持久力は十分の一
騎士団長アスレへの暴言を撒き散らしながら、冒険者たちが店から出ていった頃。
奥の部屋で病に臥せっているサイモンを、シーラはじっと見つめていた。
薬草で回復したばかりの体は、生まれたばかりの赤ん坊のようにか弱い。
身体の隅々まで毒に犯されていたサイモンは、ただ呼吸するのにも苦労しているはずだった。
サイモンの体には小さすぎるベッドで、静かに眠っていた。
料理人たちから追い払われたオーレンが調理場からやってきて、シーラの隣に座った。
「シーラ姉ちゃん、今日は、出かけるんじゃなかった?」
「うん……そうだったんだけどね」
シーラは、サイモンの事を気にかけて旅立つのをやめていた。
彼女は運命の定めに従い、世界を旅しなければならない。
だが、サイモンがこの様子では、村を任せて旅立つことができなかった。
サイモンが目覚めたとしても、また倒れるような事がないかと不安だった。
「ねぇ、オーレン。姉さんと一緒に旅する気はない?」
「それって、ずっとって事? お店をたたむの?」
「無理よね」
シーラは、これまでずっと病気のオーレンの事が気がかりで、旅立つことができないでいた。
もしも、オーレンが一緒に旅立ってくれるのなら、彼女の不安はひとつなくなるはずだった。
一緒ならば、村を離れていけるかもしれない、と考えていた。
「いいよ」
オーレンは、少し考えた末に、言った。
「いいの?」
「うん、冒険者の人たちは、僕やサイモンの病気を治してくれた。
僕は好きな事をやって、何もかも人に任せきりで、本当にこれでいいのかって、ときどき思うんだよ」
「あなたにしか出来ない事があるじゃない。あなたは料理が誰よりも上手よ」
「僕も、そう思って今まで頑張って来た。けれど冒険者の人たちは、料理スキルだってすごく高くなっている。今は僕のお店だって代わりにやってくれているんだ。
だったら、僕の存在価値は何なんだろうって、思うんだ。シーラ姉ちゃんが旅に連れて行くのなら、僕はもう、いつでも行く覚悟は出来ているよ」
シーラは、オーレンの覚悟を感じ取って、うなずくと、自分の首に提げていた冒険者のネームタグを外した。
『オーレン』と書かれたネームタグを、オーレンの首にかける。
「じゃあ、これ、姉さんが拾っといてあげたから、返す」
「ありがとう……なんか、色が紫色になってない?」
「さあ、海に落ちてたからね、それ」
シーラは、こっそりオーレンの冒険者ランクをDランクまで上げていたのだが、その事は言わない事にした。
シーラにとっては、弟への軽いサプライズのつもりだった。
まさか、この程度で生死に直結するかもしれないとは、思いもよらないのだ。
「じゃあオーレン、サイモンが起きたら教えてね」
「うん、どこか行くの?」
冒険者のネームタグを外したシーラは、それだけでやけに軽装に見えた。
旅立ちの装備をしたまま、どこかに行こうとしていた。
「代わりに、私が門番やってくるの」
***
そうしてシーラは、白銀の剣を携えて村の前の入り口に立った。
小鳥が空でちちち、と追いかけっこをし、草原の真ん中で、ウサギが耳を風にそよがせている。
いつもこの位置にサイモンが立っていたのを思い出しながら、じっと誰かが来るのを待っていた。
午後19時のいわゆるゴールデンタイムは、プレイヤー層が昼のプレイヤーから夜のプレイヤーへと切り替わる。
新たに続々とやってきた冒険者たちに、シーラはふんぞりかえってあいさつをした。
「ようこそ、旅人たちよ! ここはヘカタン村だ!」
「かわわわわ!」
冒険者たちは、シーラのあまりの可愛さにあてられ、バタバタと倒れて気をうしなっていた。
ちょうど素材の買い出しから戻って来ていたクレアが居合わせて、目を輝かせていた。
「あれれ~? シーラちゃんじゃん。どしたん~?」
「今日は門番の気分なの。村に入るなら名前と目的を言いなさい!」
「はいはーい! 【異世界ディスカバリーチャンネル:クレア】です! ヘカタン料理店の給仕長をやってまーす! 素材の買い出しから戻ってきましたー!」
「覚えにくい名前だわ。よし、あなたの名前は今日からヒメハナカナシミモグラ(Hランク討伐モンスター、ネコの耳っぽい帽子が似ている)よ!」
「非戦闘員には覚えづらいのきた……!? ひょっとして、今日からその名前にしないと通してもらえないんです……!?」
「もちろん! この村をただの田舎だと思って甘く見ないことね! なぜなら、この村には最強の門番がいるのだから!」
「ぱ、パワハラだ……! というか、サイモンそんなセリフ一言も言った事なかった気がするけど……!」
着任早々にハードルを上げていく、パワハラ気質を発揮するシーラ。
Hランクモンスターにはやたらと詳しい彼女が、冒険者たちに次々と名前をつけているところへ、オカミがやってきた。
『奥方様、折り入ってお話がございます』
「誰!? 姿を現しなさい!」
シーラは、ぐるっと真後ろを振り向いて、見えない相手にたいして恫喝していた。
相手が姿を見せないので、眉をしかめていたが、足元をよく見ると、すぐそこにちっこいオカミが立っていた。
古典的なコントのようなミスをやらかしてしまったシーラは、オカミを見てふっと表情をやわらげた。
「あら、オカミちゃんじゃない。どうしたの? パパの所にいなくていいの?」
『奥方様、ちょっと気合が入りすぎでありんす』
オカミは、鼻をひくひく鳴らして言った。
どうやら今回の世界線でシーラが旅立たない事に、少しばかり不安を覚えていたようだった。
『いいですか? 奥方様は、世界を救うために旅立つ定めのあるお方なのです。このまま、この村にいては、やがて来る秋アプデにおいて……いま、なんとおっしゃいましたか?』
「パパに会いに来たんでしょ? 一緒にいなくていいの?」
シーラは、サイモンのいる料理店を指さして言った。
オカミは、ぺたん、と尻尾を垂れ下げた。
『どうして……主様は、オカミの父親が誰か、知らなかったはず』
シーラは、イタズラをするように人指し指を立てて、しー、と言った。
「メイシーさんには、内緒って言われてるんだ」
本当は、『使役獣』のオカミに父親などいないはずなのだが。
きっとメイシーの事だから、シーラに対して、そういう風にウソをつくのが自然だった、ということだろう。
シーラとサイモンの仲を裂こうとする、悪意のあるウソだ。
それでも構わずシーラが優しくしてくれるのを感じて、オカミは胸がいっぱいになった。
『そうでありましたか』
オカミは、シーラの隣に立って、トカゲ尻尾をぶんぶん振っていた。
2人で門番の仕事をすること、しばし。
「よし!」
シーラは、青空に眩く輝く太陽を見上げて、勢いよく言った。
「飯の時間だな!」
どうやら、まだサイモンの真似をしているらしかった。
ちなみに、サイモンはこのセリフをそこまで大声で言った事はない。
オカミは、まだ山から登ったばかりの太陽を見上げて、ぽつりとつぶやいた。
『奥方様の持久力は、主様の十分の一にも満たないのでありんす』
ずんずんと大股で村に入っていくシーラの後ろを、オカミはちょこちょこと歩いてついていった。
リアルの時刻は、午後19時10分。
サイモンの世界では、お昼はまだまだ先の時間帯だった。