世界の果てを目指して
リアルの時刻は、午前9時20分まえ。
まもなく、世界の日付が切り替わる頃。
はるか沖の孤島でひっそりと孵化しつつある卵を見つけて、サイモンは戦慄した。
「孵化しかかってる……親鳥が近くにいるのか」
「1個じゃないみたいよ」
シーラに言われて、よく見ると、森のさらに奥には、同様の巨大な卵がいくつも乱立していた。
すでに割れて中身がないものをのぞけば、この島に『ジズの卵』は計5個。
まだ卵があるのは、この島だけとは限らない。
ひょっとすると、親鳥を倒したところで、『ジズ』の脅威はなくならないのではないか。
そのとき、久しぶりに、ぽーん、という音がして、リアルの世界からチャットが送られてきた。
魔法使いだった。
仕事の合間を見つけて、先程のチャットに返答してくれたらしい。
『ちょっとしか話せんが、『ジズ』について知りたいのか?』
「ああ、頼む」
『Wikiによると、『ジズ』は『ドラゴン』を探して世界を飛び回る巨鳥らしい』
じつは、先ほど騎士団長アスレにも同様の話を聞いていた。
騎士団長アスレの家では神聖な鳥として崇めていて、ヘビを足で掴んだ鳥が家紋になっているそうだ。
このヘビは彼らの主食である『ドラゴン』を表していて、巣に持ち帰って、ヒナに与えて育てているらしい。
その巨鳥が現れるところには、必ず『ドラゴン』がいる、という伝説だそうだ。
「なるほど……今、そいつの『巣』らしいものを発見したんだが」
『お前、村の門番じゃなかったのか。村はどうした』
「今、訳あって村には戻れないんだ。そいつの巣に関する情報はあるか?」
『最高だな、お前、絶対このゲームの主人公だよ。
まあ、『ジズ』の巣そのものは第2シーズンで『船』が解放された直後に見つかったよ。海域をくまなく走り尽くしてたから』
「相変わらず凄まじい行動力だな、お前たち(ブルーアイコン)は」
『その島には卵が7つあったが、うち一つは割れていたはずだ』
「数があわない。いま卵は5つしかない、あとは割れている」
『誰かがフレイムドラゴンみたいなボス級の『ドラゴン』を倒したのかもしれないな』
と魔法使いは言った。
『別の島にも全く同じ巣があって、その島の近くにある陸地の『ドラゴン』が倒された数だけ、ひなが巣立っていく、という噂がある。
ファンの考察だが、卵は7つで『ファフニール教団』の七使徒と数が一致しているし、たぶん間違いではないだろう』
サイモンには、思い当たる節があった。
たしかにさっき、クエスト達成『ドラゴンの討伐』の通知があったばかりだ。
では、いま孵化しようとしているのは。
そのとき、頭上の満月の光が途絶えた。
見上げると、凄まじい巨大さの鳥が島に降り立っていた。
長旅の疲れを癒すかのように、静かに翼を折りたたんでいる。
太いくちばしには、合成魔獣キメラのようなトカゲがくわえられていた。
サイモンには見覚えがある、『ファフニール』だ。
天空の城のような巨鳥のアイコンは、頭に隠れて見えないが、その隣に浮かんでいる名称は『ジズ』と読み取ることが出来た。
「大きい……ごくり……」
シーラが何かを想像して、喉をならしていた。
さすがのシーラも、手当たり次第モンスターを倒す戦闘狂ではない、剣に手をかけてはいるが、こちらから無闇に攻撃したりはしなかった。
『ジズ』の足元で、ごとごと動いていた卵が殻をやぶり、ぴーぴー鳴き声をあげるヒナが生まれた。
ヒナも家ぐらいの巨大さで、アイコンに巻きついているライフゲージが天使の輪のようになっている。
親鳥も目の前にいることを考えると、とても倒せそうになかった。
『ジズ』は、口にくわえていた巨大な『ドラゴン』をヒナに与えると、ヒナの体にへばりついている卵の殻をくちばしで取り除いてやっていた。
『ファフニール』を丸のみにしたヒナは、見る間に成長し、羽ばたきはじめた。
白い羽毛が生えそろい、一回り小さな巨鳥になる。
神聖な鳥、と言われると、確かにと思えるほど神々しかった。
「なるほど……そういう事か」
これで7つの卵のうち、3つが孵ったことになる。
レイドパーティーが『フレイムドラゴン』を倒した。
オーレンに宿っていた『ドラゴン』を倒した。
ギルドマスターに宿っていた『ファフニール』を倒した。
ならば、残り4つの卵のいずれかは。
サイモンの中に宿っている『ドラゴン』が倒されたときに、同じように巣立っていくのだろう。
卵がなくなれば、『ジズ』はこの島には用なしになってしまう。
世界の東から西まで届く異様に広い翼を広げて、『ジズ』は島から飛び立った。
方角は、次なる『ドラゴン』のいる場所。
まっすぐ港町のある陸地に向かっている。
『ジズ』は……そもそも倒せるのだろうか?
ひょっとすると、倒さなくてもいいのかもしれない。
こいつは『ドラゴン』を探しているのだ。
代わりに、陸地のどこかに潜んでいる『ドラゴン』を倒す必要があるのだとすれば。
サイモンが知っている『ドラゴン』は、もう1人。
港町の受付嬢メイシーだ。
残る卵は、あと2つ。
魔の山周辺の、いったいどこにいるのだろうか。
「あーあ、惜しかったなぁ。ぜんぜん隙がなかった……鳥のくせに」
シーラが、巨鳥の飛び立った先を眺めて、ぽつりと漏らした。
どうやら、本気で食べるつもりだったらしい。
「もう一体、若いのがいるぞ」
「うーん、気が進まない。その子なんかサイモンのこと、気に入ってるみたいよ?」
先ほど『ファフニール』を食べて、成長した若鳥を、サイモンは見上げた。
そいつが首をかしげて、サイモンをじっと見降ろしている。
どうやら本能で次の『ドラゴン』が分かるらしい。
「……いや、俺に懐いてるんじゃないな、こいつは。俺からヘビが出てくるのを待っているんだ」
リアルの時刻は、すでに9時20分。
この世界の日付が変わっていた。
サイモンが人間の姿でいられるのも、あとわずかだろう。
「……シーラ、よく聞いてくれ、あの鳥は、俺を狙っている」
時間が差し迫っているのを感じたサイモンは、シーラの肩を掴んで言った。
「俺は、このままボートで遠くに逃げるつもりだ。お前は、どうにか生き延びてくれ。
村に帰ったら、みんなによろしく頼む」
「ダメよ、サイモン。あの鳥と戦うのなら、私も行くわ」
本当の事を告げたら、シーラに切り捨てられるかもしれなかったが、もうそんなことを考えている余裕はなかった。
だまって逃げたところで、どうせ泳いでついてこられるだけなら、シーラを信じて真相を打ち明けるるしかない。
「シーラ……お前が本当の事を打ち明けてくれたから、俺も本当の事を言おう。俺は『ドラゴン』なんだ。
もうすぐ人間ではなくなってしまう。だからもう、別れよう」
「サイモン……知ってるのよ、それでも私は貴方と一緒に行くと決めたの」
「なんだって?」
「私、貴方にオーレンと同じ傷跡があるのを知っているの」
サイモンは、思わず自分のお尻に手をあてた。
いったい、いつ見られたのだろうか。
シーラは、サイモンの腕を掴み返して、まっすぐに目を覗き込んで言った。
「サイモン、本当の私の事をあなたは知らないわ。私はいつも、ウソばかりついてるのよ。
私、貴方の前ではずっとか弱い女の子のふりをして、こっそりアピってたのよ。
本当は『ドラゴン』を倒せる自信があるのに、倒せないふりをしていたのよ。
私が困るって言ってるとき、本当は、たいがい困ってなんていないのよ」
「ああ、知ってるよ」
「本当は、貴方の血でも『トキの薬草』が出来ることを知っていて……いざという時は、オーレンの為に犠牲にするつもりだったのよ」
「それは、知らなかったな」
サイモンは知らなかったが、歪められる前の【最初の筋書き】では、シーラの導きによってサイモンは命を落としていた。
『混交竜血』の調査をするという名目の騎士団長アスレに、シーラは素直に協力し、村まで案内していたのだ。
それが『竜騎士団』を結成するための調査ということは事前に知っていたが、村にいる病弱な弟を軍に差し出すつもりはなかった。
元軍人のサイモンなら適役だと判断したのだ。
結果的に、騎士団長アスレにサイモンは討たれてしまう。
どうやらサイモンは、大筋ではシーラに裏切られて命を落とす運命にあったらしい。
だとすると、今までの彼女の何もかもが、ウソだったということになる。
「でも、それもウソだ。だって結局お前はそうしなかっただろう、シーラ」
いくつもの世界線があって、いくつもの結末があった。
けれどもシーラは、けっきょくサイモンを裏切ったことはなかった。
サイモンには知るよしもないが、シーラの中で、なにか運命を変える大きな出来事があったのかもしれない。
「わからない、よく覚えてないわ」
シーラは、本当に困ったように眉をよせた。
「どうして『トキの薬草』で治さなかったの? もう手遅れなの?」
「すまんな、俺もまったく気づかなかったんだ。医者によると、どうやら筋肉が分厚すぎたらしい」
「筋肉のせいなの? もう……本当にあなたらしいわ、サイモン」
「シーラ、俺は愛がどういうものかは知らないが、お前と出会えて、本当に良かったと思う。
お前は知らないかもしれないが、いくつもの世界で、お前は戦う事しか頭になかった俺の、帰るべき場所になってくれたんだ。
だから俺は、今は遠くに離れなければならない。シーラ、お前はこの島で、ずっと俺の船を見守っていてくれ」
サイモンがシーラの髪を撫でて、ボートへと駆け出すと、若鳥もその後ろをひょこひょことついてきた。
シーラは、ずっとその場に立ったまま、遠ざかっていくサイモンに呼びかけた。
「サイモン、私も愛がどういうものかは忘れてしまったけれど、たとえ世界が変わっても、貴方にもらった勇気だけは覚えているわ。
お願い、私を待っていて。何年かかっても、私は貴方を取り戻してみせる」
サイモンはシーラの言葉を背に、砂浜に乗り上げたボートを海に押し出すと、そのまま上に飛び乗った。
オールで海面を割るように叩くと、勢いよく波間に飛び出していった。
「こいよ、若鳥。どこか居心地のいい洞窟でも見つけてくれ。俺はそこでドラゴンらしくうずくまって、勇者が来るのを待とう」
サイモンは、まだ若い『ジズ』を背後に引き連れて、やがて意識が途絶え、いつもの朝にリスポーンするまで、世界の果てを目指して漕ぎ続けたのだった。