門の前
リアルの世界では、午後20時10分。
サイモンの世界では、星も眠る丑三つ時。
世界の果てに逃げてゆく『ジズ』を追いかけていたシーラは、ようやくオカミを取り戻していた。
本来は、くわえていた『ドラゴン』を落とすようなものではなかったのかもしれない。
けれども執拗に攻撃を続けていたら、『ジズ』の方が諦めて、くちばしからオカミを落としたのだ。
「お休みなさい、オカミちゃん」
どこまで飛んできたのかも、もう分からない。
雪がちらほらと降って、海の上に白く降り積もっている。
地面に横たわるオカミを撫でていると、ミツハが翼をかけて風よけにしてくれた。
『奥方様、お風邪を召されます』
「ありがとう……ひっくち」
雪原の真っただ中で立ち上がると、雪に隠された空の向こうがぱっと明るく光った。
天地を引き裂くような、激しい雷光が立ち昇っていく。
恐らく、世界の命運をかけた戦いが繰り広げられているのだろう。
「あれ、ひょっとしてサイモンだったりする?」
『恐らく、主様です。『グリッチ』の本当の使い方を見つけられたのでしょうか?』
「なにそれ、まだ強くなるの? 気になる」
『先ほどのは、まだ普通の使い方だったと思います』
シーラは首をひねっていた。
ミツハもオカミから聞いただけと言うが、まったく想像もつかない。
「私、サイモンが本当に村を守れるのか、正直不安だったけど……心配いらなかったみたいね」
『そうでしょうとも』
ミツハは、どこか誇らしげに言った。
シーラはその頭を撫でながら、寂しげに遠くの光を見つめていた。
***
ナナオは、目の前で起こっている出来事が信じられなかった。
まず、サイモンが5キロ離れた距離にいる『ドラゴン』の背に飛び移ったのが信じられなかった。
「なんで、飛び移れたの?」
まれにあるのだが、空中歩行バグとかそういうものを見たような気分だった。
さらに驚いたのは、続いて放たれた槍技だった。
槍スキルの、全八階梯のどんなスキルにも当てはまらない。
サイモンが槍を左腕に抱えるように構え、右手を頭上の後ろに掲げる変形的な構えをしたかと思うと、槍の先端と後端から同時に火が噴いた。
大砲を撃ったような重厚な破壊音が響き渡り、雲と地面にまったく同じ口径の穴が開いた。
『傲慢』の胴体がぐしゃりと捻じ曲げられ、自重を支えられなくなって、地面に空いた穴に墜落していた。
サイモンは、それを追いかけるように槍を掲げて突進し、さらに攻撃を重ねていた。
「これはそもそも、槍スキルですらない……全く違うイベントを呼び寄せているのか?」
コンソールを開いたナナオは、先ほどのサイモンの攻撃を分析して、そう結論付けた。
まったく同じ座標上で複数のイベントが同時に発生することは、通常ではありえない。
だがサイモンは、人間ではありえない速度で複数のスキルを同時に発動させることによって、イベントの重ね合わせによるバグを引き起こしているのだ。
どうやらシステム上では、重なったイベント番号を『足し合わせる』ことによって、ひとつのイベントとして処理することで解決しようとするらしかった。
つまり『足し算』によって槍スキルとは全く別物のイベント番号が呼び寄せられているのである。
いったい何が起こるか分からない。
無論、必ず強いイベントが呼ばれるとも限らない。
だが、槍スキルは武器イベント番号の中でも中盤の数字が割り振られている。
その倍数にあたるイベント番号は、偶然にもボスモンスターの究極スキル番号と重なっているのだった。
まさにサイモンにしかできない『グリッチ』だ。
ナナオはゲームシステムに関してはあまり詳しくないため、とりあえずヤバい事が起こっているぐらいしか分からないのだが、その認識でほとんど間違ってはいなかった。
女戦士が、ぴょんぴょん飛び跳ねて快哉をあげていた。
「いっけー! 修行の成果を見せるのよ、サイモンししょー!」
「すげぇ、あいつ何者だ……」
「……なんてエグい『グリッチ』を見つけやがる」
ごくり、と上級冒険者たちは喉を鳴らした。
女戦士に対してである。
さっきはサイモンのレベルを爆上げさせたし、女戦士の事はチーターとして認定されつつあった。
じつは女戦士は、サイモンが『グリッチ』を使って戦っているところをいままで一度も見たことがなかった。
サイモンにかつての戦い方を思い出させたかったのだが、女戦士がつたないレクチャーをするよりも、動画でも見てもらうのが一番早い。
そこでクレアから、サイモンがかつて戦っていた時の動画を貰って、それを見せてあげていたのだ。
「たしか騎士団長アスレをボコしてるやつがあったはず」
「まったく覚えがないんだが」
プレイヤーアカウントがなくなったため、メニューを開くことはできなかったが。
どうやら『グリッチ』に必要なコンソールは、サイモンの後ろにもあったらしい。
「ああ……これなら知っている。冒険者をやってた時に覚えたやつだ。……だが、本当に同じ技なのか?」
「さあ?」
見た目があまりにも別物になっていたため、サイモンも女戦士も首をかしげていた。
ともかく、一時の間『グリッチ』を思い出したサイモンは、『傲慢』を地面にねじ伏せたのだった。
サイモンは、最後に残った1本の首の前に立った。
『ははは、人間ごときが、我と同じ首の数とは……不興なり!』
全身のウロコが裂け、傷口から新しい首が次々と生えてきた。
本当は一体何本の首があるのか。
頭上のライフゲージは、あと一息で消滅寸前になっていたが、凄まじい勢いで回復しはじめた。
少しでも気を抜けば危機を脱してしまう、信じがたい超回復力だった。
……まだだ。
……まだ力が足りない。
本来、レイドボスはたった一人で倒せるようなものではなかった。
サイモンと同じ戦力を持つ者が、数名いれば倒せるようになっていたのかもしれない。
だが、いつまでもブルーアイコンの冒険者たちに頼る事はできない。
かれらは『渡り人』だ。
いつまでもこの世界にいてくれる訳ではない。
それはシーラも同じだった。
異大陸から彼女の力を求めて、冒険者たちがやってきた。
世界のために、彼女はいずれ旅立たなければならない。
誰か、彼と共に村を守ってくれる者が必要だった。
『我は王である。王の前には全てが平等である。小さき者よ、今のは何の踊りだ?』
無数の首を生やした『傲慢』が立ち上がると、密集しすぎた王冠を互いにぶつけて、ガチャガチャと鳴らしていた。
『さあ、我を讃えるために今一度、前に進む事を許そう。そしてもう一度踊って見せろ。目が見えぬ者は語り継げ、口がきけぬ者は仰ぎ見よ。この世のすべての生命は、今一度墓から蘇って我を讃えるのだ!』
『傲慢』の目が怪しく光った。
先ほどすべてのゾンビを出し尽くし、干からびたと思った地面から、さらに大量のゾンビが沸き上がってきた。
朱色に染めた太古の鎧を身に着け、黄金のピアスをつけた古代兵だった。
サイモンももはや伝説にしか聞いたことがない。1000年以上昔の戦装束を身に着けた死霊が、周囲に溢れかえっていた。
「俺は踊り方など知らん。俺は村の門番だ……村を守ることしか知らない」
サイモンは、SP回復薬を取り出すと、ひと口で飲み干した。
口を拭いながら、目の前の怪物に向かって、もう一度槍を構えた。
「この迷惑な魔法を止めてもらおうか。お前が何者だろうと、村には一歩たりとも入れさせない」
いつの間にか、この港町までもが彼の守る村の門前になっていたことに、彼自身も気づいていなかった。
彼に出来ることは、もう一度、最大の『グリッチ』を発動させることだった。