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USBメモリ

 サイモンの世界では、朝日が山の上まで昇り、サイモンがまぶしさに目を細めている頃。

 リアルの世界では、午後20時30分。


 自転車をこいだ双剣士は、大学から徒歩10分の大きなマンションに単身やってきた。


「ひー、ようやく着いた」


 雨のなか、大学に忘れ物を取りに戻った事もあったので、そのときの事を考えればさほど苦ではなかった。


 カードキーを持っていくようにナナオから言われていたため、エントランスのカードリーダーに読み込ませて、すんなりと建物に入ることができた。

 ナナオのスカートのポケットからカードキーを抜き出すときに比べたら、まったくなんの苦も無かったが、ひどく緊張した。


 物心ついたころから2階建てのアパートに住んでいる双剣士は、何十階もの階層が表示されているエレベーターで上昇している間、ぼんやりと考えていた。


「こういう建物に住んでる人って、緊張しないんだろうか」


 双剣士は緊張する。

 高価なものが手元にあると、いつか壊れてしまいそうで怖い。


 災害が起きた時に地上に逃げにくかったりするので、逆に上層階の方がお手頃に手に入るのだとナナオが教えてくれた。


 こういう建物は、いつか災害が起きて、崩壊するのではないか、と考えてしまう。

 安全な建物など、この世にあったためしがない。


 30階に到着すると、こんな田舎でも不意にはっとするような夜景が広がっていたりするから不思議だ。

 足ががくがく震えるので、廊下を這うように進んで、そのままナナオの部屋番号を探して歩き続ける。


 こんな所を学校の知り合いに見られたら大変だ。

 ここが学生寮ではないのがせめてもの救いだ。

 いくら大学の近くと言っても、こんなところに住んでいる学生はナナオくらいだろう。そう信じたい。


 ナナオの部屋に入ると、なるべく視界に何も入れないように注意しながら、パソコンを探した。

 だが、どう頑張っても色々なものが視界に入ってしまう。


 本棚は文庫本だらけ、床は印刷された紙だらけ。

 女の子の部屋だというのに、まるで図書館のようなにおいしかしない。


 ようやく窓際のちゃぶ台に、プリンターと接続されたデスクトップを一台みつけた。

 電源をオンにして立ち上げてみると、ものの見事にワードとExcelのファイルしかない。


「まるでこの部屋みたいだ……」


 双剣士はうめいた。

 仕事のものも、趣味のものも、何もかも全部、デスクトップに無造作に散らばっている。


 デスクトップで生まれ、デスクトップで書き込まれ、そしてデスクトップから直接ゴミ箱に消えていくファイルたちの姿だ。


 ひょっとしてフォルダに入れると消えてしまうと思っているのかもしれない。双剣士は未知との遭遇に緊張して、変な汗をかいた。


 パソコンが立ち上がるたびに、デスクトップのファイルがぜんぶ読み込まれるので、メモリの消費が激しいのだ。Cドライブの悲鳴が聞こえてきそうだ。


 ネット環境にもつながっていないのではないのか? と思ったが、メールのやり取りはしているみたいなので、さすがにプロバイダ契約はしているらしかった。


「えーと、メールを保存……あ、USBメモリ忘れた」


 途中でコンビニに寄って買うつもりだったのだが、うっかり忘れてしまっていた。

 自分が持っているものは、なるべく使いたくなかったのだ。

 なんにせよ、犯罪に使われる可能性がある。

 双剣士は、ここから最短のコンビニへのルートを頭で考えていた。


 ピリリリリリリ!


 そのとき、スマホの着信アラームが鳴り響いて、双剣士は「ぎゃっ」と叫び声をあげた。


 このマンションの防音性能がどのくらい機能しているのか分からない。

 さすがに電話は切っておこうかと思ったが、相手を見て思いとどまった。


 どうやら、魔法使いからだったのだ。

 昼ごろ警察に捕まったという風に聞いていたので、双剣士の気持ちはあせった。


「魔法使い、大丈夫か? なんか大変なことになったって?」


『ああ、なんとか大丈夫。あんにゃろうめ』


 本当についさっきまで、警察の取調室にいたらしい。


 だが、フルダイブしていた女戦士が先ほどようやくログアウトしてきて、警察からの問い合わせが複数あったことに気づいたらしく、連絡をくれたのだ。


 被害者の側からあらかたの事情を説明してくれて、魔法使いの容疑はいちおう晴れたらしい。


『こういう話って、会社に報告するの本当にしんどい。営業にもすごい影響しそうだし。俺クビになったらあいつに養ってもらえるんだろうか? お前の方はどうなったんだ。まだ大学にいるか?』


「ああ、まだ大学……というか、大学のすぐ隣。先輩の部屋に来てる」


『ひょっとして俺、お邪魔だったか?』


「なにが?」


『お前の先輩って、女じゃなかったっけ』


「いやー、女かというと、微妙にあれなんだけど……」


 そのとき、ドアのチャイムが鳴り響いた。

 どうやら、マンションのロビー玄関に誰かがいるようだった。


「ああ……やばい。とにかく、また後で」


 スマホを切った双剣士は、どうしようか迷った。

 こんな時に、誰かがナナオを訪ねてきたのだ。


 ナナオは、表向きは風邪で学校を休んでいる事になっている。

 実際は、双剣士のアカウントをハックしてゲーム世界にログインしているのだが、一体どうしてこんな複雑なことになってしまったのか。


 チャイムはもう一度鳴らされた。

 ひょっとすると、いまの通話が聞こえたのかもしれないと思った。

 30階の部屋の物音が、1階のロビー玄関まで聞こえるはずがないのだが、そんな建物の構造の事は頭からすっかり抜けていた。

 双剣士は、チャットでゲーム世界のナナオに呼びかけた。


「ナナオ先輩、誰かが部屋のチャイムを鳴らしているんですが……」


『こんな時間にか? ちょっと確認してみてくれ』


「俺がドアの外に出たらまずくないですか?」


『落ち着け。キッチンの横にインターホンがある』


 びくびくしながら、インターホンのカメラを確認すると、ひょろりと背の高い女性が映っていた。


 誰かと思ったら、よく見知った顔だった。

 双剣士はほっと息をついた。

 少なくとも、魔法使いのように逮捕されることはないだろう。


「ああ……大丈夫でした。ヤソガワ先輩です」


『ヤソガワだと? そっちにヤソガワがいるのか?』


「えーと、はい、そうですね。います」


『なんということだ……』


 ヤソガワというのは、双剣士やナナオと同じゼミに通う、もう一人の先輩だった。

 ナナオは、うめき声をもらした。


『しまった……そっちがヤソガワだったか……』


「どうしたんです?」


『いや、なんでもない……』


 どうやら、ナナオはゲーム世界でそれらしい人物をマークしていたつもりだったが、まったくの別人だったらしい。

 リアルでは料理好きだし、話し方も男っぽい人なので、すっかりカメラボーイの中身だと思っていたのだ。


 まさか、ドルイドの方だったというか。

 ゲームの世界ではあんなにキャラの濃い人になるというのか。


『いや、2人ともまったく無関係の別人という可能性がまだある……同一人物に出会う確率よりも、似た境遇の人に出会う確率の方が高いのは違いない……』


「そういえば、ヤソガワ先輩も風邪で休んでたっぽいですね」


『まったく、私に騙されていたのが分かったというのに、君は本当にお人よしだな? よし、ここは君を信じよう』


「どうします?」


『学校の連絡かもしれないから、出た方がいいだろう。とりあえず、私はいま風邪で寝込んでいると伝えてきてくれないか。ちょっと事情が知られるのはまずいので、隠してくれ』


「はいはい」


 こういう場合、呼ばれても出ないのが一番の正解のような気もするが、大事な用事だったら困る。

 双剣士は、インターホンの使い方が分からないわけではなかったが、そう言えばコンビニに買い出しにいかないといけなかったので、エレベーターを降りて玄関まで直接向かった。


「こんばんは、ヤソガワ先輩」


「えっ……双剣士くん? どうして君がここにいるんだ?」


 双剣士の顔を見たヤソガワ先輩は、目を丸くしていた。

 背が高いうえに、声がハスキーで、よく男性に間違われることがある。


「ナナオ先輩、風邪で寝込んでるんですよ。それで俺は、お見舞いというか、なんというか、そんな感じですかね」


「そう、私もそう聞いてきたんだが……ひとりで大変だったんじゃないか?」


「何がですか? あ、研究ですか? いやいや、全然。それほどでもありませんでしたよ」


「本当か? 1年生にはかなり難しいと思うんだが」


「はい、中学の自由研究でやってたのとほぼ変わんない範囲だったんで」


「このAI世代め。少しは謙遜した方がいいと思うぞ。世の中には、そんな論文で大学を卒業しようとする人だっているんだ。ちなみに、私も風邪で寝込んでいたのだが、どうして私の方にはお見舞いに来なかったんだ?」


「えっと? ……うーん? 俺の体はひとつしかないから、ですかね?」


「へえー……哲学かな?」


 ヤソガワ先輩の細い眼が、ますます糸のように細くなった。

 双剣士はお人よしだったが、ラノベの主人公っぽい鈍感さに定評があった。

 だが、この大学におけるヤソガワ先輩の方の鈍感さも、負けてはいなかった。


「つまり、ナナオの方がけっこう重体ということか? それは大変だ、私も見舞いをしよう」


「あ、いえ、いま部屋には誰もいなくて……いや、そうじゃなくて、誰も入っちゃいけないっていうか」


「それは一体、どういう状況なんだ?」


「ふつうの状況なんですが、ふつうじゃないというか。俺以外、誰も部屋に入れるなっていう命令でして」


「なんてことだ……」


 驚愕の表情を浮かべたヤソガワ先輩は、口元をおさえた。


「感染症か? もういい、お前も部屋に戻っていろ。外を出歩かない方がいい」


「ええと、とりあえず、コンビニに寄ろうと思ってるんですが」


「コンビニなら私が行ってくるから」


「そうですか……じゃあ、お願いしていいですか」


「何が必要なんだ?」


「USBメモリですけど」


「何に使うんだ?」


 ヤソガワ先輩は、むーん? と考え込んだ。

 けれども、けっきょく大量の夜食とUSBメモリを持ってきてくれたのだった。


 すべて玄関ロビーで受け渡しをして、ナナオが部屋にいないということには、最後まで気づかなかった。

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