潜伏する騎士
リアルの世界では、午後21時20分。
サイモンの世界では、日付が変わり、秋アプデまで29日になろうとする頃。
光の尾を引きながら、『ジズ』が世界の果てに出現するのを、魔の山の冒険者たちが大勢で見上げていた。
「おお、なんだかデカい鳥だな」
ヘカタン村の門番であるサイモンは、神々しいその鳥が地上に降り立とうとする姿を目撃していた。
なぜかは分からない、不吉な予感のする光景だった。
冒険者たちも、その鳥の姿を不安げにじっと見つめていた。
「来たか」
「そろそろ『魔竜』も現れる頃だ……準備しよう」
幾度となく繰り返されてきた、ゾンビ軍団との戦い。
この後はじまる戦闘に備え、対ゾンビ用の武器に切り替えていた。
そんな冒険者たちの横を、【潜伏状態】の国王軍が素通りしていった。
メイシーの【夜の帳】による効果で、プレイヤーからは姿が見ることができない。
西の森から石の塀を飛び越え、真っ直ぐに村に侵入していく。
「数名はここに残れ。脱出経路を確保しておけ」
「はっ!」
「メイシー、お前は俺と来い」
メイシーは、慎重に頷いた。
けっきょくメイシーは、騎士団長アスレの侵略に加担していたのである。
騎士団長アスレは、視界マップを確認しながら、【戦力鑑定】を周囲に走らせ、冒険者たちの能力を読み取っていた。
「数があわない……『暗殺者』が【潜伏】している」
「任せて」
メイシーは、空を見上げる冒険者たちの間をすり抜け、素早く屋根の上に登ると、【潜伏状態】の『暗殺者』に素早く忍び寄った。
「……がッ!?」
首を『必殺+50%』のナイフで切り裂かれ、声をほとんどもらす事なく、冒険者の『暗殺者』は倒れ伏した。
全身がパーティクルに細かく分解され、風にのって流されていく。
誰にも気づかれずに暗殺を成功させたが、ブルーアイコンの冒険者たちは、ロストしたという情報をすぐに共有してしまう。
メイシーは、ほかの冒険者たちがまだ上空の『ジズ』に気を取られているのを確認してから、ランプを右回りに二回振り回した。
「よし、急ごう」
合図を確認した騎士団長アスレは、兵士たちを引き連れ、さらに奥へと進んだ。
それを見送ったメイシーは、小さく息をついた。
「……上手く逃げなさいよ」
騎士団長アスレの侵略を、全力で手助けすることにしたメイシーだったが、彼女には打算があった。
時間が足りないのだ。
今回は、山登りを開始した時間が遅すぎた。
『ジズ』が空に現れたということは、もうすぐ騎士団長アスレは『傲慢の魔竜』に化けてしまうはずだった。
いまメイシーが騎士団長アスレを誘拐したところで、『魔竜』を退治するのにどのくらい時間がかかるか分からない。
とちゅうで時間切れになっては元も子もない。
ならば次回、いちはやく騎士団長アスレに近づくために、一時的に手を貸すのがベストだろう。
それに、『暗殺者』のスキルを持っているミツハは、【潜伏状態】を見破ることができるのだ。
いくら【潜伏状態】でミツハに近づけたとしても、そう簡単には捕まらないはずだった。
というか捕まったら許さない。
ミツハは少々どんくさいので、心配は尽きなかった。
「……薬、届けられなかったわね」
恐らく、もう一度ミツハに薬を届けるチャンスはめぐって来ないだろう。
誰か、親切な冒険者が薬をくれることを願うしかない。
ヘカタン料理店の方を見たが、店の灯りは見えなかった。
騎士団長アスレたちの姿も、すでにここからは見えない。
空を見上げると、『ドラゴン』をクチバシに咥えたまま、島に降り立とうとする『ジズ』の姿が見えた。
「………………」
メイシーは、その『ドラゴン』を見て、なにか違和感を覚えた。
冒険者たちも、その異変に気づいていたらしく、口々に声をあげている。
「おい、あれ……」
「あれ? どうなってるんだ?」
メイシーは、その違和感の正体に気づくのに、少々時間がかかった。
だが、それが意味するところに気づいた瞬間、背筋がぞわっとした。
「なんで……どうして……」
完全に裏をかかれた。
まるで、彼女の全ての動きが読まれていたかのようだ。
いったい、どういう計算をすればこんな戦略を思いつくというのか。
なによりも、こんな危ない橋を渡るような計画を、何のためらいもなく実行にうつせる精神力が信じられなかった。
「……なんて『傲慢』なの」
***
一方その頃、灯りの落ちたヘカタン料理店。
客席の間をちょこちょこと駆け回っていたミツハは、窓にぺったりと額を押しつけて、外をじっと見ていた。
『ジズ』を島に着陸させるために、『竜の眷属』を生み出して退治しておくのは、彼女にしかできない仕事だった。
自分の仕事の出来栄えを確認するまで、ゆっくり寝てなどいられないのである。
『ジズ』の翼の影は、世界のどこにいても頭上にかかってくる。
今日も山のモンスターを『眷属化』させて、冒険者たちに退治させていたので、いつものように『黒竜』が運ばれてくるはずだった。
そのクチバシがついばんでいる『ドラゴン』の姿を見て、ミツハはおやっと首を傾げた。
『……ひい、ふう、みい。首が三本ありんす』
『ジズ』が運んでいるのは、その日に魔の山エリアで倒された『ドラゴン』であるはずだった。
だが、なぜかそれは王冠を被った『三つ首のドラゴン』だったのだ。
『『傲慢』が……倒されている?』
一瞬、何が起こっているのか理解が追い付かなかったミツハ。
バタン、とミツハの背後でドアが閉まる音がした。
振り返ると、騎士団長アスレが暗闇に立っていた。
「お前がミツハか」
どうやら騎士団長アスレは、『トキの薬草』を飲むことで自分の『ドラゴン』を退治し、朝のリスポーンの時間まで20分を稼いでいたらしい。
まんまと冒険者たちの目をかいくぐり、目的地までたどり着いた騎士団長アスレは、氷のような眼差しでミツハをじっと見ていた。
入って来たのは、ひとりだ。
残りの兵士は、誰も料理店に近づいて来ないように外を見張っている。
ミツハは、がたがた震えはじめた。
たとえ不死身の能力を捨てたとしても、ただの【分体】でしかないミツハが敵う相手ではなかった。
とても逃げきれない。
騎士団長アスレは、ごつ、ごつ、と軍靴の足音を床に響かせながら、料理店の中をまっすぐ歩いて来た。
月明かりに顔が照らし出された。
【潜伏状態】のため透明だったが、このゲームの主人公らしい、美しく精悍な顔立ちだった。
「……どうやらお前で間違いないようだな」
それから、地面にしゃがみ込むと、包帯が巻かれたミツハの両膝を見た。
いちおう応急処置はされているが、血が出ている。
昼ごろからまったく癒えていない。
『……あ……あ……』
ミツハは、びくびく震えて、声も出せないでいた。
騎士団長アスレは、革の腰袋から小さな瓶を取り出した。
それはメイシーが用意した、『使役獣』専用の回復薬である。
瓶につけられたタグの内容をもう一度確認して、それからミツハに押し付けた。
「これでクエスト完了でいいのか……?」
騎士団長アスレは冒険者ではないので、正規の手続きはわからなかったようだ。
ミツハのトカゲの尻尾をじっと見て、それから言った。
「お前は普通の薬草が効かないらしい。……怪我をしないよう気をつけた方がいい」
『はい……気をつけます……』
ミツハは、ようやく返事をすることができた。
騎士団長アスレは、それを確認すると、小型の鎧通し(スティレット)を取り出した。
近接戦闘で鎧のすき間を突くための、小さくとも魔剣の性能を帯びたナイフだ。
「あと、依頼主からの言伝がある……」
騎士団長アスレは、思い出したように言った。
「ひざを擦りむいたぐらいで死ぬ死ぬ言うな……だそうだ」
それを聞いたミツハは、依頼主が誰か分かった。
そんな事を言った相手は、1人しかいない。
とたんに、せきを切ったように涙がぼろぼろと出てきた。
『うぅぅ……お母様……お母様……お母様……!』
ミツハは、声を上げてなきじゃくった。
騎士団長アスレは、まるで不思議な生き物を見るようにミツハを見つめていた。
「不思議だな。俺には母親という生き物がよく分からないが……呼んだところでここに来てくれるとは思えないぞ」
そのとき、テーブルの影からブルーアイコンが飛び出してきた。
店のどこかに潜んでいたのだろう、コック帽をかぶったまま、剣を構えて騎士団長アスレに飛び掛かった。
「うおおおお! 誰か知らんが離れろぉぉぉ!」
ダメージこそなかったが、攻撃を受けたおかげで、騎士団長アスレの【潜伏状態】がはがされていた。
「げっ……よりにもよって騎士団長アスレかよ……!」
『カメラボーイ料理人!』
「ミツハちゃん……すぐに逃げろ! 俺はたぶんストローで水滴を吸い上げるみたいに一瞬で消されるから!」
騎士団長アスレは【戦力鑑定】を通じて、冷静に相手の戦力を推し量っていた。
「ふむ……【通りすがりのカメラボーイ】か。ステータスはゴミだな」
「俺はゴミでもこの子は料理店の宝だ! 手を出すな!」
ふたたび攻撃するカメラボーイ。
いつも冷静沈着な騎士団長アスレは、どんな相手でも油断することなく、分析のために時間をかける。
ミツハは、そのわずかな隙をついて逃げ出した。
料理店の出入り口まで、椅子をかき分けながら進んでいくと、ドアの向こうから凄まじい金属音と、兵士たちの悲鳴が聞こえてきた。
どうやら、増援が来てくれたようだ。
ドアを蹴破って、亜麻色の髪をふりみだすシーラが飛び込んで来た。
「ミツハ! こっちに来て!」
『奥方様ぁ!』
シーラは、飛び込んで来たミツハを腕に抱きかかえると、料理店からすばやく逃げ出した。
カメラボーイを一瞬で撃退した騎士団長アスレは、シーラが凄まじい早さで逃げ去ってしまったのを見て、目を丸くした。
しまったという風に顔に手を当てながら、自分がどこで計算を間違ったのかを考えていた。
「……まさかあの女、逃げるのか……せっかく戦闘準備をしたというのに……」