ドラゴンのわがまま
リアルの世界では、午後22時50分。
サイモンの世界では、午前のまだ早い時間帯。
「よし、今日も平和だな」
ヘカタン村の門前のついでに、他の村や、港町の様子まで見えるようになったサイモンだったが。
その彼がいつもの通り、何事もないようにのんびりと呟くと、まるでこの山の平和を見守っているスーパーマンの一言のように聞こえた。
『主様~』
いつも通りサイモンが門番をしていると、村の方から『ミツハ』が手をぶんぶん振りながらやってきた。
なにやら嬉しさが隠せていないようすで、にやついて急いでかけてくる。
「どうした、どうした? オーレンの料理店を手伝ってくるんじゃなかったのか?」
『今日はあんまりお客がいないので、途中で抜けてきたでありんす』
「そうか、さっきブルーアイコンの冒険者たちが大勢手伝いに来てくれたみたいだからな。今日ぐらいゆっくりしていくといい」
『ミツハ』は、サイモンの足にぎゅっとしがみついて、にんまり笑ったのだった。
***
さきほど、『ミツハ』は会議を終えたナナオやクレアたちと合流して、料理店に向かったばかりだったのだが。
どうやら『ミツハ』は、いつ来るとも分からぬ騎士団長アスレの襲撃を恐れて、がくがく震えっぱなしだったらしい。
水もうまく運べずにこぼしてしまって、ダメ給仕ぶりがさらに悪化していた。
見かねた彼らは、サイモンの所に行ってくるように提言したのだ。
「ええ~。いないの~? 『ミツハ』ちゃんの癒しを求めてきたのに~」
後から手伝いに来た羊人のドルイド先輩は、それを聞いてひどくガッカリしていた。
羊の巻き角をごちごち柱にぶつけながら、いやいやと首をふっている。
「ドルイド先輩、この先、俺たちではきっと『ミツハ』を守れませんよ……だからサイモンの力が必要なんです」
前回、命がけで『ミツハ』を守ったカメラボーイは、いつになく真剣な眼差しで言った。
「そういえばドルイド先輩、ゾンビが来る時間帯になるとログアウトして、いなくなったとたんにログインしに来ますね……ひょっとして真の黒幕とかじゃないですか?」
「いっひっひっひぃ~。カメラボーイあんた最高だなぁ~。腹痛い~。うっひっひっひぃ~」
ドルイドは、けらけら笑っていた。
「だってさ~、ゾンビって気持ち悪いし~、私の精霊魔法じゃあんまり役に立たないから、薬草を消耗するだけ損じゃないの~?
けど、クレアちゃん、『傲慢の魔竜』って、もう倒されちゃったんだよね~? もうゾンビと戦わなくていいんだよね~?」
「あれ? そういえば前回はゾンビ出なかったし、騎士団長アスレとのチャットも完全に途絶えちゃってるし……。
これって、もう『ドラゴン』が倒されたってことでいいの? どうなの? ナナオちゃん」
「ぎくっ」
水を向けられた双剣士のナナオは、相変わらずドルイドと顔をあわせないようにしていた。
どうやらドルイドの向こうにいるリアルのプレイヤーに身バレするのが怖いらしい。
必要以上にびくびく震えながら、慎重に返事をした。
「う、うむ……確かに、前回は『傲慢』が倒されたみたいだ。『ジズ』が『傲慢の魔竜』の亡骸をくわえて登場するイベントがあったから、それは確かだ、間違いない」
「えっへっへぇ~。よ~し、だったら、今回は夜までいちゃおうかな~。
イツメンも夜には揃うだろうしぃ~、レイド戦に備えなきゃ~」
「……まあ、君は彼らの主力だからな。頼りにしているよ」
一般的なプレイヤーからしてみれば、原因は分からないが、『傲慢の魔竜』は何者かによって倒されていたのだ。
こういう風に『狙っていた敵キャラがいつの間にか誰かによって倒されていた』ことはネットゲームの世界ではよくあるもので、さして疑問を挟む者はいなかった。
だが、ナナオは、ぬぐい去れない違和感を抱いていた。
前回も、前々回も、こうしてプレイヤーの常識を利用した攻撃を受けていなかったか?
騎士団長アスレのAIは、生粋のゲーマーである上級冒険者たちの心理を読み、彼らの裏をかく戦略を次々と打ち立ててきた。
原因も分からないまま、忽然と消えたことに対して、本当に『倒された』と考えてしまってもいいのだろうか。
何もかもがこのまま終わるとは、ナナオも素直に信じがたかった。
「AIらしく暴走して、最後は自滅してしまった、というストーリーなら簡単でいいんだがな……。
前回も、前々回も、我々が完全に油断していた隙をつかれたんだ。心配しないに越したことはない」
「はぅっ……どっちも私が手を貸しちゃっただけに、心が痛いわ……けれど、心配しすぎじゃない?」
他のプレイヤーに一応許されたとはいえ、いまだに責任感がぬぐえないクレアは、汗びっしょりになりながらも言った。
「さっきアスレファンの子たちが、港街の方で騎士団長アスレを見て来たけど、『闇落ち』じゃなくって、いつものイケメンに戻ってたって、喜んでたよ?
少なくとも、騎士団長アスレの中にはもう『ドラゴン』はいないわ。
冒険者ギルドに行っても、『ドラゴン討伐』のクエストもなくなっちゃってるみたいだし。
そこまで気にする必要はないんじゃない? 今回こそきっと誰も傷つかない、平和なルートだよ!」
「そう、だといいがな……ただ、妙なのは、騎士団長アスレの居城に『ミレーユ姫』がいたんだ」
「ミレーユ姫って、騎士団長アスレの若奥様のこと?」
「うむ、じつは、妻が居城にいるときは、騎士団長アスレが『お金に困っている』ときなんだ。
騎士団長アスレが妻の故郷のクレファントス王国に援助を求めるときだけ、従者と一緒に妻もこっそりやってくるんだ……」
「ああ、そう言えば、その時の所持金で行動を少しずつ変えていくのよね、このゲームのホワイトアイコンは。
シーラちゃんだって、お金を稼ぐために早起きする日もあれば、昼まで寝てたりするし……カメラボーイ、そういえば、今日のシーラちゃんは?」
「ああ、オーレン店長によると、今日のシーラは寝てる方っぽいぞ。いいか、奥の部屋には入るなよ? 絶対だぞ!」
「……まさか、あんたに言われる日が来るとは思わなかったわ、カメラボーイ」
カメラボーイは誰でも構わず過剰に警戒しているだけなのだが、警戒されたクレアは若干ショックを受けていた。
「ともかく、昨日のルートで、騎士団長アスレが何か『大きな買い物』をした可能性がある。『ドラゴン』を失う直前にだ。
だが、調べたところアイテムの市場価格はほとんど変化がない。いったい何に金を使ったんだ?」
「うーん、アイテムじゃなかったら、ギャンブルとか?」
「あ~。はいはい、それそれ、知ってるぅ~。ミレーユ姫を呼び出すために、騎士団長アスレをダイスギャンブルにさそって破産に追い込んだことある~。みんな『姫様召喚』って呼んでた~」
「つくづく、この世界でとんでもない遊び方をしているな、君たちは……」
「あっはっは、さすが運営(GM)はいろんな情報もってるねぇ~。
そう言えばぁ~、私の知り合いにも『ナナオ』って名前の子がいてさぁ~」
「ぎくっ」
「たしか、その子もゲーム作ってるって聞いたことあるんだけど~。
あれれ~? ひょっとして、ナナオちゃんって、同じ名前なの~?」
「しっ……知らないな……これは、会社で指定されているユーザーネームのリストから、たまたま選んだものだ……」
「えーっ、そうなの? 初めて知った……」
「そうだ、ゲームの運営(GM)が、うかうか本名を名乗るわけがないだろう?」
「あはは~。だよね~、偶然かぁ~」
ひやひやしながら、ドルイドの追及を何とかかわすナナオ。
ナナオの言う通り、彼女の会社では通例、運営(GM)が使うユーザーネームは会社があらかじめ取得したアカウントのリストから選ぶことになっていた。
だが、提示された名前がどれも気に入らなかったナナオは、その場合はアカウントを自作して申請することも可能、ということで、ついつい使い慣れている『ペンネーム』を使ってしまったのだ。
問題なのは、その『ペンネーム』が本名と一文字しか違わなかったということなのである。
カメラボーイは、うーん、と唸って、青ざめていた。
「しかし、妻が10歳で、ギャンブル狂で、しかもヒモとか……また一つ騎士団長アスレが嫌われる要素が増えたな?」
「えぇ~。ミレーユ姫さま、すっごく可愛くていいじゃん~?」
「いやいや、可愛いけどさ。法律で許されるの? たしか、ヘカタン村でも12歳以下は未成年の扱いじゃなかったっけ? せめて婚約者だったらわかるけど……」
「そう思うのも当然だろう。じつは、シーズン1ではまだ婚約者の関係だったが、シーズン2でシーラと破局させようとする例のプレイヤーたちによる妨害工作があって、シーズン3からは正式に結婚した設定にすり変わったそうだ」
「すげぇ……上級冒険者たちパネェ……いったいどんな手を使ったんだ……?」
「聞いたところでは、第2シーズンで騎士団長アスレは何度も破産寸前まで追い込まれ、妻と常時いっしょにいたらしい。
そのとき、誰かがミレーユ姫のステータスをいじって、20歳ほどの美女になる『呪い』がかけられていたそうだ。
あまりに自然にすり替えられていたから、運営(GM)の誰も気づかなかった。ようやく見つけたクリハラが『見事だ』と言って褒めちぎっていたぐらいだ」
「チートまで使ってたのか上級冒険者……それで公式が認めちゃったんだ?」
「ああ、開発もそのころシーラが旅立たない問題でだいぶ混乱していて、婚約も結婚も今後の展開にほとんど影響がないだろう、という事で修正しなかったんだ。
そのあとで年齢操作バグがあった事に気づいて、バグが直ったら10歳の姫と結婚していた事になっていた」
「うわぁ、騎士団長アスレかわいそう」
「こういうの聞くと、わたし騎士団長アスレがちょっと不憫になってくるのよね……」
「え~。私はうらやましい~。バグでも姫様と結婚できるならしたいなぁ~」
「そりゃあドルイド先輩はそうでしょうね」
ドルイドはうっとり憧れの眼差しを浮かべていたが、上級冒険者たちの世界改変能力は、この世界の住民にとって、明らかな脅威だった。
だが、騎士団長アスレの軍略は、そんなゲーム慣れした上級冒険者たちでさえ欺いてみせた高度なものだった。
ナナオには、騎士団長アスレが簡単に『傲慢の魔竜』を手放したとは、どうしても思えなかった。
何か裏がないか、と考え続けていたのである。
「とにかく、私は騎士団長アスレの所持金がどこに流れたのかを調べてみる。
とりあえず、『ミツハ』の事はサイモンに預けておこう、それが安全だ」
「だな」
「それは異論なし」
***
リアルの世界では、午後22時55分。
サイモンの世界では、のどかな昼前の時刻。
昼が近くなると、サイモンは『ミツハ』を連れてのんびり街中を散策していた。
市場に訪れると、『ミツハ』はトカゲの尻尾をぶんぶん振って、左右の通行人の足をぺしぺし叩きながら歩き、ときおり背伸びをしながらカートの中を覗き込んでいた。
『ふむ、量は多いけれど、種類が少ないのでありんす……』
「どれか買ってやろうか?」
『いりませぬ。そういう気持ちで見ていたのではございませぬ』
などと言って、またぶんぶん、とシッポを振る『ミツハ』。
なにやら四六時中しっぽをふりっぱなしだった。
彼女は、かつて『暴食の魔竜』だったサイモンとの約束を守り、このゲームの情報を教えようとしていた。
『よいですか? 主様。この村の市場に出ているアイテムは、前回のルートで、どのようなクエストが解決されたか、を表しているのでありんす』
「ふむふむ、そうだったのか。今まで知らなかったな」
『そうでしょうとも。前回は、ヘカタン村の周辺に冒険者があつまっていたから、解決されたクエストの種類が偏っているのでありんす。
だから、量は多くても種類が少ないのでありんす』
「ほうほう。けれど、食うには困らないみたいだから、別にいいんじゃないか?」
『とんでもない。素材の種類が少ないと、料理店で出せるメニューが減るのでありんす』
「ふむ、つまり冒険者のクエスト達成が、料理店の品揃えにも影響するのか」
『さようでありんす。それにクレア嬢いわく、『サイドメニューの存在がメインメニューの購買意欲を促進するのよ』という事なので、決しておろそかにはできないのでありんす』
どうやら、すっかり料理店経営にはまってしまったらしい『ミツハ』。
クレアは、自分がログアウトした後の事を見込んで、暇さえあれば『ミツハ』に知識を叩き込んでいたようだった。
さらに『ミツハ』は、今回のことだけでなく、次回の事もしっかり考えるようになっていた。
『主戦力の上級冒険者たちは今、リアルの世界におられます。
……それに、向こうの世界ではそろそろ夜の23時になりますので、他のブルーアイコンの冒険者たちも少なくなってきているのでありんす』
「ふむ、リアルの世界の事情も知っているのか。すごいな『ミツハ』」
『関心している場合ではありんせん。このまま魔の山のクエストがほとんど消化されなければ、ひょっとしたら、明日は市場に並ぶ食糧が無くなるかもしれませぬ。
そうすると、いつも通りにオーレン料理店が開けなくなっているかもしれないのでありんす』
「それは困るな。俺も昼飯があそこで食えないのは困る。なんとかならないのか?」
『そうでしょうとも。ミツハといたしましては、この料理店の抱えている問題もなんとかしたいのでありんす。
そこで主様、今日はミツハとご一緒に、森で討伐クエストなど、いかがでございましょうか?』
目をキラキラさせ、期待を込めてサイモンを見上げる『ミツハ』。
じつは前回も、『ミツハ』は村の周辺のモンスターを『眷属化』し、門番をしているサイモンにけしかけ、戦わせていた。
結果、30分程度のすきま時間にしか戦闘していないにも関わらず、サイモンはレベル72から一気に81に上がったのである。
どうやらサイモンに与えられた異能スキル、『獲得経験値N倍』の性能は、底が知れない。
まるで、『レベルが上がるほどレベルアップしにくくなる』、という通念が存在しないかのようだった。
もしも、これから丸一日をかけてサイモンに戦闘を経験させたら、いったいどんな事になるのか。
このまま一気にレベル100の大台を突破すれば、そうなったサイモンもう従来の敵キャラでもボスキャラでもない、それは絶対に勝てない『負けイベント』の域だ。
などと、『ミツハ』は期待に胸を膨らませていたのだが。
サイモンは、冷静に首を振った。
「いいや、俺は門番の仕事があるからな……村から離れるのは無理だよ」
『なんですと? 今までなんだかんだ言って持ち場を離れて大暴れしていた主様のセリフとは、とても思えませぬが……』
「その事も俺は覚えていないから、よく分からないんだよな……というか、討伐クエストが必要なんだったら、シーラと行って来たらどうなんだ?」
『奥方様はたしか今日、昼まで寝ているのでありんす』
「じゃあ、待ったらいいさ。そのうち起きてくるだろう。シーラが起きたら、一緒に行かせてもらおう。な?」
子どもに言い聞かせるように、のんびり受け答えするサイモン。
どうやら、本気で門から離れるつもりがないらしい。
ぷうー、とほっぺたを膨らませていた『ミツハ』は、サイモンにしがみついて、いやいやと首を振った。
『嫌でありんす~! 主様といっしょでないと嫌でありんす~!』
「そ、そうか、それは困ったな……」
『ミツハ』の小さな頭をわしゃわしゃ撫でて、サイモンは途方にくれていた。
サイモンは小さな子どもにここまで懐かれた事がなかったのだ。