昼下がりのひととき
サイモンの世界では、メンテナンスが開始されてから丸2日が経った頃。
リアルの世界では、午後13時20分ごろ。
昼下がりの路地裏を、カメラを首からぶら下げた女性がぶらぶら歩いていた。
白いチューリップハットに、大きな丸いサングラス。
繊細な手足に似合わない、ごつい一眼レフカメラ。
理髪店の軒先で毛づくろいするネコを見つけると、しゃがんでカメラのフレームにとらえ、ぱしゃぱしゃと写真撮影しはじめた。
「にゃ~、にゃにゃにゃ~」
プレイヤー名、異世界ディスカバリーチャンネル:クレア。
職業は斥候。今はわけあって給仕。
もともと『撮影者』として動物たちの撮影をしていたのが、料理工房『オーレン料理店』には欠かせない、リーダー的な存在になっていた。
学生時代はリアルでもカメラには興味があったが、あまり上手い写真が撮れなくて挫折した経験がある。
やがて、バーチャルの世界でも現実とそん色ない素晴らしい風景が撮影できる時代になってくると、次第にそちらに興味を持つようになった。
カメラ1台10万円、旅費10万円、さらに生命の危険と数日の拘束時間を要すること考えると、バーチャルの方が圧倒的にコスパがよすぎた。
帰宅後の短い時間でも、目的地まで一瞬でテレポートして、雨に降られても激しい砂嵐の中でも、カメラの損傷を気にせずに、好きなだけ撮影することができる。
豪雨の降りしきる中、冷たい泥の中に寝そべって、凶悪なダークベアーが巣穴から何匹も這い出てくる瞬間を待つような経験は、たぶんリアルでは二度とできない。
そうしてモンスターの写真ばかり撮っているうちに、次第に技術が上がってきた気がする。
いまでは一眼レフカメラを引っ張り出して、リアルでも写真を撮るようになったのだった。
「私はやっぱり、モンスターがいいなぁ」
撮影に協力してくれたネコを、よしよし、と撫でた。
ネコがうにゃん、とひと鳴きしてどこかに行ってしまって、ふう、とため息をつく。
運営のアナウンスによると、メンテナンスが終了し、再ログインが可能になるのは、14時30分の予定だった。
「まだ1時間もあるよぅ~。はやく会いたいよう、ダーリン~」
街をぶらぶら歩いて、目的の喫茶店に入っていった。
個人経営の喫茶店で、店員はコーヒー色のエプロンを身に着けている、背の高い綺麗な女性だった。
「お、いらっしゃい。クレア?」
「はい、リアルでは初めましてですね」
「へー、なんか思ってた通りの子だなぁ。カメラがすごく似合ってる」
「へへ、ありがとうございます」
彼女をクレアと呼んでくれる人物は、同じゲームをプレイしている者に限られている。
ここの店長さんは、クレアのお店を手伝ってくれたモデルの人だった。
カウンター席には、でっぷりしたお腹のオジサンが腰かけていて、手をあげて挨拶してくれた。
こちらは相棒のカメラマンである。普段からこの店を利用しているらしい。
「手伝ってくれてありがとう。お店オープンしてたんだ?」
「そうね、ログアウトしたとき10時半だったからランチは開店できると思って。カメラマンが手伝いに来てくれてよかったよ」
「うちの店は洋食だけど昼の仕込み全然してなかったからもう諦めた。夕方はどうするの? メンテナンスがあけたら続きやるんでしょ?」
「ああ、それなんだけど……」
クレアは、少し返答に迷った。
ゲーム世界がメンテナンスに入って、サイモンとの連絡が取れなくなったのだ。
あのバグまみれのサイモンが、無事に生き延びてくれるかどうか、クレアには分からない。
もしも彼があの世界からいなくなったら、クレアは泣いてしまうかもしれない。
そうなった場合、このまま料理店を続けることに、はたして意味はあるのだろうか。
「私は、メンテナンス明けもやれるよ? あんまりゲームとかしないけど、なんか面白くなってきた」
「じゃあ俺もやるよ」
「無理しないで、ゲームなんだからリアルの方を大事にしてね? そういえば通りすがりのカメラボーイは?」
「いや、まだ来てないね。なんか、それっぽい客は来てるけど……」
「それっぽい客?」
ふと、テーブル席を見ると、帽子を目深にかぶった見知らぬ青年がいた。
白いパーカーに、白い帽子。スニーカーまで白づくめだ。
どことなく、ゲーム世界でも似たような服装センスの持ち主を見たことがあるクレアは、少し興味を持った。
「確かにそれっぽいね」
だが、こちらに話しかけてくる様子はないし、大人しくコーヒーを飲んでいる。
いきなり話しかけて、人違いだったらはずかしい。
カウンター席でお冷やのグラスをくるくる指でなぞりながら、クレアは思わず、くしゃみをしそうになった。
「……へっ、へっ、ヘカタン!」
ガタガタッと音がした。
見ると、テーブル席の青年の右手がぷるぷる震え出し、コーヒーをこぼしてしまったのだ。
どうやらヘカタン料理という単語に対してトラウマを植え付けてしまったらしい。
クレアは、何食わぬ顔で近づいていった。
「あれ、あれあれ~。ひょっとして、通りすがりのカメラボーイ?」
「はい……どうも」
「なんでよー、せっかく来てくれてたのに、なんで声かけてくれなかったの~?」
「あ、あの……すみません。その……店長さんが、すごい綺麗な人だったから、驚いちゃって……」
「私?」
通りすがりのカメラボーイは、ミーハーだった。
「えー? 緊張してんのー?」
「はい、まあ……」
クレアもびっくりしたが、喫茶店の店長は、モデル体型の美人だった。
元々リアルでコスプレイヤーをやっていて、その延長でバーチャル世界でのコスプレにも手を出した人だ。
その相棒のカメラマンも、普段から彼女の撮影をして、自分のブログで公開していた。
アマチュアだがかなり腕がよく、彼女の写真が評判になったので、撮影会には必ず招待して、以降ほとんど専属のような間柄になったらしい。
「えーいいなー。そういえば、リアルの女の人に上手く話しかけられない人が、バーチャル専門のカメラボーイになるって聞いたわね」
「ああそうか、それでレイヤーがいなくなった後もずっとゲームやってるわけね」
「うう……てゆーか、リアルのカメラって高過ぎません? 俺、学生なんで、なかなか手がでなくて……」
「あら、学校行かなくていいの?」
「ちょっと裏技使いました……風邪を引いたときに、同じゼミの連中に代役するよう頼んでまして……」
「悪い子ねぇ」
シーラの大ファンだった通りすがりのカメラボーイは、やはりリアル世界でも美人に弱いみたいだった。
大人の女性たちを前に、すっかり気後れしてしまっていた。
「なるほど、なるほど。美人を前にすると緊張しちゃうんだ。ごめんね、リアルに呼びつけて悪いことしちゃったなぁ」
「あ、クレアさんの方はぜんぜん大丈夫、そういうの感じないっすよ」
「なんでよー!?」
「いやー、なんか『君もアスレしないか?』のインパクトが強すぎて、すぐにその映像が思い浮かんじゃって……」
「えー、なにそれ? 詳しく教えてくれる?」
「詳しく知る必要ないです!」
とにかく、通りすがりのカメラボーイは、コーラをお代わりしてごくごく飲んだ。
彼は、ゲームの世界と同様に目付きを鋭くし、決意を新たにしていた。
「俺はメンテ明けもやる……当然だろう?」
「通りすがりのカメラボーイ……そうよね、あんたオーレン店長の事が好きだもんね……」
「えっ、カメラボーイ、男の子に興味があったんだ……ふーん」
「いや、ちがうんだ、聞いてくれ。みんなは知らないだろうけど、オーレン店長は……本当はシーラちゃんの弟じゃないんだ……。
あの2人は、もっと複雑な関係なんだよ。そんな事を知ったら、なんだか放っておけなくなってさ……」
クレアは、はっとした。
それはオーレンが、一度だけサイモンに告白したことがある事実だった。
実は、クレアもサイモンに密着取材をしている関係で、その様子を撮影していて、はじめて知ったことだった。
同じイベントに遭遇したプレイヤーは、まだどこにもいない。
だが、通りすがりのカメラボーイは、独自にその情報を手に入れていたのだ。
モデルも、カメラマンも、シーラのことは知っているものの、事情がよくわからず、戸惑っていた。
「どういうこと? 俺はあんまりゲームに詳しくないんだけど……シーラちゃんの弟じゃなかったって?」
「ああ……これは2人にも、言っとかないとな……クレアが出かけている間、俺は2号店の店内を色々撮影してまわっていたんだ……。
そしたら、偶然オーレン店長が、双子シスターと話をしていてさ……」
通りすがりのカメラボーイは、目頭を押さえた。
いまでも、その時の光景が目に焼き付いている。
双子シスターは揃いのメイド服を着せられていて、オーレンは珍しいその装備に興味を示していた。
『なんかそれ、すごい特殊効果があるって、ブルーアイコンの人たちが言ってたよ。お客さんが増えるんだって』
『じゃあ店長も着てみます?』
『え?』
そしてオーレンは、双子シスターにメイド服を装備させてもらった。
その瞬間、しっかり見てしまった。
スカートの描く鮮やかな曲線、ふっくらとした体つき。
無理やり着せられて、恥ずかしそうに顔を赤らめるオーレン。
『こ、これ、なんかやだ……やめる』
オーレン店長は、恥ずかしがって、すぐに返してしまったが。
通りすがりのカメラボーイは、衝撃を受けた。
心臓がいつまでも、ばくばくと高鳴っていた。
「メイド服が装備できたんだ……その瞬間、俺は思った。オーレン店長は……本当は、『女の子』なんじゃないかって……」
この世界には女性専用防具という物があり、メイド服はそのうちの1つだった。
彼の告白によって、喫茶店の内部は水を打ったように静まり返った。
「そうなんだ、本当は、シーラちゃんの弟じゃなかった……『妹』だったんだよォ!」
再三言った、通りすがりのカメラボーイ。
クレアは通りすがりのカメラボーイを、すさまじく冷めた目で見つめていた。
クレアは、カメラボーイのどうしようもないキャラの薄っぺらさと同時に、アカシノが愛したシーラの闇の深さを理解して、戦慄していた。
「シーラちゃん、まさか……女の子を拾って……弟として育てていたの……?」
「いや、そうだと言いたいが、まだ確かじゃない……まだオーレンが可愛すぎる男の娘だから、特別枠で装備できたという可能性があるじゃないか」
「は?」
「だから俺は、その決定的な証拠を、この手に掴みたいんだ……!」
「待て、はやまるな!」
彼が何をやろうとしているのか理解したカメラマンは、きっと真面目な顔つきになって、警告した。
「世の中には、知らない方が幸福なこともある!
お前はまだ若いから知らないだろう、会場でいちばん綺麗なブリジットコスのレイヤーさんに話しかけたら、声がすんごく野太かったときの、あの絶望感を……!
写真ではわからない事がある、表現できない真実がある! だからそこに写真にしかない魅力が生まれるんだよ!」
「絶望なら望むところだ、それでも俺は、俺の見つけたこの道を、最後まで走り抜けたい!
どうか止めないでくれ、若気の至りだと思って見ててくれよ、カメラマン……!
俺は知ってるんだよ、いまは誰もいないこの道をまっすぐ走ることが、最高に気持ちいいんだって事を……!」
「ばか野郎……! 真実なんてどうでもいいだろ……! 諦めるなんて簡単だろ……! なんで今どきのZ世代はそんなに輝き急いでいるんだ……!」
「普通に言ってるけどさ、それ覗きとか盗撮するってことじゃない?」
「ごめんなさい……」
「クレア、たとえお前が止めたとしても、俺はやるぞ……!」
「え、私があんたを引き止める役なんだ」
「俺はオーレン店長が、男か女か、はっきりさせるまで、一瞬たりともそばを離れるつもりはないからな……!」
通りすがりのカメラボーイのすさまじい熱意に押され、クレアはため息をついた。
本当のオーレンが弟だったのは確かだろう。
なら、今のオーレンが女の子だったなら、別人だったという真相にたどり着く。
まさか、カメラボーイがそんな別方向からストーリーの真相に近づこうとしているとは、思いもよらなかった。
やってることはいちいち酷かったが、逆にこの男の執念をすごいと思った。
「……わかったわ、カメラボーイ。メンテナンスが明けるまで、待ちましょう。
まずは料理スキルを鍛えるための、作戦を考えるのよ……というか、あんた腕ふるえるのどうにかしなさいよ?」
ともかく、オーレン料理店の一同は、再ログインの決意を新たにした。
そうして、メンテナンスの時間は過ぎていったのだった。