できるさ
シーラが夜気で髪を膨らませながら、サイモンの隣に降り立った。
隣に立つシーラは、まるで剣が人の形をしたような気配を感じた。
指先で触れただけでも切れてしまいそうだ。
細い四肢も、軽装の保護具をまとった白いドレスも、すべてが剣を中心に作られた虚像のように見える。
「シーラ」
「しっかりしてよ、サイモン」
だが、サイモンに向けられる微笑みだけは、昔の少女のままだった。
「貴方が村を守ってくれるんでしょう?」
シーラのこの言葉に、サイモンははっとさせられた。
そうだ、シーラはこれから旅に出るのだ。
大事な弟のいる村を残して。
村をサイモンに任せられると信じているからこそ、彼女はひとりで旅に出られるのだ。
ここで無様に負ける所を見せるわけにはいかなかった。
ふたたびギルドマスターに向き直ったサイモンは、槍を構えた。
もう一度メニューから『トキの薬草』を選ぶ事も出来たが、相手がそれを簡単に回避できることは分かっている。
決定的な隙をつくっておかなければ、逆に反撃を受けるだけだ。
ギルドマスターも、こちらが隙を見せないことに慎重になった様子だった。
「ほほう? さすがに慎重だな、サイモン軍曹。この組み合わせは少々、手こずりそうだ……ヒルデラント! バーリヤン!」
闇の中から、黒い鎧に身を包んだギルドの冒険者たちが現れた。
いずれも細身の剣を持ち、頭上のアイコンの隣に浮かぶ肩書は、すでに『宮選暗殺者』へと切り替わっている。
ギルドマスターは、ぶくぶくに膨らんだ腕で腰の長剣を掴むと、半月状の刀身をずらりと引き抜いた。
冒険者たち2人の実力は未知数だったが、ギルドマスターの剣の実力は、サイモンが既に知っている。
聖剣スキルと、魔剣士スキルを持ち、さらに超Sランク討伐モンスターの戦闘能力を併せ持ったギルドマスターは、シッポをびたん、と地面にはたきつけながら、こちらに襲い掛かって来た。
「俺を援護しろ! 2人とも手足をもいでしまえ!」
「了解しました」
ぶくぶく膨らんで、5メートル級の肉の塊になったギルドマスターがまず狙ってくるのは、シーラだ。
「よけろ、シーラ!」
サイモンは槍を構えて真正面から突進し、先制攻撃によってギルドマスターの出鼻をくじこうとした。
「邪魔だぁぁぁぁッ!」
だが、腕のリーチが全く違う。
5メートルも先にいるサイモンの槍先に、剣をぴたりとあわせてきた。
ギルドマスターの魔剣のスキルが発動し、凄まじい重圧がサイモンを中心に広がり、周囲に大きな窪みをつくった。
「ぐうぅぅッ……!」
ただの剣のひと振りで、圧倒的な破壊力だった。
ギルドマスターは、その巨体からは信じられないほど機敏に宙に飛び上がると、くるりと一回転して、サイモンの奥にいるシーラめがけて剣を振り降ろした。
「客と大事な話してんだ、お前は寝てろシーラ!」
それに対してシーラは、にっこりと微笑んだ。
「へぇ、面白そうなクエストくれるじゃない、ギルドマスター」
シーラは消えた。
ギルドマスターの真下を雷光のように一瞬で通過し、動けない状態のサイモンの真横を突風を残して過ぎ去り、サイモンを狙って剣を構えていたヒルデラントを剣の柄で殴り倒した。
信じられない速さだった。
気がつくとヒルデラントがひっくり返っていた。
すぐ隣にいたバーリヤンも、シーラの方を向いた瞬間に首を捻じ曲げられ、吹き飛ばされていた。
「……すみません、ギルドマスター。やはりこの子は、強すぎます」
かけつけた応援が一瞬でのされてしまい、ギルドマスターは慌てて体制を立て直した。
ギルドマスターは、大声で次の仲間を呼んだ。
「グロハム! アイスラン! ノーチ」
暗闇から、今度は3人の『宮選暗殺者』が姿を現した。
さすが冒険者ギルドのギルドマスターだ、無限に冒険者が呼べる能力を持っているらしい。
冒険者たちが暗闇から光の中に足を踏み入れた瞬間、一筋の光が彼らを数珠繋ぎにするように伸びてゆき、まるで生気を吸われたように意識を失って倒れてしまった。
恐らくシーラがなにかやったに違いない、彼女はまったく同じ光を宿す剣を、ぶんっと振った。
「ギルドマスター……じつは私、旅に出ようと思ってるのよ」
シーラは、ふう、と悩み事を打ち明けるように息をついた。
「だってもう、この冒険者ギルド、私より強い人がいないのよね……」
相変わらず異様な強さを持つシーラに、サイモンは圧倒されていた。
ずっと不思議だったが、いまはその理由が、ようやく分かった。
恐らく、シーラのレベルはすでに騎士団長アスレと同様に、上限に達しているのだ。
レベルが上限に達し、自動成長が止まったキャラクターは、担当が直接何か特別なスキルを与えて能力を調整するという。
このシーラの担当というのは、アカシノだ。
彼女の性格からして、きっとシーラを溺愛するあまり、とんでもないスキルを与えまくったに違いなかったのだ。
シーラは文字通り、神(GM)の寵愛を受けた存在だった。
その他大勢のNPCでは、もはや勝負にならないのである。
「ちっ、うすうす知ってたぜ……! だが忘れるな、俺も神(GM)の寵愛を受けた者だってことを……!」
ギルドマスターは、いきなり自分の腕にかみつくと、周囲に鮮血をまき散らしながら引きちぎった。
血まみれになりながら、彼は狂気じみた声で、げはげはと笑った。
「いまから新しいゲームを始めよう……! 虐殺という名のゲームだ……!」
片腕で魔剣を地面に突き立てると、禍々しい暗黒の波動を周囲に放った。
魔剣士スキル第5階梯、『悪魔切り』が発動する。
ギルドマスターの周囲から剣の分身が次々と生えてくる。
だが、よく見ると全ての剣を『腕』が握っていた。
ギルドマスターの血が作用しているのか、腕ごと剣の分身が発生しているのだ。
こんな用法があるとはサイモンも知らない。バグか何かとしか思えなかった。
地面から生えてきた6本の腕が、ギルドマスターの体に吸いつくと、そのまま融合して、合計7本の剣を持つ怪物になった。
「さあ、『7倍剣』だ。かわしてみるがいいッ!」
ギルドマスターが台風のように剣を振り回し、周囲の物を薙ぎ払いながら通りを疾走した。
魔剣士スキル第3階梯、『魔神斬り』が発動する。
恐ろしい事に、7本すべての魔剣が攻撃時にスキルを2回発動した。
サイモンが受けた攻撃の14倍だ。一撃でも食らえばそのままなぶり殺される。
シーラは信じがたい動体視力で剣をかわし続けるが、その周囲がへこむほどの重圧が次々と連続でのしかかっている。
もはや周囲の街並みは残っていない。
けた違いの破壊力で、次々と家屋を崩壊させていた。
シーラは避けるばかりで、反撃しない。
恐らく、ギルドマスターのあの剣にも『回避発動20%』が宿っているのだ。
複数の剣が同時にスキルを発動させるため、回避の発動はほぼ100%になっているはず。
攻撃の手を休めない限り、今のギルドマスターに隙はない……はずだった。
「ふっ」
だがシーラは、隙を突いてギルドマスターの剣を一本弾き返していた。
信じられない事に、1本しか剣がスキルを発動していない弾幕の薄い瞬間を見切ったらしい。
それでも80%の確率で発動するはずの『回避』が発動せず、20%の確率で攻撃がそのまま通った。
聖剣スキル第3階梯、『フレイムタン』が発動する。
剣によって切り裂かれた地面の断面から灼熱の炎が噴きあがり、ギルドマスターの体を包み込んだ。
「ぐおおおおッ!? ……いま『乱数調整』しやがったか!? マジで化け物かコイツッ!」
実力に加え、さらに確率すらも味方につけるシーラの恐るべき戦闘能力に、ギルドマスターは恐怖すら覚えていた。
黒焦げになりながらも、カエルのような跳躍で、教会の鐘楼へと逃げ延びるギルドマスター。
ふーふー息を吐きながら、ギロリと眼下のシーラを見降ろし、耳障りな声で喚いた。
「シーラッ! わかった、貴様の強さを認めようッ! 俺と取引をしようッ!」
このままでは勝てないと判断したらしいギルドマスターは、手のひらを返し、シーラを懐柔する作戦に出た。
「聞くな、シーラ。あいつは金のことしか考えない金の亡者だ」
「うん、知ってる」
「サイモンお前は黙っていろ! シーラ、俺の望みはそいつと取引を完了することだ! 俺はそいつの持っている不思議なチートを手に入れたい、それだけだ! それさえできれば、俺がお前の望みを何でもかなえてやる!」
「たとえば?」
「なんでも言え! 金と俺に不可能はない! 俺がゲームシステムに介入して、望みを何でもかなえてやる! さあ言え、いったい何が望みだッ!」
大きく手を広げて、シーラの答えを待つギルドマスター。
サイモンは、ギルドマスターの邪悪さを憎んだ。
シーラには、たったひとつ叶えられない望みがあったのだ。
もしもその願いが叶うのならば、サイモンならば、どうしただろう。
なにも口をはさむ事ができなかった。
すべてシーラの判断に任せることにした。
シーラは、もごもごと何かを呟いた。
「……」
首に提げたネームタグを、力強く握りしめ。
聞き取れないほど小さな声で、呟いた。
「ああーん!? なんだってー!?」
ギルドマスターは、耳をそばだてて、彼女の声を聞き取ろうとしていた。
シーラは、顔を背けて、言った。
「キス……とか……ちゃんとできるようになる?」
顔を真っ赤にして、そんな事を質問していた。
サイモンは、ぽかんとしてしまった。
それは、まったく予想だにしていない望みだった。
だが、この世界で思春期を経たシーラの、一番の悩みがそれだったのである。
このゲームに、キスは実装されていない。
九死に一生を得て、勝機を掴んだギルドマスターは、ぐっと親指を立てて、弾けんばかりの笑顔で言った。
「できるさーッッ!!!!!」
「できる? ホントに?」
シーラの思いがギルドマスターの方に傾き、一気に形成が逆転してしまった。
シーラは、ふらふらとギルドマスターの方に歩いていった。
「シーラーーーーッ!!!!」
サイモンが、声をふりしぼって叫んでも、シーラは完全にギルドマスターの側についてしまっていた。
シーラはそわそわして、サイモンをまっすぐ見ようとしなかった。
「だって、してみたかったんだもん。悪い?」
「頼むシーラ、俺のリアルの友達との繋がりが断たれるんだ!」
「サイモンのリアルの友達なんて知らないわよ、その人たちと私とどっちが大切なの?」
「俺にそれを選べというのか!?」
「くははは! 勝手にやってろ!」
ギルドマスターは、げはげは嗤いながら宙に浮かぶコンソールを目にも止まらぬ早さでタイピングしていた。
さっそく運命に介入する新たな呪文を構築すると、隣にやってきた受付嬢から、一仕事終えたタイミングで、すっと紅茶が差し出された。
「お、気が利くじゃねーの。ふーっ、いい仕事したぜ、まー、俺は他のゲームのプログラムを引用しただけだがな、がはは……ごふうっ!?」
紅茶を飲んだギルドマスターは、思いっきりむせかえった。
彼に紅茶を差し出した人物を見ると、受付嬢のメイシーだった。
凄まじい憎悪と侮蔑の入り交じった目で、ギルドマスターを見下ろしている。
「お気に召しましたか? 『トキの薬草』でハーブティーを作ってみたものだそうです」
「な……!? なんという事を……! あああ! 消える……! 俺が……消えていく……!」
再び『ドラゴン』を消されたギルドマスターは、元の人間の姿に戻り、力尽きてばったりと倒れてしまった。
「シーラは伝説の勇者になるのです、遊んでなどいられません」
メイシーは、ギルドマスターを肩に背負って、通りに降りたった。
シーラは、指をくわえて少し残念そうにしていた。
「マスター、倒しちゃったの?」
「ご心配なく、私の手に入れた『リーク情報』によると、キスの挨拶はもともと実装される予定ですよ」
「やった!」
無邪気に喜ぶシーラを、ほほえましく見つめる受付嬢メイシー。
受付嬢メイシーは、さらに底意地の悪い笑みを浮かべ、サイモンを見ながら嘲るように言った。
「まあ、実装されるのは、次の秋アプデ以降なんですけどね?」
「!?」
彼女の深い笑みに、サイモンはゾッとするものを感じた。
そう、メイシーは知っていたのだ。
そのときすでに、邪魔者のサイモンはこの世界にいないのだ、という事を。