ヒーローデビュー③
「そこの角を曲がれば迎えが待っている。今なら誰にも見られないだろうから急いでくれたまえ」
ラッセルに急かされながらアリスは息を荒げ人気の無い路地を走る。
以前からヒーローやヴィランたちはどうやって誰にも見られず現場から消えているのか不思議だったアリスだが、ヒーローになってみてそのタネを知ってしまえばなんてことは無い。
街中の監視カメラや携帯のGPSなどをハッキングし、誰にも見られないルートを割り出して撤収していただけだった。
もっとこう、秘密の抜け道や専用のビークルで華麗に移動してるのかと思っていたアリスは案外地味な手段だったことに夢を壊され、がっくりしつつも足を止めずに走り続ける。
言われた通りの路地を曲がるといつもの車が待っており、息も絶え絶えに後部座席に滑り込む。
「お疲れ様でした。こちらをどうぞ」
投げ捨てる様にマスクを外したアリスに、ラッセルの部下はスポーツドリンクを差し出す。
受け取ったアリスは、それをボトルを潰しそうな勢いで一気に飲み干した。
南国の気温の中でウェットスーツにマスクにアーマー、それも黒と言う太陽光を一身に集める色で染められた衣装で白昼走らされれば、誰でも熱中症一歩手前になるのは当然だ。
「怪我をされたようですね。こちらをどうぞ」
言われて気付いたアリスが腕を見ると、少し出血していた。
たいして深い傷でもないようで、興奮とパニックのせいでドバドバ出ていたアドレナリンで気づかなかったようだ。
「ありがとうございます。新しいの、お返ししますね」
「お気に為さらず、安物ですから」
渡されたハンカチで傷を抑えつつ、アリスは気が緩んだせいか意識が段々と遠のくのを感じ、そのまま流れに身を任せて意識を手放した。
眠ってしまったアリスをブラックベースまで誰にも見られぬよう連れ帰ったラッセルの部下は、簡易ベッドに彼女をそっと寝かすと装備を外し、怪我の手当をし始める。
「お疲れ様、サイレンスフェイス。今も銃の腕は落ちてはいないようだね」
「ボス、その名前は止めて下さい。貴方がDr.スマイルの仮面を脱いだ時、その名は捨てましたから。今の俺はただの運転手、ジャック・サイカです」
にやにやしながら近づいてくるラッセルに目もくれず、ジャックは手当を続ける。
ビシッと一切着崩さないスーツに軍人時代から変えていないという刈り上げた頭、サボるという概念を知らない働きぶりに一度たりとも見たことの無い笑顔。
世界各国からありとあらゆる人種が集まるフロイテッドシティでは左程珍しくも無いアジア系の大男であり、真面目と辞書を引けば例として彼が乗っているのではとさえ思うの程真面目な人間、それがラッセルのジャックに対する印象だ。
確か先祖は日本出身と言っていたのを聞いた覚えがある。
何故そんな彼がDr.スマイルだった頃から、正反対のタイプである自分に付き従ってくれているのかラッセルには分からない。
ただ一つ言えるのは、彼はどんな場面でも自分を裏切ることはしないということと、狙った的は外さないということだけだ。
「手当は終わりました。何か他にすることはありますか」
「じゃあまた適当に甘い物でも買って来てくれ。彼女が目覚めたら宥めるのが大変そうだからね」
ジャックは救急箱を片づけると、そのまま言われた通りに買い出しに出かけていく。
ラッセルはジャックを見送りながら笑い出す。
スーツの大男が真顔で大量に甘味を買い込む姿を想像してしまったからだ。
「やっぱり無理だったじゃないですか! 私死ぬところだったんですよ」
数時間後、目覚めたアリスは着替えると汗を吸って重くなったスーツをラッセルに投げつけながら喚き始めた。
銃弾の雨あられに晒され、挙句の果てに熱中症寸前で走らされれば誰だって怒るのは当たり前だ。
もちろん精神科医のラッセルがこの程度のことを予想していない訳が無く、机の上のジャックが買って来た大量のお菓子の中から適当に手に取り隠し持っていたドーナツを、詰め寄って来るアリスの口に素早く押し込む。
喋っている途中、急に口内がパンパンになったことでアリスは口をもごもごさせるが、次第に舌が甘味を感じだしたのか、ラッセルへの文句はどこへやら、ゆっくりとドーナツを味わい始めた。
リスみたく頬をパンパンにしたアリスに、自分がドーナツを突っ込んでおきながらラッセルは笑い転げる。
やがて口の中が空になったアリスは文句の続きを言おうと口を開くが、再びドーナツを突っ込まれた。
数回同じやり取りを繰り返した結果、アリスは遂に文句を言うのを諦めて机の上のお菓子を自主的に口に運び始めるのだった。
「そうそう、今日の君の活躍がニュースになっているよ」
ラッセルはモニターにニュースサイトを表示させ、両手に大きなクッキーを持ちながらアリスは文面を読み始める。
見出しには、「不敬なブラックガーディアンコス女の暴走、保険で賄切れない被害に店主涙する」と書かれていた。
「私、命懸けで犯人捕まえたのに酷くないですか! これじゃあ私が悪者みたいじゃないですか」
がっくり肩を落としながら、ストレスのせいかお菓子を更にドカ食いし始めるアリスの肩にラッセルは手を置き励ます。
「ヒーローなんて始めは皆そんなものさ。御父上だって自警団気取りの不審者とか最初は言われていたしね」
まだヒーローやヴィランなどと言う呼び名が無かった頃から活動していたブラックガーディアンも活動初期は、犯罪者だけではなく市民からも得体の知れない存在として忌み嫌われ、警察に追われることもあった。
だが、ブラックガーディアンは誰に何と言われようとも犯罪者と戦い続け、数多の事件を解決していく内に少しずつ市民から支持を得るようになり、幾度もぶつかった警察とも和解して協力体制を取り付けた。
そんな頃であった、並みの犯罪者とは一線を画す技術や能力を持つ者をヴィラン、警察では対応しきれないヴィランに対抗し、見返りを求めず果敢に闘う者たちをヒーローと呼ぶようになったのは。
「初陣にしては君はよくやった方だと私は思うよ。生き残っただけでも及第点さ」
つまり、今頃死体袋に詰められている可能性もあったのかと想像してしまったアリスはぶるりと身震いする。
ブラックガーディアンの死後、彼に感化されたり後釜に座って金儲けをしようという邪な考えでヒーローを名乗り、事件現場に奇妙な衣装に身を包んで現れる者はごまんと居たがその多くはヴィランに返り討ちにあって大怪我をする実力の無い者や銃声一発で逃げ出す意気地無しばかりで、最悪の場合は命を落とす者までいた。
だからラッセルの言う通り、生き残っただけでも及第点、物的被害は甚大でも死者を出さなかっただけ寧ろ初陣にしては十分な成果と言えるだろう。
少しばかり手助けがあったとしても。
しかし、あまり褒めると調子に乗って足元を掬われるのがお約束というものなので、ラッセルはそこまでは口にしなかったようだ。
「とりあえず今日はもう帰るといい。おっと、家では一人になるまではこれを羽織っておきなさい」
ジャックが扉を開け待っているエレベーターに向かおうとするアリスにラッセルはカーディガンを羽織らせる。
まだ体が冷え切っておらず、汗が止まらないというのに何故羽織らないといけないのかと言いたげにアリスが嫌そうな顔をするので、ラッセルは傷を突いて理由を理解させた。
「イタ! ちょっと止めて下さい、傷を隠せってことですね。分かりましたから……しつこいですよ!」
笑いながら傷を突き回してくるラッセルから逃れるようにエレベーターに乗ったアリスは、手を振ってくるラッセルを無視して扉を閉めた。
マイペース投稿ですがお付き合い頂けると幸いです!
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