リセット
リアルの時刻は、午後16時10分。
サイモンの世界では、草木も眠る丑三つ時。
静まり返ったヘカタン村の料理店で、クレアは一人、夜の風景を眺めていた。
手にはカメラを持ち、独占撮影を許可してもらったサイモンの事を待っている。
サイモンが『ドラゴン』になることは、彼女と2人だけの秘密である。料理人たちには全員解散してもらっていた。
「ダーリン……そろそろドラゴンになる時間よね?」
夜風に当たりながら、『ジズ』のやってくる方角をじっと見つめるクレア。
サイモンの見守っている村の入り口に立ってみると、『ジズ』が徐々に迫ってくる姿がよく見える。
クレアは、ずっと見て来た。
それは明確な滅びの瞬間、レイド戦の終わり、永遠に繰り返されるタイムリミットだ。
村人たちを別の村に避難させることはできないか、サイモンに聞いてみた。
オーレンやシーラも、ヘキサン村に住めばいいのではないか。
けれども、サイモンはその意見には賛成しなかった。
村人たちのほとんどは老人で、モンスターたちと戦うことができない。
全員を連れて隣村に移動することは難しいだろう。
それにモンスターは村ではなく、人を襲う。
村が空っぽになれば、今度はヘキサン村に矛先が向くだけだろう。
村長のような開拓期の老人は、隣村に害が及ぶならば、村と共に滅びる事を選ぶはずだ。
サイモンは、彼らほど長くこの村にいるわけではないが、自分の生まれた隣村が滅びてこの村にやってきた。
村を守るという戦いに敵わなかった彼は、何かを守る戦いからずっと逃げてきた。
逃げて解決するなら、今までもう十分に逃げてきた。
今は守るべきものがある。
戦って解決できるのならば、いまここで戦って解決しなければならない。
誰も持たないチート能力を手に入れた彼には、その責務がある。
これは、彼が村を守れるか守れないかの問題なのだ。
「ダーリン……負けないで」
『ジズ』の背中で、冒険者たちが凄まじい攻撃を繰り広げているのが見える。
どれも小さな虫が騒いでいるようにしか見えない攻撃の中で、ただ一つ。
異様に凄まじい攻撃があった。
一本の光の槍が空から降ってきた。
『ジズ』の胸を中心に、短いレーザーのような光線が地上にばら撒かれ、反射して胸に戻っていった。
黒い炎が背中から噴きあがり、『ジズ』は飛行する角度が大きく歪み、夜空に響き渡るような凄まじい悲鳴を上げた。
状態異常:【失神】
状態異常:【混乱】
さらに、巨大なライフゲージが火花を散らし、ばきん、と音を立てて割れた。
『ジズ』のライフゲージが2分の1になった。
いったい何が起こったのか、クレアには分からなかった。
ドラゴンがいっこうに現れないどころか、凄まじい攻撃でボスモンスターが状態異常を食らっているのだ。
何が起こっているのか分からない、いそいでサイモンに連絡を取る。
「ダーリン……! もうドラゴンになっちゃったよね!?」
『ああ、クレアか……悪いが、俺の中のドラゴンはもういない』
「ええっ!?」
クレアは、口をぱくぱくさせた。
目からぼろぼろと涙をこぼし、絶望のあまり悲鳴を上げた。
「そんな、じゃあ、あのドラゴンはもう見れないの!? ぎゅって抱きしめられないの!? そんなの、やだぁ~!」
『すまん、『ジズ』を倒すために、どうしても必要だった』
クレアには黙っていたことだったが、いずれサイモンのドラゴンは、消滅させる予定だったのだ。
予定が多少早まったにすぎない。
だが、タイミングが早すぎるとは思わない。
あの3人組の計画に、最後の望みを託そうと思うのだ。
これほど大勢のブルーアイコンの冒険者たちが協力してくれているのだ、あと半分のライフゲージくらい、削り切ってくれるはずだ。
『いいか、俺が『ドラゴン』でなくなっても、俺の分身の『オカミ』がその役割を受け継いでくれる……俺の血を使って、『ドラゴン』を生み出し続けてくれるはずだ』
「『オカミ』って誰!? 私に分身で満足しろっていうの!? ふざけないでよ、ダーリンじゃなきゃ嫌なの!」
『そういえば、もうチャットもできなくなるんだった。お前との通信もこれが最後になるかもしれない』
「ちょっとー!? 私、パートナーだよね!? そんな大事な事、どうして今まで伝えなかったのよー!?」
『伝え忘れていた。最後の相手がお前だ』
「うわー物は言いようだなー!? ちょっとドキっとしちゃったー!」
サイモンは、メニューのアイテム一覧から『ファフニールのカード』を選んだ。
サイモンが人である事と引き換えに、『ジズ』を封印する。
人智を超えた悪魔とのトレードを行うアイテムだ。
『どの道、俺はいま『ジズ』の背中に乗っているから、逃げ場がない。この高さだと、飛び降りたら即死だろう……』
この世界では、高い場所から飛び降りる場合、高さ制限があり、ダメージ量や体力などに関係なくロストしてしまう。
『ジズ』の背中は明確な高所だった。
交戦中のエリア内のため、転移結晶のようなアイテムを使う事もできない。
『そうしたら、俺は『時間遡行者』の能力を失うだろう。まだ記憶があるうちに、俺はこのトレードを完了させなければならない。……だからもう最後なんだ。クレア、ひとつお願いがある』
「ダーリン……いやだ、私、まだ何にもできてないよ。もっと一緒にいたいよ」
『俺はお前たちを信じている……必ずこのゲームを攻略してくれ』
サイモンは、アイテムリストから『ファフニールのカード』を選択し、取り出すを選んだ。
表示される『Yes』のボタンを押した瞬間、世界がぐにゃりと歪んだ。
視界に映るマップ、ログ、アイコンの横の名称、様々なものにノイズが走り、音を立てて消え去った。
情報量の少ない、懐かしい風景が戻ってきた。
チャットの向こうからすすり泣く声も聞こえない。
かえってすっきりしたかもしれない。
「キヒヒヒヒヒヒ!」
『ジズ』が奇妙な鳴き声をあげて、首を大きく振り上げた。
口腔に赤い炎が宿り、空に向かって一筋の光が立ち昇っている。
「マズい……火を噴く!」
『ジズ』の目の先には、村が見えた。
魔の山の小さな村、ヘカタン村だ。
村の入り口には、誰かが立っているのが見える。
クレアだ。
必死に何かを叫んでいるが、サイモンの耳にはもう届かなかった。
「『ジズ』、俺の村に手を出すな」
サイモンは、SP回復薬を取り出し、飲もうとした。
メニュー操作でつかっていた時は一瞬だったが、今は違う。
飲み終える前に突風が吹き、サイモンの手から瓶がはね飛ばされた。
『ジズ』の口腔から白い炎が吐き出され、魔の山を白く照らした。
恐ろしい熱さの風が吹き荒れ、サイモンや上級冒険者たちは『ジズ』の背中から振り落とされた。
落下の最中、上下の間隔がまるでなくなっていた。
他の冒険者たちがどこにいったのかも定かではない。
凄まじい業火だったため、上空で燃え尽きたのかもしれない。
宙を舞いながら、サイモンは、白い鳥の姿を目撃した。
『ジズ』よりも一回り小さい、若鳥だ。
方角をこちらに定め、真っ直ぐに向かってくる。
「まずい……」
どうして『ドラゴン』を失ったはずのサイモンを、まだ狙ってくるのか分からない。
恐らく、サイモンの中に『ドラゴン』がいるのを嗅ぎ取っていた、あの一体だ。
サイモンのにおいを覚えているのだ。
サイモンは槍を構えて、『ジズ』の若鳥を迎え撃つ姿勢を見せた。
だが、SPはほとんど使い切っている。
【紫電突】が使えない今、空中戦ではあまりに分が悪い。
素早い体当たりを食らって、くちばしと爪で胴体を切り裂かれた。
血を撒きながら地面にどさりと墜落して、山道をごろごろと転がった。
驚いたことに、まだ意識がある。
辛うじてひゅーひゅーとかすれた呼吸ができた。
どうやら落下の途中で攻撃を受けたお陰で、高所落下による強制ロストを避けたらしい。
運がいいのか悪いのか、よく分からない。
槍一本で体を起こし、再び襲い掛かってくる『ジズ』の若鳥に狙いを定めた。
ひょっとするとこいつは、母鳥を傷つけられて怒っているのかもしれない。
ならばお互いの正義はイーブンだ、避けられない戦いならば、受けて立つしかない。
「来い」
『ジズ』の若鳥が巨大な口を開けて、サイモンを飲み込もうとした。
そのとき、真横からその首にかみつく、真っ黒いドラゴンが現れた。
オカミだった。
またしても窮地を救ってくれた。
なんと頼りになる仲間だろう。
だが、手を出すな。そいつの敵は俺だ。
オカミは、『ジズ』の若鳥ともつれあって乱闘していた。
サイモンはそちらに向かおうとするが、力尽きて、前のめりに地面に倒れ込んだ。
全身の骨が折れて動かない。
かろうじて動く片手を、オカミに向かって伸ばした。
「オカミ……! 俺を咬め……!」
オカミは、白い羽を辺りに撒き散らしながら相手を追い払うと、すぐにサイモンの方に飛び寄ってきた。
『主様……早く』
必死に駆け寄ってくるオカミの鼻息が、伸ばしたサイモンの指先に吹きかかった。
そのワニのように大きな口に、サイモンが手を伸ばし、咬まれようとしたとき。
山の彼方から朝日が昇って、サイモンの頬をあたたかく照らした。
リアルの時刻は、午後16時20分。
サイモンの世界は、再び朝を迎えた。
サイモンは、気がつくと門の前に立っていた。
古木には、ちちち、と小鳥たちが群れ集い、足元をのそのそ、とウサギが歩いて草原に繰り出していく。
そしてサイモンは、村の門番だった。
彼は元冒険者の、元軍人。
怪我の療養のために村に戻って来た傷痍兵だ。
一時は『混交竜血』だったが、数年前の『トキの薬草』の普及によって、すでにその身の呪いは解けている。
村には幼馴染みの冒険者シーラと、その弟のオーレンがいる。
村長がいて、商人がいて、村人たちがいる。
この村を守るのが彼の仕事だ。
村を守る事しか、彼は知らない。
昨日は、森の方にモンスターが出たらしい。
唯一の門番である彼は、昨晩からずっと立ちっぱなしである。
サイモンは、伸びをして、心の洗われるような朝の山の風景を眺めた。
「……ああ……暇だ」
けっきょく、モンスターは出なかった。
少なくとも、初期化された彼の記憶の中では。
こうしてサイモンは、ただのNPCに戻ったのだった。