サイキックー⑤
アパートの屋上から飛び出して直ぐに、道路に向かって真っ逆さまに落ちる感覚に襲われたアリスはたっぷりと冷や汗が溢れ出し泣きそうになる。
しかしグラップルガンとカラビナはきちんと役目を果たしているらしく、落下は止まりアリスは猛スピードでジェシカの部屋があるアパートへと空中を滑っていく。
覚悟は決めていても怖いものは怖いらしく、アリスは深夜の街に迷惑な悲鳴を響かせながらも手を体の前で組み、防御姿勢を取ってそのままガラスは割れているものの、残っていた窓枠を突き破って部屋へと突入する。
勢い余って壁に激突しながらもアリスはベルトのバックルの根元にあるボタンを押してカラビナとワイヤーを自動で回収させ、立ち上がって直ぐに行動出来るようにした。
流石と言うべきか、スーツのお陰で怪我はしなかったものの、多少は痛む体を摩りながらアリスが顔を上げると母親に青龍刀を突きつけられ動けないジェシカが新たな部屋を壊す侵入者に向けた警戒する顔が視界に入る。
一方のコドクは、もう少しで新たな病魔を体に取り込めるという素晴らしい瞬間をドアではなく窓から入ってきて邪魔した無礼極まりない存在に溜息を吐く。
何故なら大概そういうド派手な登場をする輩は、自分の崇高なる目的を邪魔する愚か者、ヒーローを名乗る異常者だからだ。
「コドク、その剣を捨てて人質を解放するんだ」
窓から突入してきた女がフラフラと立ち上がりながらお決まりのセリフを吐いて来たことにコドクはまたも溜息を吐く。
ヒーロー確定、それも手際の悪さから成りたてかデビュー戦であろう新米だからだ。
コドクとて神に等しい力を手に入れようとする身として、強者との戦いは得る物が多いのでヒーローと戦うのはやぶさかではない。
ただ、それは相手が自分と互角か、それ以上の力量を持っているから意味があるのだ。
新米ヒーローなど相手にしたところで全く得が無く、寧ろ相手にするだけ時間の無駄でしかない。
だからこそコドクは見ると背筋に悪寒が走る不気味なマスクの下でもう一度溜息を吐きながら、この状況にどう対処するべきか考える。
そもそもいつもの手口ならコドクはこんな人質を取るような真似などせず、ターゲットをさっさと連れ去って邪魔の入らない場所で病に侵された部位を青龍刀で切り取り食している。
だが、今回は情報提供をしてきた謎の人物から見返りとしてターゲットの娘の前でなるべく残虐に、殺す姿を見せつけるように言いつけられてしまった。
コドクは別に人を甚振る趣味は無い。
悠長にそんなことに時間を割いていたら折角の病魔を宿した部位が死んでしまい、体に取り込んでも意味が無くなってしまうかもしれないからだ。
だから情報だけ貰ってしまえば後は無視して良かったのだが、相手が自分の言う通りに犯行を行えば追加で難病患者の情報を渡すと言ってきた。
昔と違って個人情報の管理が厳しくなった今では病院に忍び込んで患者のカルテを盗み見たりなどしてターゲットの情報を得るのも一苦労する。
少しばかりの手間で情報が簡単に手に入るとなると、コドクは情報提供者の指示を飲むしかなかった。
「手間を嫌い欲をかくのはいけないな。結局面倒が増えるだけだ」
小さく呟いたコドクの愚痴はマスクのせいで誰にも聞かれることは無かった。
「アンタ、ヒーローとヴィランどっちなの。まあ、どっちでも窓は弁償してもらうけどね」
アリスの登場で自分からコドクの注意が外れたのを見逃さずに、素早く机の上に置いてあった拳銃を手に取ったジェシカはコドクに銃を向けつつアリスを睨む。
「ご、ごめんなさい。ヒーローです、一応」
変成器で無理やり低くしている声で謝ってくる自称ヒーローを素早くジェシカは観察する。
突入の下手さから察するに新人、それも一般人に一喝されてあわあわと謝るヒーローにしては珍しい気弱なタイプ。
スーツだけは一丁前だが、今の状況では左程役には立ちそうないとジェシカは判断する。
いや、銃を取る隙を作ったくれただけで多少は役に立ったかと言えるかもしれないが。
「素人は余計なことしないで下がってて」
元警察官なだけあってジェシカはこういう状況にも幾度か遭遇した経験がある。
だからこそヒーローを名乗る不審者に邪魔されては最悪の事態に成り兼ねないと判断し、余計なことはするなとジェシカは釘を刺したつもりだった。
しかし不審者は、ブラックガーディアンそっくりのスーツを着た女は下がるどころかへっぴり腰ながらも警棒のような物を構えて戦う意志を見せた。
「下がりません。相手はヴィランなんですから貴女一人じゃ無理ですよ」
それはそうだが、どうせなら援軍はこんな弱そうなブラックガーディアンもどきよりもテレビに出て人気取りが出来る程度には実力のあるヒーローが良かったと思いながらもジェシカはコドクに視線を戻す。
言い争うことに気を取られていてはそれこそ最悪の事態に成り兼ねないと判断したからだ。
一方のアリスは初めてのワイヤーを使った突入による恐怖で心臓がはち切れんばかりに脈打ち、戦うと宣言したはいいがこの状況でどう動けばいいか分からずにただ見たくもないコドクのマスクを見つめる。
「ハア、久方ぶりの獲物だというのに興が削がれた。それにこの状況では依頼も果たせそうにないしな」
コドクは青龍刀の柄でジェシカの母親を殴りつけ気絶させると肩に担ぎあげた。
何をしようとしているのかは一目瞭然、ジェシカとアリスはコドクを止めようと動き出すが一歩遅かった。
コドクはどこからか取り出した煙玉を炸裂させ、一瞬で部屋中が煙で満たされてしまう。
何も身に着けていないジェシカはともかく、マスクの機能を使えば視界を確保できたはずのアリスも反射的に目を瞑ってしまった。
コドクが割り、アリスが止めを刺したことで風通しが良くなっている部屋から煙は直ぐに排出され視界は晴れたが、その時には既にコドクはジェシカの母と共に姿を消した後だった。
「母さん! 母さん! アアアアアアアアアアア!」
膝から崩れ落ち、床を殴りつけるジェシカの母を呼ぶ声が、アパート中に響き渡った。