約束の刻(とき)
リアルの時刻は、午後20時20分。
サイモンの世界では、ようやく日が昇る頃。
「よし、今日もいい天気だな」
ヘカタン村の門番であるサイモンは、今日も平和な村の門の前で朝を迎えた。
門の前に昔からある古木には、今朝も1、2羽の小鳥がさえずり、サイモンの足元を、ウサギがのそのそと歩いて草原に繰り出していく。
魔の山に眠る火の魔石を求めて訪れる冒険者たちを監視し、不審な者がいないかチェックするのがサイモンの仕事である。
その日は、かなり朝早くから冒険者の来訪があった。
どどど、という足音と共に砂煙をあげながら、凄まじい勢いで丘を登ってくる人影が見える。
大きな斧を携えていて、職業は女戦士に見える。
獣のような耳が風圧で押し倒され、ぺたんと寝ていた。
手をかざして見たが、サイモンには見覚えのない冒険者だ。
頭上に青い三角形のマークが浮かんでいるので、『ブルーアイコンの冒険者』と呼ばれる、異世界からの来訪者である。
ブルーアイコンの冒険者たちは、風変わりな連中として有名だった。
あの様子では、今回もまた変な事を言いだすに違いない。
サイモンは身構えた。
「ようこそ、ここはヘカタン村……」
「サイモン~ッ!」
サイモンを見るやいなや、なにやら感極まった様子で泣き出し、そのまま抱き着いてきた。
「うえぇぇ~ん! 惜しかった! 本当に惜しかったよぉ~! くやしぃ~!」
「なんだなんだ、まずは落ち着いて話をしてくれないか、一体何があったんだ?」
「なんかもう、いっぱいありすぎて、落ち着いてぜんぶ話できる自信ないぃ~!」
「よっぽどの事があったんだな。よし、事情は分からないが、困ったことがあったら村長に話を聞くといい」
「村長!? 村長じゃ話になんないよぉ~! せめて現役のドラゴンスレイヤーよこしてよぉ~!」
「あの人は態度は悪いが親切だし知恵もある、なにか力になってくれるはずだぞ?」
なかなか噛みあわない会話をしているところへ、さらに大勢の冒険者たちが押し寄せてきた。
どどどどど、と地鳴りを響かせ、彼らも女戦士とほとんど同じくらいの勢いで走ってきている。
「サイモーン!」
「おしい! あと一発だったのに!」
「どうやってそんなレベル上げたんだ!」
「決めたぞサイモン、俺、槍使いになる! というか俺にもあの技を教えてくれ!」
「なんだなんだ、俺は仕事中だから、相談なら村長にしてくれないか?」
とりあえず厄介ごとを抱えていそうな旅人が現れたら、村長に投げる事にしているサイモンだった。
だが、さすがに村長もこれらの相談を引き受けるのは無理だろう。
どうしたものかと困っていると、女戦士は、サイモンの腕をぐいっと引っ張って、冒険者たちから引き離した。
「ちょっと! サイモンは『リスポーン』した直後で記憶がないんだから! もうちょっと丁寧に扱ってあげてよね!」
「おまいう!?」
「くっそ、なんてマイペースだ!」
誰よりも真っ先にサイモンに飛びついたのに、見事に手のひらをくるっと返す女戦士だった。
冒険者たちの誰もがあきれるぐらいマイペースな女戦士だったが、どうやらそこまで空気の読めない子ではないらしい。
「わかる……わかるわ、みんなのその気持ち、よーくわかるもの。どうせみんな、サイモンがどんな修行をしたのか、知りたいんでしょ?」
上級冒険者たちは、サイモンの修行の内容について興味深々だった。
本当は、経験値を大量に落とす機械魔導兵(子機)をひたすら倒しまくるという、ページ数の都合で省略されたような内容だったのだが。
このゲームを始めてたった数時間の女戦士には、そんな事は分からないのだった。
女戦士は、冒険者たちに向かって、どーんと胸を張って言った。
「まかせなさい! 私がサイモンに教えた方法、ぜんぶ教えてあげる!」
「おおー!? ひょっとして俺たちにも、あの高速レベル上げが出来るのか!?」
「もちろんよ! 私だって朝の30分で一気にレベル12あげたのよ!(注:効果には個人差があります)」
「マジか!? 教えてくれ! その方法!」
「いいでしょう、これから私の事は、詩織先生と呼びなさい!」
「しお……!? あ、アイサ先生!」
「アイサ先生! どうかご教授お願いします! アイサ先生ー!」
女戦士はうっかり誰かの名前を言ってしまったが、ネットゲームに慣れている上級冒険者たちのナイスサポートによって、危うく個人情報の流出を免れた。
そこに、遅れてもう1人の冒険者が現れた。
どこか影のある表情で、サイモンの顔をじっと見ていたが、やはりサイモンには見覚えのない顔だった。
「サイモン、ただの門番が魔王に立ち向かったりはしないんだよ……少なくとも、私の書くシナリオではね」
何か言った気がするが、どういう意味なのか、サイモンには分かりかねた。
二本の剣を背中に背負っており、職業は双剣士のように見える。
双剣士は、上級冒険者たちにおだてられていい気分になっている女戦士に近づいて、こっそり耳打ちした。
「いいけど、もう8時半になるぞ? たしか9時半には寝るんじゃなかったか?」
「ああーーーーーーッ!!!!!」
女戦士は、うっかり大事な事を忘れていた、といった驚愕の顔をしていた。
苦悩に顔を引きつらせ、髪を振り乱してうんうん唸っている。
「そ、そうだった……ッ! カビゴンとの約束があるんだった(第8話参照)……ッ! ていうか、私、学校から帰ってそのままダイブしたから、ご飯も食べてないし、宿題もしてないし、お風呂も入ってない……ッ!」
「そろそろ落ちるか?」
女戦士は、泣きそうな顔になって、双剣士をじっと見つめ返した。
「ナナオちゃん、後の事、任せられる?」
「ああ、任せていいよ」
「私、この世界のことを本当に大事に思ってるの。サイモンの事も、シーラちゃんの事も、絶対に幸せにしないとと思ってる。じゃあ、カビゴンとの約束ぐらい、なんだって、思うかもしれないけれど……」
双剣士が口を開こうとすると、上級冒険者たちが言った。
「アイサ先生、リアルの世界を捨ててまで、ゲームの為に戦う必要なんてないよ」
「プレイヤーの1人がすべてを背負う必要なんてどこにもない。みんな出来る範囲で出来ることをしてるだけだ」
上級冒険者たちは、おおむね同意みたいだった。
女戦士の素性を知った彼らは、けっして彼女を呼び止めようとはしなかった。
むしろ、ログアウトするのが正解だとさえ思っている。
「じゃあ、行くね?」
ふぅー、と息をついた女戦士。
メニューを開くと、ログアウトボタンを押した。
つま先から順にログアウトの円環をまとい、消えていく寸前。
サイモンの方を振り返り、ごちっと頭突きをしてから消えた。
「……痛い」
頭突きをされたサイモンは、額をおさえて痛がっていた。
「行ったか」
「ふぅー、危ない危ない。けっこう若い子もいるんだね」
「なんだみんな、巻き込まないように気を遣ってたのか、いい奴らだな。ところで双剣士、『ログアウト不能』になるのはいつぐらいだ?」
「そうだな」
双剣士は、チャットのメッセージを確認した。
リアル世界にいる双剣士から、『いま、学校につきました』という連絡が入っている。
アパートから学校まで片道2時間を予定していたので、いいペースだ。
あとはナナオのデスクトップまで誘導して、メールをUSBメモリに保存してもらえば、来た道をナナオの所まで戻るだけである。
「あと2時間はかかる」
ヘッドギアにUSBメモリをさしたあとは、一体、何が起こるのかは分からない。
今のナナオに言えることは、これだけだった。
「それ以降は、いつログアウト不能になってもいいよう、準備をしておいてくれ」