表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
112/175

昼のひととき

 サイモンの世界では、集中メンテナンスがはじまってから丸一日が経過したころ。

 リアルの世界では、昼の12時すぎ。


 とある進学校の教室で、ひとりもくもくとお弁当を食べている黒髪の少女がいた。


 プレイヤー名ミミズク。

 ゲームの世界での職業はアサシン。

 三種の斥候スカウト系職業のスキルを使いこなす、優秀なサポーターだが、リアルの世界での職業は進路に悩む中学生だ。


 朝方、サイモンから連絡のあったスマホを机の上に置いて、番犬のようにじっと連絡を待っている。


 待ってはいるのだが、これといって、何か返答を期待するような問いかけをこちらからしたわけではない。


「ありがとう」


 というサイモンの最後の連絡に対する、アサシンの最後の返答は、


「べつに」


 だった。


 本当はもっとたくさん書きたい事があったのだが、結局ぜんぶ消した。


 迷惑ではないだろうか、返事をしてくれなかったら傷つく。

 誰かに自分から話題を振るのが苦手なアサシンは、そんな事ばかり考えてしまう。


 だが、彼女の周囲にいる人間も、じつは同じことを考えているのだということを、アサシンはよく分かっていなかった。


「あの……時芝(アサシンの苗字)さん」


 おかっぱの女の子が、地味な花柄のお弁当のつつみを持ってアサシンに声をかける。

 声をかけられたアサシンは、彼女の方を見ずに、ただじっと机の方を見つめていた。

 これは決してアサシンが冷たいのではなかった。

 ただ目を合わせるのが怖いのだ。


 リアルのアサシンは、勉強とゲームのしすぎでだいぶん目つきが悪くなっており、真っ直ぐ見つめると怒っていると思われるらしい。

 親には反抗的だとののしられて、同級生には怖がられ、しまいには目をあわせなくなった。


 ゲームの世界から一歩外に出て、劣等感の塊である自分の肉体に戻ったとき、アサシンはまるで別人ように硬いからにこもってしまうのだ。


「……なんの用ですか」


 そして相手の不興を買わないよう、常に敬語で義務的に、淡々と言う。

 声のトーンも常に必要最小限だ。


「よかったら、その、お弁当一緒に食べないかなって。みんなで食べてるの、だから」


「……興味がありませんので、他の人を誘ってください」


「ひぅ」


 あまりに取り付く島もないアサシン。

 断られた同級生の女の子は、あうあうと泣き始めた。


 その高慢な振る舞いからアサシンは、氷の茨姫アイシー・ローズと中学2年生的な二つ名で呼ばれていた。

 アサシンは、望まぬへんなあだ名を付けられて、みんなから自分が嫌われているのだと思っていた。


 小学校の受験でふるい落とされ、国内有数の進学校を希望していながら入ることができなかった時から、彼女はずっと底辺のスラム街に落とされたような気分を味わっていたのだ。


 彼女は自身の事を出来損ないと卑下している。だが、それは自分よりも遥か上の存在ばかり見ているからだ。

 その事を理解してくれるものは、結局彼女の周りには現れなかったのである。


「……食べるところを人に見られたくないんです」


 女の子を泣かせてしまったアサシンは、いい訳のように付け加えた。

 本当は人に見られるのが嫌だ。

 隙だらけの自分の顔を見られるのが嫌だ。

 好物のウィンナーを食べるときに、肉汁が出るのをじっくり噛みしめて食べているのがわかると、まるで「子供みたい」と彼女たちに冷笑されるような気がして嫌だった。


 母親がご飯の時、いつもじっくりアサシンの食べる顔を観察していた記憶がよみがえる。

 そして弁護士ならではの鋭い洞察力で、彼女の好き嫌いを言い当て、好き嫌いはいけないことだと断罪するのだ。

 お前ごときスラム街の劣等種が我ら高等民が恵んでやった糧を選り好みする気か身分をわきまえろと言ってくるのだ。

 家族との食事は彼女にとって、恐怖の時間だった。

 隙を見せてはいけない、心のうちを知られてはいけない、そう考えて粛々と無表情を心がけるようになった。

 ひとりで食べるお弁当は彼女にとって、唯一心安らげる瞬間なのだ。

 だし巻き玉子を食べるときも味わって食べるし、ブロッコリーを食べるのは一瞬だった。彼女の真の姿は、誰にも見られてはいけない。


 そのとき、机の上のスマホに着信があり、ぶるぶる震えた。


「!」


 アサシンは、いつもの数倍ほど目を輝かせ、スマホをわっしと両手で掴みあげた。


 わくわくしながらスマホのお知らせを確認し、それがゲームの運営のお知らせであることを確認すると、すぅっと目を細め、スマホを机の上に戻し、またお弁当の続きをもそもそと食べはじめた。


「なんだ今の……」


 周囲の生徒たちは、その様子を唖然と見ていた。

 とつぜんの変容に、いったい何事か、と目を見張っている。

 アサシンは持ち前のアサシンの素養でなんとか忍んだ。


 アサシンは、手をあわせてごちそうさまをし、きちんとお弁当箱を包んで片付けてから、先ほどのスマホの着信を確認した。

 突然のゲームの運営からのお知らせは、秋アプデの内容をすこしだけ紹介する告知だった。


(アップデートの予告が来た……)


 その内容をひととおり確認していたアサシンは、ある事実に気づいて当惑し、目を丸くした。


「え? ……これって」


***


 同じころ、ビジネススーツに身を包んだ男が、駅の立ち食いそば屋で大量の七味をふりながら、ミラーグラスごしに叫んでいた。

 フリーハンドで通話しているのだが、周囲の客からちょっと恐がられていた。


「はぁー!? なんで俺があいつに特大カビゴンなんて買わなきゃならんの!」


『頼むよー! 魔法使い! 金はあとで出すから!』


 プレイヤー名エル【魔法使い】と、プレイヤー名アビゲイル【拳闘士モンク】の二つのアカウントを持つこの男は、サイモンにとってゲーム世界の重要な情報を与えるパートナーだった。


 サイモンの世界は、1時間20分で1日が過ぎるため、魔法使いは1時間おきにサイモンからの連絡を確認していたのだが、もう2時間以上、サイモンの連絡がまったく届いていない状況だった。


 運営のお知らせを見ると、どうやら緊急メンテナンスが入ったらしく、向こうの世界に誰もログインできなくなったらしい。


(……とうとう見つかったか……あいつ、ぜったいヤバいよな、バグだらけだし)


 緊急メンテナンスでサービスが止まるなど、このゲームでは初めてだ。

 それこそ心配は尽きなかったが、ゲーム会社が自分のゲームをどう作り替えようと、ユーザーが文句を言える立場ではない。

 彼もリアルの仕事があるので、あまり気にしてもいられなかった。


『頼む、なんか今日、ゼミの先輩が風邪で2人とも倒れちゃってさ。代わりに実験記録たのまれてて、抜けられそうにないんだよ』


「このお人よし! それぜったい2人ともお前に仕事押し付けて遊んでるパターンだよ! 俺には見える! 見えるぞ!」


『そ、そんなのわかんないだろ? 本当に風邪だったら大変じゃないか……』


 この気弱な大学生は、魔法使いのTRPG仲間である。

 プレイヤー名ノルド、職業双剣士。

 経験のじゃっかん長い魔法使いがサポートしているものの、いまだレベル10で、じつは仲間のなかで一番レベルが低い。


 魔法使いは高校を卒業してすぐに就職したが、双剣士は大学にまで進学していた。

 住む場所も生き方も違った2人だったが、数年前にネットのTRPG同好会で知り合ってから、同い年だとわかってとくに仲良くなったメンバーだった。


 ひとつ下の学年だった女戦士も加えて、この3人は同好会以外でも遊びにいったり、ちょくちょく行動を共にするようになっていたのである。


「てかそれ、噂のジャックポットじゃないの?」


『ジャックポット?』


「魔導機械兵(子機)ってのが経験値を沢山落とすって噂になってるみたいだけど?」


『ああ、調べたけど、それじゃ無理なんだ』


「無理って?」


『女戦士は一気にレベル3から15まであげていた。魔導機械兵(子機)を100匹以上倒さないと無理な計算だ。あいつ、絶対なにか別のカギを握っているはずだ』


「ぐぬぬ……仕方ない、特大カビゴンだな! ポケパークの! 今日中になんとかしてやる!」


 魔法使いは、立ち食いソバの料金をぺしっと交通系ICカードで支払うと、すぐに出ていった。


***


 一方そのころ、陽光の差し込む女学院のテラスで、優雅に紅茶をたしなむ白眉の女学生がいた。


 胸に聖書をかかえ、木の葉ずれのような声で囁き交わす、静かな学校である。

 ミッション系のシックな制服は、全国の女子高生の憧れでもあった。


 見目麗しい生徒会長を中心に輪を描き、それぞれに和んでいた。

 おしゃべりは禁止。鏡をみることも禁止。

 校則は厳格で、本来はお菓子すら持ち込み不可だったが、そのぶん世間の喧騒とは隔離された夢のような世界が広がっている。


「どうかしら、今日はスコーンを焼いてみたのだけど」


「はい、とても美味しいですわ、会長」


「このお茶はどこの銘柄かしら」


「こちらはこの前イギリスのメイソンで見つけたものです」


「うん、悪くないわ」


 お茶会は、生徒会長が学園に交渉してなんとか勝ち取った、彼女たちが唯一許された憩いのひとときであり、なんとか工夫して楽しみを見いだしていた。

 そして、そんなお嬢様学校に、かわいい制服目当てで入り込んでしまった、かわいいもの好きな不幸な女子生徒がひとりいた。

 生徒会長その人だった。


(やべー! 紅茶の味とかわからんし! にっが! スコーン失敗したー! まっず!)


 プレイヤー名アイラ、職業は戦士。

 リアルの職業は生徒会長、猫かぶり(ロールプレイング)の天才である。

 サイモンの助けを得て、レベル3から一気にレベル15まで大躍進した彼女は、いま大ピンチを迎えていた。


(もー、こんなんありえへんやろ! お嬢様の話とかふられてもまるでついていけんし! どーしよ! 私この学校でやってく自信ないー!)


 くじけて泣きそうになっていた、そのとき、お茶会の雰囲気をぶちこわす無遠慮な着信音(初代ワンピースOP)が響き渡った。


「あら、失礼」


 女戦士はカバンからスマホを取り出すと(スカートにポケットがないので地味に不便だった)、アニメ声で話しはじめた。


「はーい! まほまほ? どうしたの?」


『どうしたのじゃねぇ、双剣士の代わりに、俺が特大カビゴン買ってやることになったんだよ! つうかこれめちゃくちゃ高くねぇか!?』


 電話から聞こえてくる男の声に、普段、男性との接触を禁じられている生徒たちは表情をこわばらせていた。

 異性など気にしない超マイペースな女戦士は、ぱちぱち、と手を叩いて笑っていた。


「あはは! ほんとう!? すごーい! やっぱ大人は財力が違うなぁ!」


『コイツまじで天然小悪魔だな……レベルアップの方法を教えてくれるんだろ? とりあえずコンビニ受け取りで送ってやるから、受け取りな』


「あざーす! コンビニ受け取りってどうすんの?」


『お前が受け取りやすいコンビニ教えてくれたら、そこに預けとく。あ、この場合、家の近くじゃなくて、なるべく大きな駅前のコンビニにした方がいいぞ……ちょっと面倒かもしれんが』


「えー、めんどいー! 姫河内大鈴3の1の白いお家まで届けてクレメンス!」


『おーい! ネットリテラシー! 個人情報は守れっていってんだろ!』


「何をいまさらー! 私とまほまほの仲じゃんかー! あ、今日親いないから玄関に置いといてよー!」


『ほんとコイツ……』


 女戦士は、ぴっと通話を切った。

 ちょうど教師たちがしずしずと廊下を通っていったところだった。


(ふー、あぶねー)


 いつもギリギリのタイミングで敵をかわし続ける、根っからの冒険者であった。

 まわりの子達は、顔を真っ赤にしてうつむいていた。


「……」


「……」


「何の着信音ですか?」


「我が家の伝統なの」


 以降は、みな静まり返ったようになって、粛々とお茶会は進んでいった。


***


「くそー、あいつ絶対金銭感覚おかしいだろ……」


 巨大な段ボール箱(カビゴン在中)を背中に担ぎ、魔法使いはえっちらおっちら住宅街を歩いていた。


 ポケパークで特大カビゴンを買って来たのだが、値段が7万円の恐ろしいものだった。

 魔法使いもゲーミングチェアには同じくらいお金をかけているし、これはゲーミングぬいぐるみだ、乗ってゲームする、などと言われたら同じ冒険者として文句は言えなかった。くっそ自己中だがあいつのロールプレイの上手さは本物なので認めざるを得ない。


 双剣士は出した金額はあとで払うと言っていたのだが、金のない大学生の身分で貢がされているのが可哀そうになってきたため、半額ほど魔法使いがもつことにした。


 ゲームの攻略情報を手に入れるためには、多少の出費くらい厭わない。

 なんとか今日じゅうに届けて情報を教えてもらわなければ、わりに合わなかった。

 教えられた住所は、幸運にも魔法使いの営業ルートの近くだったため、電車を利用して直接持っていくことは出来たのだが。


「えーと、ここでいいのかな。ていうかデカすぎんだろあいつの家」


 あっけにとられている魔法使いのミラーグラスに、ぴりり、と新着情報が入ってきた。

 確認してみると、ゲームの運営のお知らせだ。


「……なんだ、アップデート情報か……」


 メンテナンスが終わったのかと思っていた魔法使いは、ため息をついた。


 秋アプデの内容は、1週間以上前から小出しに公開され続けている。

 新フィールドに、新キャラクター、新スキル、新たなメインストーリー。

 いつもボリュームがすごく、ハイクオリティで、まるで別ゲームが始まる感覚に近い。ユーザーが一時的に増えるわけである。


 ひととおり情報が出揃ったので、これがそろそろ最後の公開情報だろう。

 情報を見ていた魔法使いの表情が、突然こわばった。


「おいおい……マジかよこれは」


 この公式の情報が真実だとすれば、サイモンにとって重大なアップデートになる。


 ゲーム世界はまだメンテナンス中で入る事ができないが、チャットは送る事ができる。

 いそいでサイモンに連絡しようとした、そのとき。


「動くな!」


「SNS生活安全課だ!」


 住宅街の角から、とつぜん黒服の男たちが現れ、魔法使いを取り囲んだ。

『S課』の刑事たちだった。


 どうやら彼らは、怪しい行動が見受けられる魔法使いの事を警戒し続け、深夜帯にアサシン(未成年)と接触していた唯一のブルーアイコンであったことを突き止めると、リアルで犯罪行動を起こす瞬間を待ち構えていたのだ。


 犯罪行動……この場合は、未成年者のプレイヤーから住所などの個人情報を聞き出し、さらにリアルで接触しようとする行為である。

 ほぼ同い年と思っていた魔法使いは知らなかったが、女戦士はアカウントを作るときに年齢をちょっと盛っていた。


「ちょ、ちょっと待って! なんで俺が!? ……ああ~!」


 そして魔法使いは逮捕され、その重大な情報がサイモンに届けられることはなかったのだ。


***


「ヘカタン村が……ない」


 アサシンは、スマホの画面をにらみつけていた。

 そこには、次回アップデート時に範囲を広げる世界地図が記されている。


 拡大された世界地図を指でなぞり、魔の山の奥地エリアにある村の名前を表示させた。


「クワッド盆地……ヘキサン村……オプトン村」


 何度調べても、『ヘカタン村』の名前がそこにはなかった。


 アップデート後の世界から、消えている。


「……サイモン」


 アサシンは、問題の大きさを見誤っていた。

 アプデの内容が、プレイヤーの行動によってマルチに変わるものだと思っていた。


 この問題の本質は、まったく違うものだ。

 ヘカタン村は、最初から消える予定で生まれた村だったのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ