傲慢(ごうまん)の魔竜
「……まだ、終わってなかったみたい」
双剣士は、マップ上の異変に気がつくと、再び剣に手を伸ばす仕草をした。
どこからともなく現れたどす黒い霧が、ヘビのように地を這い、薄暗い道の片隅にひざまずく騎士団長アスレに集まっていた。
女戦士は、足元を這う霧を避けて、双剣士の背中にくっついた。
「なになに、あのガイコツは倒したんじゃなかったの?」
「倒したけど、ちょっと遅かった。騎士団長アスレが『ドラゴン』化してる」
「ええっ!? 『ドラゴン』になるの!? あの騎士団長アスレが!? あんだけ散々『ドラゴン』をディスってたくせに!?」
「これは、イベントストーリー4040番。だけど、普通のイベントとは、少し違う」
双剣士は、じっと目を凝らして、呟いた。
「開発の途中で上層部から差し押さえを食らって、結局実装されなかった『七番目の竜』……『ファフニール』のやつ、とんでもないのを復活させたな」
騎士団長アスレを中心に、地面に光の円が描かれた。
その円はすさまじい勢いで大きくなり、内側に圧縮されて閉じ込められていた幾何学模様が現れた。
9つの天体の位置を図示する、巨大な魔法陣だ。
紫色のぞっとするような魔力を放っている。
いつもの騎士団長アスレの緑色の魔力ではない。
黒い霧が地面から噴きあがると、地面を割って、おどろおどろしい怪物が現れた。
それらは、人間やオオカミのような生き物の姿をしているが、明らかに生きていない。
「ううぅ……まさかこれ、ゾンビってやつ……!? こりゃ実装も差し押さえられるわ……!」
バーチャル世界において、死体の描写はタブーだ。
あまりにリアルすぎる『動く死体』がプレイヤーに与える心理的恐怖は、トラウマどころではなかったため、実装が中断される事態になったのだ。
「どう、どう、どうしよう……どうすればいいの、ナナオさん! どんなモンスターにだって、なんか攻略法とか用意されているものでしょ!?」
「いや……この竜は、まったく『難易度調整』を受けていない。少なくとも、シナリオライターの方では、弱点をつけた記憶がない……ゲームデザイナーにぜんぶ丸投げしたから」
「うそでしょ、ちゃんと考えて!?」
プログラムに欠陥があるわけではないため、『ファフニール』のようにデバッグアプリでどうにかできる相手ではない。
正常に動いているものは、バグの判定基準が満たされないのだ。
双剣士は、汗を垂らして棒立ちになっていた。
「大丈夫、死んだりしない。……ログアウトするだけだから」
「死ぬんじゃないのそれ~!」
***
女戦士の悲鳴が、港町に響いていた頃。
サイモンはオカミと共に魔の山を逃亡し、森の中に潜んでいた。
国王軍の兵士たちは、普段から山狩りなどした経験がないのだろう、おとりの足跡をつけるだけで簡単に攪乱することが出来た。
サイモンは、おちついてオカミと向かい合っていた。
子どもの姿をしているが、どうやらドラゴンらしい、という事はわかった。
「さあ、話してもらおうか。お前は一体何者だ?」
『主様……包み隠さず、お話しいたします』
オカミは、トカゲのシッポをぱたぱた振りながら言った。
『オカミは主様が、『ドラゴン』の血を獣に分け与えて生まれた分体なのです……オカミは、その血をお返しに参上いたしました』
「なるほど、そういう事か」
『お分かりいただけますか』
サイモンは、かつて『混交竜血』だったことがある。
今はもうその力を失ってしまったし、記憶もない。
だが、戦闘で血を流した記憶はあるし、何かの拍子で血からオカミが生まれてしまったと言われても、不思議はない。
「だが、どうして俺にその血を返す必要があるんだ?」
『はい、主様の『混交竜血』には、大事な異能がございました。『時間遡行者』の能力です』
「なんだそれは、そんなに重要な力なのか?」
『非常に貴重な力でございました。今のこの世界は、ほとんど主様がその能力で作ったようなものです』
「そんな事が……」
同じ一日を何回も繰り返し、いくつもの並行世界の記憶を積み重ねて、世界をあるべき姿へと導く能力。
まるで神や選ばれし勇者のような力だ。
そう、まるでブルーアイコンの冒険者のような。
サイモンは、不意に思った。
それは……ブルーアイコンの冒険者たちと何が違うのだ?
オカミがえへん、と胸を張っていると、不意に空が明るくなったようだった。
空を見ると、世界の果てから信じがたいほどの巨大な鳥がやってくる。
遠くで森を散策していた国王軍の兵士たちも、それを見つけて声をあげていた。
『あれが主様の宿敵、『ジズ』にございます。あの鳥は毎晩現れ、最後にヘカタン村を滅ぼします』
「それは困るな」
『主様が倒さねばなりませぬ。さあ、はやく血を取り戻すのです』
オカミが、あーんと口を開けて牙を見せた。
サイモンに咬みつきたくて、うずうずしている。
サイモンは、眉をしかめていた。
……ひょっとすると、まだサイモンを欺こうとしているのかもしれない。
サイモンは首を横に振った。
「悪いが、オカミとやら。もしも、お前の話が本当だとしても、俺は『ドラゴン』に戻るつもりはない」
オカミは、ぱたり、とシッポを倒して、目を丸く見開いた。
たとえあの『巨鳥』を倒したところで、自分がまた別の『ドラゴン』になってしまっては、元も子もないではないか。
「俺はただの門番だ。俺の願いは、村を守ることだけだ……『ドラゴン』の力を受け入れるわけにはいかない」
『ですが……ですが』
「それに、あれを見てくれ」
サイモンは、遥か遠くの『ジズ』の背中を指さした。
多くの青い三角錐が浮かんでいて、『ジズ』に攻撃をしかけるブルーアイコンの冒険者たちの姿が見える。
「ブルーアイコンの冒険者たちだ……彼らは、異世界からの『渡り人』だと言われている」
『『渡り人』でございますか』
「彼らの行いを邪魔してはならない。彼らの世界に関与してはならない。誰が言っていたのかは分からないが、そういう伝承がある」
『主様……』
「お前が俺にくれようとしている力は、べつに俺だけが持っている力ではないはずだ。彼らも持っているものだ」
『オカミはそうは思えませぬ……主様は、特別でございます』
「お前も過去の事を覚えているんだろう? だったら、お前が俺に教えてくれたらいいんじゃないか。昔の事を、この夜に一体何が起こったのかを、何も知らない俺に聞かせて欲しい」
大役を任されて、ぽかんとしているオカミの頭をぽんと叩いて、サイモンは言った。
「俺は逃げないし、きっと話を聞いてやるだろう。それじゃダメなのか?」
『私は、いつまでこの世界にいられるかも分からないのでありますよ……?』
オカミは、ぐしぐし泣きそうになって言っていた。
そのとき、港町の方から爆発が起こった。
円形の魔法陣が地面に広がり、その中心から紫色の竜が飛びあがった。
港町にまたがるほどの巨体に、3本の長い首を携え、王冠を被った3つの頭が苛立たし気に牙を剥いている。
その首のひとつが、真上を通過する『ジズ』の首に咬みついた。
巨大な首が一撃でへし折られ、巨大なライフゲージが一瞬で砕け散り、『ジズ』が消滅した。
その巨大な背に乗っていた冒険者たちが、一斉に振り落とされ、地面に落ちていく。
紫色の魔法陣はぐんぐん広がってゆき、魔の山を麓から頂上まで一気に侵食してしまった。
暗黒に染まったドラゴンは、3本の首を広げ、牙をむいて凶悪な咆哮を放った。
「なんだ、あれは……」
『……お逃げください、主様』
オカミは、がくがく震えながらその竜を見上げていた。
『あれは、『傲慢』です。今の主様には、かないませぬ』
それは不死の体を持ち、世界を征服した覇王。
不死の軍団を率いて神に挑んだとされる、傲慢なる魔竜。
王冠を被った3つ首のドラゴン、『アジ・ダハーカ』だ。
森の腐葉土がぼこぼこと膨れ上がり、地中からモンスターや鎧を着た兵士たちが出てきた。
人間も、モンスターも、『傲慢の魔竜』の軍団の支配下にある。
だが、どの顔を見ても原型をとどめておらず、腐敗してしまっている。
恐らく、死体を操っているのだ。
「なるほど、こいつはマズいな」
邪法を駆使して、リビングデッドの群れを発生させる呪術師はいる。
サイモンも見たことはあるが、それは戦場での限定的なものだけだ。
あの巨大なドラゴンが広げた魔法陣の効果は、途方もなく広い。
恐らく、この魔の山の周辺すべての領域に及んでいるはずだ。
サイモンは、死霊の群れの中に、あらゆる人々を見た。
かつてこの魔の山に生きていた、歴戦の戦士たちだ。
ドラゴンスレイヤーの装備をしている者もいる。
村長と同じ羽飾りを頭に着けていた。
「やれやれ……もう、戦いたくないというのに」
戦争で失われた村を思い出し、サイモンの中に眠っていた怒りが、再び蘇ってきた。
死霊の兵士たちは、生者の気配を感じて群がってくる。
サイモンとオカミを取り囲むように、森の奥から次々と姿を現した。
「こんなところでの垂れ死ねないな。オカミ、村を守るぞ。手を貸してくれ」
『主様、名案がございます』
オカミは、きりっと口元を引き締めて言った。
『いまこそ、『ドラゴン』になるべきです』
「だからそれは却下だ」
『それしかないのです』
オカミは、牙を剥いてサイモンに咬みつこうとしたが、サイモンは片手で鼻面を押さえて、軽くあしらっていた。
『なぜです、どうして『ドラゴン』にならないのです。まるで、主様ではないみたいです』
サイモンは、かつて自分のなかの異能を見つけたとき、貪欲なまでに研究し、能力を自分のものにしようとしていた。
だが、今はまるで違う。
『暴食の魔竜』と一緒に、自分のなかの欲望が空っぽになったみたいだった。
「俺は門番だ、俺が出来ることは、村を守る事だけだ……。
そのために、まずはあのドラゴンを倒すのだ。
だがそれは、門番としてだ……決して『ドラゴン』の力を借りてではない」
ふと口をついたその言葉は、本来は誰のセリフだっただろう?
この物語の主人公だった、騎士団長アスレが世界から消滅し、まるで主人公の魂が新たな宿主を見つけて、サイモンを通して語ったかのようだった。
サイモンには、記憶がない。
かつて騎士団長アスレと対峙して、自分がドラゴンに化けたという、『最初の筋書き』も記憶にない。
全身に初期化も受けて、空っぽになっているはずだった。
だが、サイモンはたったひとつだけ。
変わることがなく、揺るがない信念を持っていた。
村を守るのだ。
勇者がいつでも戻って来れるように。
馬屋の少年のときも、冒険者のときも、兵士の時も、門番の時も、北極星のように変わらずそこにある。
それがある限り、彼は惑う事はなかった。
「死霊の中から、ドラゴンスレイヤーを探してくれ。竜のウロコを裂くという『竜狩りの槍』を持っている奴がいるかもしれない」
オカミは、ぱっと目を輝かせ、サイモンの前で漆黒の翼をはためかせた。
天空に昇る3つ首のドラゴンとは比較にならないほど小さいが、空中で一回転して、頼もしい竜の姿に化けた。
『お乗りください、ドラゴンの格の違いを見せてやりましょう。まもなく、オカミの血も『覚醒』いたしますゆえ』