ……! アビゲイル……ッ! なんでこんな所に……!」
「いやー、じつは色々あってさぁ、今さっきようやくログインできた所」
アサシンは、どうしてこんな時に限って【潜伏状態】にしていなかったのかと悔やんだ。
モンクは、2時間ほど前に警察署から解放され、帰宅してからゆっくり身支度を整えてログインしていた。
本来なら【魔法使い】でログインして、レベル上げをしたかったところだが。
女戦士はすでに寝ている時間だし、双剣士はなにやら先輩の部屋に上がり込んでお取り込み中みたいなので、【魔法使い】でログインする意味があまりなかったのだ。
「なんか今日はイツメンが揃わないから、【モンク】でスカッとしようと思ってさ。アサシンは、どうせ今日もソロだろ? またパーティやろうよ!」
「やッ……やだッ……! 陽キャ怖いよぅ……! サイモンに会いに行くぅ……!」
「いいね、いいね、俺もサイモンに会いにいく所だったんだ、一緒に行こうぜ!」
「やだぁぁ……!」
半べそをかいて嫌がるアサシンだったが、モンクの方も、せっかく有能なサポーターを見つけたのに、逃す手はなかった。
「よし、せっかくだから、もう1人誰か誘おう! おーい! そこの人ー!」
「ひぃぃーん!? 私が怖くて出来ない事を平気でやってのけるぅー!?」
モンクが手を振って声をかけると、女戦士はぼんやりした顔を持ち上げた。
泣きはらしたその顔を見て、モンクは「うげっ」とうめき声をあげた。
「えっ……なんでいるの? 女戦士……」
「……誰? モンク?」
「俺だよ、中身は魔法使いだ。というか、カビゴンと寝てるんじゃなかったの?」
「ん-……?」
女戦士は、目をごしごしこすっていた。
すでに名前を知っているプレイヤーの名前は、ブルーアイコンの隣に浮かぶのだが。
女戦士アイサとモンクは出会ったことがなかったため、お互いに誰だか分からない状態だった。
ようやく、女戦士は相手が誰なのかわかったみたいだった。
「ああ……なんだ、まほまほか……メイン垢はじめて見た、かわいいね……」
「えっ、それだけ? もうちょっと何かイジられるの覚悟してたんだけど」
「ううん、今はそれどころじゃないから」
いつもの女戦士ならば、今の5倍くらい大きな声で「きゃー! かわいいー!」と連呼し、小一時間ぐらいいじり倒していただろうが、どうやらその元気もないようだった。
「……というかさ、何かあったのか?」
仮にも年長者であるモンクは、ひとまず聞いてみた。
今日は女戦士が原因でリアルで散々な目にあったが、根が悪い奴ではないのは、長い付き合いなので知っている。
何があってもポジティブな彼女が、こんなに弱るとは思わなかったので、放っておけなかった。
女戦士は、目じりの涙をぬぐった。
「ちょっと……今日はいろいろな事があって、いっぱいいっぱいなの……知り合いがどんどんいなくなっちゃったんだ……。
だってサイモンはアカウント捨てちゃうし、双剣士は誰かにアカウント乗っ取られちゃうし、魔法使いは警察に捕まっちゃうし、あ、あなた魔法使いだったんだっけ……ごめんね」
「いろいろツッコミたい所はあるけど……双剣士、アカウント乗っ取られてたのかよ?」
「まあ、それはどうでもいいの」
「どうでもいいのかよ」
「クレアさんは、いい人なんだけど、出来心でみんなを裏切ったらしくて、他のプレイヤーから公開処刑されそうになってたし……。それ見て私、ちょっと必死になっちゃった。
必死になると人間、ひきょうな事をしちゃうんだ。
『そこまでする必要ないじゃない? ゲームなんだから、みんなで楽しめなきゃ意味がないじゃない』なんて言おうとしてさ……」
「いいじゃん、なにか間違ってる? ひょっとして、お前が俺に言ってたことと矛盾してるってこと?」
「そうなの、ゲーム世界のキャラクターに感情移入して、一緒にこの世界に生きているみたいに真剣になって、そうしなきゃ楽しめないじゃんって、私ずっと言ってたでしょ。
……それがロールプレイングゲームというもので、何も間違ってはいないと思ってた」
はぁー、と息をついた女戦士。
「けれど、このゲームには、本当にゲームのなかでしか生きられない人たちがいる……彼らと比べれば、やっぱり私がやっているのは、しょせんゲームだったような気がしちゃってさ。
私も本当に追い込まれると、リアルのことを優先しちゃうみたい。ゲームであることを免罪符にして、役割から逃げちゃう。
だから……私って、卑怯だなって、思って」
「それで、落ち込んでたのか? 可愛いな」
「それもある……けど、もっとショックな事があって……」
「まだあるのかよ」
「私、もう寝る時間なんだけどさ、クレアさんと他のメンバーのケンカを止めなきゃと思って来たんだ……けど、そうしたら、変な話を聞いちゃった……」
女戦士は、獣耳をぴこぴこ、と振った。
このアバターは、通常の人間よりも『五感』が鋭いという設定になっている。
聴覚にも優れていて、壁越しにも会話を聞くことができたのだった。
「このゲーム、もうすぐ『ログアウト不能事件』が起きるらしいの。知ってた?」