サイキックー①
いつも通りジャックに送ってもらい屋敷に帰ったアリスを、ウォルターは浮かない顔で出迎えた。
「お嬢様、奥様は今夜も戻られないそうです」
アリスが携帯で確認すると時刻は丁度夕食時、どうやら今日もセシリアは忙しいらしく食事の約束は破談のようだ。
浮かない顔の原因は、折角の三年ぶりの親子水入らずの食事がまたも延期になったのをウォルターが相当残念に思ってしまったからだろう。
しかしウォルターには悪いが、内心アリスは食事が延期になって良かった思っている。
朝の慌てた様子から今日も多忙なのは目に見えていたので最初から大して期待はしていかったし、そもそもアリスはセシリアと食事を共にしたいともあまり思ってもいないのだから寧ろ延期になったのは有難いくらいだ。
「ママ、今は社長で仕事が忙しいんだから仕方ないよ。夕食は部屋で食べるから後でお願い」
一応変な疑いを持たれないよう、自分なりに残念そうな顔を作ったアリスは部屋へと戻った。
直ぐにウォルターが運んできた夕食を取ったアリスは、さっさと寝支度をすると仮眠をとる為にベッドへと潜り込んだ。
深夜、アラームで目覚めたアリスは傷が痛む腕を抑えながら物音を立てないように部屋から出る。
この時間帯はメイドたちは皆帰った後で、屋敷にはアリスを除くと基本的に多忙でいないことの方が多いセシリアと住み込みのウォルターしかいない。
念のためにセシリアの部屋をアリスは覗いてい見るが、やはり帰って来てはいなかった。
今なら大丈夫だと判断したアリスは父の書斎へと向かう。
本棚の仕掛けを起動させ、隠し部屋に入ったアリスはコンピュータを起動させるとprojectHEROplanningのフォルダを開く。
中に収められているファイルの中から更新日をチェックすると、今日更新された物があった。
今朝セシリアが慌ただしく出ていったのはこれに時間を取られたせいなのだろう。
アリスはこの場で中身をチェックしたい衝動に襲われるが、我慢してポケットからUSBメモリを取り出すと、ファイルをコピーする。
左程時間が掛からずにコピーを終えたアリスは、隠し部屋を出ると自分の部屋へ戻る為に廊下を早歩きで進んで行く。
慌てるべきではないと分かってはいるものの、万が一セシリアが仕事を終え帰って来たところに鉢合わせてしまったらと思うと気が急いてしまい、足が自然と早く動いてしまう。
「おや、お嬢様、こんな時間にどうされましたか?」
もう少しで部屋に辿り着く、という所で後ろから声を掛けられたアリスは可愛らしい悲鳴と共に飛び上がった。
振り向くとナイトキャップを被り、可愛らしい犬が大量にプリントされたパジャマを着たウォルターが立っていた。
「ちょ、ちょっと小腹が空いて目が覚めちゃったから何か食べようかと思って」
「そうでしたか。私も喉が渇いたのですがうっかり水差しの用意を忘れておりまして。キッチンへ行くついでです、何かお作りしましょう」
自分でも動揺し過ぎているのが分かる程に下手な誤魔化し方だったが、ウォルターは納得したらしい。
深夜にも関わらずウォルターが用意してくれたベーコンとチーズたっぷりの罪深いホットサンドを食べたアリスは、今度こそ無事に部屋へ戻るとベッドに寝転がる。
ウォルターに見つかったのが自分の部屋の前ではなく書斎の前だったらと思い冷や汗をかきながらアリスは眠りにつくのだった。
翌朝、珍しく自分からラッセルに連絡したアリスはジャックに迎えに来てもらいブラックベースへと向かう。
「こんな朝早くに君から呼び出されるとは予想外だったよ。今日は槍でも降るんじゃないのか」
揶揄ってくるラッセルを無視してアリスはUSBメモリを無言で押し付ける。
意図を察したラッセルが直ぐにUSBメモリをコンピュータに差し、ファイルを開いた。
「ふむ、君の御母上は近々やらかす気のようだね。今回も中々えげつないことを計画しているようだ」
ファイル名「ジェシカ・ゴードン」
能力 サイキック(触れた相手の記憶及び心情を読み取る)
とある製薬会社にて開発された人間の潜在能力を引き出す薬品の治験に参加し、投薬及び実験によりサイキックに目覚める。
より能力を強化する為の実験の最中、製薬会社の違法行為に気づいたヒーローに救出される。
現在は病気で寝たきりの母親の治療費を稼ぐために能力を隠しながら探偵業を営む。
覚醒計画について
サイキック能力を持つ者は心的外傷により能力が強化されるケースが多い為、目の前で母親を殺害することで能力の強化及びヒーローへの覚醒を促す。
実行者であるコドクは情報提供の見返りにこちらの計画通りに犯行を行うことを了承した為、現在街の外へ出ている対象が戻り次第、計画実行予定。
ファイルには他にもジェシカの経歴や写真も記載されていた。
「コドクとはまたとんでもない奴を選んだもんだ。いや、計画内容を考えればベストな人選と言えるか」
一人納得した顔をして対策を考え始めたラッセルは、視界に入ったアリスが説明を求めているのに気付く。
「おっとすまない。コドクは君が引き籠っている間に現れたヴィランだ」
ラッセルはコンピュータを操作すると、独自にヴィランについて調査し、纏めたデータベースを起動させる。
元々はDr.スマイル時代に利用出来る相手やライバル、邪魔者になる可能性のあるヴィランたちの対策用に作った物で、引退後もブラックガーディアン殺害の主犯を見つける為にラッセルはコツコツとアップデートし続けていた。
ラッセルがコドクについてのファイルを開き、モニターに彼の写真が写った瞬間にアリスは小さな悲鳴を上げ目を背ける。
「すまない、先に忠告するべきだった。彼のマスクは誰が見たって気分がいいものでは無いからね」
写真はどうやって撮った物かは分からないが、何かと戦っている最中の上半身をアップで撮った物だった。
服装はチャンパオというよくカンフー映画などで見る中国の民族衣装で左程珍しい訳でも、アリスが目を背けるような物でもない。
ただ、彼が被っているマスクが不気味を通り越して悪寒すら走る代物だった。
タランチュラやムカデ、スズメバチなどのありとあらゆる毒虫が貼り付け作られており、虫嫌いでなくても見るに堪えないデザインなのだ。
「ラッセルさん、写真見えないようにしてくれませんか。夢に出てきそうなんですけど」
「ああ、そうだね。私も今夜は夢に見そうだよ」
ラッセルが消したと言うからアリスは再びモニターに視線を戻すと、写真は消されるどころかアップでデカデカと写されていた。
「キャアアアアア! ラッセルさんの馬鹿!」
驚きの余り子供のような罵声をラッセルに浴びせながらアリスは側にいたジャックの大きな背中の後ろに隠れてしまう。
もちろん、操作ミスなどではなくラッセルのイタズラであり、アリスの驚きようを見て楽しそうに笑っている。
「アハハハ、ナイス悲鳴アリス君。さて、おふざけはここまでだ。君は蟲毒というのを知っているかね」
拗ねた声で知らないというアリスにラッセルは要点だけを纏めた簡潔な説明を始める。
「蟲毒とは古代中国の呪術の一つで、様々な種類の毒を持つ虫を一つの容器に入れ、最後の一匹なるまで殺し合わせることで強力な毒を作り出すというものさ」
コドクと呼ばれるヴィランは虫の代わりに病に侵された臓器などを生きたまま自らに取り込み、体内で病を毒虫に見立て戦わせることで最強の病を作り出そうとしているのだ。
「それって本当に意味があるんですか?」
「全く無いね。そもそも消化したら排便される訳だから蟲毒自体成立しない。まあヴィランにはよくある頭のネジが数本どこかに行っているタイプだろう。だが、その分脳のリミッターが外れているのか変に身体能力が高い場合が多いから厄介なタイプでもある」
それは貴方もだろうという言葉が喉まで出掛かったアリスはグッと呑み込むと、代わりに疑問を口にする。
「そもそもなんで病気で蟲毒をするんですか? 本来は虫でやるんですよね」
「彼の理論では生み出した最強の病気を克服することで人を超えた神にも等しい力を得られるそうだ」
どう考えてもおかしい理論に頭を傾げながら、アリスはコドクとはあまり正面切って戦いたくないと思うのだった。