ドラゴンからの手紙
リアルの世界では、双剣士や魔法使いが帰宅を急いでいる、午後20時50分。
サイモンの世界では、昼のピークを過ぎて料理店の客足が遅くなる、午後のひと時。
料理店のメンバーは、急遽はいった新メンバーのミツハを交えて、ミーティングを行っていた。
擦りむいたひざを包帯で巻いたミツハは、テーブルの上にちょこんと座って、しょんぼりしている。
じっさいに他の専門職の仕事をやったことがなかったミツハは、自分が予想以上に役に立たなかったことにショックを受けているみたいだった。
『面目ございませぬ』
「そんなに落ち込むことないわよ。誰も怒ってないでしょ? ほら、オーレン店長見てよ」
オーレン店長は、過酷な幼年期を過ごしてきたため、たいがいの事は笑って許せる気構えができていた。
ふんわり笑って、ミツハの頭を撫でてあげていた。
「常連のみんなが、ミツハちゃんの事を心配してたよ。明日はお店に来た人たちにちゃんと元気な姿を見せてあげようね?」
「やっべ、店長が今日もまぶしすぎる」
「さすが店長、シーラちゃんに育てられた子だわ」
ともかく、明日も店の手伝いを継続するように言われたミツハ。
許されはしたが、しかし、それではいけないらしく、ミツハは、めそめそ泣き始めた。
『うう、本当は、クレアさまが安心してログアウトできるように、ミツハがしっかりお給仕をしたかったのでありんす。
このままじゃあ、代役なんてとてもつとまらないでありんす』
「えっ、ミツハちゃん、ひょっとして私のために? やだ、かわいい」
きゅん、と胸が締め付けられた心地のクレア。
明日は仕事も休みなので、貫徹するぐらいの気構えだったのだが、NPCからもらった思わぬ気づかいが嬉しくないわけがない。
だが、カメラボーイは違った。
「その気持ちはよくわかる。だが、俺はけっしてオーレン店長の神料理をひっくり返す事は許さん」
カメラボーイは、厳しい表情で腕組をしていた。
「天の供物に等しいオーレン店長のお手製料理を大地に撒いてしまったりしたら、天罰さえ下るだろう。だが安心しろ、あれは俺の料理だからだ」
「あんたは何を言っているのかよく分からないわ」
「俺がログインしている間は、ミツハに運んでもらうのは俺の料理だ。いくらでもひっくり返せばいいさ。明日学校だけど、ミツハがちゃんと出来るようになるまで俺はログアウトしないから、安心しろ」
『カメラボーイさま……』
力強いカメラボーイの言葉に、勇気づけられたミツハ。
じつは、ミツハは通常のキャラクターと同じステータスを持っていないため、給仕のスキルレベルがゼロから上がる事はないのだが。
カメラボーイは、これから朝方まで付きっ切りでミツハのスキルアップの手伝いをするつもりだった。
2人ともこのまま貫徹する勢いである。
ともかく、オーレン料理店のメンバーたちに温かく迎えられたミツハだった。
ミーティング後、テーブルの上にべたっと腹ばいになって、何やらぐりぐり手紙を書いていた。
さほど識字率の高くないこの世界において、字が書けるのはかなりの教養があると言える。
やがて客の中に、これから港町の冒険者ギルドに向かう冒険者を見つけると、軽いクエストと共に手紙を託したのだった。
「誰に届けたらいいんだい?」
『冒険者ギルドのメイシーさまに、お願い申し上げます』
***
本来のスキル『使役獣』は、術者に視界や聴覚などの情報を提供するスパイの役割がある。
サイモンの血によって『ドラゴンの眷属』にされた今は、それが出来ない状態にあった。
なので、メイシーに代わりに手紙を送る事にしたのだ。
ミツハが料理店から送った手紙は、転移ポートを使う冒険者たちによって、すぐにメイシーの元に届けられた。
メイシーは手紙を読むために、受付のカウンターを離れて、ギルドの中庭にいったん出ていった。
ぐりぐり書かれた文字を読んで、それがミツハによるものだと分かると、軽くため息をついた。
『突然お手紙にてご連絡さし上げること、お許しください。私はメイシーさまの『使役獣』のミツハでございます』
「名前なんてあったっけ。『使役獣』が手紙をよこしてくるなんて、初めてだわ……」
『メイシーさまは、いかがお過ごしでございましょうか。メイシーさまに、お伝えしたき儀がぞんじたてまつります』
もったいぶった言い回しの挨拶を、メイシーは流し読みして、重要なところを拾い読みした。
内容は、前回のルートにおける、自分のこれまでの経験や、料理店のメンバーたちの事。
それから、初日に大きなミスをしてしまった事なども書かれていた。
「この子、料理店で働くつもりかしら?」
『転んだついでに、ミツハはひざを擦りむいてしまいました。
薬草を使ってもこの傷は治りませぬ。ひょっとしたら、ミツハはもう長くないかもしれませぬ』
「あー……『使役獣』には専用の回復薬がいるのよね、めんどくさいわね……」
『しいては、ミツハがいつ死んでもいいように、メイシーさまに3人目の子どもを所望いたします』
「ぶふーっ!」
メイシーは、中庭の木に思い切り頭から突っ込んだ。
オカミやミツハが初期化されずに記憶を保っていられるのは、おそらくメイシーのスキル『使役獣』が元になっているからだろう。
なので、同じような役目をこなす後継者を作ろうと思えば、もう一度メイシーの『使役獣』を元に、サイモンの血を分け与えるのが普通である。
いや、この場合の普通とはなんだろうか?
そうして既に、サイモンとの子どもが2人いる事になっているメイシー。
これまでは、彼女の知らない間に生まれていたのだが、3人目は自分の意志で作らなければならないらしい。
『宮選暗殺者』のプライドを総動員して耐えがたきを耐えたが、顔がすっかり熱くなってしまった。
『ミツハは、この料理店で働くつもりでございます。お体にお気をつけください。メイシーさまの事を、いつも思っております』
「……いらないわよ、そういうの」
手紙を読み終えたメイシーは、もう一度最初から読み直した。
ひょっとすると内容を読み間違えているかもしれないのでチェックが必要だったし、相手はまがりなりにもスパイなので、暗号文が隠されている可能性もある。
最初から最後まで、小さな手で一生懸命書いたような字だった。
メイシーは、中庭から冒険者ギルドの受付カウンターへと戻っていった。
様々な職業用のアイテムは完備してある。
棚を探して、『使役獣』専用の回復薬を取り出すと、瓶に短いメッセージと共に、便箋をくくりつけた。
適当な冒険者を探して、送り返してもらおうと思った。
クエストを受注してくれそうな冒険者の姿を探そうと、ギルドの中を見渡してみたが、冒険者の姿はどこにも見当たらなかった。
「……みんなどこに行ったのかしら?」
当惑しているメイシー。
がらんと人気のないギルド会館に、メイシーがただ一人たたずんでいた。
よくみると、ドアの影に隠れるようにして、誰かが立っているみたいだった。
メイシーは、瓶を思わず足元に落とした。
そこには、気配を完全に隠して、騎士団長アスレが潜んでいたのだった。
「ヘカタン村に冒険者に変装した斥候を何人か送らせてもらった」
彼は、つめたくも熱くもない、一切の感情を廃した声音と表情で言った。
「お前が『ドラゴン』の母親と聞いたが、それは本当か?」