ACT06 メルイアの"牙"
アーカス宇宙港は、貨物便が九割を占めていた。
宇宙港の敷地は、三十キロ四方という広大なものだった。その宇宙港を取り囲むようにアーカスシティが存在している。宇宙港に近いほど、旧市街区としての歴史が古い。
自由貿易業者が母港にしている惑星セルテゾールには、こういった宇宙港が十ヶ所余りある。その中でも、アーカス宇宙港は自由貿易業者の占める比率が高い。
宇宙港のロビーは、深夜でも照明に照らし出され、まばゆいほどだった。
終日運用体制にあるアーカス宇宙港に、夜はない。
「妙だな……」
ロビーに足を踏みいれたとたん、ウォルフがつぶやいた。
いつもと違う空気が漂っている。
この稼業に手を染める人間は、独特の勘を持っている。不穏な気配を敏感に感じとるからこそ、生き残ることが出来る。
「暗黒街の連中じゃあないな……気配が、違う」
傍らを歩くリンが、小さくうなずいた。
「本業のヤバい連中が監視してるね。
大物が登場してるみたいだよ……いよいよ、クライマックスが間近らしいね」
リンの眼が、鋭い輝きを放った。
それらしい人間は、送迎デッキに二人、出港ゲート前に一人、待合室に二人……視界に入っただけでもこれだけいる。気配の強さから考えれば、もっと潜んでいるだろう。
別行動をとったのは、正解だった。
現役の軍人か、それに類する人間の気配だった。暗黒街の連中とは桁違いのプレッシャーが発散されている。
本業の連中が相手では、レッドとウォルフでも苦戦は間違いない。
「船長? どうします?」
「どうもしないさ……あたしらは、善良な自由貿易業者なんだからね」
リンの微笑みに、ウォルフが苦笑を浮かべた。
不意に、リンが立ち止まった。
「ウォルフ……バックアップを!」
事情を察したウォルフが、素早くリンの側を離れる。
リンを見つめる濃厚な気配がある。それは、かすかに刺の込められた、馴染みのある視線だった。
「嫌な気配だよ」
リンの左手に、魔法のようにナイフがあらわれた。袖口にナイフを隠し、さりげなく歩いてゆく。
不意に、物陰に立っていた男たちが、リンとウォルフの前にたちふさがる。
均整のとれた肉体と、整いすぎて酷薄な印象を与える顔の造作を持った男だった。
「久し振りだな……リン・リンファ少佐」
男の口元に、嘲るような笑みが浮び上がった。
リンが、不愉快そうに小さく舌を打ち鳴らす。
気配に覚えがあるのも当然だった。忘れたくとも忘れられない因縁を持っている相手だった。
傍らに副官のバッサが控えるのも、昔と同じだった。バッサは常に影のように寄り添い、キーラーを護衛している。
「キーラー、あんたもね……元気そうで何よりだよ」
「崩壊戦以来だな……」
「出来れば、会いたくなかったけどね」
「これは、痛烈なご挨拶だ」
キーラーは、リンの皮肉に動じた気配もない。昔と全く変わらない、冷静な表情だった。任務に必要であれば、どんな冷酷な真似も平然とやってのける。味方を見殺しにしても、顔色一つ変えない人間だった。
「相変わらず、メルイア復興に協力する気はなさそうだな」
リンは、鼻先で笑った。
「あんたみたいに裏表のある人間と組むのは、まっぴらごめんだよ」
「そいつはひどいセリフだな」
「メルイア復興だなんてスローガンを、あたしが信用すると思ってるのかい?」
一瞬、キーラーの頬が神経質そうな痙攣を見せた。
「どういうことかな?」
「とぼけるんじゃないよ……メルイアの主星がどうして星屑になっちまったのか、あたしが真相を知らないとでも思ってたのかい?」
リンが、ぴしゃりと決めつけた。
「てめぇの惑星をてめぇで破壊しといて、復興のスローガンってなぁ、ちょいとばかり矛盾してるんじゃないのかい?」
「貴様!」
バッサが、唸り声をあげる。
リンは、冷やかにバッサに視線を移し、鼻先で笑う。
「飼犬は、飼犬らしくしてるこったよ……あたしは、あんたの御主人と話してるんだからね!」
「!」
バッサが、顔色を変えた。
「バッサ、手を出すんじゃない!」
「しかし、コマンダー!」
キーラーが、横目でバッサをにらみつけた。
「俺が、命令してるんだ……黙って下がっていればいい」
バッサが不服そうに、黙り込んだ。
黙ったものの、憎悪に燃える目でリンを見つめている。
リンは、バッサをまるで相手にしていなかった。横顔に殺気のある視線を感じながら、平然とキーラーを見つめている。バッサが、キーラーの命令に絶対服従なのは、承知していた。
「あんたが出てきたおかげで、大体のシナリオが読めてきたよ。
ずいぶんと街が騒々しいと思ったら……この騒動は、キーラー……あんたの差しがねだね?」
「さあてね……」
軽くとぼけてキーラーは、リンを見つめた。
「メルイア復興に協力しないなら、仕方がない……」
キーラーが、肩をそびやかした。
「元戦友として、一つ忠告しておこう……長生きをしたかったら、何も見なかったことにして、早くこの惑星を離れることだ」
「忠告ねぇ……他には言いたいことはあるかい?」
リンが、皮肉めいた苦笑を浮かべた。
忠告と言えば聞こえはいいが、実際には警告だった。
「メルイアに関する出来事は、全て忘れることだな……無用な義理立てや、詮索は身を滅ぼす」
リンは、クックッと喉を鳴らして、おかしそうに笑った。
「あたしらは、ただの自由貿易業者だよ……あんたらが、どこで何をやらかそうが、知ったこっちゃないさ」
「賢明な判断だ」
「けど、逆に……あたしらがどこで何をしようと、あたしらの自由さ」
「!」
キーラーの眼光が、かすかに険しくなった。
「あたしらは、あたしらのルールで生きてるんだ……あんたらに、あれこれ言われる筋合いはないんだよ!」
「そうか……ならば、やむをえない。
今度、出会うときは容赦なく叩き伏せる」
「上等だよ……ケンカなら、喜んで買ってやるさ」
売り言葉に買い言葉。威勢のいい啖呵だった。
「楽しみにしてる」
「あたしもさ」
リンは、投げキスをキーラーに送り、歩き出す。
道をふさいだまま動かないバッサを見て、リンが苦笑を浮かべた。
「どきな……ここで騒動を起こすと、あんたのボスが迷惑するんだってよ」
バッサは、無言でリンに道を譲った。
リンとウォルフの後ろ姿が搭乗ゲートに消えるまで、バッサは動かなかった。
「コマンダー! あの女は、自分が始末する!」
押し殺したようなバッサの声に、キーラーが静かに首を横に振った。
「機会が来たらな……今は、駄目だ」
「しかし……」
「飛刀のリン、といえば……メルイアじゃ有名だった」
「自分が、あの女に敗れると?」
「四人に囲まれて、銃を突きつけられた状態から、一動作で四本のスローイングナイフを放って相手を倒した人間だぞ。
それに……今は、セーラ・シェラザートを拘束する方が優先だ」
それは、他人の耳をはばかるようなささやきだった。
「警察とマスコミに……手は打ってあるな?」
「イエッサー! 警察署長には、市長経由で通告済です……何が起きても、警察は動きません」
「上等だ……」
キーラーの口元に、酷薄な微笑みが浮かんだ。
宇宙港も、ハイウェイのゲートも、大陸横断鉄道のステーションも監視下に置いている。この街から出ようとすれば、確実に捕捉できる計算だった。
出港審査の簡単なアーカス宇宙港でも、一度は必ずこのロビーを通らなければ駐機スポットまでたどり着けない。
セーラ・シェラザートが姿をあらわせば、必ず捕捉できる。
◆
出港に必要な申請書を提出し、デルタクリッパーの眠る駐機スポットにたどり着いたリンとウォルフを、先に来て出港準備を整えていたランディが出迎えた。
「推進剤の補給は終わってる……いつでも出れるぞ」
「じゃあ、すぐに出港するよ……土産話を楽しみにしておいておくれ」
リンは、軽く手を振ってゲートのロックを解除した。
デルタクリッパーのエアロックへと通じるボーディングチューブの扉がサーボモーターの唸りとともに開く。
「アディオース!」
「再見!」
リンが、ランディに答礼する。
いつもと同じ、デルタクリッパーの出港風景だった。
可動式のボーディングチューブを抜け、エアロックをくぐるとそこは、もうデルタクリッパーの船内だった。
待機状態にあるデルタクリッパー船内は、フットライト以外の全ての照明を消した薄暗いものだった。だが、リンとウォルフは慣れた足取りでブリッジへ向かう。
船首ブロックにある扉を抜けると、そこがブリッジだった。デルタクリッパーの中枢だが、このクラスの外宇宙船のブリッジとしては格段にコンパクトなものだった。
船長用の統合コンソールにリンが手を触れると、眠っていたメインディスプレイに灯が入った。
「厄介な連中が、出て来たもんだよ……こっちも作戦を変更しなけりゃ、レッドとセーラが危ないわ」
待機モードに入っていた予備動力で、システムを起動させながらリンがつぶやいた。
かすかな唸りをあげ、ブラックアウトしていたディスプレイ群が覚醒を始める。蘇ったディスプレイがまばゆく輝く。
動力制御コンソールに手を伸ばしたウォルフが、手際よく出港準備を整えてゆく。
「奴等は、何者なんだい?」
「"牙"の連中さ……メルイアを戦乱に導いた狂信的愛国者」
"牙"と呼ばれる集団の正式名称は、メルイア大統領警護隊という。メルイアという国家は、統合戦争で消滅したが、"牙"の組織は健在だった。
戦争末期の混乱を利用し、"牙"は暗黒社会へと姿をくらまして生き続けている。
本来の存在意義を失い、今では紛争請け負いを稼業としていた。
辺境星域で多発している局地紛争に、旧メルイア軍の残存部隊を傭兵として供給している黒幕が、メルイアの"牙"だという噂がある。
「場末のゴロツキを掌握するなんて、連中だったら簡単だわ……実力が違いすぎるもの」
アイドリング運転中だった主反応炉が、ウォルフの操作で覚醒した。
軍用あがりらしいレスポンスの鋭さを見せ、エンジン制御ディスプレイに描き出された出力曲線が、すぐに運用レベルに達する。アイドリング状態から、MAXパワーを必要とする戦闘状態に達するまでの反応時間の短さは、軍用艦艇の中でも一級品だった。
「メルイアの残党か……噂には聞いていたが、会ったのは初めてだ」
慣れた操作で主反応炉を安定させ、ウォルフが口元をゆがめた。
「これで、セーラを狙っている連中が何者かってのが、はっきりしたわね……キーラーらしい、陰湿な手口だよ」
「船長は、奴と関わりが?」
「まぁね……」
リンが、苦笑を浮かべた。
「情報局にいた時に、特命で組んだことがあるのさ……気に喰わない奴だけど、悪知恵はやたらと回るわ」
「……」
「今度の騒動は、想像以上に大きな騒ぎになりそうだよ……あたしの勘だけどね」
ボーディングチューブが船体との接続を解除し、ゆっくりと離れてゆくのが外部走査光学モニターに映っていた。
船体を固定していたラッチが外れ、支援用の外部動力ケーブルが解放される。
大気圏内巡航用補助エンジンの出力上昇とともに、デルタクリッパーがゆっくりと動き出す。
デルタクリッパーは、大気圏内では通常の航空機と同じ扱いだった。
大気圏用に可変サイクル型スクラムジェットを補助エンジンとして搭載するデルタクリッパーは、メインエンジンを使わずに成層圏まで上昇できる。
滑走路の端で、デルタクリッパーが一旦停止した。
『コントロールより、デルタクリッパーへ! 発進を許可する! グッドラック、デルタクリッパー!』
「デルタクリッパーより、コントロール!
指示了解! 丁寧な御見送りの御挨拶に感謝するよ!」
リンは、ウォルフに向けてウィンクする。
返事の代わりに、ウォルフが拳を突きあげてサムアップ。
「進路、クリア!」
航空機タイプの操縦桿を握るリンの声に応じて、ウォルフが補助エンジンのスロットルを、オーバーリヒートに叩き込む。
大出力エンジンのタービンノイズとともに、かすかに震動が伝わってくる。
強力な推力に抗してノーズギアの油圧シリンダーが沈み込み、デルタクリッパーが軽い前傾姿勢をとる。スタートダッシュ直前の短距離ランナーを連想させる、力をため込んだ姿だった。
「推力MAXに到達!」
「デルタクリッパーGO!」
リンは、ランディングギアのブレーキをリリースする。
船首をわずかに上げ、デルタクリッパーが加速を開始した。
「対気速度二百キロ突破」
データを読み取るウォルフの声が、妙に冷静に聞こえる。
「三百……三百五十……四百!」
「デルタクリッパー、テイクオフ!」
デルタクリッパーのランディングギアが、地面から離れた。
そのまま高度をあげ、加速を続ける。
デルタクリッパーが、離昇を開始した。
◆
「コマンダー! アーカスハイウェイのゲートからの連絡です」
バッサが、携帯用通信機をキーラーに差し出した。
通信機から流れる声に耳をかたむけたキーラーが、かすかに眉をひそめる。
「ポリスカーが、ゲートを通過?」
警察には、一切の干渉を禁じてある。
キーラーが指定したエリア内は、警官が一切立ち入らないように圧力をかけてある。"牙"にケンカを売る度胸は、アーカス市警にないはずだった。
だとすれば、答えは一つしかない。
キーラーは、自分の愚かさに苦笑を浮かべた。
「すぐに追跡しろ……ターゲットは、ポリスカーでアーカスを脱出する気だ!」
回線ホールドのままで、送信側のスイッチを切る。
携帯用通信機を、傍らにひかえるバッサに手渡す。
「ヘリポートへ一個分隊ばかり急行させろ……ヘリを使うことになるかも知れない」
「ターゲットが、追跡を振り切る……とでも?」
キーラーが、首を振った。
「ターゲットだけなら、すぐに拘束できるさ……俺も、うっかりしてたようだ」
「?」
「ターゲットを助けている連中の存在を、忘れていた……一番厄介な連中だぞ」
キーラーは、宇宙港の送迎ロビーに設置された頭上の巨大なスクリーンに視線を移した。
青白い火炎の尾を引き、デルタクリッパーが離陸してゆく姿が映っている。
「デルタクリッパーのクルーが、もう一人存在することを忘れていたな……ターゲットをこの街から脱出させる気らしい」
「コマンダー!」
とがめるようなバッサの声に、キーラーが小さくうなずいた。
「奴等の考えは、わかってる……レベロ宇宙港で、拾いあげる気だろう」
出し抜かれたというのに、キーラーの表情に落胆の色はない。
一番近いレベロ宇宙港まで、六百キロも離れている。捕捉するのに、充分な時間が残されていた。
「だが……まだ、奴等はレベロにたどりついていない。
今度は、こっちが奴等を出し抜いてやるさ」
キーラーは、おかしそうに笑い声をあげた。
「バッサ……この任務が完了したら、連中を叩きのめす任務を与えてやろう」
「イエッサー!」
バッサが敬礼を送り、部下に指示を伝達する。
キーラーが、かすかに口元をゆがめた。自嘲とも苦笑ともつかない、ぎこちない奇妙な笑みだった。
「せいぜい楽しませてもらおう……デルタクリッパーの諸君」