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騎士団長アスレと宮選暗殺者メイシー

 騎士団長アスレが放った斥候スカウトは、普段から冒険者として活動しており、領内の各地を偵察してまわっていた者たちだった。


 オカミについては、冒険者ギルドの内部でもメイシーの子どもであるという噂が出回っており、この情報が騎士団長アスレの耳にもたらされるのも早かった。


 もう1人の子ども、ミツハについては……どこまで情報を得ているのか、分からない。

 メイシーは他の『使役獣』を使ってヘカタン村を観察していたが、騎士団長アスレがミツハの存在を知るタイミングは、まったくなかったはず。


「お前は『ドラゴン』の母親かと聞いている……答えろ。罪には問わない」


 騎士団長アスレの声は、決して相手を脅そうとして発せられたものではなかった。


 まるで道を尋ねるような軽い口調で、もしもこれが違う場面なら、まったく恐怖を感じさせるようなものではなかったはずだ。


 メイシーは、音が漏れないぐらいゆっくりと、深く息をついた。


 恐らく、騎士団長アスレが得ている情報はオカミに関するものだけのはず。

 だったらなぜ、ここに来たというのか。

 分からない。一度『ドラゴン』であると目星をつけられ、実際に『ドラゴン』であったオカミは、すでに死んでいるというのに。


「さあ? そもそも、私は母親になった事がございませんので」


 メイシーは、真っ直ぐに騎士団長アスレの目を見返して、微笑みを浮かべた。

 たとえどんな場面だろうとも、簡単に相手の欲しい情報を渡すものではない。


 騎士団長アスレは、その言葉を受けて、マントの下からナイフを取り出した。

 カウンターの上で、抜き身の刃がぎらりと光って、メイシーは一瞬悲鳴をあげそうになった。


 だが、騎士団長アスレは、そのナイフをゆっくりカウンターの上に置いただけだった。


「これ以降、ウソ偽りは不要だ」


 冒険者と話し合いを始めたら、たいてい話し合いが終わるころには、どちらも剣を握っているものだ。

 メイシーは、ごくりと喉を鳴らした。


「俺は母親という生き物について、あまり深い事は知らない。ところで、お前は俺の母親の事を知っているか」


「ええ、聖女ラナジーア様でございますね。国内で知らない者はおりません」


「なぜ奴が聖女などと呼ばれると思う」


「聡明で、慈愛に満ちた方であるためと存じます。領地の事を常に憂い、弱者のために、常に何かをしようとなさるお方でありました」


「ああ、俺もそう信じていた。だが現実は違うのだ。20年前のある日、聖女ラナジーアのいた避暑地が帝国兵の襲撃を受けた。

 捕虜となった帝国兵にも救いの手を差し伸べようとした聖女だったが、聖堂ごと踏みつぶされた。鼻の骨が折れ、皮膚が焼けただれ、片方の目は永遠に光を失い、『ドラゴン』の血まで植え付けられていた。

 帝国兵に復讐を誓う周りの者たちに、生死の境をさまよう重傷を負った聖女は言った。帝国兵を許すのだと。

 その結果どうなった? その後も帝国は王国を攻撃し続けた、実に多くの人命が犠牲になった。聖女のその言葉は、果たして誰のためだったのか?

 それは、国にいるすべての弱者を救済するための言葉ではない。たった一人、まだ小さい俺を戦火から守るために言った欺瞞にすぎなかったんだ」


 騎士団長アスレの瞳に、からからに乾いた炎が宿った。


「たとえ聖女と言えども、母親になると、人間はこのように弱くなってしまうものなのだ。

 弱い事は、悪だ。弱者は悪の糧となり、増長させる。弱者が世界に悪をのさばらせ、さらなる被害を拡大させる一因となる。

 だから俺は、お前の剣となるためにここに来た」


「私の剣に、ですか?」


「そうだ、お前には、倒すべき相手がいるはずだ」


 倒すべき相手、と言われて、メイシーはすぐには思い浮かばなかった。

 騎士団長アスレは、次々に質問をした。


「『ドラゴン』の母親になったとき、お前はそう望んだのか? 『ドラゴン』が死んだのはなぜだ? 鳥は倒したのか?」


 どうやら、騎士団長アスレがメイシーのところにやって来たのは、ミツハの存在を知られたから、という事ではなかったらしい。


『ドラゴン』の容疑でオカミを追いかけている途中で、オカミのたどった結末を知って、残された遺族であるメイシーの事を気にかけてきたのだ。


 追いかけるべき『ドラゴン』を見失った彼の思考回路は、誠実な騎士団長のものに戻っていた。

 バグに冒され、精神を病んでなお、騎士団長アスレの本質は、この物語の主人公なのだった。


「倒すべき相手から決して目を逸らすな、悪の名を恐れずに言え。俺がお前に求める強さは、たったこれだけだ」


 騎士団長アスレは、変わらなかった。

 メイシーは、まつげを伏せた。

 カウンターの上に置かれたナイフをじっと見つめ、まだ強く鳴り響く心臓を押さえながら、言った。


「先ほど、母親になった事がないと言った事は訂正いたします。私には、子どもが1人いました」


 メイシーは、リボンを括り付けた専用回復薬の瓶を、ぎゅっと握りしめた。


「自分では、母親らしいことは何一つしてきませんでした。だから母親になるという事は、私にもよく分からないです……ですが、たとえ多くの犠牲を生んでも、たった一人を守ろうとする事は、よほど強くなければできない事だと思います。

 なぜなら、どんな時も周りに流されて、強い者の顔色をうかがうか、泣き寝入りする方が何倍も楽だからです。元冒険者としても、そう断言できます。

 だから、もしも貴方のお話の通り、聖女様が、この王国全土を敵に回す覚悟であなた一人を守ろうとご覚悟なさっていたのだとすれば。私は、聖女さまよりも強い女性を見たことがありませんよ、騎士団長アスレ」


 騎士団長アスレは、顎を引いてうなずいた。


「そうか、冒険者らしい考えだ。お前たちは、国よりも個人を尊ぶのだな」


 どうやら、一触即発にはならなかったようだ。

 ふう、と息をついたメイシー。

 気が緩んだメイシーの持っていた瓶を、騎士団長アスレが、ひょいっと取り上げた。


「あ」


 青いリボンのくくられた瓶には、ラベルが取り付けられている。

 騎士団長アスレは、そこに書かれたメッセージをじっくりと眺めていた。


【Fランククエスト:専用回復薬の配達】


『ヘカタン村の料理店で働いているミツハという子に、この回復薬を届けてください。

 ミツハは特殊な体質で、普通の薬草が飲めないらしいのです。

 どうか会ったら、ひざをすりむいただけなのに死ぬ死ぬ言ってうるさいとお伝えください。

 給仕スキルが皆無なので、ひょっとすると料理店をクビになっているかもしれません。

 その場合は、お手数ですが門番のサイモンという男に詳しく話を聞いてみてください。

 一緒に門番の仕事をしているかもしれません。

 不細工なトカゲの尻尾が生えているのが特徴です。よく人の足に尻尾を絡めてくるので、踏まないように気を付けてあげてください。

 報酬:要相談』


「あ……あ……」


 青ざめたメイシー。

 取り返そうにも、もはや手遅れだった。


 騎士団長アスレに、ミツハの存在を知られてしまった。


「ミツハというのが誰かは知らないが、これは私が届けてこよう。報酬は不要だ」


 依頼内容を精読した騎士団長アスレは、その専用回復薬の瓶を腰の革製ポシェットに仕舞うと、少し疲れた陰のある爽やかな微笑みを浮かべメイシーに言った。


 考え得る限り最悪の展開になってしまい、メイシーはパニックになった。


 彼にはまったく悪意などなかろうが、バグによって歪んだ力を与えられた騎士団長アスレは、恐らく『ドラゴン』をこの世界から撲滅しようとして、再び暴走するだろう。

 ミツハが『ドラゴン』であることを発見した騎士団長アスレを止める方法を、メイシーは知らない。


 いや、知らないというのはウソだ。

 たったひとつの方法を隠すための方便でしかない。


 ミツハに手を出す前に、どうにかしてこの男の息の根を止めるのだ。

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