オープン―⑥
漆黒のスーツに身を包んだままのアリスは、机の上に山と積まれたスイーツやスナック菓子を次々に口へ運んでいく。
「見てるだけ胸焼けしてきそう。若いって羨ましいわね」
アリスのストレス解消の為の暴飲暴食を眺めながらジェシカが呆れた顔をする。
「彼女の悪癖なんだが、薬だなんだと下手な物に手を出されるよりは砂糖漬けにしておいた方が都合がいいからね。それしても十年後どうなっているか今からとても楽しみだ」
そもそも悪癖を生み出した原因であるラッセルの言葉など意に介していないのか、夢中で聞こえていないのかはさておき、アリスは血糖値を急激に上げることに勤しむ。
そんなアリスを放っておいてラッセル、ジェシカ、ジャックの保護者もとい大人たちは会議を始める。
モニターに映し出された地図には幾つかバツ印がつけられていた。
「ここ二日でそこそこの数を潰した訳だが、まだまだ数が多いな」
バツ印の数倍の数がある赤い点、アリスがまだ襲撃していないアジトの数を数えたラッセルが珍しく苦笑いを溢す。
クレバスのアジトの細分化はラッセルの予想以上であり、その種類もちょっとした倉庫からボロアパートの一室など多岐に渡る。
それぞれに役割が割り振られていることもあり、場所を特定するだけでも一苦労なせいで未だに当たりである襲撃犯たちのアジトを見つけられてはいない。
だからアリスは仕方なくアジトを片っ端から襲撃を繰り返しているのだが、このままでは埒が明かず、別の手を取るべきなのでは大人たちは考え始めた。
おまけに今日は下手をすればアリスが返り討ちに遭っていたかもしれず、これ以上のむやみやたらなアジト襲撃はリスクが高すぎるというのも理由の一つだ。
今日はアリスの食欲が暴走する程度のストレスを感じた位で済んだが、下手をすれば大怪我、いや、死んでいたかもしれないのだから当然の判断と言えるだろう。
「それでどうするの? アジトはいくつか潰せたんだから十分警告にはなった筈だし、しばらく様子見してどうにか共存していくのが一番リスクが低いんじゃない?」
「いや、そういう訳にはいかないさ。やるなら徹底的に、それこそファミリーそのものを潰してしまわないといけない。中途半端に生かすと思わぬ反撃にあうからね」
ラッセルの言葉にジャックは実感を込めて頷く。
実際二人は過去に多くのマフィアや犯罪集団を潰してきたが、最初の頃は詰めが甘かったことが幾度かあり、勢力を回復させた組織の反撃や生き残りが集まった集団からの報復などで散々な目に合った経験があるのだ。
そんな経験則から、マフィアと一旦事を構えたらとことんまでやるというのがラッセルとジャックの共通認識なのだ。
それこそ見るだけでゾッとする黒光りの虫と家で遭遇した時、その後一切見なくなるまで罠を仕掛け、薬で家中を燻すことも厭わない程徹底的に駆除するように。
「ボス、この際あの手を使うのは如何でしょうか」
「ふむ、確かにあの手なら手っ取り早いな。どうせもうボロボロで来週には修理が始まるのだし、もう少しばかり壊れたところで問題もないしね」
愉快なことになる予感がしたラッセルは笑い出し、いつものことだとなんの反応もしないジャックにジェシカは戸惑う。
「気にしないでいいですよ、いつものことですから。どうせロクなこと考えてないですけどね」
アリスがシュークリームを頬張りながら渡してきた強烈な甘さのチョコチップクッキーを思わず食べながらジェシカは好待遇と変人雇い主を天秤に賭けるのであった。
それから数日後、とあるアパートの一室で男たちが出前の中華料理が並んだテーブルを囲んでいた。
彼らはクレバスの幹部たちであり、ブラックガーディアン総合記念病院への今後の対応について話し合う為に集まったのだ。
「今回の件、どう責任を取るつもりだ」
高級そうなスーツを着た男、クレバスのボスであるサンドレから飛んでくると分かっていた言葉に武闘派たちを纏めている筋肉質の男が冷や汗をかきながら弁明し始める。
「今回の一件は部下の暴走を見逃してしまった私の責任です。強盗でも恐喝でもなんでもして必ず今回の件でファミリーが被った被害は弁償しますのでどうかそれでお許しくださいボス」
病院襲撃はクレバスの、ましてやサンドレの意向で行われたことではなかった。
クレバスの方針上、抗争や強盗などの荒事を担当する武闘派たちは普段あまり仕事がなく、暇を持て余していた。
それでも雇人のように給料は貰えるので大半の者は大して働かなくても金を貰えると満足しているのだが、一部の向上心が強い者たちは違った。
彼らは以前から他の薬などを扱う常時仕事がある部門と違い、活躍の場が少ないせいで出世の芽や昇給のチャンスが少ないと感じて不満を募らせていた。
そんな折、ファミリーの縄張り内にある廃病院がリニューアルオープンするという噂を聞いた彼らは絶好のチャンスだと考えた。
病院がオープンすれば今までファミリーが食い物にしてきたスラムの住民たちが、ファミリーの売人たちが違法に売っていた病気の薬や各種麻薬などを買わなくなる可能性が高い。
そうなればファミリーの収入はガタ落ちしてしまう。
だが、もし、自分たちが病院をオープンを妨害し、剰えオープンする前に廃業に追い込んでしまえば、ファミリー上層部からの評価が鰻登りなのではと彼らは思った。
こうして、武闘派たちの一部がまとめ役に伺いを立てず勝手に病院を襲撃した。
襲撃の報告をまとめ役を含めた上層部に鼻高々に報告した彼らを待っていたのは褒美ではなく激しい叱責だった。
上層部やまとめ役になんの許可も得ずに動いただけでも大問題、何よりも新聞にテレビにネットにと、ありとあらゆるメディアに著名人が集まるセレモニーがマフィアによって襲われたと報道されたのだ。
その時点ではまだファミリーの名までは報道されてはいなかったが、そんなものは時間の問題でしかなく、いずれ必ず名前は表に出る。
そうなれば出来る限り目立たず、波風を立てぬようにしてきたファミリーの苦労を水泡に帰すことになる。
そこまで考えず行動した愚かな彼らに下された処分は重く、実行犯たちは今頃フロイテッドシティの沖合で鮫の餌になっているだろう。
今回の会議で自分も海に沈められるのだろうと思い込んでいた武闘派たちのまとめ役は戦々恐々としていたのだが、彼に下された処分というより命令は意外なものだった。
「起きてしまったことは仕方がない。今までのお前の働きに免じて命までは取らん。それよりもこれ以上例の女が我々に手を出して来ないようにメッセージを送る仕事を与える。もう一度病院を襲え、それも徹底的に、その場にいた者は皆殺しにしろ」
命令の内容に会議に出席していた他の幹部たちも驚いた。
今までの方針と百八十度違う命令なのだから無理もない。
驚きからか口々に声を挙げる幹部たちをサンドレは机を叩き黙らせる。
「いいかお前たち、我々は今まで出来る限り目立たぬよう、裏に潜むことを徹底してきた。だが一部の馬鹿どものせいで表に引き摺り出されてしまった。こうなるともう裏に戻ることは出来ない。つまりこれからは表で生きていくしかないんだ」
ブラックガーディアンのコスプレ女と事を構えてしまっている以上、どう取り繕ったところで自分たちを敵と捉えているであろう彼女との抗争は避けられない。
だからサンドレは考え方を変え、目立ってしまうことを承知で徹底抗戦を選んだのだ。
それにこれ以上好き勝手にアジトを潰されてしまえば、弱い組織だと他勢力やヴィランに舐めら、縄張りを奪われる危険性が出てくるという切羽詰まった理由もサンドレの方針を変えさえた一因でもある。
ボスの決定に納得するか、納得しなくても逆らう気のない幹部たちはサンドレの決定に従う意思を示し、この日の会議は終わった。
それから数日後、朝食を取りながら新聞を読んでいたサンドレは病院再襲撃の決行日を決めたのだった。




