サイキックー②
「重心が高すぎます。それでは簡単に体勢を崩されてしまう、このように」
アリスの自分では鋭い一撃のつもりで振り下ろす木刀を巨体に似合わぬ速さで簡単に躱しながらジャックが左程力を入れずに肩を押すと、アリスは素っ頓狂な声を上げながらド派手に転んでしまった。
思い切り打ち付けたお尻を摩りながらアリスは木刀を拾うと再びジャックに打ち掛かる。
「今日も特訓に精が出ているようだね。結構結構」
木刀同士がぶつかり合う小気味いい音のリズムに合わせ、セッションでもするかのように自らも杖で床を小突いて音を鳴らし、満足そうに頷きながらラッセルがエレベーターから降りて来た。
手にはホイップクリームがうず高く盛られたカロリーが高そうなコーヒーを持っており、アリスは違和感を覚える。
ラッセルはアリスの記憶が正しければ、コーヒーはブラック派のはずだからだ。
「ちゃんと頑張る偉い子にはご褒美を上げよう」
デスクにコーヒーを置いて手招きしてくるラッセルに近づきながらも嫌な予感がしたアリスは警戒するが案の定、素早い動きで額に何か張られてしまう。
子供のイタズラのようなことをするラッセルに呆れながら剥してみると、マッハガイのステッカーだった。
ラッセルがこれ見よがしに再び手に取ったコーヒーカップにはオックコーヒーのロゴが描かれている。
「久々にオックに行ってみたがすっかり様変わりしていたよ。以前は豆に拘った美味いコーヒーが飲めたが今は馬鹿みたいな量のクリームやらシロップで安い豆の味を誤魔化した商品しか置いてない。このコラボのもコーヒーではなく砂糖を飲んでいる気になってくる。シーナイトもすっかり守銭奴になってしまったらしいね」
思わぬ名が出てきたことにアリスは驚く。
「オックってシーナイトがやってるんですか!」
腰と肩からタコ足を二本ずつ生やし、水陸どちらでも呼吸可能なヒーロー、シーナイト。
彼はブラックガーディアンが市民たちからヒーローと呼ばれ始める少し前から活動を始めたヒーローだ。
あくまで噂だが事故で失った片腕を、再生医療用として実験開発中だったタコのDNAを使って生み出された血清で取り戻そうとした科学者が、副作用でタコと人間のハーフのような姿に変身してしまい、能力を生かしてヒーローとなったのがシーナイトだと言われている。
「君、シーナイトも好きなのかい? 見た目が見た目だから女性人気は少ない方なのに」
生々しいタコ足が原因でシーナイトは命懸けで助けた女性にヴィランを見た以上に悲鳴を上げられることがよくあり、掲示板や雑誌などのヒーロー人気投票では女性票が殆ど無いことで有名という悲しきヒーローなのだ。
「確かにあの足はちょっとキモいですけど、なんて言ったってヒーローオブレギオンのレジェンドですよ」
「ああ、そういうこと。ブラックガーディアンオタクならば当然と言えば当然か」
ヒーローとヴィランの戦いが激化する中で、ヒーロー一人では対処しきれない事件が徐々に増え始めた時期があった。
このままではいずれヒーローたちが皆、倒れてしまうと危惧したブラックガーディアンの呼びかけによって、初めてのヒーローチームが生まれた。
それこそが始まりにして至高のチームと言われているヒーローオブレギオンである。
メンバーたちは普段はそれぞれ単独で動いてはいたが、ヒーロー一人では対処しきれない大事件が起きた際にはブラックガーディアンをリーダーとして集結し、事件解決に当たった。
チーム結成時のメンバーはブラックガーディアン、シーナイト、サンダーラッシュ、ガストハンター、コスモレイダーの五人であり、後に幾度かのメンバーの入れ替わりがあったがこの初期のメンバーはヒーローオタクたちからは特に人気が高く、レジェンドや初期メンと呼ばれている。
「でもシーナイトが何でコーヒーショップなんてやってるんですか?」
アリスの答えが分かり切った質問にラッセルは笑い出す。
「アハハハハハ、その程度、人に聞かなくても分かるだろう。金の為さ。それに引退したヒーローは時間が有り余っているしね」
ラッセルの答えにアリスはショックを受けるが、それもそうかと納得する自分もいた。
ヒーローと言えど武士は食わねど高楊枝と言う訳にはいかず、生活するには金が必要だ。
ヒーロー時代の収入源は謎ではあるが、引退してしまえば時間もあるだろうし店や会社の一つも経営していても何ら不思議は無い。
だが、そこでアリスは引っかかる。
「え、シーナイトって引退したんですか」
「おっとアリス君、勉強不足だね。これは宿題を増やさないといけないようだ。まあそれはともかく、君の御父上が亡くなった後、多くのヒーロー、特にヒーローオブレギオンに所属していたヒーローは粗方引退したよ」
ブラックガーディアンが殺害された日、何故チームの、それどころか街中のヒーローたちが彼を助けなかったのか。
もちろん彼らはブラックガーディアンを見捨てた訳でも裏切った訳でもない。
彼らとて助けに行こうとしたのだが、ブラックガーディアンを孤立させるための陽動として同時多発的に街中で暴れ出したヴィランたちから市民を守るので手一杯になり助けに向かえなかったのだ。
おまけにヴィランたちはヒーローそれぞれにとって相性の悪い能力や武器、戦術を組織的に運用することで苦戦させ、多くのヒーローたちが傷つき、中には瀕死の重傷を負う者までいた。
お陰で事件後、ブラックガーディアンを助けられなかったショックで心に傷負った者や、ヒーローとしての活動が二度と出来ない体になって者が多数引退してしまったのだ。
「シーナイトは血清を無効化する薬が仕込まれた弾丸で撃たれたせいでただの人間に戻ってしまったのが引退原因らしい。今や彼は何の力も持たないただの一般人と言う訳だ」
失意の日に自分だけが大切なものを失った訳ではないことをアリスは初めて知り、言葉にできない思いが心をかき回す。
そんなアリスの様子を見て、流石にラッセルは笑いはしないが話は続けた。
「不謹慎だが、多くのヒーローが引退したのと同じような理由でヴィランたちの多くも引退したか、逮捕されたのは不幸中の幸いだった。お陰で街は平和になったのさ、一時的にはだがね」
ヒーローたちが傷つき倒れて行ったのと同様に、ヴィランたちも当然ただで済んだはずもなく、多くのヴィランが逮捕され、命からがら逃げた者も大半が怪我や装備を失ったのが原因で引退した。
中には弱っているところを商売敵のヴィランや裏切った部下に狙われ命を奪われた者もいる。
自業自得と言えばそれまでなのだが。
こうして皮肉にもヒーローとヴィランは失意の日以降、双方痛み分けと言える状態で不可思議な均衡が生まれ、フロイテッドシティに冷戦に近い平和が訪れた。
「でもそれって長くは続かなかったんですよね。今もフロイテッドシティではヴィランやヒーローたちは戦い続けているわけだし」