それぞれの旅立ち
「ああ……やっぱり」
カウンターの分厚い帳簿をぱらぱらとめくっていたメイシーは、はぁ、とため息をついた。
読んでいたのは、ギルドの攻略済みクエスト一覧である。
『クエスト完了』:オカミの母親を捜す
「身から出た錆ですが、この事実はずっと引き継がれるみたいですね……」
達成されたクエストは、そのまま事実として後の世界にまで引き継がれるのだ。
ちなみに、『ドラゴン』のようなモンスターが他の『ドラゴン』や『ジズ』を倒してもクエスト達成とはみなされないため、この場合は復活する。
「はぁ、仕方ありません、今後、私の事はお母様と呼びなさい……」
『お、お母様でありんすか?』
メイシーの隣でカウンターに顎を乗せていたオカミは、目を輝かせた。
2人で並ぶと、すっかり仕事場に連れてこられた娘のように見える。
「お互い、不服だとは思いますが、あなたも勇者に殺されるよりかはマシでしょう?」
『は、母上』
「はい、なんですか? (ビキビキ)」
『いえ、呼んでみただけでありんす』
「順応早すぎだろロリトカゲ」
「そうだメイシーさん、今日は依頼を探しに来たんだ。なんか割のいいクエストある?」
Fランク冒険者のネームタグを自慢げに見せながら、シーラは言った。
明らかに名前が違っている。他人のネームタグでクエストを受注しようとしているのが丸分かりだった。
違反なのではないか? と思ったが、そこは英雄シーラなので職員たちはみんな見てみぬふりをしてくれた。
メイシーは、ネームタグの名前をじっと見つめて、ため息をこぼした。
……やはりシーラはまだ、救えなかった弟の魔法にかかっている。
これは前進なのか、それとも後退なのか。
勇者の歩みが、メイシーにはもう、判別できなかった。
「シーラさん用の裏クエストでしたら、何種類か用意しておりますが……。
なにぶん裏クエストですので、ランクアップの評価対象になりません。
……つまり、ずっとFランクのままですが、それでもいいですか?」
「えっ、そうなの? うーん、どうしようかなぁ?」
シーラは、Fランク討伐クエストを受けるか、それともHランク討伐クエストを受けるか、両極端な悩み方をしていた。
船に乗って国外にいくつもりなので、ここで受けるクエストはこれが最後になるかもしれないのだ。
冒険者歴の長いサイモンは、機転を利かせて言った。
「そうだ、シーラ。ここに来る途中で何体かモンスターを倒してきたじゃないか。それも見てもらったらどうだ?」
「えー? あんなの大したことないよぉ?」
「大したことない仕事でも、手伝ってもらえたら助かることがあるんだよ。村でもナッツの殻むきとかやるだろ」
「そうね、確かにそうだわ」
「俺も山降りた時にけっこうクエスト報酬もらえたよ」
「そういうものなのね? じゃあ、見てもらってもいい?」
シーラは、腰に提げていた皮袋を持ち上げると、カウンターにがらがらと討伐証明部位を置いた。
けっこうな数のモンスターを倒したのだが、シーラはアイテム収納ボックスを持たないため、必要最小限しか持ち運べなかった。
グランドシープの角や、アブクオオカミの牙、ジャイアントスネークの尻尾など。
魔の山ではよく見かける、一般的なモンスターである。
それを見たホワイトアイコンの冒険者たちは、ざわっと色めきだった。
「な、なんだと……ッ!」
「何者だ、あの女……ッ!」
それは、もし1体でもこの港町に出ようものなら、軍隊が出動する大騒ぎになるものだった。
ヘカタン村では畑に寄り付く虫のようなものだったので、シーラはなるべく大きそうな奴を厳選していた。
「とりあえず1種類ずつ持ってきたけど、メイシーさん、やっぱり、ちょっと少ないかな?」
「そうですねぇ、ちょっと討伐数が足りないみたいです。あと1体でCランク昇格でしたね」
「あー、もうちょっとでランクアップだったのか。惜しい」
「シーラ、よく計算してみろ。もう2ランクも上がってるぞ」
破格の二進級を遂げ、Dランクの赤紫色のネームタグを貰って、ご満悦なシーラ。
名前は相変わらず『オーレン』だったが、もはや誰も訂正しようとしなかった。
「なあ、あれってもし本人のところにネームタグが戻ったら、いきなりDランクからクエストをさせられるのか?」
「だれも深く考えてませんよそんな事」
初心者としては、破格の報奨金を貰えたシーラ。
しかし、それらの討伐クエストの賞金を合わせても、渡航の資金には届かないみたいだった。
「足りませんね。渡航には銀貨5枚は必要ですから。今回の報償金が、今のレートで銀貨2枚半といったところでしょうか」
「じゃあ、今から同じ奴をぱぱーっと討伐してくるわ。それで足りるよね?」
「同じでは足りませんよ」
「えっ、なんで? 計算まちがった?」
「3000ヘカタール以上の賞金には所得税がかかるのです。商業都市のギルド条例で決まっています」
所得税が課せられるのは、ギルドに登録した正式な冒険者の場合だった。
累進課税で、稼げば稼ぐほど税金が沢山ひかれてゆくのだ。
「ええ~、何それ、めんどくさいなぁ」
「アーノルド支部長がおっしゃっていたでしょう? だからシーラさんはギルドに所属しない方が得をするのですよ。
身分が保証されないので保険加入や家などは買えませんが、無所属の方が、そのぶん多くの賞金を手に入れるることが出来ます」
「じゃあ、無所属の俺のも出すよ。これで足りるだろ?」
サイモンが、肩に担いでいた麻袋をどんと置いた。
中身はシーラとほとんど同じだったが、量が多い。
「おおー、ありがとう、サイモン。そういうのがさりげなくできるのが、貴方のいい所よ」
ばしん、と肩を叩いたシーラは、はっと我に返った。
軽々しくサイモンを叩いてしまった手をぎゅっと握って、急に縮こまってしまった。
「どうした?」
「さ、サイモンってさ……他の女の子にも、おんなじくらい優しいの?」
「ああ、困ってる奴がいたら助けるのは普通だろ」
『主様、そこは奥方様が特別だと言ってあげるのでありんす……』
「そう、だからメイシーさんも、サイモンの事が好きで……おかしいな、私の方が好きだと、思ったのにな……」
「胃がムカついて吐きそうなので、そろそろやめてくれませんか……」
泣きそうになるシーラを、さすがに放っておけなくなったらしい。
メイシーは、オカミの頭を撫でながら言った。
「仮にそうだったとしても、この人が冒険者だったのは、もう過去の事ですよ。
争いもあったけど、ぜんぶ過ぎたことなのです。今ではどうしてこの子を産んだのかも覚えていません……」
メイシーは、サイモンの置いた大きな麻袋を見て、ふっ、と薄ら笑いを浮かべた。
かつてアイテムリストから大量の素材を出されて、カウンターをぶち壊された覚えのある彼女にとっては、ほんとうに微々たる量である。
「どうした?」
「いえいえ、何でもありません……ああ、思えば、長い戦いでしたねぇ」
『母上、なんだか嬉しそうなのですよ?』
「は? 『月詠』(必殺36%)ぶっぱなすぞ」
『平常心でありんす』
「落ち着けメイシー」
ともかく、船代を手にしたシーラは、そのまま港へと向かった。
港には、まるで彼女が来るのを待っていたかのように、巨大な帆船が泊まっていた。
「じゃあ、行くね、サイモン」
「ああ、行ってらっしゃい」
旅立つ前、シーラは、サイモンに力一杯しがみついていた。
シーラはサイモンに見送られて、海の向こうへと旅立ったのだった。
***
同じころ、騎士団長アスレは、城の練兵場にいた。
ほぼ同じレベルにまで鍛え上げられた兵士達、500人を相手に組手を一日中繰り返し、練兵場は血の海に沈んでいた。
立っていられる兵士はすでにおらず、彼の鎧はすでに原型をとどめていない。
しかし、騎士団長アスレは、不敵に嗤っていた。
「……ようやく使いこなせるようになったぞ、竜の力」
騎士団長アスレは、手に入れた『傲慢』の竜の力を使いこなすべく、極限まで鍛え上げていた。
戦略家の彼は、不確定な戦力を戦闘に持ち込んだりしない。
徹底的に研究してから、実戦に投入する。
全身の皮膚から紫色の不気味な魔力を放っていた。
まるで騎士団長アスレの意思に従うかのように、自在に動いている。
「寝ている場合ではないぞ……諸君! 起きたまえ! 今宵はいい月だ……!」
倒れていた兵士達は、紫色の魔力を吸い込むと、一人ずつ立ち上がった。
もはや、生きているのかすらわからない。
ふたたび500名の最強の軍隊を揃えた騎士団長アスレは、目に狂気じみた光を宿していた。
「さあ、行こうか……狩りの時間だ……この世界から『ドラゴン』を根絶やしにするのだ……!」
騎士団長アスレは、間もなく満月になろうとする月明かりの中、死霊の軍隊を率いて出立した。
間もなく、日付が変わろうとしていた。