戦犯ネコ
リアルの世界では、午後21時25分ごろ。
サイモンの世界では、ヘカタン村をシーラが全力で逃げている頃。
【潜伏状態】だった国王兵との戦闘が、村の至る所で開始され、ヘカタン村の方々で明るい火花が散っていた。
「うえぇ、新兵たち、めちゃくちゃ強くなってねぇ!? お前らあの新兵たちだよなぁ!?」
「まずいぞ、武器を切り替えろ!」
ゾンビとの戦闘を想定していた冒険者たちに対して、国王兵は高度な連携を駆使して襲い掛かり、一人一人撃破していく。
レベルは30のまま上がっていないが、格上の相手との戦闘を想定した戦術を学習しており、軍隊として確実に強さをあげていた。
メイン武器を対ゾンビ戦用の武器で固めていた冒険者たちは、急に通常戦用の装備に切り替えざるを得なくなった。
戦闘しながらメニューを操作しようものなら、その隙を狙って畳みかけるように攻撃を受け、いったん距離を開けようものなら、背後を狙い撃ちされる。
けっきょく冒険者たちは、不利な装備のままの戦闘を余儀なくされていた。
直前まで【潜伏状態】だったため、相手にゾンビがいないという情報の伝達が遅れたのが致命的だった。
ゲームに関しては熟達者でも、戦争に慣れているわけではない。
この世界のホワイトアイコンはみな本物の戦争を知っているのだ。
「だめだ、負けてる……! なんとか頑張って、ブルーアイコン!」
「うおお! シーラちゃん!」
「任せろ! 復活薬を全部つぎこんでやるぜ!」
「たのむ、ミツハちゃんを守ってくれ!」
シーラは、給仕服のミツハをラグビーボールのように抱えたまま、ヘカタン村の真ん中を駆け抜けていった。
どこか安全な所へ。
村から出て行くしかない。
普段は馬車の通る大通りを走っていくと、何もない所からいきなり国王兵の剣が襲いかかってくる。
シーラは首をかくんと曲げてギリギリで回避し、カウンターで見事に急所に当てて逃げていった。
「くっ……厄介ね、本当に何も見えないわ……!」
『お、奥方様! 本当に【何も見えていない】のでありんすか!?』
「さすがに見えないわよ、勘でよけてる!」
ふつうは不意打ちや先制攻撃を食らってしまうものだったが、シーラにそういう常識は通用しないのだった。
『奥方様! お待ちください!』
ミツハの警告が耳に届くよりも先に、シーラはその場に立ち止まって、空を見上げていた。
息ひとつ乱さず、その目はまっすぐに塔の上を見上げている。
彼女の視線の先には、やや欠けた月を背に、受付嬢メイシーがたたずんでいた。
屋根の上から、凄まじい形相で村の様子をにらんでいる。
「シーラさん、どうして貴女がここにいるの?」
「メイシーさん、ギルドマスターのクエストで、貴女を連れ戻しに来たわ」
シーラは、ここに来た事情を素直に伝えた。
冒険者ギルドは、職員が全員ゾンビになっており、ギルドマスターがひとりで頑張っている状況なのだ。
「本当は、メイシーさんに借りたお金を返したかったけど……査定額がちょっと届かなかったみたい」
「あの人に査定を任せるのはよしなさい、正気とは思えないわ」
「メイシーさん、ギルドに戻って。このままギルドマスターに冒険者ギルドを任せていたら、きっと不幸になる冒険者がたくさん現れるわ」
「ええ……そうでしょうね」
長年ギルドマスターと連れ添っているメイシーには、いまの冒険者ギルドの惨状が、容易に想像できた。
ここ最近は、この時間帯になると港町がゾンビであふれかえっていたため、職員が全員ゾンビになるのも毎度のことである。
だが、今日はゾンビが現れない。
南の空を見ると、終焉を告げる巨鳥『ジズ』が、まっすぐにヘカタン村へと向かってきている。
『傲慢の魔竜』は、いつもならこの時間に現れていたが、その気配もない。
巨鳥の圧倒的な巨体が、どんどん山にまで近づいてくる。
「あの男……本当に『傲慢』を捨てたのかしら……」
メイシーには、まだ信じられなかった。
数々の絶大な異能を持つ『ドラゴンの血』を、なんの保証もなく、あっさり捨てたというのか。
いや、恐らく、サイモンがそうしたように、他の誰かに『ドラゴンの血』を一時的に預けているはずだ。
預けた血を受け取りに行くだけなら、リスポーンの時間が来るまでに、転移結晶で逃げればすむ。
それが一番確実な手だろう。
もしも冒険者たちが騎士団長アスレのその計画に気づいていたら、いますぐ村から離れて、各地の転移結晶で見張っていただろう。
だが、『村を守る』という固定概念にしばられた彼らに、そんな器用な立ち回りはできないはずだ。
メイシーは、ちらりと視線を村に戻した。
ヘカタン料理店のある方向で、冒険者たちがぽんぽん宙に浮かび上がっていくのが見える。
「いたぞーッ!」
「騎士団長アスレだッ! 全員集まれーッ!」
冒険者たちは、突然村の中に現れた騎士団長アスレに声をあげ、突撃していった。
だが、攻撃がまったく通らない。
それどころか反対に、騎士団長アスレの魔剣を食らって吹き飛ばされていく。
騎士団長アスレは、なにやら左手を顔の前で動かす『プレイヤー』のような仕草をすると、『アイテムリスト』を利用して装備品を切り替えていた。
なるほど……『魔剣士』は魔剣のスキルを極振りすれば、レベル10程度のステータス差ならば覆すことができるのだったか。
防御のときは【回避発動】や【防御力上昇】に極振りした魔剣。
攻撃のときは【攻撃力上昇】に極振りした魔剣。
複数の魔剣を切り替え、状況に応じて最適な魔剣を使い分けているのだ。
騎士団長アスレは、状況判断の速度がブルーアイコンたちの脳をはるかに超えている。
たったそれだけで、人間では騎士団長アスレに勝てない。
「……あいつ、うまく生き延びそうね」
メイシーは、ちっと舌打ちした。
シーラは、騎士団長アスレと戦わずに逃げている。
どうやら完全に『対策されている』のがわかっているのだ。
常に『最善手』の分かる彼女が、『戦わない選択』をしているのである。
村にはまだレベル60越えの怪物サイモンがいるはずだったが、サイモンでは騎士団長アスレに勝てたためしがない。
相性が悪いのか、ほとんどの勝負で負けているのだ。
……やはり、自分しかいないのか。
騎士団長アスレを倒せるのは、自分しかいない。
手がぶるぶる震えていた。
屈辱なのか?
いいや、誇らしいのだ。
計画は続行だ。
このまま騎士団長アスレの味方のふりをし続け、リスポーンした直後に裏切るのだ。
メイシーが使命に震えていると、シーラは、ミツハの脇に手を入れて抱え上げ、メイシーに捧げるようにして言った。
「お願い、メイシーさん。ミツハちゃんを安全なところに連れて行って欲しいの。お母さんなんでしょう?」
ミツハの小さな手には、見覚えのある薬の瓶が握られていた。
本当に騎士団長アスレは、ミツハに薬を渡していたらしい。
このクエスト攻略で一体、どのように世界が改変されるのかは分からない。
少なくとも、ミツハは怪我をしただけで弱音を吐くようなことは、なくなるだろう。
ミツハは、目をうるうるさせて言った。
『は、母上。もう泣き言は、言いませぬ。お邪魔は、しませんから……少しだけミツハを、傍においていただけませんでしょうか?』
果敢にも、ミツハはメイシーに呼びかけてきた。
トカゲの尻尾がぶんぶん揺れていた。
ミツハの演技も、堂に入るようになってきた。
メイシーもふだんは職業を隠すために、『使役獣』を子どもと偽っているだけなのだが。
今この状況で、その演技を続ける必要はなかった。
メイシーは、イラっとしたように顔をゆがめると、ムチをばしっと音を立てて引っ張った。
「勘違いしないで。私に子どもなんていないわ」
ミツハは、きゅーん、と泣いてしおれてしまったが、メイシーは目に入れない事にした。
なぜなら、久しぶりにワクワクしているからだ。
今は余計な事は一切忘れてしまいたい。
勇者シーラと剣を交えるのは、これで二度目だ。
軽く飛び跳ねて、ふわりと宙に浮かびあがった。
『宮選暗殺者』スキル、第二階梯【霧の歩法】が発動する。
メイシーの姿は霧と共に消えた。
【潜伏状態】になるスキルには、初級職『斥候』の【忍び足】がある。
その完全上位互換となる『暗殺者』スキルの【影渡り】は、さらに影の中で移動速度が1.5倍になるというものだ。
【霧の歩法】は、そのさらに完全上位互換。
移動速度が2倍になる霧を発生させ、霧の中ならどこにでも瞬時に移動する。
「さあ、見せてくれます?」
シーラは、ふー、と深く息を吐いた。
見えなくなった相手に対して、精神を集中させているのだ。
首筋目掛けて飛んできたダガーと白銀の剣が衝突し、金色の火花を散らした。
バキィィイインッ!
ダガーが空高く弾き飛ばされたメイシーは、姿を現した瞬間、すぐさま武器を次に切り替えた。
片手はしびれて使い物にならない。
肩をもっていかれそうだった、なんという剛力だ。
久しぶりにシーラの英雄性に触れ、メイシーは、その場にそぐわぬ深い笑みを浮かべたのだった。
「……やはりお強いですね!」
***
そうして激しい戦闘が、ようやく収まった頃。
サイモンの世界では、草木も眠る丑三つ時。
リアルの世界では、午後21時30分よりちょっと前。
「さーっ、寝るかー!」
早寝早起きを心がけている女戦士は、これから冒険にでも旅立つような大きな声を上げ、ぼふんっと特大カビゴンの背中に寝そべった。
枕元にスマホをセットし、毛布を上からかぶって、眠る準備は万端である。
起床時間は、明日の朝5時半だ。
「明日も朝ログインしなきゃなー。はやく騎士団長アスレを倒せるようにならなきゃだしなー。
あ、ナナオちゃんにお休みの挨拶しなきゃ」
女戦士は、カビゴンのお腹からもそりと起きて、スマホを操作した。
「ナナオちゃん、そっちの調子はどう?」
『ああ、騎士団長アスレが村に攻めてきたが……なんとか撃退したところだ。
サイモンのレベルが70になっていたから、みんな蜘蛛の子をちらすように逃げていった』
「70かぁー。私もそのくらいまで上げないといけないかなぁ?」
『安心しろ、人間には無理だよ』
サイモンは、またしても1日でレベルが10ちかく上がっていた。
レベル30の騎士団長アスレや、レベル上限50の冒険者たちにとって、レベル70はもはや魔神である。
戦略とか、スキル極振りで覆せる程度のレベル差ではなかった。
村のど真ん中に突如として現れ、暴れまわっていた騎士団長アスレは、不穏なオーラをまとったサイモンが駆けつけてくると、「まずい、一時撤退だ」と呟いて、転移結晶を割って逃げたそうだ。
彼もまた『最善手』がわかる男なのだ。
あとは、料理店のミツハが襲われそうになっていたが、なんとか無事だったらしい。
膝の傷も治っていた。
『前回に引き続いて、村への侵入があまりにも鮮やかだった……。
どうやら冒険者の中に、騎士団長アスレを村まで手引きした【裏切り者】がいたらしい。
あまり仲間を疑いたくはなかったのだが、管理者(GM)権限で冒険者のチャットログを探ってみたら、偶然見つけた。
いま他にも裏切り者がいないか、尋問しているところだ』
「へぇー、あんまりイジメないでよ? ゲームなんだからさ、嫌な雰囲気にならないようにしてよ? とりあえず、お疲れ様ー。お休みー」
『ああ、君はこの世界の癒しだな。おやすみ』
ナナオとのチャットを閉じた女戦士は、今日知り合ったメンバーにも、SNSでお休みメッセージを送ろうとして、ふと妙な動画が流れているのを見つけた。
撮影されている場所は、ヘカタン村の門の前。
あたりはすっかり夜に包まれていたが、画面中央に座り込んでいる白い服の少女は、くっきりと浮かんで見えた。
どうやら、縄で胴体がぐるぐる巻きにされている【異世界ディスカバリーチャンネル:クレア】のようだ。
「あれ、クレアさんだ、何やってるんだろ?」
女戦士にとって彼女は、サイモンとシーラのカップリング動画を動画サイトに投稿しまくって、2人の幸福を誰よりも願っているような人だった。
冒険こそしないが、ヘカタン料理店で一日中頑張っている姿が印象的で、『ヘカタン村をいい場所にしよう』と頑張っているプレイヤーの代表みたいな人だと思っていた。
そんな彼女が、まるで江戸時代の罪人のように縄で縛られ、草むらに座り込んでいる。
帽子から生えたネコミミをぺたん、と垂れ、あうあう悲し気に顔をゆがめて、許してー、許してー、とわめいていた。
なにやら文字の書かれたプラカードを、カメラに見えるように持たされている。
『わたしは騎士団長アスレに浮気をして、騎士団長アスレがヘカタン村を襲うのに2度も協力した戦犯ネコです(にゃん)』
「えええええ~~~~~~ッ!?」
まさかの展開に、女戦士は飛び起きた。
戦犯ネコ。
あのクレアが戦犯ネコ。
頭の中が真っ白になった。
なぜ、一体どうして。
動画を見る限り、冒険者たちはクレアの他にも何名かの見知らぬ冒険者を捕まえているいたいだった。
所属クラン名は、SNSでも有名な、騎士団長アスレのファンクラブである。
『くっ、殺せ!』
さすが騎士団長アスレのファン、くっころも堂に入っている。
『わたしは騎士団長アスレに浮気をしました~』
『語尾は【にゃん】』
『わたしは騎士団長アスレに浮気をしたにゃん~。反省してるにゃん~』
怒り心頭のナナオは、クレアの語尾を『にゃん』にするよう強要していた。
ナナオにとって、それはもっとも屈辱的な刑罰であるらしい。
さすが天才シナリオライター、言葉に対して凡夫とはちょっと違う感性を持っているのだ。
「ナナオちゃんの言ってた裏切り者って、クレアさんだったんだぁ……あのクレアさんが……まさか騎士団長アスレに浮気してたなんて……」
女戦士は、まだ頭が殴られたみたいにぐらぐらしていた。
大人は一体どうして浮気なんてするのだろうか?
戦犯としてナナオに捕まったクレアは、これから一体どうなるのか。
オーバーヒートしそうな頭を抱えたまま、ぽてん、とカビゴンのお腹に横になった。
色々不可解な事も多いが、もう眠る時間だった。
睡眠導入アプリもすでに起動したし、早く寝ないと睡眠時間の計測も始まっている。
しばらく目をつぶって、入眠するのを待った。
ヒツジが一匹、ヒツジが二匹。
「……いや、こんなん寝ていられるかー!」
女戦士は、はげしいノリつっこみと共に飛び起きた。
「うーっ、クレアちゃん、待ってて、今行くよー!」
ベッドの脇に備え付けてあったヘッドギアに手を伸ばすと、すっぽり頭に装着して、再び横になり、そのままゲームの世界に飛び込んでいった。
そうして、女戦士は再びゲーム世界へと舞い戻っていった。
ログアウト不能事件を託された双剣士が謎のファイルを家に持ち帰るまで、あと1時間を切ったころだった。