オープンー②
「人的被害は飛び散った壁や窓の破片で軽症者が出た程度。だが建物は蜂の巣、せっかく大金掛けてしたリフォームもパーだ。これじゃあオープンは延期だね」
警察官が押し寄せ大騒動している玄関前と違い、院長室にはどんよりとした暗い空気が漂っていた。
病院オープンの祝うべき日が一転、謎の勢力の襲撃によって大惨事へと変わり果てたのだから当然だろう。
いつもならブラックベースに居るところだが、警察の聴取やら来賓への対応などやるべきことが多く、地下に姿を隠す訳にもいかなかったので、一応人払いをしたこの部屋で三人は人には聞かせられない話をしているのだ。
「母さん、今日は家に居て貰ってて良かったわ。次から窓は全部防弾にしておいてよね」
ジェシカの母は誘拐騒動以来、入院患者一号として入院していたのだが、今日はセレモニーで騒がしくなるだろうからと一時帰宅していたのが幸いし、事件に巻き込まれてはいない。
ちなみに今ジェシカ母娘が住んでいるのはコドクとアリスに滅茶苦茶にされた安アパートではなく、警備がしっかりした高級マンションだ。
ラッセルに雇われたジェシカは表向き、ブラックガーディアン総合記念病院の警備部主任いうことになっており、自分の治療費だけでは無くマンションに引っ越す金がどこから湧いたのか不思議がったジェシカの母はそれを聞いて納得したらしい。
「そうだね、スポンサー様に提出する修繕費の見積もりに加えておくとしよう」
「今日襲ってきたのって一体誰なんですか?」
誘拐事件以降、セシリアは計画を実行しておらず、アリスは定期的に隠し部屋に探りを入れてはいるが直近で何か計画している様子は無かった。
つまり今回の事件には関わってはいないのだ。
「まだ正確なことは分からないが、この辺りを縄張りにしているマフィアの仕業らしい」
ラッセルの説明によると以前病院を経営した組織を潰した後、しばらくの間はこの周辺は誰の縄張りでもなかったのだが、失意の日以降の混乱に乗じた新興勢力がその後釜に座ったらしい。
おまけに彼らは小狡い連中のようで、自分たちの縄張りから外には絶対手を出さず、更に商売も小規模に行うことで他の組織に目を付けられないようにし、ラッセルの情報網にも引っ掛かってはいたが左程問題視する必要のない存在と判断していたようだ。
「今回の件は私の調査不足だ、すまない。君の御母上の計画を警戒するあまりヴィランばかり調べていたんだ。僅かでも敵対する可能性のある存在に対してもっと情報を集めるべきだった」
珍しく素直に謝ってくるラッセルに明日は槍でも降るのかと思いながらもアリスは謝罪を受け入れる。
元より今回の件は誰の責任だとも思ってはいなかったのだから、そもそもラッセルを責める気も無かった。
「気にしないでください。それよりこれからどうしたらいいんでしょうか」
「そんなのもちろん決まっているさ。晴れの日をめちゃくちゃにされたんだから報復するに決まっているさ」
邪悪、としか言えない笑みを浮かべるラッセルに改めて目の前の男が元はヴィランであったことを思い出した。
「ほ、報復って何する気なんですか! マシンガン持ってアジトに突入するんですか!」
アリスの困惑した叫び声にラッセルは吹き出し、腹を抱えて笑い出す。
「アハハハ、映画の見過ぎだよアリス君。今どきのマフィアの報復はもっとスマートで現実的なものさ。……そう考えると今日の襲撃は随分とお粗末だな」
顎に手を当てラッセルは考え込み始めてしまう。
「とにかく情報を集めないと始まらないわね。ちょっといくつか伝手を当たってくるからアリス、貴女は今日のところは帰りなさい。娘への愛情については狂っていないお母さんが心配してるはずよ」
ジェシカも元警察官として思うところがあるらしく、それだけ言うと出て行ってしまった。
ラッセルも考え込みながらも聞いていたらしく、帰ってもいいか確認する視線を向けて来るアリスに頷く。
事件の後処理を終えたばかりのジャックに悪いと思いながら送ってもらったアリスは、玄関で警察の事情聴取を終えて帰って来たセシリアと鉢合わせた。
自分も危険な目に合ったにも関わらず、セシリアは娘の姿を見た途端に抱きしめた。
「心配してたのよアリス、貴女怪我は無い?」
涙を浮かべる母にアリスは分からなくなってしまう。
我が子へ無償の愛を注ぐ理想とも呼べる母親と残虐な計画を立て実行する狂気の犯罪者、どちらが本当の姿なのかと。
どう接するべきか悩み無言のアリスをセシリアは事件で酷くショック受けているのかと勘違いしたらしく、優しく肩を抱きながら部屋へと連れて行く。
折角立ち直り、自ら考え動いた病院再建計画が躓いたことで再び心が折れてしまっていないか心配で仕方がないようだ。
アリス自身確かに事件には大きなショックを受けてはいるが、以前のようにまた引き籠ろうとは思ってはいない。
銃口に晒されたのは初めてではないのだし、この程度のことで今更怖気づくほどにアリスの覚悟は甘くない。
だが、心配をかけていることは心苦しく思いながらもアリスは母の誤解を解く気は起きなかった。
しばらくこのままの方が、母が大人しくしてくれているのではと考えてしまったからだ。
結局もこの日もセシリアが気を使い、アリスを一人部屋でゆっくりとさせていた為、二人が夕食を共にすることはなかった。
翌朝、部屋に来た母を眠ているフリでやり過ごしたアリスは、彼女が出て行ってから起き出すと、自分も病院へと出かけた。
周辺を封鎖してる警察官に関係者であることを説明して中に入ったアリスは、ブラックベースへ降りて行った。
「おはようアリス君、昨日は蜂の巣にされかけたが眠れたかい?」
珍しく目の下に隈を作ったラッセルに、アリスは買ってくるよう頼まれていた濃いブラックコーヒーを渡す。
「貴方よりは眠れましたよ。少し仮眠を取ったらどうですか、ピエロの仮面を付けてる方がまだマシな顔になってますよ」
欠伸を噛み殺しながらコーヒーを啜るラッセルはまさか皮肉を言ってくるとは言わなかったアリスに思わず笑ってしまう。
「アハハハハ、まさか君に皮肉を言われるとはね。だが休んでもいられないさ、あんなことを仕出かす連中は早めに痛い目に合わさないと調子に乗って行動がエスカレートしていくからね」
何やらまた企んでいる様子のラッセルにアリスは気分が重くなる。
ラッセルの計画の実行役は自分なのだから、どうせまた自分が大変な目に合うのが分かり切っているからだ。
「あら、唯一の長所の顔が酷いことになってるわね。これ、襲ってきた連中のアジトのリスト。全部じゃないだろうけどね」
ジェシカの嫌味はいつものことなのでスルーしながら受け取ったリストと、自らが集めた情報を照らし合わせ始めた。
ジェシカも化粧で誤魔化してはいるが目の下にラッセルほどではないが隈が出来ており、こちらも夜遅くまで情報集めに奔走していたらしい。
アリスは一人だけのうのうと寝ていた自分を恥ずかしく思ってしまう。
そんな気後れしているアリスに気づいてか、ラッセルはモニターに地図を映し出した。
「さて、私たちと違ってたっぷりと眠ったアリス君には体を動かして一仕事してもらおうか」
地図は病院を中心とした近隣の詳細が掛かれており、いくつか赤い印が付いている。
言わずもがな、それは今回の襲撃事件を起こしたマフィアたちのアジトだ。
彼らは昔のマフィアのように大規模なアジトを持たずに小規模なアジトをいくつも保有しており、人員や商品を分散させ、抗争や摘発の際のリスクヘッジをしているらしい。
「もしかしてですけど、全部私が潰すんですか」
悪い予感が当たらないよう無駄な祈りを捧げながら訪ねるアリスに、ラッセルは満面の笑みで頷いた。
「君の御父上も庭の雑草を抜く位の感覚でよくマフィアのアジトを潰していたよ。私もアジトをよく襲撃されてその度に引っ越しする羽目になって大変だったよ。車の修理費もだが引っ越し費用も請求すれば良かったよ」
懐かしそうにとんでもない話をするラッセルを放っておきながら救いを求めてアリスはジェシカの方を見るが、目を逸らされてしまう。
「ジェシカさん、助けてくださいよ。元警察官なんだし伝手とかないんですか」
泣きそうな顔で縋り付いてくるアリスの頭を撫でならがもジェシカは首を横に振る。
「この辺のマフィアやらヴィランやらに警察は基本的に関わろうとしないのよ。スラム街に手を出せるほど人手が無いし、皆そういう連中から賄賂貰ってたりするしね。だからアリス、頑張れ」
サムズアップしながら苦笑いする唯一の常識人で希望であったジェシカに見捨てられたアリスは泣く泣く腹を括るのであった。




