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夜更けの邂逅

 リアルの時刻は、午後18時30分。

 サイモンの世界では、月の登る夜更けごろ。


 東の森近郊のドワーフの郷では、ログイン中の生産職が総出で武器の製造にとりかかっていた。


 巨大な煙突の表面に螺旋に彫られた彫刻のような家は、どれもかまどの火が灯っていて、ツルハシを持った鉱夫が大量の鉄鉱石や石炭を抱えて行き来していた。


「おおー、鉱夫とかいるんだ、はじめて見た!」


「NPCにしかなれない特殊職業だからな」


「ええー! 楽しそうなのに!」


 双剣士は、さわがしい女戦士を引き連れて、武器の製造の様子を見に来ていた。


 今回、鍛冶師スミスたちには様々な職業が扱える武器を流通させるため、杖、槍、剣の3種類を作ってもらっている。

 これを100本作るには大変な労力と時間が必要だった。

 生産速度を増加させるために、特別に『工房』を組んでもらっていたが、丸一日がかかってしまった。


「『退魔の杖』、『ホーリーランス』、『デュランダル』、この感じなら、日付け変更には間に合いそうだね……」


 これらの武器を一気に数千人のプレイヤーの手に行き渡らせるには、市場に流通させるしかない。


 それには武器が一定の性能を持っているという条件があったが、あまり性能が高すぎると市場価格が高くなりすぎ、プレイヤーの手に行き渡らなくなってしまう。

 この辺りの調整は、運営(GM)権限によって統計データを確認できる双剣士がチェックする必要があった。


 双剣士が完成した武器をひとつひとつ確認していると、不意にチャットメッセージが入ってきた。


『クリハラ:すまん、遅れた』


 とつぜん彼女の目に飛び込んで来たのは、クリハラからのメッセージだった。


 共に『ログアウト不能事件』を共謀していた彼は、『脱獄AI』を製造したことが発覚し、警察に逮捕されていた。


「クリハラ、どこにいる? 私に連絡しても大丈夫なのか?」


『いま留置場ってとこ。リアルの体は動かせないが、隙を見て通信している。さっきメールを送ったけど、見たか?』


「すまない、メールは今確認できる状況じゃない」


『落ち着いてよく聞いてくれ。そいつには特殊なウィルスが入っているから、絶対に開くな』


 それはおそらく、クリハラと共謀した『ログアウト不能事件』に関するウィルスだろう。

 双剣士は、彼が傍にいないままこの計画を遂行しようとしていることに、不安を抱いた。


「クリハラ、私ひとりでもできると思うか?」


『大丈夫、お前のヘッドギアにファイルを読みこませるだけだ、後は勝手に始まってくれる。

 決してメールを開かずに、USBメモリーに保存しろ。そしてヘッドギアに接続してくれ。

 今の俺には、これ以上シンプルにできなかった……健闘を祈る』


 以降、クリハラからの連絡は途絶えた。

 もはや絶望的かと思われた計画だったが、一筋の希望が見えてきた。


 彼女は、すぐにリアルにいる双剣士に連絡を取った。


「おい、聞こえるか、後輩」


『はいはい、聞こえてますよ。今カレーを作ってますから、ちょっと待っててください』


 スマホの方にチャットメッセージを送ると、リアルの双剣士が返事をしてくれた。

 彼は、『お腹が空いたから晩御飯を用意して欲しい』というナナオの要望に律義に答えていたのだった。


 リアルの世界に横たわっている彼女の身体の感覚は遮断されているが、カレーのにおいがここまで漂ってくる気がして、お腹がぐー、と鳴った気配がした。

 ナナオは、とりあえずウィルスの件は彼に丸投げすることにした。


「カレーは置いといてくれ。今すぐ私の家に行って、パソコンを開いて欲しい」


『えっ、ナナオ先輩、いきなりどうしたんですか? 明日提出しなきゃいけないレポートでも思い出したんですか?』


「私を誰だと思っている? レポートは心配いらない。相棒が大事なメールを送ってくれたらしいんだ。詳しくは、これを見てくれ」


『げっ、ウィルス? 先輩いったい何する気ですか、ヤバくないですかこれ?』


「ヘッドギアに読み込ませればいいらしいが、私には無理だ」


『どうしてです? すごく簡単な指示だと思いますが?』


「だから私には無理なんだ。パソコンの事はまるで分からんという自信がある」


『先輩、こんな操作ぐらい義務教育で習った世代でしょう? ははあ、それで逆に苦手意識を植え付けられたタイプですか?』


「ああ、小学生の頃にブラクラを踏んでから無理なんだ。リンクのある青い文字を見ると指が震えてしまう」


『よく先輩が相棒に選ばれましたね。というか、先輩の寮ってどこです?』


「なに? お前は私の寮も知らないというのか、失礼なやつだな。私はお前がゼミに入ってきた日には、すでにお前の家を特定していたぞ?」


『ストーカーじゃないですかそれ。俺は先輩みたいな名探偵じゃないから無理です』


「巻場ノワール3071、学校のすぐ隣だ」


『学校って、自転車で往復4時間かかるコースじゃないですか?』


「自転車で行く計算をするな。バスでも電車でも何でもいいだろう」


『先輩、落ち着いてください。こんな夜更けにバスとか電車が都合よく走ってると思いますか。俺は地元だから分かるけどここすげぇど田舎ですよ。しかも終電9時だから、運良く行きがあっても帰りがないですよ。自転車で行って、自転車で帰るのが一番早いです』


「わかった、とにかく急いでくれ」


 ともかく、双剣士は出かけて行ったみたいだった。

 自転車で走り始めると、しばらくチャットには返事してくれなくなる。

 動きは遅いが、従順で純朴なことだけが取り柄の後輩である。

 任せても裏切る心配はないだろう。


「よし」


 双剣士は、他のプレイヤーの目がこちらに向いていないタイミングを見計らうと、メニューにあるログアウトボタンを押した。


 身体が光の輪に包まれ、視界がフェードアウトして、いったんヘッドギア内部の灰色の空間に呼び出される。

 ここはバーチャルとリアルの境界にあるいわば『減圧室』だ。

 バーチャルの世界の圧力が徐々に下がり、リアルの世界の感覚が少しずつ戻ってくる。

 肉体がずしっと重圧を受けて、自分の脈拍や汗を肌に感じる。

 視界に作り物でない光が差し込んで、ゆっくりとリアルの世界に浮上して来た。


 目を見開くと、彼女は双剣士のアパートの床の上に寝そべっていた。

 ナナオが来たときは朝だったが、もうすっかり夜になっていたらしく、天井の明かりがやけに眩しい。


 身体を起こすと、親切にも毛布を掛けてくれていたらしかった。

 身体のあちこちを触ってみたが、とくに変化はないみたいだった。


 机の上に目立つように置いてあった白い箱が、手付かずのまま放置されているのを見て、ナナオはため息をついた。


「……せっかく買ってきたのに」


 いちおうナナオも乙女なので、男子の部屋に潜り込むにあたって、事前に何の心構えもしていない訳ではなかった。

 万が一があっては困るので、防衛手段としてコンビニで避妊具を買ってきていたのだ。


 あくまで防衛の目的だったが、けっきょく無駄になってしまった白い箱を、くるくる回転させるナナオ。

 双剣士が誠実なのか、それともナナオに魅力がないせいなのか。


 台所の火は消してあったが、コンロの大きな鍋からカレーのにおいがした。

 ナナオは、すごい勢いで鍋まで這うように移動すると、カレーをがつがつ食べた。


「ん。カレーは旨い、さすが私の後輩だ」


 朝からログインしっぱなしで、実は何も食べていなかった。

 あっという間に鍋をひとつ空っぽにして、重たくなったお腹を抱え、再び元の位置に横たわり、ヘッドギアを装着した。


 フルダイブする直前、ちらっと玄関の方を見ると、車の鍵が吊り下げてあった。

 そういえば、駐車場にカバーをかけた車もあった。


 ……あるんじゃないか、車。


「……そうか、ただのヘタレなんだな、君は」


 双剣士は恐らく、急いでいるからこそ車に乗らなかったのだろう。

 つまりは、それがいまの彼に出せる最高速度なのだ。


***


 一方その頃、シーラの船出を見送ったサイモンは、オカミと共に波止場を歩いていた。


 夕食の時間なので、ブルーアイコンの冒険者たちは体感少ない。

 暗闇には波の音と、2人の足音だけが響いていた。


 オカミはぐるぐる喉を鳴らして、しっぽでサイモンをばしばし叩いていた。


「一体どうしたんだ、オカミ」


『お二人の仲がよかったようで、オカミは安心しておるのであります!』


 先ほど、シーラと別れの際に、サイモンはしばらく抱擁していたのだ。

 オカミはその事を言っているのだろうが、サイモンは、兵士にあるまじき事だと思って恥ずかしがっていた。


「なるべく、誰にも言わないでくれ」


『オカミは誰にも言いませぬ。しかし噂には戸を建てられないのでありんす』


「おーい! サイモーン!」


 やがて、獣耳をぴょこぴょこさせながら、女戦士がサイモンの元に駆け寄っていった。


 サイモンは、はじめて出会う冒険者に名前を呼ばれて、少し戸惑っていた。


「誰だ? どこかで会ったか?」


「うん、この世界線では、はじめましてだねー! そんなことより!」


 女戦士は、サイモンの肩をばしばし叩いていた。


「シーラちゃんと仲がよかったみたいじゃん! 安心したよ!」


「……どうして知っているんだ?」


「サイモンの情報はねー、逐一チェックしているから!」


 リアルの世界では『撮影者』たちの撮影した映像が大量に共有されているのだが、そのことを今のサイモンはまったく知らなかった。

 オカミは、ちらっと暗闇の方に目を向けた。


『ふむ、朝から妙な機械であるじ様を覗き見ているブルーアイコンがおりましたが、ひょっとするとそれの仕業かもしれませぬ』


「ぎくっ」


 どうやらメイシーの『使役獣』であるオカミは、『ふくろうの目』で潜伏を見破ることができるみたいだった。


 潜伏を見破られて、暗闇から、カメラを構えたネコミミフードの少女が姿を現した。

 サイモンは、彼女には見覚えがあった。


「なんだ、オーレンの店にいた給仕サーバント長じゃないか。どうしてこんな所にいるんだ?」


「うう……じ、実は……風の噂で騎士団長アスレが、新しい『ドラゴン』になったと聞いて……はぁ、はぁ」


「クレアちゃん、節操がないなぁ」


 どうやら、店の方がだいぶん暇になったので、こっそり趣味の撮影を再開していたらしい。

 山を降りる間も、サイモンの姿をずっと追っていたらしいのだ。

 クレアは、両目に涙をいっぱいためながら、ぶるぶる首を振っていた。


「だぁーってぇー! カメラボーイばっかり推しの撮影してるのずるいもんー! ダーリンは『ドラゴン』やめちゃうしぃー!」


「クレアちゃん、いちおう一番年上だから、だだっ子ムーヴやめようよ」


「けどシーラちゃんと仲良くなれてよかったぁー! ラブコメ最後までがっつり撮れたから悔いはないー!」


「そうだろうか。結局、シーラが聞きたかった事を教えてあげられなかったからな」


「聞きたかったことって? そういえば、シーラちゃん、なにか言ってたっけ」


「どうやったら子どもはできるんだろうか、とか」


 クレアとオカミは、ひゃっと顔を赤くした。


「あ、それならまほまほから聞いたことある。えーと、確か」


 女戦士が、うーんと攻略情報の記憶を呼び戻そうとしていると。

 オカミが、ぐるる、と喉を鳴らして言った。


『愛し合う2人が一緒に暮らしていると、いつの間にか生まれているものだそうです』


「そう、それ! 確かそんな感じだった!」


「あー、なるほど、そういうゲームシステムなんだ」


 双剣士は、この世界のゲームシステムを熟知した運営(GM)なのにも関わらず、まったく別の子どもの生まれ方を想像していたらしく、人知れず汗をかいていた。


「……どうやら、私の心はすっかり汚れてしまったようだ」


「じゃあ、ルートによってはダーリンとシーラちゃんの子どもができることもあるの?」


「かもしれない。ナナオちゃん、そこんとこどうなの?」


「あまり私をいじめないでくれ。一応調べてみる」


 サイモンとシーラの行く末に関して、一行が騒いでいると。

 街の方から不穏な空気が流れてきた。


 彼らは、ぞっとしてそちらの方を向いた。

 大勢の兵士たちが、ぞろぞろと群れを成して歩いてくる。


「ほう……これはこれは……」


 兵士達の向こうに、ホワイトアイコンが現れた。

 だが、いっしゅん、誰が現れたのか分からなかった。

 紫色のヘビのような魔力を全身にまとって、その顔を見ることができない。


「反逆者どもではないか……どうしてこんな所にいるんだ?」


 騎士団長アスレだ。

 どうやら前日の記憶を継承した彼は、サイモンの事を反逆者として記憶していたのだった。

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