オープン―⑤
「……今日はもうマフィアの方はお休みにしませんか。私もう、ヘトヘトで動けないです」
ブラックベースの机に突っ伏しながらアリスは泣き言を言う。
朝からブラックガーディアンのスーツではなく、胸元の開いたビジネススーツを着せられたアリスは修理業者や医療器具メーカーなどの取引先との会議や打ち合わせに強制参加させられた。
食事を取る間も無くそれらは過密なスケジュールで立て続けに行われ、その全てに参加せざるを得なかったアリスの疲労は、慣れていないこともあって相当なもののようだ。
いつもならこういうことの殆どはラッセルがこなし、アリスは最後の契約を結ぶ際に書類にサインしてニッコリ笑顔で握手をする位しかしないのだが、襲撃事件のせいでそういう訳にいかなくなってしまったのだ。
元々立地や潰れる前の真しやかに囁かれていた黒い噂、というよりは真実のせいで、契約を結ぶことに難色を示す取引先が多かった。
それでもラッセルの巧みな話術による、半分騙していると言っても過言ではない交渉によって辛うじて契約や協力を取り付け、病院としての体裁を辛うじて整えた。
しかし、今回の襲撃事件によりそれ見たことかとばかりに契約や協力を打ち切ると言ってきた取引先が多数出てしまったのだ。
流石に自分だけでは繋ぎ留められないと判断したラッセルは、アリスを引っ張り出すことで急場を凌ぐことにした。
見目麗しい年頃の娘への下心と、アリスの過去への同情を利用しようという腹だ。
ラッセルの狙いはピタリと嵌り殆どの取引先は契約や協力体制の継続に同意。
どうしても落とせなかった相手もいたが、なんとか代わりを見つけることが出来た為、どうにかこうにか再びオープンの目途が立った。
「そういう訳にも行かないさ。ほら、時間も無いのだからグチグチ言っている暇があるならさっさと食事と仮眠を取った方が賢いと思うよ」
ラッセルに促されたアリスは嫌々ながらもジャックが運んできた食事をハムスターのように頬をパンパンにしながら口に詰め込み、忙しなく食事を終えると深夜まで仮眠を取るのだった。
深夜、ブラックガーディアンのスーツに着替えたアリスは街灯が少なく暗いスラム街を駆け回る。
一か所目のクレバスのアジトは昨夜と同じく、然したる抵抗も無く制圧することが出来た。
だが、二か所目は違った。
他のアジトを襲撃したのと同じように電気系統に細工をしたアリスが明かりが消えたのを確認してから侵入すると、眩い多数の光に照らされた。
急いでマスクのナイトビジョンを切ったアリスの目に、工事現場用の発電機に繋がれ大量に設置されたスポットライトと手に大小様々な種類の銃を持ったマフィアたちが映った。
アリスの背中に冷や汗が伝う。
初めての事件、あの宝飾店でのことを思い出したからだ。
「話し合いで平和的にこの場を収めるというのは駄目だろうか?」
言ってみたところで無駄だと思いつつもアリスは両手を上げて戦う意志が無いことを示す。
思わぬ提案に面を食らったのかマフィアたちは引き金を引かずに口々に話すが、直ぐに彼らは結論を下した。
「散々仲間を豚箱送りにしてくれた奴と話し合うことなんかねえ!」
交渉が決裂したと感じた瞬間、アリスは物陰に隠れた。
アリスの判断は正しく、彼女がいた場所に鉛玉が雨あられと降り注ぎ、コンクリートの床が抉れていく。
いくら防弾のスーツを着ていてもハチの巣になっていたのではと思ってしまうほどだ。
「ラッセルさん、逃げていいですか、いいですよね!」
「別に構わないとも。逃げられるものならね」
鳴りやまぬ銃声に半べそをかきながら撤退の許可を求めるアリスだったが、遠回しに却下されてしまう。
実際問題、耳が痛くなるほど激しい銃声で分かるように物陰からほんの少しも動くことが出来ない状況であり、撤退は不可能だろう。
試しに落ちていた空き缶を投げてみたが、一瞬でリサイクル不能なほど粉々になってしまい、アリスは体を小さくして震え始める。
「ラッセルさん、あの、本気で助けてください。警察、いや、軍隊呼んでください!」
流石に今回ばかりはアリス一人では無理だと判断したラッセルは、もしもの場合を見越して待機させていた右腕に指示を出す。
「アリス君、この後直ぐ彼らは混乱するからその隙になんとかしなさい。チャンスは一度きりだから頑張りたまえ」
ラッセルに何が起こるのかアリスが問う前に、答えが起きた。
ほんの数秒の間に次々にスポットライトが撃ち抜かれ、砕けたライトの破片が落ちる音が響くアジト内は再び暗みに包まれた。
マフィアたちは明かりが消えたことに混乱し、引き金を引く指が止まる。
アリスも驚き混乱するが、急いでマスクのナイトビジョンを起動させると物陰から飛び出す。
マフィアたちの中でも一際大きな銃を持った大男の顔面にアリスは飛び出した勢いそのままに飛び膝蹴りをお見舞いした。
自分の体格に見合う、普段は弾代が掛かり過ぎるという世知辛い理由で使うことが許されていない銃の使用が許可され、日頃のうっ憤を晴らすかの如く引き金を引き続けていた彼の意識は歯が折れる痛みと共に途切れてしまう。
大男が倒れるのに二人ほど巻き込まれ動けなくなったとはいえ、まだまだ大勢いるマフィアたちが視界を奪われたショックから立ち直る前に全滅させるべくアリスはブラックスタッフを振るった。
濃密な弾幕を張る為に密集していたことが仇となり、アリスが懐深く突っ込出来たせいで同士討ちを避けるために銃を撃てなくなったマフィアたちは銃を鈍器代わりに振り回す。
しかし、視界を確保しているアリスにそんな乱雑な攻撃が当たるはずがなく、結局は同士討ちに繋がってしまい、よりマフィアたちは混乱してしまうのであった。
「く、くっそたれ……」
最後に残った一人の腹にフルスイングでブラックスタッフを叩き込んだアリスは、荒く息をしながら急いでその場を離れる。
耳が聞こえなくなりそうなほどの銃声が鳴り響いていたのだから当然、アジトの外まで銃声は届いていただろうから誰かが通報するに決まっている。
通報が無くともこのところのアリスとクレバスの抗争で警察がスラム街までパトロールに来ることが多くなっているので偶然近くにいてもおかしくはない。
だからラッセルに言われるまでもなくアジトを離れたのだが、案の定直ぐにサイレンの音が聞こえてきた。
流石に今日はもう他のアジトを襲撃する気力など微塵もないアリスはラッセルに許可を得ようともせず、重い足を引きずってブラックベースへと帰るのだった。




