オープンー①
ロープで簀巻きにされたアリスは芋虫のように床を這いながらエレベーターを目指す。
何としても、どんなに困難であってもこの場から逃げ出さねばならないからだ。
だが、あと一歩という所で長身の正装に身を包んだ女性に阻まれてしまう。
「ちょっと目を離したらこの様とは簀巻きにしておいて正解ね。アリス、気持ちは分からないではないけど貴女に逃げられると困るのよ」
首根っこを掴まれてしまいズリズリと引き摺られ、エレベーターから離されたアリスはジェシカまでもラッセルの味方になったことに絶望する。
だが、それも彼女の事情を考えれば仕方のないことだ。
「病院がオープンしてくれないと母さんが治療を受けられないでしょうが」
釣れたての魚よりもぴちぴち暴れるアリスに手を焼きながらも、再び逃げ出そうとする彼女の上にジェシカは座って抑え込み、完全に動きを封じた。
先日の誘拐事件以来、ジェシカはブラックベースに出入りするようになっていた。
理由はアリスの正体や計画が知られたから、だけではなく、彼女がラッセルによって雇われているからだ。
ラッセルが誘拐事件の時に協力させる代わりの報酬として提示したのが、ジェシカの母の治療を無償でブラックガーディアン総合記念病院で引き受け、更にジェシカを専属の調査員として雇うことであった。
ラッセルとしても、現役時代と違って大幅に情報収集能力が落ちているネットワークの補強は急務であり、だからこそサイキック能力を持つ優秀な探偵を雇うのは大きな実利があった為、多少高コストでリスクがあるとしてもジェシカを手元に置いておきたかったらしい。
コスト面に関しては娘の為ならば幾らでも寄付してくれるスポンサーがいるのであまり気にする必要はないのだが。
ジェシカからすれば渡りに船どころの話ではないし、アリスも彼女たち母娘を放っては置けなかったのでラッセルの提案に賛同し、今に至るという訳だ。
では、何故アリスが簀巻きにされているのかと言うと、今日開かれる病院のオープニングセレモニーでスピーチをすることになっているからだ。
「最近は大分人前に出ても平気そうにしていたから油断していたよ。これは困ったね」
色々と雑務があり、上に上がっていたラッセルがエレベーターから降りた途端に目に入ったアリスの姿に思わず肩を落とす。
「ラッセルさん、なんとか私が出ない方向にはならないんですか」
みっともない姿で情けない声を出すアリスの願いにラッセルは首を横に振る。
世間では病院再建の発起人と認識されているアリスがスピーチするのは当然なことであり、ある意味セレモニーのメインとも言えるのだからそれをカット出来る訳がない。
アリスとてそれを理解はしているのだが、今までで一番注目を浴びるであろう今日のセレモニーは流石に元引き籠りにはプレッシャーが大き過ぎて耐え切れず体が拒否反応を起こしてしまい、思わず逃亡しようとしたのだ。
両目から滝のように涙を流しながらひたすらセレモニーに出たくないと呟くアリスに大人二人は頭を抱えてしまう。
「ちょっとラッセル、貴方自称精神科医なんだしなんとかできないのこれ」
「なんでもかんでも医者に言えばどうにかなると思うのは酷い誤解だよジェシカ君。まあ出来なくもないがね。アリス君、飲むのと注射、どちらがいい?」
懐から怪しげな色の錠剤と蛍光色の液体が入った注射器を取り出したラッセルを見たジェシカはアリスの上から立ち上がると、そのまま薬を奪いにかかった。
「子供に何しようとしてるの! 貴方、元、ヴィランじゃなかったっけ?」
「君がどうにかしろって言ったんじゃないか。それにどちらも中毒性は無いし、少し気分が明るくなるだけの物だから問題ないさ」
ジェシカの手を上手くすり抜けながら冗談はここまでとばかりにラッセルは薬を懐にしまう。
「さて、時間もあまりないことだしおふざけはここまでだアリス君。覚悟を決めて仮面を被りなさい」
笑顔を引っ込めたラッセルの真面目な顔に、どうあがいたところで無駄だと悟ったアリスは最後に一際大きな声で泣くと全てを諦めたように脱力した。
ジェシカはなぜアリスが落ち着いたのかイマイチ理解出来ず首を傾げるが、とりあえず病院が無事にオープンするならそれで良いかと思うのであった。
結局その後も若干抵抗する素振りを見せつつもアリスはセレモニーに臨んだ。
ラッセルが司会務めたセレモニーは彼が企画したにしては面白味の全くない至ってありきたりなものであった。
「マルクス様、ありがとうございました。続きまして、マルクス様のご息女であり、当病院再建計画発起人であるアリス理事長よりお言葉を承りたいと思います」
セレモニーはなんの波乱も無く進んでいき、スポンサーとして出席したセシリアの社会復帰した娘の立派な行いへの涙ながらのスピーチが終わり、いよいよアリスの番が回って来た。
ここまでは座って笑顔で来賓の祝辞を聞き、時折拍手さえすれば良かったが、遂にその時が訪れてしまったアリスはワイヤーでの突入以上に心臓の鼓動を早めながら病院玄関前に設置されている仮設の壇上へと上がっていく。
初めての記者会見と同じように仮面を被ったアリスが笑顔でマイクの前で口を開こうとした時、銃声が鳴り響いた。
流石犯罪が多発する都市で働いているだけあってか、来賓の要人たちの護衛は迷うことなく瞬時に雇い主を守りに掛かった。
アリスも訳が分からず咄嗟にスピーチ台の下に隠れる。
銃声は激しいが、幸いにも誰かに向けて撃っているというよりは威嚇らしく、建物に向けての発砲が主にのようで壁が砕け窓が割れる音しかせず、血が飛び散る嫌な音はしなかった。
しばらく鳴り響いた銃声と悲鳴が聞こえなくなり、アリスが恐る恐る頭を上げてみると、死人こそ出ていないようだが阿鼻叫喚の地獄絵図になっている会場と、逃げ去るバイクや車が目に入ったのだった。




