衝突する2人の英雄
リアルの世界では、午後15時10分。
サイモンの世界では、日差しが温かみを増した頃。
サイモンがいつものように市場に訪れてみると、商人アッドスがにこやかに彼を迎えてくれた。
「へいらっしゃい。ちょうどいいグレートボアの肉が入ったところですぜ」
「おっ、いいな。ひとつくれ」
ソノミネによると、ヘカタン村の市場の状況を見れば、この山全体の物流を確認することができるらしい。
つまり、前日に一体どういったクエストが解決されているのかが、ここの品ぞろえを見れば分かるというのだ。
言われてみると、確かにそうだった。
村と共に無くなる市場なのだから、適当に作ればよかったはずだが、神様(GM)はこういう所にこそ遊び心を発揮するものらしい。
あらためて、アッドスのカートを見てみると、グレートボアの肉をはじめとして、アイアンコッコの卵、ヒカリシソの葉、ベトベトの実。ヘカタン料理の食材が完璧に取り揃えられていた。
これはきっと、前回サイモンが出した依頼の結果が反映されたからだろう。
サイモンは王国軍にレベル上げと同時に、大量のヘカタン料理の素材を店に届けるよう頼んでいたのだ。
「……そう言えば、あいつは今なにをやっているんだろう?」
騎士団長アスレは、今ごろリスポーンして、レベル上げの約束などすっかり忘れてしまっているはずだ。
前回は山登りの途中で下山していたと聞くし、またレベル上げを継続させるには、こちらから国王軍を探しにいく必要があるだろう。
「よし、下山するから弁当をもらおう。このグレートボアの香草焼きをひとつ包んでくれ」
「まいど! 笹の葉にくるんでお渡ししますね!」
「ふむ……変わった色合いの香草だな。ほんのりと赤みがあって、見た目も綺麗だ。これはいったい何の草だ?」
「『トキの薬草』でさぁ」
「げっ……」
サイモンは、思わず受け取った包みを落としそうになった。
なんと、『トキの薬草』の市場価格はいまだ値下がりし続けていて、ついには普通の食材として使われるようにまでなっていたのだ。
それは、かつて薬草だったニンジンが、いまでは普通の食材としてスーパーで買えるようになったのと同様の、起こるべくして起きた農業革命だった。
普通の人間にとっては、ただのピンク色の薬草にすぎないだろう。
だがこれを食べたサイモンは、恐らく一巻の終わりだ。
「いや、気が変わった。そっちの干し肉にしてくれないか」
「まいど! そうだ、薬草もおまけでサービスしておきますよ! 良かったら使ってみてください!」
「おお、えらく気前がいいな。薬草なんていくらでも需要があるだろうのに……ん? なんだか赤いな、この薬草……」
「それも『トキの薬草』なんでさぁ」
「紛らわしいだろ。『トキの薬草』を買い物のおまけで提供しようとするな」
「いやー、もともとそんなに需要のある薬草じゃないし、大量に仕入れて処分に困っちまってたんですよ。どうしても買って欲しいって、お得意先に頼み込まれちまってねぇ」
「うむ……そ、そうか、まあ頼まれたなら、断れないだろうな、仕方ない」
前の世界線で、アッドスに『トキの薬草』を無限に買ってもらっていたのはサイモン自身だったので、文句を言うのは筋違いだろう。
帝国の侵略を受けていた時とは違い、『混交竜血』そのものが今では少ない状態になっている。
需要と供給のバランスが完全に崩壊してしまっているのだ。
(まいったな、やり過ぎたか……)
価格が急に下がれば、値上がりを待って薬草をためこんでいる者たちが一気に売りに出し、価格が大暴落する、という風に聞いていた。
それにしても、価値がなくなりすぎではないだろうか。
「わたしも良くは知らないんですが、なんでも、冒険者ギルドが大量にためこんでいたらしくて、無限に吐き出してくるんですよ。市場じゃあ、もう紙くず同然の価値しかないです」
「ほほう……冒険者ギルドがねぇ……」
『竜騎士団』を結成する目的があったとはいえ、そこまでため込んでいたとは、ギルドマスターは世界でも征服するつもりだったのか。
それとも……彼ではなく、もう1人の『ドラゴン』が、なにか工作をしたと考えるべきだろうか。
「メイシーか……とりあえず、彼女にも会ってみないとな……」
***
この魔の山周辺には、サイモン以外にもう1匹の『ドラゴン』がいる。
冒険者ギルド受付嬢のメイシーだ。
けっきょく、サイモンはメイシーに『トキの薬草』を使わなかった。
すべての『ドラゴン』を駆逐したところで、意味がないとわかってしまったからだ。
メイシーはサイモンの事を個人的に恨んでいるみたいだったので、何らかの形で妨害を受けることぐらい予想していた。
だが、ギルドマスターや神様(GM)の後ろ盾を失ったメイシーが、そこまで脅威になることはないだろう。
その何倍にもまして、協力を得ることさえできれば、力強い味方になってくれる期待が高かったからだ。
……そう、考えていたのだが。
「……やはり嫌われているのかな」
乗合馬車に揺られながら、サイモンは山道を降りていった。
下山をする方法は他にいくらでもあったが、人目を気にせずメニューを操作する時間が欲しかったので、今回は馬車を選んだ。
サイモンと同じことを考えるブルーアイコンの冒険者たちも多いみたいで、数名のブルーアイコンの冒険者が馬車に乗り合わせて、メニューをじっとにらんでいた。
彼らは、特にお互いパーティを組んでいるという訳ではなさそうだった。
パンやクッキーなどをもそもそかじって、始終無言で馬車にゆられている。
サイモンは、クレアからもらった映像を確認してみた。
やはり今の国王軍の新兵たちでは、村を守るための力が備わっていないようだった。
サイモンが化けたという黒いドラゴンの方が圧倒的に強い。
兵士たちを蹴散らし、攻撃をものともしない。
そしてドラゴンは、最後に巨大な火の玉を吐いて、村ごと国王軍を消し飛ばし、去っていった。
「……お前は本当に俺なのか?」
ドラゴンになった自分が村を破壊しているのだ。
知ってはいたが、改めて見るとショックが大きい。
そのとき、1人のブルーアイコンの冒険者が、ふらふらとサイモンの背後に忍び寄って来た。
「あ~、それ昨日のレイド戦のやつですね~。ちょっと見せてもらっていいですか~?」
いきなり人のメニュー画面を覗き込むのは、マナー違反だと教わったのだが、中にはそんなことなど意に介さない者もいるらしい。
目の下にクマのできた、いかにも不健康そうな顔つきの女の子だった。
口もとは常にへらりと笑っていて、人との距離感がいちいち近すぎる。
頭に大きな羊の巻き角がついていて、ごちっとサイモンの頭にあたった。
魔の山の北側に住まう種族、『羊人』だ。
瞳と同色の濁ったブルーアイコンの隣には、『呪術師』とある。
デバフ特化の珍しい職業だったが、羊人との相性はいい。
「……お前、ひょっとして『鳥』にノームの呪いをかけていたりしなかったか?」
「かけてたよ~? あれ~? あなた、レイド戦に参加してましたっけ~?」
「いや、俺はレイド戦には基本的に参加しないことにしている」
「うそぉ~、強そうなのにもったいない~。あ、これネコさんからです、どうぞ~」
ドルイドは、かたかた震える手で紅茶のカップをサイモンに渡してくれた。
毒でも盛ろうとしているのかと思ったが、この荷馬車のネコの商人が配ってくれる紅茶だ。ありがたくいただいた。
ドルイドは、よいしょっとサイモンの隣に座ると、ずずずー、と音を立てて飲んでいた。
「はぁー、すごいな専門の『撮影者』が撮ったやつですねぇ~。槍使いさんは、けっこう大きなパーティの人なんですか~?」
「いや、俺は基本的にパーティを組むときは、その場その場だな」
「うらやましぃ~。私、パーティ組まない主義ですから、情報収集してくれる仲間がいなくてですねぇ~」
「俺も知り合いにパーティを組まない奴がいたな……プロフィールから身バレするのが怖いからと言っていた」
「そうそう~。私もそんな感じなんですよ~。本当は40度の高熱を出して風邪で寝込んでなきゃいけない身なんですよ~」
「とてもそうは見えないな」
「でしょ~? 優しい後輩くんがゼミの研究を代わりにやってくれるっていうもんで~。ついつい甘えちゃうんですよぉ~。えっへっへぇ~」
「よく分からんが、レイド戦の方はどうなっているんだ?」
「ん~、ちょっとずつライフゲージを削れてはいるんですが~。ドラゴンの出現条件がわからなくて、みんな悩んでますねぇ~」
「出現条件?」
「いまのところ、『鳥』に一定のダメージを与えたら『ドラゴン』が出てくるんじゃないかっていうのが定説ですけど~」
サイモンは、プレイヤー目線で考えられなかったので、ドルイドの情報はとても有益だった。
どうやら、前哨戦のジズと、真のボスのドラゴンという二段構えの戦闘になっていると考えられているのだ。
彼等は、どのみちジズが途中で退場するので、ジズよりもドラゴンの方に最大火力の攻撃を集中させたいと考えていた。
だが、ドラゴンの出現パターンがよく分からない。
「この前なんて、ドラゴンが最後まで出てこなくて~。鳥にけっこう高価な呪具を使っちゃったんですよ~。温存した方がよかったかなぁ~?」
「いや……使って正解だ」
「そうかなぁ~?」
サイモンは、正直に言うことにした。
「『ドラゴン』は無視して、『鳥』に全力攻撃をしかけた方がいい」
「ええ~?」
「先にジズを倒したら、ドラゴンは出てこないからな」
「どうしてぇ~? 情報源は~?」
「ソース? 証拠がほしいのか?」
サイモンは、自分の頭上に浮かんでいる白いアイコンを、ぴん、と指ではじいた。
証拠など、彼がNPCであることで十分だ。
ゲームにおいて、NPCから得られた攻略情報ほど信用できるものはない。
くるくる回るサイモンのホワイトアイコンを、ぼーっと見ていたドルイドは、なっとくしてうなずいた。
「あ、なるほど~。NPCだったか~。て、えーっ!? な、な、なんで、NPCが動画をみてんのぉ~!?」
「さっき開発者に聞いたんだが、バグだそうだ」
「うえぇ~!? あはは、嘘でしょ~?」
騒ぎを聞きつけた他のブルーアイコンも集まってきた。
いずれもレイドパーティに参加していたメンバーだったらしい。
彼らはドルイドと共に、サイモンの話に耳を傾けた。
「なるほど……『ドラゴン』の出現条件がランダムなのは、倒す必要がないからなのか……」
「けど、『鳥』はどうやって倒すの? 近づくのを待ってるうちに、『ドラゴン』が出てきちゃうんだけど?」
「いや、魔の山からは見えないが、ずっと海の向こうの世界の果てに巣がある。ジズはヒナにエサを与えるため、その島に着地するらしい……そこから背中に飛び乗ることができる」
「他のエリアの情報だと、そのイベントが起きるためには、『ドラゴン』を倒している必要がある。ちょうどちっこい『ドラゴン』が山の中を飛び回ってるところだ」
「『ドラゴン』は他の人に任せといて、私たちは世界の果ての島か……最速ルートはないかな」
マップを床に広げて、世界地図を確認する冒険者たち。
さすが上級冒険者だけあって、サイモンが舌を巻くような知識量と計画性だった。
どうやら上手く対象を『鳥』に向けられたようで、ほっとする。
他のエリアでは『ワイバーン』を倒しても同様にヒナにエサを与える動きをするらしいので、それを利用して攻撃をしかける。
サイモンの血から生み出したヘビでも可能かもしれない。
オカミが危険にさらされるのは心苦しいが、魔の山周辺に他のドラゴンが出現しない以上、仕方ない。
サイモンは、冒険者たちの作戦会議をかたわらで聞きながら、ゆっくりと紅茶を口に運んだ。
ふと、紅茶の香りが独特な事に気づいた。
乗り合い馬車のネコの紅茶は何回か飲んだことがあるが、こんなにおいだっただろうか?
「なあ、ネコ。この紅茶はいつもと違うことないか?」
「わかるかにゃ? 『トキの薬草』でハーブティーを作ったにゃあ」
ぶーっと、お茶を噴いたサイモン。
予想外の角度から飛んできた『トキの薬草』の攻撃に、サイモンはうろたえた。
「なん……だと……」
「にゃあ、なんか冒険者ギルドが『トキの薬草アイデア料理コンテスト』をはじめて、レシピがいっぱい出てきたにゃあ」
「料理コンテストを冒険者ギルドが主体になってやる意味がわからないんだが?」
そんなに『トキの薬草』の在庫をさばきたいのか。
もはや、なりふり構わずといった様子だ。
いや、違うこれは彼女の仕掛けた罠だ。
サイモンの『ドラゴン』を殺すための策略に違いない。
メイシーを侮っていた。
こんな状況だと、いつどこで命を狙われるか分かったものではない。
まさに狡猾な『暗殺者』の手口そのものだ。
そのとき……サイモンの乗っている荷馬車が大きく傾き、横倒しになった。
「うわぁぁ!?」
「ひゃ~」
頭を突き合わせていたブルーアイコンの冒険者たちは悲鳴を上げ、馬車のすみでもつれあっていた。
サイモンは体を床に水平に伏せ、素早く状況を確認した。
敵かと思ったが、マップに映っているのは、レッドアイコンではない。
複数のホワイトアイコンだった。
NPC達が、サイモンのいる馬車を取り囲むように、集まっている。
……まずい。
彼らだ。
サイモンは、馬車の幌から顔を出し、周囲を取り囲む兵士たちの姿を見た。
どうやら、サイモンが頼まなくてもレベル上げはしていたらしい。
頼りなかった新兵たちは、すでに平均レベル20に到達し、肩から闘気を放っている。
その数、500名。
サイモンには多勢に無勢だった。
その中心には数名の上級兵を引き連れた、騎士団長アスレがいる。
彼は、鬼のような形相でサイモンをにらんでいた。
「貴様がサイモン軍曹か……村から逃げたと聞いて、待ち伏せさせてもらったぞ」
サイモンは、自分のうかつさを悔やんだ。
そうだ……すっかり忘れていた。
国王軍の目的は、『混交竜血』であるヘカタン村のサイモン軍曹を、調査することだった。