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侵略者の談合

 サイモンの世界では、魔の山でクレアが唐突な悪女ムーヴをかましている頃。


 リアルの世界では、女戦士がお休みに向けてわしゃわしゃと歯磨きをしている、午後21時10分過ぎ。


 実生活でも理想の生徒会長をロールプレイし続ける女戦士とは異なり、多くの受験生は、まだ机に向かって試験勉強を続けていた。


 そんな受験生の中に、中学3年生のアサシンもいた。

 そこまで真剣になってはいないので、正確には、勉強をすることで気を紛らわせているに過ぎないのだが。


 サイモンが唐突に『プレイヤーアカウント』を放棄し、アサシンとの連絡が取れなくなってから、もう6時間が経とうとしている。


 それでも連絡が来ていないか気になって、何度かスマホに手を伸ばしそうになったが、思いとどまってやめた。


「……いいや、ちょくせつ会って確かめる」


 もうそろそろ、アサシンがログイン可能になる時間だった。


 彼女は母親の仕事用アカウントを使わなければ、ログインすることすらできない。


 ログインしていない間のゲーム世界の情報は、ネットを通じて断片的にしか得ることができなかった。


 なぜか夜にはゾンビが溢れる世界になっているとか、騎士団長アスレが闇落ちして『三つ首のドラゴン』になっているだとか、恐ろしい情報が飛び交っていた。


『前作』を知るアサシンの知識によれば、『三つ首のドラゴン』は恐らく。


「『傲慢の魔竜』が現れたのね……」


 死霊の軍団を率いる『ファフニール教団』の七使徒のひとり。


『前作』では、特殊エクストラクエストで戦う超S級のモンスター。


 だが、噂ではゾンビがあまりに恐ろしいクオリティに仕上がってしまい、実装を見送ることになった、という話ではなかったか。


 ゾンビを倒す専用の武器が市場にあふれているらしいので、場当たり的な公式イベントがはじまったのでは、と考える者が多数だった。


 公式のイベント告知は特にないし、秋アプデを明後日に控えたこんなタイミングでするのも妙な話だ。


『前作』からこのゲームと付き合っているアサシンだったが、このバーチャル世界に移植されてから、何かがおかしい。


 昼ごろに緊急メンテナンスを挟んだことも、サービス開始から初めてだった。

 ……何かが起こっているのだ。


 さらに調べると、もっと信じたくない情報があった。

 冒険者ギルドの受付嬢メイシーと、ヘカタン村の門番サイモンとの間に子どもがいた、という情報である。


 アサシンは「うぎゃー!!」と思わず夜更けに絶叫して、床の上でごろごろ転げまわっていた。


 床を拳でだむだむと叩いて悔しがった。


「信じてたのにメイシーさーん!! 友達だと思ってたのにー! よりにもよって私のサイモンに手を出すなんてー!」


 NPC同士でお似合いと言えばお似合いなのだが、それを素直に祝えるような達観した精神構造をアサシンは持ちあわせていなかった。

 まるで友人に恋人を奪われたようなひどい裏切りを味わった。


 そう、ぼっちのアサシンにとって、サイモンは初恋の相手だったし、メイシーもかけがえのない友達だったのである。


 もっと情報を手に入れたかったが、どちらも世間的にはさほど人気のあるキャラクターではないため(人気投票でもランク圏外だった)、そもそもモブ同士の恋愛事情など誰もそこまで興味がなかったらしく、詳しい情報はまったく集まらなかった。


「なによ役立たず! あのメイシーさんとサイモンよ!? 大事件じゃないの、まったく世間の人間は、見る目がなさすぎるんだからー!」


 リアルの世界でいくら叫んだところで意味がない。

 こういう情報は、直接自分で確かめた方が早い。


 アサシンは、ちらりと壁の時計に目を向け、額を鉛筆の消しゴムで叩きながら、何かのタイミングを見計らっていた。


 夜の9時を若干過ぎている。


「……もういけるかな」


 音を立てないように、部屋のドアを慎重に開いた。

 存在そのものを消し去るように、素足でこっそりと廊下を歩き、1階の母親の部屋の前に向かう。


 いつもだったら、もっと確実な深夜の時間帯を狙うのだが、この日はそうも言っていられなかった。


 母親の部屋は、とても静かだった。

 ドアのすき間に顔を押しあてると、部屋の明かりは微灯になっているのがうかがえた。


 子どもの頃、アサシンと一緒に寝ていた時は、電気スタンドの明かりをつけて難しい本を読んでいたのを覚えている。

 冷静に考えると、小さい子どもが隣にいる状態でヘッドギアをつけて『フルダイブ』していたら危なかっただけなのだが、それでもアサシンはその姿に感銘を受けていた。


 アサシンにとっての母親は、そうやっていつも過去の偉人の言葉を大事な宝石箱の中にしまっているような人だった。

 毎日の食事の時に食卓をすこし賑やかにして、困ったときにはそれを分け与えて助けてくれるような人だった。

 自分もこのような女性になるのだと、アサシンは本を読むその横顔を見ながら思っていたのだ。

 けれども、なれなかった。

 彼女が大人になると、その女性はどこかに消えてしまった。


 電気スタンドの明かりは見えなかった。

 アサシンは、ドアを1秒に1ミリ程度の勢いで、ゆっくりと開いていった。


 母親は、今は仰向けになり、頭部をすっぽりとヘッドギアで覆っている。

 アサシンは、ごくり、と喉を鳴らした。


 呼吸にあわせて、胸がゆっくりと上下しているが、眠ってはいない。

 流線型のヘルメットのような形のヘッドギアは、思考パルスの波長にあわせて緑色の表示灯が激しく明滅していた。


 まるで、機械に人間が食べられているような、ぞっとする光景だった。

 母親のその姿は、リアル世界を拒絶しているかのように思われた。


 ひょっとすると、このまま戻って来ないのではないか、と何度も想像した。

 目が覚めるとAIと中身が入れ替わっているのではないか。

 毎朝顔を合わせているのは別人で、本物の母親は、向こうの世界にとらわれてしまっているのではないか。


 ともかく、アサシンが使えるのは、母親の仕事用のアカウントだけだった。

 きっと使っているのは個人用アカウントだろうが、ひょっとすると、クライアントの都合でこの時間帯に面談している可能性もないわけではない。


 少なくとも、眠っていてくれないと、安全にログインすることができなかった。


「サイモン……ごめんね」


 アサシンは、気づかれないようにそっとドアを閉じた。


 いずれログアウトして、眠りにつくだろう。

 彼女はアサシンのように、ヘッドギアを身に着けたまま眠ってしまったりはしないはずだ。


***


 リアルの世界では、アサシンがログインを諦めた午後21時15分。


 サイモンの世界では、まもなく日付が変わろうとする頃。


 山中に唐突に現れて、ファンクラブのメンバーたちと共に悪女ムーヴをかますクレアは、鼻高々といった様子で、騎士団長アスレにごっそりと重大な情報を提供していた。


 ヘカタン村を守る冒険者たちが拠点にしているヘカタン料理店は、クレアの庭のようなものだ。

 営業中は、騎士団長アスレの斥候スカウトや、ファンクラブのメンバーも客人として常に潜入していた。


 ナナオや上級冒険者たちの話し合う戦略も、もはや筒抜けだったのである。


「言われた通り、『暗殺者アサシン』のメンバーのリストを作ったわ。さすがに数はそこまで多くないみたい」


「それでいい」


「ファンクラブの子に頼んで、それぞれのパーティが配置されているマップも作ってもらったわ」


 アスレファンクラブのメンバーは、リアルでも有能らしく、地味に技術をもつ人が多かった。


 つい10分前に、騎士団長アスレがいきなり『魔の山に登る』と言い出しても、連携して見事に精度の高い情報を提供することができた。

 

 クレアは戦略に関することはまるで分からないが、そこは騎士団長アスレのAIが理想的な戦略を立ててくれる。


 騎士団長アスレは、大型のマップに映るブルーアイコンと、クレアの作ったメンバーリストを見比べて、ヘカタン村と西の森の間にすっと指を置いた。


「ここから入れそうだ」


「どうやってそこにたどり着くつもりなの? 前回使ったヘキサン村の転移ポートから、等間隔に冒険者たちが見張りについているわ」


「こちらは【夜のとばり】を使うことができる。今回はそのための人選だ」


 知らない間に作戦に組み込まれていたメイシーは、ぎくりと表情をこわばらせた。

 

宮選暗殺者インペリアル・アサシン』は平常時、ステータスに偽装ダミーが施される。

 メイシーの場合は『ギルドの受付嬢』だったので、【戦力鑑定】を使ったところで、間違っても裏のスキルまで見破られるはずはない。


 恐らく、『傲慢ごうまんのグリッチ』が働いたのだ。

 世界線をまたいで、知りうるはずのないゲームに関する情報を得られる。


「ふうーん……前に一緒だった人たちとちょっと違うのは、戦略かえたのね?」


 いちおう、ゲーム開始当初はコスプレイヤーの撮影をしていたので、ある程度の職業やスキルに関する知識はあるクレア。


 とりあえず、騎士団長アスレが今回の作戦のために厳選したという国王兵の顔ぶれを見渡して、その中にメイシーがいるのを見つけて、おやっと思った。


「……あれ? メイシーさん?」


 きょとん、と目を丸くするクレア。

 普段は、冒険者ギルドのカウンターで受付嬢をやっているメイシーがいた。


 だが、メイシーが職場を離れて魔の山に登ってきたことは、実はこれがはじめてという訳ではない。

 クレアの知る限りでは、前にも1回だけあった。

 だが……。


「……あれ、あれ、あれ? ひょっとして、メイシーさん? 前は騎士団長アスレの敵だったのに、今は仲間になっちゃったの? どうして?」


 確か、あのときはギルドマスターからの指示だったが、ヘカタン村の近くで『トキの薬草』の群生を発見した国王軍と敵対していたはずだ。


 騎士団長アスレをムチで滅多打ちにしていたのを、よく覚えている。

 ムチでうたれる騎士団長アスレの映像は、一部のファンにすごく評価が高かったのだ。


 さらに別の世界線でも、シーラといちゃいちゃするサイモンを不愉快に思って、サイモンを野放しにしている騎士団長アスレを天の助構文を使ってまで逆恨みしていたのを覚えている。


『殺してやる、騎士団長アスレ』という、見事な天の助構文であった。


 それが、どうして今は手を結んでいるのか。


 当のメイシーは、疑問符でいっぱいのクレアの事よりも、騎士団長アスレをどうすべきかで思い悩んでいる様子だったが。


「むーん? なにがあったんだろう……はっ、メイシーさん……ひょっとして」


 クレアは、ようやく理解した。


「ひょっとして、オカミちゃんを亡き者にした真の黒幕はメイシーさんだったの……? そして次はミツハちゃんを……」


 あまりに怖い想像をして、クレアは、びくびく震えていた。

 クレアにはできないが、メイシーならやりかねない。


 じつは、クレアは騎士団長アスレの指示に従っていただけで、別にオカミに恨みがあった訳ではなかった。


 騎士団長アスレに協力を迫られたとき、

『トキの薬草』を『つかう』こともできたのだ。

 だが『三つ首のドラゴン』と『暴食竜』のどちらかを滅ぼし、どちらかを生かすという選択に迫られたとき、『三つ首のドラゴン』の方に軍配があがったというだけである。


 オカミも、本当は姿の変わった『使役獣』であり、この世界のキャラクターと血がつながっている訳でもなんでもない。


 親などどこにも存在しない。あるのはそれぞれの抱いた勝手な『イメージ』だけだ。


 メイシーも、それは十分に理解していたはずだ。

 だがメイシーは、オカミが自分の娘ということになったとき、一体どんな反応をしていただろうか。

 心の底から『嫌そう』にしていたではないか。


 必要に迫られて、たった一時、母親の演技をしていただけにすぎない。

 それでもプライドの高い彼女は、サイモンと自分の間に子どもがいる事になっているのが、どうしても許せなかったはずだ。


「ああ、なるほどぉ……そうかぁ……さすがメイシーさん……騎士団長アスレを利用して、『暴食竜』の血を根絶やしにするつもりなのね?」


 すべては、自分の汚点を消し去るために。


 相変わらず、なんという冷徹で狡猾な女であろうか。

 まったく自分では足元にも及ばないような悪女だった。


 自分もミツハに関しては、小鳥の時からずっと肩にとまっていたから、ちょっと愛着がわいて来たというのに。

 生み出した当の本人は、まるで血も涙もないという事か。


 すでに暗殺者アサシンの顔になっているメイシーの横顔に、クレアは寒気を覚えて、ごくりと喉をならした。

 だが、今は騎士団長アスレの仲間なのだ、けっしえ敵対してはならない。


「安心して、ミツハちゃんはオーレン料理店でちゃんと眠っているから……ちょうどシーラちゃんのベッドが空いてたけど、『床でいいでありんす~』とか言ってたから、ホールの暖炉前の床で眠ってもらったわ」


 クレアがさらなる情報を提供すると、メイシーは、殺意のこもった鋭い視線をクレアに送っていた。


「ぴぃぃっ!?」


 クレアは小動物のような悲鳴をあげた。

 いったいどこに自分が恨まれる要素があるのか、まったく理解できない。

 メイシーにとっては、これ以上ないナイスアシストだったのではなかったのか。


「えっと、そもそも何をしに行くのか聞いてなかったんだけど。『暴食竜』を倒しに行くのよね?」


「『ドラゴン』捜索は中止だ。今日は薬を届けにいく」


「へ? 薬を?」


「ヘカタン村に薬を必要としている者がいる。ミツハという名だそうだ」


 クレアは、ぽかん、と口をあけた。


 そういえば、ミツハが『暴食竜』の血を受け継いでいる、という話は、騎士団長アスレにまだ教えていなかった。


 あの騎士団長アスレがいきなり『山登りする』と言い出したので、てっきりどこかでミツハの情報を得たのだと思っていた。

 なのに、メイシーも何ひとつ教えていない様子だった。


「冒険者たちは、けっして一筋縄ではいかない連中だが、『ゾンビ対策』を練ってきている。

 それは通常の戦闘において、スキルスロットルをひとつ消費する足かせにしかならない……我々がつけ入る隙は、そこにある」


 騎士団長アスレは、仲間たちの顔を見渡して言った。


「ここにいる全員で村に攻め入り……邪魔な冒険者を蹴散らし……そして『ミツハに薬を届ける』。これが今回の我々の作戦だ」


 国王兵たちは、深く頷いた。

 だが、冒険者たちは、ぽかんとして、首をひねった。


「……どういう事?」


 一見筋が通っているように見えて、その不自然さは、人間にしか分からない。


 暴走する騎士団長アスレの作るイベントは、やはりAIが自動生成したもの特有の不自然さがあるのだった。

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