アカウントハック
「ドルイド、その石なんか使い道あるのか?」
「ん~。なんか知り合いに鍛冶師がいるから、見せてみようと思うの~」
「へぇ、生産職の知り合いがいるの。羨ましいわ」
「攻略組の知り合いは、だいたい攻略組になるものな」
「ひぇっひぇっひぇっ、任せなさい~」
テーブルに置かれた『神代の石』を拾い上げたドルイドが、クリスタルを光に透かしながら見ていると、厨房の方から声がかかった。
「おーい、料理できてるから、はやく持ってってくれよ」
「あら~、ごめ~ん、仕事中だったわ~」
「ん? なんだ、昨日の夜の女戦士が来てたのか、相棒の双剣士も!」
厨房から出てきたのは、コック帽をかぶった青年、『通りすがりのカメラボーイ』だった。
カメラボーイに見つかった双剣士は、慌ててふいっと顔をそらした。
どうやら顔を合わせると気まずいらしい。
ともかく、冒険者ギルドの酒場で出会ったメンバーが、偶然にも一堂に介していた。
「ドルイドパイセン、ちゃんと働いてくれよー、まあ、あんたが真面目に働いてくれるとは思わなかったけどさー」
「にっひっひ~、いるわよね~、授業サボってるくせに、やけに真面目にバイトしてるやつ~」
ドルイドとカメラボーイは、すっかり打ち解けてしまったみたいだった。
双剣士は一向に彼らの方を向く様子はなく、汗をだらだらかきながらそっぽを向いている。
女戦士は、つい2人に聞いてみた。
「あのさ、思ったんだけど、2人ってやっぱりリアルでも知り合いなの?」
「「え、なんで?」」
「なんでって……2人の話聞いてたら、なんか同じゼミ? とかいう所の同期みたいな気がするんだけど……違うの?」
「あっはっは、女戦士ちゃん、全然違うから~。私の同期は可愛い女の子よ~、こんなやつじゃないわよ~」
「えっ、違うの?」
「俺の同期もこんな不真面目な奴じゃないよ、もっとカタブツでさ。というか、ドルイドは院生だから、俺より上だよ?」
「えっ、院生って大学生とどう違うの?」
「あっはっは~、そこから~?」
どうやら、女戦士の予想は外れたみたいだ。
通っている大学も、関東と関西でだいぶ違っていた。
どちらかが双剣士と関係があるのかもしれないが、偶然、似たような境遇のプレイヤーが2人出会っただけらしい。
数百人もログインしていれば、そういう事もあるだろう。
女戦士は、拍子抜けしてしまった。
「なんだー、てっきりリーダーに仕事を押し付けて学校を休んでる2人組が、偶然おなじゲームやってて出会ったのかと思ってたー。そんな偶然なんて、ある訳ないよねー」
ふと見ると、双剣士の様子がおかしい。
んー? と女戦士は、その顔を覗き見ようとした。
だが、彼女とも必死に顔を合わせないようにしている。
双剣士の中身は、ゲームの運営(GM)ナナオのはずだったが、謎の多いプレイヤーである。
「ふむ……どうしたんだろ?」
***
シナリオライターのナナオが『ログアウト不能事件』を発案したのは、数日前。
ゲームデザイナーのクリハラと遊んでいるときだった。
クリハラの家に上がり込んで、レトロな携帯ゲームで遊んでいるときに、不意にその話題になった。
「そのゲームの開発者ってさー、『ログアウト不能事件』を起こして逮捕されたんだって」
「どうしてそんな事したのかしら?」
「自分の作ったゲームの世界に移住したいと思ったらしいよ」
「そんな下らない理由なの。ゲームの世界に閉じこもりたいなんて、人間の弱さがにじみ出ているわね」
「そうかなぁ。人間として当然の欲求だと思うし、プログラマーとして尊敬できる人物だと思うよ」
「じゃあ、クリハラには同じ事件を起こせないの?」
「起こせるか起こせないかで言うと……起こせる」
クリハラは自分も携帯ゲームに目を落としながら、眠たげな顔をして言った。
「世界初の『ログアウト不能事件』は、ログアウトボタンの表示位置をプレイヤーの頭の後ろにずらすことで起こった……。
ちょうどナナオがよく使っている、コンソールと同じ位置に」
「それだけ?」
「そう、たったそれだけで、全世界のプレイヤーが混乱に陥ったんだ。当時は、フルダイブした状態で外の世界と通信できなかったから。誰も何が起こっているか、分からなかった……。
『ゲーム世界で死ねばリアルでも死ぬ』と誰かがウソをついて、信じなかった人は全員助かった。だけど、信じた人はそれが分からないまま、ずっとゲームに閉じ込められていた。つまり、そのウソこそがバーチャル空間を支配する真実になった」
「愚かなのは、システムじゃなくて、人間なのね……」
「警察の対応もまずくてね、サーバーの方をシャットダウンして助けようとしたんだ。ヘッドギアはフル稼働していたから、信号が遮断された瞬間に偏ったパルスが発生して全員に意識障害が起きた。
今は、外と通信するチャット機能がついたし、万が一があっても、運営が強制ログアウトできるようになった。
けれど、けっきょく人間がプレイしているという根底は同じなんだ。だから、ひとつひとつの『予防策』が機能しなくなれば、『ログアウト不能事件』を起こすことは、今でも不可能じゃない」
「そう……けど本当に出来る? 貴方は間違いなく会社クビになるわよ?」
「いいよ、別に」
クリハラは、あくびをかみ殺して言った。
「……どうせこの会社、辞めようと思ってるしさ」
ナナオは、この少し年上の同僚の言葉をずっと記憶に止めていた。
『ログアウト不能事件』を起こす事を、プレイヤーたちに公言したとき、彼女は全くウソをついてはいなかった。
事実、起こすことをクリハラと共に計画していたのだ。
いざという時、アップデートを止める方法はこれしかないと思っていた。
だが、まさかその直前に相棒のクリハラが逮捕されていたとは、思いもよらなかったのだが。
***
そしてサイモンの世界では、昼ごろ。
リアルの世界では、午後18時。
地元の有名な川辺を、自転車で全力疾走する青年がいた。
「待ってくれ、サイモン……! すぐにログインするからな……!」
双剣士である。
彼は自宅から大学まで、2時間かけて自転車で通っていた。
在学中に免許を取ったら、その後は車で通学しようと考えていたのだ。
なのでアパートも借りず、車の購入資金を一刻も早く両親に返すために、あえて公共機関も使わなかった。
だが、いざ免許を取ったら初日に車が大破した。
「ひょっとして俺が運転したら事故を起こすんじゃないか」という疑念が生じ、「いいや、自転車で通うのもそんなに悪くないじゃないか?」などと考えるようになり、その後も自転車で大学まで通うことになったのだった。
お陰で、大学ではサークルにも入らず、勉学とバイトで過ごす日々を送っていた。
「高校を卒業したら、みんな自分の新しい生活のことでいっぱいになって、こいつらとも疎遠になっていくんだろうな……」
などと思っていたTRPG同好会のメンバーと今でもつるんでいる。
友達もできなければ彼女もできない。想像していた大学生活とちょっと違う。
とにかく、その長い自転車の道のりも、ようやく終点にたどり着いた。
2階建てのアパートの駐輪場に自転車を施錠し、階段を登って自宅に戻った双剣士は、ドアを開けてすぐ異変に気付いた。
玄関に、見知らぬ女性の靴が揃えて脱いであるのである。
明らかに父親のものではない。
一瞬、東京に行った姉のものかと思った。
「誰……姉さん? いるの? 親父は朝まで戻って来ないよ?」
首を伸ばして、屋内を見てみるが、すっかり真っ暗になって何も見えない。
ドアの向こうからわずかに明かりが漏れている。
姉なら疲れて寝ているのかもしれない。
そう思って灯りをつけず、慎重に奥まで進んでいくと、誰かが部屋の真ん中に横たわっていた。
「そんな……先輩……」
それは、風邪をひいて大学を休んでいると言っていた先輩の一人だった。
綺麗に両手両足を揃え、ねむり姫のように音もなく横たわっている。
「どうして……」
おなじゼミに通う、ナナオ先輩だった。
聞いた話だと、在学中に応募したシナリオが企業の目に留まり、研究の傍らシナリオライターとしてゲーム会社に勤める二重生活を送っているという、双剣士には信じられないような才能の持ち主だった。
だが、少しばかりパソコンは苦手で、この前も操作に困っていたのを助けてあげた事がある。
「君はなんでも出来るな、私とは大違いだ」
「いいえ、知り合いに、IT系の会社に勤めている奴がいるんですよ。そいつが昔から世話焼きで、パソコンのセッティングとか、ゲームとか、いろいろ教えてくれるんで、それで覚えました」
「ほう、じゃあ、君はゲームもよくするのか?」
「ああ……はい。今度、先輩が作ってるゲームやろうって、みんなで盛り上がっています」
「ふむ、すこし緊張するな……いいものにするから、楽しみにしてくれ」
笑って褒めてくれたのを思い出す。
いま、その先輩が目の前で横たわっていた。
後輩の家で。
一体何をしていたのかは分からない。
ただ彼女の頭には、双剣士がかぶろうとしていたヘッドギアが装着されており、緑色の電源ライトが浅い呼吸と共に明滅していた。
「先輩……ッ! どうして……ッ! 一体どうしてこんな事をッ! 先輩ッ!」
呼びかけても、肩をゆすぶっても、先輩は起きなかった。
これは間違いない、フルダイブ中である。
双剣士もまさか、家に帰ると自分のヘッドギアが他人に使われているとは、想像だにしなかった。
魔法使いにゲームをするときはチーターに気をつけろ、と言われたことがある。
つまり、これは『アカウントハック』というやつだ。
なんという力技の『アカウントハック』だ、こんなハッカー聞いたことがない。
思わずヘッドギアの電源プラグを引っこ抜きたくなったが、内臓電池で2時間は動くことを思い出してやめた。
かといって、ヘッドギアを稼働中にむやみに外そうとするのも怖かった。電磁パルスが偏って脳にダメージが残ったりすると聞いたことがる。
なんとかゲーム世界の彼女と連絡を取れないか、慎重に考えてみた。
スマホを取り出し、ゲーム世界の自分のアカウントにチャットを送ってみる。
「何やってるんですか、先輩! なんで風邪をひいて学校を休んだのに、俺のヘッドギアでフルダイブしてるんですか!」
返信が来た。
『来たか。ふっ、まあ、バレてしまっては仕方がない。私が風邪を引いたというのはウソだ。君のアカウントをすこし借りたくてね』
「先輩、俺に研究やらせてる間に、俺のゲームアカウント乗っ取ってたんですか!? というか先輩は、自分とか会社のヘッドギアがあるでしょうが! どうしてそうまでして俺のを使うんです!」
『君の目線からこの世界を見たかったんだ』
と、先輩。まるで悪びれた様子もない。
『君がこのゲームをプレイしていると聞いて、少し不安になってね。私はいい物語がかけているだろうか。君の目には、この世界はどう映るだろうか。
いま、このゲームのメインシナリオの評判は非常に悪い。原案を書いた脚本家に、批評サイトに、カスタマーレビューに、果ては同人誌にまでコケにされている。
だから、私の手で世界を修正したくなっただけさ。君には信じて欲しい。信じてくれないかもしれないが、ただそれだけだ』
「信じますよ、信じますけど! やることが極端すぎませんか!? てか俺の家の鍵どうやって開けたんです!? 怖くなってきた!」
涙目になってうったえる双剣士。
そう言えばいつ家の場所が知られたのかも双剣士にはわからない。
いったいどれほど下準備をしてきたのか。昨日今日でできる犯行ではないはずだった。
ナナオは、心なしか頬の筋肉を緩めた、笑った気がした。
『安心してくれ、必ずこのゲームのバグを直してみせる。今週末には、君に最高のゲーム体験を約束するよ……ところで、ちょっと聞きたいんだが、君は『ログアウト不能事件』をどうやったら起こせるか、知ってる?』
「ちょっとパソコンの動かし方がわからない的なノリで聞かないでくださいよッ! 俺に分かる訳がないじゃないですかッ! 先輩は自分の頭のバグを直したらどうですかッ!」
『それは難しいな、私の頭のバグはきっと創造性と繋がっているのだ。今の私は天才美少女シナリオライターだが、バグがなければただの天才美少女になってしまうだろう』
「はやく出てってください! お願い! サイモンを助けさせて!」
こうして、リアル世界の夜は更けていくのだった。
このときの双剣士は、ただ迷惑な先輩にはやく出ていって欲しい、と切に願っていた。
この先輩が本当に『ログアウト不能事件』を起こし、このままゲーム世界から帰ってこなくなってしまうとは、予想もできなかったのだった。