お墓参り
リアルの世界では、双剣士がメールをUSBメモリに保存している、午後20時40分。
サイモンの世界では、ちょうどお昼時の事だった。
「よし、そろそろ飯だな」
サイモンは、丘の上から次の登山者が来るタイミングを確認して、昼休憩をとることに決めていた。
登山者は登山者で、その辺の具合のいい石の上に座り込んで、昼休憩をしているのが見える。
レベル60を超え、攻撃射程範囲が1キロメートルを超えたサイモンは、視力もそれに応じてぐんと良くなっていたのだった。
『主様~』
そんなとき、一羽の小鳥が、ふらふらになりながらヘカタン村の前の古木にやってきた。
ぼふん、と煙が立ち昇ると共に、小さな子どもの姿になって、サイモンに飛びついてくる。
かつてサイモンが持っていた『暴食竜』の血を受け継ぐ者、ミツハである。
サイモンもそんな頃の記憶はすでになくなっていて、表向きは、受付嬢メイシーの2人目の子ども、ということになっている。
サイモンは、レベル60の筋力で落ちてくるミツハをがしっと受け止めた。
「どうしたどうしたミツハ、なんだかずいぶん疲れてるみたいじゃないか?」
『おお、この世界線でもミツハを覚えてくださっておいでとは、光栄でございます』
ミツハは、喜びに顔をほころばせながら、ぜーはー肩で息をしていた。
今回、ミツハは世界の果てで朝を迎えたため、いままでヘカタン村を目指して全力で飛んできたのであった。
もともとメイシーのスキル『使役獣』であるミツハは、メイシーが初期化を受けない限り、初期化されることもない。
そもそも『使役獣』に初期配置などというものもないため、仮に初期化されたら無になってしまうのだが。
『このミツハ、奥方様と共に、世界の果てまで飛んでいったのでございますよ』
「そうか、それはさぞお腹がすいただろうな、飯にしようか」
『ふふん、悪くはございません。ところで、奥方様は、どこにおいででしょう?』
「シーラなら港町に行ったよ」
『おや、もう冒険に出られるのでしょうか?』
「いいや、お墓参りだよ」
***
その頃、シーラは海の見える墓地の片隅に訪れていた。
石でできた小さなお墓に、高山にしか咲かない白百合を一輪置く。
祈る神を知らない彼女は、ただ語りかけていた。
「お久しぶり。オカミちゃん」
シーラは、その足で冒険者ギルドに向かうと、お昼休憩中のメイシーと一緒にご飯を食べた。
「シーラさん、今日はどんなクエストを受けられますか?」
「ううん、なんにも。オカミちゃんに挨拶をしに来たの」
「そう」
「私、異大陸に行こうと思うの。だから、別れの挨拶を」
「当然ですね。あなたは、世界に羽ばたく勇者です」
メイシーは、ピザを手で裂きながら、小さく頷いた。
サイモンが出したクエスト、『オカミの救出』がクリアされたため、世界線がまた少し変わっていたのだ。
記憶が再編成されていないメイシーは、どういう世界線になったのかを独自に調査していた。
ある日、鳥に連れ去られたオカミを、冒険者の誰かが連れ戻してくれたことになっていた。
オカミはまもなく息を引き取って、母親のいる港町の墓地に埋葬されて、シーラは、ちょくちょく墓参りしてくれるようになっていた。
これはシーラの英雄性を妨げるような変化ではない。
だが、メイシーは憤懣やるかたなかった。
シーラがオカミの事をそこまで気にかけているのは、つまるところ、サイモンの子どもだからだ。
サイモンの子どもを、自分の子どものように可愛がっているというだけである。
メイシーの子どもだからではなく。
この気持ちは、恐らく『嫉妬』なのだ。
シーラはあの男のどこが気になっているのか、原因を究明しなければならない。
「あの大男の事が、どうしてそんなに気になるのですか?」
「えっ、べ、別に? サイモンの事なんて、なんとも思ってないし?」
「サイモンだなんて私は言っていませんよ。正直ですね。サイモンが好きなんですよね?」
「いやいや、そういうメイシーさんだって、2人も子ども作ってるじゃない。サイモンの事が好きだったんでしょ?」
「うがーッ!」
メイシーは、だんっとテーブルを拳で叩いた。
彼女の『使役獣』だというのに。
どうしてサイモンとの子どもができた事になっていると言うのか。
きっと世を忍ぶための方便なのだろうが。メイシーが暗殺者スキルを使えることは、秘密にしなくてはならないのだ。
どんどん変化していく世界の設定と、自分の認知の食い違いに身もだえしていた。
決して変化しないギルドの達成完了クエスト一覧を見るたびに、破り去ってしまいたくなる衝動にかられる。
もしも、自分が初期化して記憶が刷新されてしまったらと思うと、恐怖しか感じない。
だが、この程度の苦渋に耐えられないようでは、過酷な『宮選暗殺者』は務まらない。
プライドにかけて、耐えがたき耐え忍んでいる状況だ。
メイシーは、さらりと髪をかき上げ、平静を装って言った。
「ごめんなさい、テーブルの木目がマドルーパー(Bランク討伐モンスター、ダンジョンの壁や床に擬態する)に見えたもので……。
シーラさん? 正直に話してみてください、どうしてそんなにサイモンの事が気になるんです?」
「だって……初めて見たときから、ずっと気になってて……」
シーラは、唇を尖らせて言った。
「初めて見た時から、大きくて、経験豊富な退役兵で、実は私の幼馴染みで、暗い声で『ここはヘカタン村だ』ってぼそぼそ言ってたのが、どんどん明るくなっていって……『ようこそ、ここはヘカタン村だ!』って、どんどん元気に言うようになって、気がついたら、なんていうのか……」
メイシーは、肩をすくめて言った。
「初めて見た時って、それ、いつの記憶ですか。小さい頃からの幼馴染みではなかったの?」
「……あれ?」
シーラは、首をかしげていた。
「そうなんだけど、あれ? おかしいな、これが初めてサイモンを見た記憶のような気がするんだけど……」
むむ? と考え込んでいたが、どちらも昔なので、大して変わらない。
きっと思い違いだろう、シーラはステーキにがぶりついていた。
シーラは弟が料理人なので舌が肥えていた。ギルドに来るたびいつも破格の報償金を手に入れていたし、食費に手を抜くところは見たことがない。
「ところで、渡航費はどうなさるの?」
「あ、そうだそうだ。山から降りてくる間にモンスター狩ってきたから、メイシーさんに査定してもらおうと思って。メイシーさんがいなかったから、他の人に査定してもらってるところ」
「足りませんよ、それ」
「えっ、メイシーさん超能力が使えるの?」
「前の記憶では足りなかったはず」
シーラは持ってくる素材を厳選するので、足りないのだ。
最低でも2往復くらいする必要がある。
前回はサイモンが素材を上乗せしてくれたが、今回はいない。
メイシーは、ピザの上の鶏肉を切り分けながら、言った。
「足りない分は私がお貸しします」
「えっ、いいの? お金の貸し借りをしちゃいけないんじゃなかった?」
「いいんです。返さなくてもけっこうです。英雄がこんなところで旅立てないなんていうのは、世界の損失ですから」
それは間違いなく本心だったが、それだけでもなかった。
本当は嬉しかったのだ。
メイシーは、自分が初期化されていたなら、きっとこう言っただろう、と思いながら言った。
「あと、あの子のお墓参りに来てくれたお礼です。ありがとう」
シーラは、いつも不機嫌だったオカミの母親に対して、ようやく和解できたような安堵の笑顔を浮かべた。