第3話 黒い幽霊
幽霊と妖精のチルリーが森を飛びながら進むと、三人の男が女を地面に組み敷いているのが見えた。
幽霊はその光景を見た瞬間、心の中にある怒りの炎が激しく燃え盛るのを感じた。
『何しとんじゃああああああああっ!』
テレパシーのような能力で幽霊は叫んだ。男たちの脳内に聞こえるように叫んだ為、男たちは身体をびくりとさせながら、振り返った。
幽霊は勢いをつけながら飛んでいき、女に馬乗りになっている図体の大きい男の頭に蹴りをかました。
「うわっ!」
男は腕で顔面を防御する姿勢をとった。だが、幽霊は男をすり抜けてしまった。
『うぇええええええええええええええっ!?』
すり抜けると思っていなかった幽霊は素っ頓狂な声を上げた。
「あー! 幽霊は実体が無いので物理攻撃は出来ないよー!」
チルリーが男をすり抜けて明後日の方角へ飛んでいく後ろ姿に声を掛ける。
突然の出来事に男達とフィーラは呆気に取られていた。
そして、幽霊は咄嗟に体勢を整えて戻ってきた。
『はあ、とりあえず、お前ら……。その女を放しな!』
幽霊はどすの効いた声で呼び掛けた。
「なんなんだ、こいつ……?」
「く……黒い幽霊……?」
幽霊の身体は黒い靄で覆われた人型をしている。二つの丸い眼は青白く光っている。頭部からは長い髪の毛のようなものが垂れているので女性の様に見えるが、全体が黒いので定かではない。
ゲデロとベイルは異様な幽霊の姿に眼を白黒させていた。
「ったく、脅かしやがって! 攻撃がすり抜けるなら怖くねえし!」
少々面食らった様子ではあったが、すぐに気を取り直したゴルドンが邪悪な笑みを浮かべながら吠えた。
『糞がああああああっ!』
幽霊は怒りに震えながら、拳を握った。
すると、幽霊の足元の辺りから炎が地を這っていく。男達の元へ到達すると炎は巻き上がり、彼らの身体は炎に包まれた。
「ぎゃああああああああああっ!」
「あぢいいいいいいいいいっ!」
「うびゃああああああああああああっ!」
男達は地面をのたうち回った。フィーラは上半身を起こして幽霊と男達の様子を呆然と眺めていた。
『怪我は無いか?』
幽霊が訊くとフィーラはこくりと頷いた。
男達は暫く転げ回っていたが、砂にまみれる事で火が消えた。
「糞幽霊が……!」
剣士のゲデロが立ち上がり、吐き捨てるように言うと、幽霊に剣で斬りかかる。
しかし、幽霊には物理攻撃は効かない。剣は幽霊の身体をすり抜けた。
幽霊は自分の身体を確認した。剣の通った箇所に特に変化は感じられない。
「私も直接攻撃出来ないが、敵の物理攻撃も効かないようだな……」
するとベイルが杖をこちらへ向ける。杖の先についた水晶玉が光った。
「ウィンドカッター!」
何かが飛んでくるのを感じた。透明ではあるが、魔力の流れのような物は見えた。それは刃状だった。
幽霊ならこういったものも効かないのではと思ったので特に動かなかった。
腹部の辺りに直撃して刃が貫通した。
「いってえええええええっ!」
幽霊は叫び声を上げた。
切られた痛みと言うよりは、痺れというか衝撃というか、単なる刺激という感じではあったが、確実に痛みはあった。
「気を付けて! 幽霊の身体は魔力で構成されてるから魔法は効くよ!」
チルリーが叫ぶ幽霊に注意した。早く言えと幽霊は思った。
しかし、腹部を確認すると傷のようなものはなく、身体はくっついていた。生きていれば切断されていたかもしれない。霊体は水や霧のようなもので、切った所で再び融合するのだろう。
だが、確実に疲労感のようなものがある。ダメージは残るようだ。気を付けなくてはと幽霊は思った。
幽霊はもう一度炎での攻撃を試みた。
ベイルに向かって炎が這って行く。しかし、それは氷の壁に阻まれた。炎は氷を少し溶かしたが搔き消けれた。
「アイスシールド……。フフフ、さっきはいきなりだったから喰らったけど、分かっていれば防ぎようはあるんだぜー」
ベイルは色々な魔法を使えるらしい。魔法による攻撃、防御も可能なようだ。
幽霊にとっては天敵かも知れない。
『じゃあ、これはどうだ?』
幽霊は元々黒いが、更に漆黒のエネルギーが手の辺りに集まって固まっていく。大きな手のようになっている。手の部分は黒い固形状で、幽霊の身体とは異質だった。
腕を伸ばし黒い手を握ると、一気にベイルの顔面を殴った。
「ぶげらっ!」
ベイルは地面に倒れた。殴った感触では、この黒い手の硬度はゴムボール程度だった。
それでも勢いをつけて殴ればそれなりの物理ダメージとなる。
幽霊は腕を後ろへ伸ばす。腕自体は数メートルは伸びるようだ。それを勢いよく振り抜く。左手でゴルドンの胸の辺りを殴る。ゴルドンは体勢を崩した。右手はゲデロへと向かう。だが、ゲデロは黒い手を剣で斬った。
切断された黒い手は黒煙のように霧散したが、幽霊には特に痛みは感じなかった。
硬質化した黒い手は自分の身体ではなく、魔力を消費して生み出したものだからだろう。
黒い手の指を伸ばしてゲデロの腕に絡ませた。剣を封じるためだ。
「ぎゃああああああああああああっ!」
握っただけだったがゲデロが絶叫した。
見ると、黒いエネルギーがゲデロの肌を浸食して溶かしていたのだ。
「ウィンドカッター!」
ベイルが幽霊の右手に向けて風の刃は放った。幽霊は魔法を避けるため手を放すと、ゲデロは腕を押さえながら地面に膝を落とした。
「こいつ強いぞ! お前ら、一旦逃げるぞ!」
ゴルドンが号令を出した。すると、三人の男は目配せした後、一目散に森の奥へと走って消えていった。
『大丈夫かい?』
地面にへたり込んだままのフィーラに幽霊が声を掛けた。
すると、女性ははっと正気に戻ったような顔をした。
「は……はい。お陰で助かりました。ありがとうございます。私は精霊使いのフィーラ。
あなたは精霊さんですか……?」
『精霊? いや、私は異世界から来た幽霊……らしい』
「あたしは妖精のチルリー!」
と、そこで幽霊はふと何かを思い出した。
――ル……コ……――?
自分の名前らしきものが脳裏に過ぎったのだ。
ルコ? いや、ミルコ? 違う……ヒルコだっけ? いや……違う気がする。
『私は記憶喪失みたいなんだ。だから、私が一体誰なのか分からない。けど、このフェアリーが言うには異世界からやって来た幽霊って事みたいだね。
ステータスって言うのにも、そう書いてあるし。
けど、今、ちょっとだけ名前らしきものが頭に浮かんだんだよな……』
「異世界……! ああ、時々だけど異世界から人間が迷い込む事があるらしいですね。召喚されるパターンもあるみたいですが。
中には歴史に名を遺した英雄にもいたとか……。異世界の幽霊というのは初耳ですけど。
それで、思い出した名前は何て言うんですか?」
『ル……コ……かな?』
幽霊は自信なさげに言った。
「ルーコさんですか?」
『うーん。どうなんだろう』
「ひとまずルーコでいいんじゃない?」
首を傾げる幽霊にチルリーが能天気な調子で言う。
『じゃあ、そう言う事にしとくか……』
「では、ルーコさんで。
ルーコさんは、これからどちらへ向かうのですか?」
『とりあえず、このダンジョンって言うのを抜けようと思っているが』
「そうなんですね。じゃあ、私もご一緒して良いでしょうか?
ここの辺りのモンスターだと、私では敵わないので……」
申し訳なさそうにフィーラが言う。
『うーん。まあ、構わないよ。なあ?』
ルーコもチルリーに案内してもらわないとならない立場なので、チルリーに訊いた。
「うん。ついでだからいいんじゃない?」
と言うわけでフィーラも加わって一行は森を進んでいった。