オープン―⑦
ボスからの突然の命令でクレバスの構成員たちは大慌てで用意を整えた。
ある程度は自分たちのアジトを潰して回るコスプレ女への対策を立ててから行動すると思っていた幹部たちは、ただでさえ方針の百八十度転換への対応に追われていたのにも関わらず武器や兵隊などを集める羽目になり大わらわとなったが、鮫の餌になりたくない一心で彼らは辛うじてボスの命令を果したのだった。
一方のアリスたちも何やらボロボロの病院に汗だくになりながら大荷物を運び込んでいた。
「ラッセルさん、本当にクレバスは襲ってくるんですか?」
「まず間違いないだろうね。あの発表を見れば舐められていると思うだろうし、絶好のチャンスだとも思うはずさ」
珍しく自らも杖をつきながら手伝っているラッセルに何故だか説得力を感じたアリスは大人しく運搬作業に戻った。
こうしてそれぞれが準備に追われた次の日、二代目ブラックガーディアン陣営とクレバスの抗争に決着が付くのであった。
「絶対にしくじるんじゃないぞ。俺はこれ以上鮫を太らせる気はないからな」
車内で部下に喝を入れるサンドレは険しい表情を浮かべていた。
一晩経って少し冷静さを取り戻した彼は自分の判断が正しかったのか疑い始めていたからだ。
もしやこれはなんらかの罠なのではないかと。
部下たちも同じことを感じているらしく、無線越しにサンドレの言葉を聞いた他の車両に乗る者の顔も含めて皆いつもの強気はどこへやら、表情がどこか情けない。
サンドレは最悪の事態、病院で待ち構えているかもしれない警官隊との大規模抗争の可能性すら考え始めてしまう。
これ以上の事態悪化を防ぐために自ら赴いたのは失策だったかもしれないとすら思えてきたサンドレは、自分を鼓舞する意味でもこの考えを自ら否定する。
賄賂をやって飼っている警官からの情報では警察にそんな動きはないうえ、もし大量の警官がスラムにやって来ていれば悪目立ちしているはずなので情報網など使わなくとも誰だって直ぐに気付く。
それに自分の思い描く最悪のシナリオが現実の物になったとしても、大量に連れ来た部下たちを捨て駒にすればなんとかなる筈だ。
そう考えるとサンドレの胸中は少し穏やかになった。
こうして、サンドレがどうにかこうにか悪い予感を抑え込むのに成功した頃、ブレーキから伝わる振動が目的地に着いたことを彼に教えた。
車から降りたサンドレたちは情報と違う光景に驚く。
誰もいないのだ。
サンドレがそもそも今日病院を襲うように指示したのは、昨日の朝刊に載っていたとある記事が原因だった。
記事にはブラックガーディアン総合記念病院の修繕が終わり、改めてオープニングセレモニーを行うと書かれていたのだ。
さらに記事には、アリスのコメントが載っていた。
「私たちは決してマフィアなどという人々を食い物にする人の道から外れた無法者たちには屈しません。それを示す為にも私は例え如何なる妨害があろうとも当院のオープンを決行することにしたのです」
このアリスのコメントに、世間知らずの小娘に馬鹿にされた、舐められていると感じたサンドレは激昂し、必ずやこの小娘と病院を叩き潰すと改めて決心させた。
普段の冷静沈着な彼ならばこの記事の裏に潜む罠に気付けたのかもしれないが、ファミリーの方針を根底から変えねばならない程の失態を犯した部下たちへの収まらない怒りと、これからの対応を考えるだけで痛む胃のせいによるストレスで彼の精神は乱れに乱れており、彼は悪い予感通りの罠に引っ掛かってしまったのだ。
そんな罠にノコノコやって来てしまったサンドレの部下たちが混乱しながらもボスを守る為の陣形を整え、指示を仰ごうとした時、病院の屋上に人影が現れた。
「お前たち、この病院になんの用だ。診察して欲しいのならばまだ診療時間外だぞ」
腕組みをする人影、ブラックガーディアンのコスプレ女を皆一斉に見る。
「うるせえ! 俺たちはこの病院をぶっ潰しに来たんだ。それよりなんで誰もいないんだ、今日はセレモニーをやるはずだろ」
サンドレはボスとして皆が疑問に思っているであろうことを問う。
「あの記事はお前たちを誘き寄せる為に病院側に協力してもらい仕掛けた罠だ。セレモニー延期の連絡は参列者全員に行き渡っているからいくら待ったところで誰も来ないぞ。残念だったな」
にやりと笑うコスプレ女にマフィアたちは馬鹿にされたと怒り、一斉に銃口を向ける。
だが、彼らが引き金を引く頃にはコスプレ女の姿は消えていた。
何も空を飛んだ訳でも透明になった訳でもない。
ただ屋上の内側に引っ込んだだけの話である。
直ぐにそのことに気付いたマフィアたちは口々に怒りの声を上げながら病院へ突入しようとした瞬間、今度は彼らを激しい弾幕が襲った。
あわやハチの巣になるかとマフィアたちは急いで車両の陰に逃げ込むが、逃げ遅れた一人が銃弾の餌食になる。
地面に倒れこんだ彼を見たマフィアたちは違和感に気づく。
撃たれた筈なのに呻いてはいるが、血が出ていないのだ。
「おい、お前らビビるな! ただのゴム弾かなんかだ、死にゃしねえ。全員突っ込め!」
サンドレの号令にマフィアたちは病院を目指して再び突撃を敢行する。
「やっぱりゴム弾程度じゃ怯まないわね。どうするの、ラッセル?」
最上階の病室の窓からマフィアたちに向けてゴム弾を打ち続けながら問うてくるジェシカにブラックベースで指揮を執るラッセルは笑いながら答える。
「アハハハハハ、そりゃそうだろうね。恐らく彼らは失敗しておめおめと帰れば魚の餌になるだろうから必死に決まっている。少しでも数を減らせれば上出来というものさ。さあ、君はもうそこを離れるんだ。後はセントリーガンと我らがヒーローに任せればいいさ」
ラッセルの指示通りジェシカはマフィアたちが病院に入ってくる前にエレベーターへと乗り込む。
途中乗り込んできたジャックと共にブラックベースに下りると、ラッセルはナチョス片手にセントリーガンに付いているカメラからの映像を見ていた。
「貴方、人に命懸けのことさせといて自分はのんびり鑑賞とはいい御身分ね」
顔を隠していたスカーフを外し、呆れながら嫌味を言ってくるジェシカをスルーしながらラッセルは作戦第一段階の成果にそれなりに満足する。
今回の作戦、病院の偽セレモニーを餌にマフィアをおびき寄せる作戦の第一段階はアリスを囮にマフィアたちを院内に誘き寄せ、出来る限り入ってくる前にゴム弾で数を減らすというものだ。
そこでラッセルが用意したのがゴム弾を湯水のごとく放つセントリーガンだ。
暴動鎮圧用に開発されたものの、ターゲットの識別が出来ないうえに射撃精度がお世辞にも良いとは言えず、警察や軍に開発会社が売り込んだが相手にされなかった。
しかし、民間の警備会社や企業、研究所の警備部門などからは値段の割に制圧力があって良いとそれなに売れたらしく、細々とだが開発会社が製造を続けている品なのだ。
ラッセルの目論見通りセントリーガンによるゴム弾の絶え間ない弾幕と、低い精度を補うためのジャックとジェシカによる狙撃によってマフィアたちの数は半数にまで減った。
こうして運び込みと病室の窓際への設置に苦労した分の仕事はしてくれたセントリーガンだったが、院内に入り込まれてしまえば射角が合わなくなり。その役目を終えた。




