最初の筋書き
「彼女は冒険者として、前人未到の功績を残さなければならない英雄なのよ、恋愛なんてもっての他だわ!」
どうやら受付嬢は、アスレとシーラ、それぞれのファンが2人の仲を引き裂く前の筋書きを知っていたらしい。
というより、受付嬢メイシーこそが、2人を引き離そうとする工作員の筆頭だったのだ。
最初の筋書き、つまり第三シーズンが開始された時点での事を、受付嬢メイシーはこう振り返った。
「シーラはこの日、冒険者ギルドに来る予定だった。『トキの薬草』の依頼を更新するために必要だったのよ。
それがいつの間にか弟が回復したことになって、来なくなっちゃったけど……きっとこれはサイモンの仕業ね」
いずれにしろ、シーラはこの時、ギルドマスターから王国軍の調査に同行する特殊なクエストを受け、魔の山にいる騎士団長アスレと同行するはずだったのである。
そこで受付嬢メイシーは、シーラが直接ギルドマスターの所に行く必要がないようにしていた。
カウンターでHランクの依頼を渡せるように、あらかじめ準備をしていたのだ。
「じゃあ、元の展開だとその後どうなってたの?」
「騎士団長アスレは、冒険者シーラと夜のうちに村にたどり着くと、門番のサイモンが『混交竜血』だと見抜いて、接戦の末に退治してくれたのよ」
「えー、サイモン負けちゃう予定のキャラだったの? あんなにカッコいいのに?」
どうやら、今のようにチートに目覚め、レベルを上げる前のサイモンでは、騎士団長アスレには勝てなかったのだ。
だが、元軍人で冒険者のサイモンは強く、一筋縄ではいかなかった。
国王軍は苦戦し、その間に、もう一人の『混交竜血』であったシーラの弟が『覚醒』してしまう。
シーラの弟は極大ブレスで村一帯を破壊し、『ドラゴン』になって帝国の方へ逃げ去ってしまうのだ。
村を破壊され、愛する弟を失い、悲しみに暮れるシーラ。
だが、そんなシーラを騎士団長アスレは力強く励ますのだった。
非情な騎士団長の本心に触れて、氷のように冷たい彼女の心が緩やかに解けていく。
帝国から弟を取り戻す決意を固めたシーラは、騎士団長アスレと手を取り合って、次なる戦いの地へと向かうのだ。
「……という筋書きだったのよ」
「わぁ……騎士団長アスレって、主人公だったんだ……私たちが、だいぶん歪めちゃったなぁ……歪めてよかった気がするけど」
キャラクターデザインの神様(GM)であるアカシノからの情報によると。
企画の段階では聖剣使いと魔剣士のカップルを中心に、一癖も二癖もある仲間たちが集まり、彼らの青春冒険活劇をメインストーリーにして世界を展開していく、という予定だったそうだ。
いま、この主人公2人はメインストーリーにまるで絡んでいない。
いつまでもスタート地点の魔の山でうろうろしている、ただの脇役になってしまった。
一体どうしてこうなってしまったのか、とアカシノも首をかしげていた。
クレアには、ようやく分かった。
その主な原因であったのは、受付嬢メイシー。
彼女が時間遡行者だった。
そのことこそ、きっとゲームを根幹から歪めてしまう、正真正銘の『バグ』だったのだ。
「こんなイチャラブ展開がシーズン毎にあったものだから、私もブルーアイコンの同志諸君も、だいぶ神経を尖らせてきたのよね」
受付嬢は口を曲げて、ふーっと、息を吐いて、前髪を膨らませた。
「あの男、ちょっとシーラと引き離されただけでやる気を失って、山登りにダラダラと2日もかけたのよ。
おまけに今回はドラゴンの噂を聞いただけで街まで引き返してくるなんて……。
正直、こんなに面倒くさくて使えない奴だとは思わなかったわ……」
彼女の怒りが、サイモンよりも、まずは騎士団長アスレに向かったのは、当然といえば当然なのだった。
その怒りの矛先が、ようやくサイモンに向かおうとしている。
受付嬢は、シーラの写真をがさごそと制服の胸元に仕舞うと(ホワイトアイコンなのでアイテムリストに収納できない)、アイコンの肩書きを『冒険者ギルド受付嬢』にぱっと戻し、何事もなかった風を装いながら、クレアに言った。
「ご協力に感謝します。今後、シーラの撮影をするときは、私に連絡をください……そうだ、あなたにステキな使役獣をプレゼントします」
「使役獣?」
受付嬢が口笛を吹くと、空から1羽の小鳥がやってきた。
そのままお菓子にして食べられそうな可愛らしい小鳥である
小鳥は、そのまま2人の頭上に降下してくると、ぽすん、とクレアのネコミミフードに乗っかった。
クレアは、おお? と興味を示して、ネコがふんふん嗅ぎまわるように色んな角度からそれを見ていた。
「危険が近づいたら知らせてくれますし、軽い戦闘ぐらいだったら一人でもこなせます。あなたにはぴったりなお供ではありませんか?」
『宮選暗殺者』スキル第8階梯、『使役獣』だ。
索敵、陽動、潜入、戦闘など、さまざまなスキルをもつ使役獣をフィールドに放つことで、作戦能力を大幅に拡大する、暗殺術の最高スキルである。
暗殺者にも同様のスキルが存在するが、こちらは『1体ずつ』しか使えないようになっている。
受付嬢が何体の使役獣をフィールドに放っているのかは、誰にも分からなかった。
「今後は、その子と行動を共にするように。なるべくサイモンにぴったり張り付いて、観察し続けるようにしてください、わかりましたか?」
「は、はい……」
期せずして『二重スパイ』になってしまったクレア。
むろん、偵察用の小鳥であることなど、知る由もない。
受付嬢は、感情にかられて突飛な行動を起こしたりはしなかった。
時間遡行者の能力を駆使し、徐々に世界を書き換えてゆくしたたかさを持っている。
そうして、このゲームの主人公カップルを『破局』させた彼女の魔手は、いま着実にサイモンとシーラへと迫っているのだった。
***
リアルの時刻は、午前9時ごろ。
サイモンの世界では、シーラと並んで夕日を眺めている時間帯。
「べつに、今すぐお店をやめて、冒険者になれって言いたい訳じゃないわよ?」
「そうなのか」
「そうなのよ」
シーラは、寂しそうに膝を抱えて、「本当は冒険者になって欲しかった」と口には出さないが、表情で言っていた。
こんな表情をされたら、シーラに返しきれない恩があるオーレンなら、きっと心が動いてしまうに違いなかった。
「ただ、オーレンのお店が上手くいかなかったときとか、何かあって料理人をやめたくなったときとか。
……そういう時に、なにもないよりも、冒険者に戻る道があった方が、オーレンの為になると思うのよ、そう思うでしょ? なによ、サイモン、その不満げな顔は」
サイモンは、ぶんぶん首を振った。
「分かってないな。オーレンの店が上手くいかないはずがないだろ?」
「なによその自信」
「あいつもきっとそう思っているよ。だって料理をするときのあいつの楽しそうな顔を見てみろよ」
「でもさ、ヘカタン村って、つい最近まで料理店なんてなかったでしょ? 災害で市場にずっと食べ物が入って来ない時とかがよくあったのよ」
「いまは違うだろう? 冒険者が沢山来るようになったじゃないか」
「いまはそうでも、万が一何かがあって、また昔みたいなことになったら……ふかし芋ぐらいしかメニューに出せなくなったら、きっとお店をやってても楽しくなんてないわよ……」
「それでも大丈夫だよ。オーレンなら」
「……そうかもしれないけどさ」
「何があっても、あの店は俺が全力で買い支えてやる」
「もう、本当にサイモンは食いしん坊ね」
シーラとたわいもない話をしながら。
サイモンは、この後どうするかで、ずっと悩んでいた。
最後の『トキの薬草』をギルドマスターに使ってしまった以上、サイモンはこのままだといずれ『ドラゴン』になってしまうだろう。
かといって、前のように『トキの薬草』を作るのは難しい状況だ。
なぜなら、彼が薬草を作るためにロストしたとき、リスポーンするのは、決まってヘカタン村の入り口だ。
そうすると、いまはヘカタン村に大量に集まっている冒険者たちの注目の的になってしまう。
さらに、深夜のレイド戦に参戦しようとしているプレイヤーたちも、ヘカタン村が怪しいことに気づいて調査している最中だ。
彼らに監視されている目の前で、サイモンが崖から連続で飛び降りて自分のドロップアイテムを手に入れ、レイドボスではなくなってしまったら、一体どうなるか。
たぶん、サイモンでも不審な動きだと思うはずだ。
『ドラゴン』を狙っていたプレイヤーなら確実に、バグではないかと運営(GM)に報告をするだろう。
サイモンが討伐されてしまえば、そのままサイモンのいない世界線が始まってしまう可能性があるのは、いまも変わらない。
何らかのトラブルで『トキの薬草』を拾えないまま時間がなくなって、そのまま『ドラゴン』になってしまうようなヘマも許されなかった。
「仕方ない……やれる事からやっていこうか」
ひとまず、サイモンの次の課題は決まった。
ヘカタン村に人が大量に集まっている今の状況を、なんとかしないといけない。
それができるまで、『トキの薬草』の生産は中止だ。
方針を固めたサイモンは、隣にいるシーラに呼びかけた。
「シーラ、俺はどこか遠くに行こうと思う」
「どこに?」
「わからない……どこか、人のいない所がいい」
「…………」
シーラは、何も言わなかった。
いつか、村を出て行こうとするサイモンを泣きながら止めてきた、あの時とは違う。
どこに行くかは、サイモンも特に決めていなかった。
彼が『ドラゴン』になるときに、ヘカタン村を襲わなければ。
最悪でも誰かの目につかなければ、どこでもいい。
桟橋にはボートが1艘繋いであった。
サイモンは、ボートを指さして言った。
「そうだな……あれで海に漕ぎ出して、時間の許す限り、遠くまでいこうと思う。
世界の果てはどうなってるのか、ちょうど気になってたんだ……」
「サイモン」
そのとき、『オーレン』のネームタグを大事に握りしめていたシーラの手が、ぎゅっとサイモンの手を掴んだ。
シーラの温かい指先から、強い意志が伝わってくる。
気がつくと、辺りはすっかり薄暗くなっていた。
夜空に星が輝き始めて、それがシーラの真っ直ぐな瞳に落ちていた。
「お願い、私も連れていって」
神様(GM)が言った通り、シーラは、世界に旅立つことが決まっていた少女だった。
海の向こうに、顔も知らない仲間たちがいる事を。
世界はいずれ、彼女の力を必要とする事を直感していたのだ。
最初の筋書きに記されていた運命が、大きくゆがめられ、遠回りをしながら、いまになってようやく動きはじめたのである。