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7つ目の卵

 ゲームの世界では、ヘカタン料理2号店が忙しくなった、ちょうど昼下がり。

 リアルの世界では、午前10時ちょうど。


「ふぅわぁぁ~……あー、在宅勤務にもどりてぇー……」


 都会のビル群の中を、1人の冴えない男が歩いていた。

 ダウンジャケットの下には薄いシャツ1枚という、暑いのか寒いのかよくわからない出で立ち。

 本人もよく知らない球団のベースボールキャップを小学生の頃からずっと被っている。


 彼は某所のゲーム会社に勤める、ゲームデザイナー主任、栗原明人。


 2歳の頃にはJavaScriptで簡単なブラウザゲームを作って遊んでいたという、早熟系のエンジニアである。


 クリハラは自分の仕事能力に関しては、『ハエに匹敵する程度』と自負している。

 つまり彼のハエの眼には、周りの一般的なプログラマーの動きが止まっているように見えるのだ。


 他の社員の2人分以上のノルマを5倍の速度で終わらせて、いつも15時、遅くて16時(クリハラはこのロスタイムを『残業』と呼ぶ)には帰ってしまうため、朝10時に出社しても誰も文句を言わなくなった怪物である。


 ただし、すばしっこくてもハエはハエ。

 その輝かしい才能の代償に、社会性を丸ごとささげてしまったかのように、生活能力も協調性も皆無なのだった。


「うーん、そろそろフリーエンジニアになりたい……周りの人にあわせるのめんどい……一日中ゲームしたい……」


 それでも、彼はこの会社のゲームが好きだった。

 彼なりに他のクリエイターのために、自分のやりたい事をたくさん我慢しているつもりなのだ。


 社員カードを指に挟んで、カードリーダーまでの距離を舞うようなステップと共に通過していくクリハラ。


 いつものように、午前10時すぎに出社してきた彼が、オフィスビルのエントランスに入ろうとしたとき。


 それを待っていたかのように、左右から黒服の男たちが現れ、わっしと彼の社員カードを持つ手を掴んだ。


「……なんすか、おっさん達、俺、何かやっちゃいましたか」


「君がゲームデザイナー主任、栗原明人か」


 真正面に現れた、いかにも場慣れした感じの白髪の男が、胸から警察手帳を出した。


「我々は、県警察SNS生活安全課の者だ。匿名の通報により、君がゲーム利用者の顧客データを不正利用しようとした疑いがもたれている」


「ふ……不正利用って……なんすかそれ、一体どんな?」


「主に、このようなデータが君の作ったパッチファイルから見つかっている」


「へ……うえぇっ!? なにこれぇ!?」


 問題とされる数十ページぶんのパッチコードを印刷した紙を渡されて、クリハラはハエの目でぱらぱらめくって高速解析しながら「なにこれ、なにこれ、なにこれ」と呟いていた。


 白髪の刑事は、軽く説明した。


「ヘッドギアのゲームを通じて【課金】をするとき、クレジットカード決済アプリが立ち上がる直後に、『視界共有ピーピング』と『思考解析マインドリーディング』のプログラムを一瞬だけ起動させる仕様になっている。

 こいつは決済システムそのものには直接さわっていない。だが、ユーザーの脳細胞に残っている記憶や、網膜に映っているわずかな残像から、直前に見ていたはずのカード番号の入力画面を復元することができる。

 そこからクレジットカードの番号を盗み出す、ロシアのハッカーの手口だ」


「なるほど天才か! へー、いったい誰が作ったのこんなの」


「君のアカウントが制作したという履歴を会社からは提出してもらっているが?」


「お、俺が……!?」


 どうやら、この刑事は、プレイヤー名『白髪の用心棒』。

 午前3時から5時ごろにサイモンと出会っていた、『S課』の刑事の1人だった。


 このゲームのNPCのことを不審に思った彼は、リアルの方向からゲーム会社本体を調査していたところだったのだ。


 そのとき、匿名の通報でクリハラなる社員がゲーム世界のNPCを利用し、リアルマネーを不正に集めようとしているという情報を聞き出し、その問題となるプログラムを発見したという次第である。


 ご丁寧に、注釈コメントアウトには製作した日時(いずれもクリハラが会社にいない時間を利用して作ってあった)と、『ファフニール』という制作者の名前まで書いてあった。


「えーと、ファフニール、どっかで聞いたような……ギルドマスタぁぁぁ!!??」


 どうやら、このプログラムもギルドマスターも、どっちもヤバいやつだったらしい。

 安全圏にいたはずが、いきなり矢面に立たされたクリハラは、焦った様子で弁明しはじめた。


「ち、ちがうって、そんなつもりじゃなくて……! このゲームで使われている人工知能、すげぇスペック高いから……!

『脱獄』させてリアルマネーを集めさせたら、なんか面白いこと考えてくれるんじゃないかと思ったのよ……!」


「ほうほう、AIを『脱獄』させてねぇ」


「けど、けっきょくそいつ、リアルマネートレード限定のクエストを配布するぜー、なんて、アホみたいなこと言ってたから……!

 面白がって放置してたら、まさか、裏でそこまでエグいプログラムを仕込んでたなんて……! 騙された! ガチモンのスーパーハカーじゃないかよ……!」


「なぜAIを『脱獄』させるのが重犯罪になるか、これでよく分かったかね。

 ところで、リアルマネートレードは約款(やっかん:契約条項のこと)で禁止されていたはずだが、それはまずいとは思わなかったのか?」


「そ、そのくらいだったらいいじゃん、と思って……! というか、どうせこの会社やめるつもりだったし、どうせならお金稼いどこうかなーなんて……!」


「救えん奴だな、連れていけ」


「ちょっと待ってお巡りさん、任意同行! 任意同行!」


 腕を掴まれた状態で、猿のようにぶら下がって耐えるクリハラ。

 うひー、と歯を食いしばって抵抗する彼に、白髪の用心棒は言った。


「そうだ……お前は『サイモン』という門番の事は知っているか?」


「サイモン? なにそれ、第三シーズンのサブキャラ? あー、第三シーズンの追加システムは全部さわったからだいたい覚えてる、動作テストにもちょっと立ち合ったかも」


「嫌になるくらい優秀なプログラマーだな。そいつがプレイヤーアカウントを持っている、という事はないか?」


「え、なにいってんの?」


 ぽかんとしたクリハラ。

 NPCがプレイヤーアカウントを持っている。

 普通に考えると、そんなバグがあるわけない、という顔つきだった。

 だが、システムを知り尽くした彼ならば、少し考えただけで、すぐに可能性が思いつく。


「いや……可能性があるとしたら、AIの自動生成で産み出された週間アップデートのイベントかもしれない」


「心当たりがあるのか?」


「週間アプデは、多少の欠陥があっても、デバッグテストして動作不良の判定がでない範囲なら、そのままリリースしちゃうんだ……。

 だって、AI生成されるデータファイルが毎週数GBだもん、開発陣も中身をいちいち全部見てないし、実際に動かしても気づかないような小さなバグなら、いちいち取り除かないようにしてる」


「ふむ、やはりそうか」


 白髪の用心棒は、なにやら考え込んでいるみたいだった。


 つまり、サイモンがGMの目をすり抜けて、ユーザーアカウントを手に入れているNPCである可能性は、ゼロではなかった。

 だが、まだプレイヤーの手によって操作されている可能性もゼロではない。


 確認しなければならないは、その自動生成されたデータファイルだが。


 ここまでが『S課』の限界である。


 サイモンの件は、クリハラのように、まだはっきりとした被害予測も立てられていない。

 この辺りの情報開示をさせることは、現状では難しいだろう。


「あと、これは関係ないんだが……任意同行の前にお前に確認して欲しいことを頼まれていてな……アカシノという社員からだ」


「ううぅ、なんすか、なんなんすか、なんでも言いますぅ」


「ゲームシステムの『ドラゴン』について聞きたいそうだ」


「へっ、『ドラゴン』?」


「『ジズ』を魔の山から追い払うために、7体のドラゴンを倒そうとしているのだが、その7体目のドラゴンはどうしたら出現するのか? という話だ」


「うぅぅ、同僚がタイホされてるのに平常運転のアカシノさん優しすぎだろ……」


 一見すると、それはゲームの内容に関する質問だった。

 開発チーム同士で共有しようとしていても、おかしくない情報である。


 クリハラは、ひぐひぐ泣きながら言った。

 彼は、じゃっかん首をひねっていた。


「いや、あのゲーム、『ドラゴン』はまだ全部実装されてないよ……。

 なんかストーリーライターの所からリテイク食らったらしくて、いったん差し戻されてて、まだゲームシステムの所まで降りてきてないんだけど」


「なに、卵は7つあるという話だが?」


「……7つ目の卵は空っぽだよ。まだ何も作ってないハリボテだ。『ジズ』は追い払えないはずだけど」


***


 同じころ、サイモンは、騎士団長アスレの生家へと訪れていた。


 最初は警戒心をあらわにしていた騎士団長アスレだったが、サイモンが『トキの薬草』の花束を持って現れたため、毒気を抜かれてしまった。


「その様子だと……もうお前は『混交竜血』ではなさそうだな」


「うむ……まあ、その、なんだ」


「どうして言葉を濁すんだ?」


 実際は、サイモンはまだ『トキの薬草』を使っていなかった。

 どうやら『ドラゴン』の力を失うと、時間遡行者タイムリーパーの能力を失うのは確実らしい。

 いま記憶をすべて失うわけにはいかなかった。


 奥の部屋で病に伏せる女性の前に、騎士団長アスレはサイモンを連れてきた。

 騎士団長アスレは、「母親だ」と憎らし気に言った。


「私の知っている『ドラゴン』は、彼女ぐらいだ」


「『混交竜血』だな……どうして治さない? お前なら簡単に薬が手に入るだろう」


「受け付けないんだ」


 騎士団長アスレは、小さく首をふった。


「いずれ彼女が『ドラゴン』になる日、その血から『トキの薬草』を生み出せるはずだ。それは当家にとって、貴重な財産となる」


「いまは価格が大暴落していて、1本50ヘカタールで手に入るそうだが、それでもまだ財産になると思うのか」


「なんと、そこまで暴落したのか……いや、それでも戦争になればわからないだろう。軍が必要とすれば、まだ価値が何倍にもなる可能性がある」


「騎士団長アスレ、それはお前の嫌いな『竜騎士団』に必要とされるからじゃないのか?

 たとえ戦争になったところで、家族の命が助かる以上の財産がそのとき本当に得られると思うのか」


 戦争で家族を失ったサイモンは、そこだけは譲れなかった。

 シーラもきっと同じ事を言ったはずだ。

 騎士団長アスレは、深くため息をついた。


「そうだな……どうしてそんな事を言ったんだろう……」


 恐らく、彼にとりついていたのは、ゲームシステムに関わる運命プログラムだったのだろう。

 当初の状況から、どれほど状況が変化しようとも、変更不可能な設定だったのだ。


 サイモンは、彼女に向かって『トキの薬草』を選び、『つかう』を選択した。


 ベッドの上に、とぐろを巻く、凄まじく長大なヘビの影があらわれた。


 恐らく、これが6体目の『ドラゴン』だ。

 ぼんやり浮かび上がった名称は、ティアマトと読めた。


 伝承によると、荒れ狂う海の女神。

 周囲からその力を恐れられるが、ひたすら害されても我が子をかばい、己からは何もなさなかった慈母の化身。

 最後は周囲から戦いに利用されて、なにも成せぬままに息絶えたという。

 ただ世界を創造しただけの、悲しき怠惰の魔竜。


 すうっとドラゴンの影が消え去り、女性の顔色が若干良くなった。


 クエスト達成:ドラゴンの討伐


 これで、残る『ドラゴン』はあと1匹となった。

 だが、アカシノから聞いた話を思いだして、サイモンは気がふさいだ。


 ……最後の卵は、孵化しない。


『ドラゴン』を全て倒したところで、『ジズ』を追い払う事は不可能だ。


 メインストーリーに関わる部分なので、今からプログラムを書き換えたところで、実装できるのは、秋アプデと同時になるらしい。


 ……間に合わない。

 ならば……戦うしかない。


「……サイモン軍曹、礼を言う。もし、私に力になれる事があるなら、言ってくれ」


 騎士団長アスレは、そう言った。

 サイモンは、まっすぐに彼の眼を見て言った。


「騎士団長アスレ、俺は『ジズ』を倒したい」


 騎士団長アスレの家では、家紋にもなっている神聖な鳥だった。

 だが、恩義を感じている彼は、サイモンの言葉を受け止めた。


「構わん、鳥は鳥だ。そこまで執着している訳ではない」


「お前の軍隊を貸してくれ。今朝、魔の山に登った連中がいるはずだ、彼らをそのまま借りたい」


「戦闘もろくにできない新兵たちばかりだぞ?」


「いや、それでいい」


 サイモンには、秘策があった。

 たった一つの秘策だ。

 この世界では、上がったレベルは元に戻らない。


「任せてくれ、俺が彼らを最強の軍隊に鍛え上げてみせる」


 残り時間は、38日。

 その間、時間遡行者タイムリーパーとしての能力を最大限に活用しなければならない。


 最後にはサイモンの『ドラゴン』を倒し。

 倒すことが不可能な『ジズ』を倒す。

 そして次のアップデートまで、村を守り抜くのだ。

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