午後21時の撮影者
リアルの世界では、すっかり夜も更けた午後21時10分。
サイモンの世界でも、ほぼ同じくらいの夜更けごろ。
ひと気のない魔の山を、騎士団長アスレはわずかな上級兵と共に黙々と登りつづけ、メイシーはそのすぐ後ろをついていった。
「この辺りは魔物が多い、気をつけろ」
騎士団長アスレは、パーティの中でレベルの最も低いメイシーの事を気遣うように言った。
「ええ、心得ております」
メイシーは、ほとんどガラクタのような魔剣を背負う騎士団長アスレの隙を伺いながら言った。
この魔の山では、ブルーアイコンの冒険者たちが、前回に引き続き騎士団長アスレの捜索をしているはずだった。
行動を起こすなら、彼らと遭遇した瞬間だろう。
『宮選暗殺者』のスキル【夜の帳】を使えば、騎士団長アスレと上級兵のパーティを全員【潜伏状態】にすることができる。
つまりは【潜伏状態】を無効化できる『暗殺者』でなければ、その姿を見ることができなくなる。
冒険者たちとの戦闘を有利にするため、また味方の姿を敵から隠し、身を守る目的でも使われるスキルだ。
だが、メイシーの目的はあくまで騎士団長アスレだった。
その隙を利用して、騎士団長アスレを誘拐するのだ。
【必殺】の確率を倍増させるコンボを使えば、ここにいる全員をメイシーひとりで仕留めることが出来るが、それはできない。
厄介な事に、今の騎士団長アスレを倒したところで、ミツハに関する記憶がリセットされる訳ではない。
記憶をリセットするには、『トキの薬草』を飲ませるか、ドラゴンになった後で倒すかしかない。
どちらの方法も、今のメイシーには難しい。
ただのNPCであるメイシーに、冒険者たちのような便利な『つかう』コマンドは使えない。
かといってレイドボス級の『傲慢竜』を倒すほどの力もない。
「心得ておりますとも」
いつかブルーアイコンの冒険者たちが騎士団長アスレを倒してくれるのではないかと、期待していた。
だが、冒険者たちに任せて黙ってはいられなかった。
任せているうちに、彼女はすでに1人、子どもを失っているのだ。
どうしても、自分で手を下さなければならなかった。
メイシーは、職業特性として【アバター破壊】が使えるので、いつぞやの世界線のように、両手両足をもいで、むりやり薬を飲ませる方法もあるのではと考えていた。
だが、騎士団長アスレが手に入れた『超回復』や、『傷口からヘビの頭を生やす』能力をまえに、それが今回も通用するかは疑問が多い。
ただ、それでもメイシーの仕業だと理解させればいい。
この男のヘイトを自分に向けさせるのだ。
そうすれば、少なくとも、この男をミツハから遠ざけることができる。
メイシー自身は、なにがあっても決して倒されないと自負している。
『嫉妬の魔竜』は、伝承でも鉄壁の防御力を誇るとされているのだ。
「ああ……そうか……そうだな……それでいい……」
騎士団長アスレは、なにか独り言をぶつぶつと口ずさみながら、山の中を歩いていく。
地図も見ず、ほとんど無作為に歩いているように見えたが、道中はまったく冒険者と遭遇しなかった。
冒険者たちの動きは、ミツハが手紙で教えてくれたものを信じると、前回の世界線でヘカタン村が強襲を受けたため、今回は村の守りを固めて、捜索にあたる人員を減らしているという事だった。
逆に言えば、ヘカタン村の近隣は、冒険者たちが必要以上に密集している、ということである。
さすがに騎士団長アスレも、その中を突破していくことは難しいだろう。
いったい、どうするつもりなのか。
メイシーが考えていると、騎士団長アスレは、ふらっと横路にそれていった。
そこは、魔の山の4合目。
クワッド盆地の湿地帯だ。
滝の音がごうごうと鳴り響くあたりに向かうと、複数名の冒険者たちがいた。
「首尾よくいったか」
騎士団長アスレは、まっすぐに彼等の元に近づいていく。
冒険者たちは、騎士団長の姿に気づくと、目を輝かせて胸に拳をあてる敬礼をした。
「き、騎士団長アスレさま!」
「はい、こちらは問題ございません、騎士団長アスレさま!」
メイシーは、【夜の帳】を発動する機会を失った。
おそらく、騎士団長アスレが言っていた、冒険者に扮した斥候たちだろう。
だが、その頭上にあるアイコンの色を見て、メイシーは真っ青になった。
深海のように青いブルーアイコンだったのだ。
「……どうして」
どうやら、ブルーアイコンの冒険者たちは、全員が騎士団長アスレと敵対している訳ではなかったらしい。
何名かが騎士団長アスレの手引きをしていたのだ。
いったいなぜ、いつの間に、と思ったが、そこまで突然ではなかった。
ファンクラブだ。
メイシーの調査によると、騎士団長アスレは、リアルの世界にもファンクラブがあるのだ。
どうやら午後21時になって、ファンクラブの会員たちがログインしはじめたらしい。
子どもをようやく寝かしつけた子育て世代などが参加しやすいように、活動するのがこの時間帯になっているのである。
騎士団長アスレの流し目をうけて、きゃーきゃー黄色い声をあげる冒険者たち。
リアル世界のファンクラブ会員も、こちらの世界のファンクラブ会員とよく似ている。
「ああ……いま合流したところだ……村の様子はどうだ……うむ……」
だが、騎士団長アスレは、彼女らの事などまったく意に介した様子はなかった。
先ほどから、何か独り言をぶつぶつ言っているように見える。
いや、違う。
彼は『チャット』をしているのだ。
メイシーは、全身から血の気が引いていくような気がした。
この能力は、かつてのサイモンと同じだ。
どうやら彼は『プレイヤーアカウント』を持っていて、ブルーアイコンの冒険者たちと『チャット』による対話をしているのだ。
全ての能力をうまく使いこなせてはいない様子だったが、『ファフニール』から『ドラゴンの力』を渡された時に、『プレイヤーアカウント』も手に入れていたらしい。
「……これは、まずいわね」
『プレイヤーアカウント』こそ、サイモンが最強種『ファフニール』を宿したギルドマスターをほふった力だったのは、記憶に新しい。
騎士団長アスレが、ますます手のつけられない怪物になっていく。
メイシーは、ギルドマスターが倒されるときは特になにもしなかったが、今の自分に出来ることはないか、必死に考えていた。
だが、どう考えても時間稼ぎぐらいしかできそうにない。
騎士団長アスレを倒せば、ヘイトを自分に向けさせることができる。
それから、ひたすら逃げて、生き延びれば。
その間は、村を守ることができる。
いつの間に村を守りたいと願うようになっていたのだろうか。
そこはミツハが見つけた居場所だ。
ミツハを守ってくれる者がいる村だ。
メイシーは、ナイフをかたく握りしめ、いつでも彼女たちの目の前から騎士団長アスレをさらえるよう、準備を整えていた。
「ふっ、来たわね、アスレ……いえ、マイ・ニュー・ダーリン」
ぐじゅりっと、湿ったクワッド盆地の草を踏みしめる音がして、新たなブルーアイコンの冒険者がその場に現れた。
「マスター!」
「お帰りなさいませ、マスター・クレア!」
他のブルーアイコンの冒険者たちは、その場にひざまずき、王侯貴族に対するような最敬礼を彼女に送った。
「うそでしょ……あなたなの……?」
メイシーは、暗闇から現れたその姿を見て、さらなる驚愕に目を見開いた。
背は低く、袖が余るようなぶかぶかのパーカーを身に着け、頭上にはネコミミの生えたフードを被っている。
首にはごつい一眼レフカメラを吊り下げていて、猫のように目を光らせ、にやりと笑っていた。
騎士団長アスレは、うろん気な顔をその少女に向けて、言った。
「来たか……【異世界ディスカバリーチャンネル:クレア】よ……」
犯人はクレアだった。
彼女は欲しいものをすべて手に入れた悪女のように微笑みながら、どこか影のある眼差しを浮かべていた。
「ふっ、かなり好感度あげたと思ったのに、いまだにフルネームで呼ばれるのは、心外だわね……」
そうだった……彼女は『ドラゴン』マニアだ。
メイシーは、冷静にいままでの出来事をふりかえってみた。
2日前、『ドラゴン』になった騎士団長アスレに興味をもって追いかけまわしていた。(143話参照)
そして次の日は、なぜか1人で朝から素材集めのために村から外に出ていた。(147話参照)
2人の接触があったとすれば、おそらくこの時だ。
騎士団長アスレがヘカタン村までやってきたのは、その直後。
冒険者たちの動きの裏を完全について、まったく誰にも気づかれないまま、複数の兵士たちを連れて登山してきた。
「まさか、あなたが……村まで手引きしたの……あの男を……」
どうやら騎士団長アスレは、新たに手に入れた『竜の力』を鍛えている最中に、自分の『プレイヤーアカウント』の存在にも気づいたが、まったく使いこなすことができなかったようだ。
この世界の文字に対応していないメニューを読むことが出来なかったらしい。
そんなおり、サイモンの異能をよく知っているクレアからの接触があったため、それを利用して『音声チャット』をはじめとした様々なテクニックを聞き出していたのだ。
ならば、『マップ』を視界に表示させて、敵とエンカウントしないように回避しながら登山することもできたはずだ。
『撮影者』であるクレアの得意技だったからだ。
うかつだった。
メイシーは、クレアにつけていた『使役獣』から常に視界情報を得ていたのだが、ミツハになった時点でその情報が得られなくなっていた。
どうせ料理店や撮影のようなごっこ遊びにしか興味がないのだと思って、まったく油断していた。
監視しておくべきなのは、この女だったのだ。
「はぁ~、ゾンビ軍団もカッコいいけど、三つ首ドラゴンも最高にカッコよかったぁ~」
クレアは、一眼レフカメラを撫でさすりながら、うっとりした表情をうかべていた。
ブルーアイコンの冒険者たちは、うっと顔を青くしていた。
NPCと友達になり、誰にも撮ることができないお宝映像を量産し続けるクレアを尊敬するファンクラブの会員たちだったが。(クレアは自分のことをマスターと呼ばせている)
彼女のモンスター趣味だけは、誰も共感できないものだったのだ。
世界の破滅を目前にして、うきうき楽しそうなクレアの声は、夜の闇によく響いた。
「ダーリンは今日も『変身』するんでしょ? ふふふ、夜が来るのが楽しみね。
私はね、『ドラゴン』を撮影するのが子どもの頃から夢だったの。その夢のためだったら、なんだってするわ」