ACT05 即興芝居
「で、どうするのさ?」
街灯の冷たい白光を浴びながら、リンがレッドの方に視線を移した。
「さぁてね……どうしようかな」
アーカスシティの旧市街区特有の、雑然とした街並をレッドは見渡した。繁華街と違い、この刻限ともなるとさすがに人通りはない。
「まさかとは思うけど……このまま歩いてアーカスシティを脱出するなんて言い出さないでおくれよね」
「それも、いい手段だと思うけどね……俺は、その方が楽でいい」
「この大馬鹿野郎……セーラは、あんたと違って普通の人間なんだからね」
「俺だって、普通の人間だぜ!」
化物呼ばわりされたレッドが、激しく抗議する。
「自分を基準にするんじゃないよ……この、野生児めが!」
レッドとリンのやり取りをながめていたセーラが、たまりかねて小さく吹き出した。
「ほれ、セーラが笑ってるじゃないのさ……どうするのか、さっさと決めちまいな!」
「しゃあねぇや……姐さんは、多少の荒事は眼をつぶってくれる?」
「この際だからね……よっぽど無茶しない限り大目に見てあげるよ」
「なら、簡単だぜ……おっさん、耳貸せ」
「おっさん呼ばわりはやめんか!」
「歳が倍も違うくせに……」
途中まで言いかけたレッドの胸倉を、ウォルフがつかんだ。
そのまま怪力に物を言わせ、レッドを吊りあげる。レッドのすぐ前に、ウォルフの凶悪そうな眼があった。
「訂正しろ! 倍はいってないぜ!」
「どっちでもいいから、さっさとおしよ!」
ケンカが始まりそうな状況に、リンが投げやりな声で割って入る。
「この大馬鹿野郎どもが……状況を考えてケンカしろってんだよ!
あんたらのペースにつき合ってると、あたしの頭がおかしくなっちまう」
ため息をついたリンを、ウォルフに吊りあげられたままのレッドが手招きした。
「まず、スピードの出る頑丈なエアカーを手に入れるから、芝居に協力してくれ」
「荒事かい?」
「多分ね」
やっと地面に下ろされたレッドが、傍らの公衆電話ボックスを眼で示した。外観は落書きやら何やらでボロボロだが、電話機自体は無事だった。宇宙港の為に存在するアーカスシティでは、様々な無線周波数帯は宇宙船の通信用に独占されて、民間の通信は恐ろしく原始的な有線が主流だった。
「何分で駆けつけてくると思う?」
「五分ってとこだろうな」
レッドの意図を見抜いたウォルフが、静かにつぶやいた。
レッドが、かすかに苦笑を浮かべる。こういった状況だと、説明を省いても通じる相棒の存在がありがたい。
「じゃあ、俺は三分に賭けるぜ……次の夕飯の支払いで乗るかい?」
「まぁ、いいだろう……船長は?」
「あんたらみたいに、この状況でギャンブルやってるほど呑気でいられやしないよ……役割分担は、どうするんだよ?」
「姐さんとセーラは、物陰に隠れてバックアップ……ウォルフのおっさんは、俺の足元に転がる役だ」
「俺が悪役か?」
ウォルフが、露骨に眉をひそめた。
「その人相と図体だぜ……逆だと、芝居がばれちまう」
「損な役回りだぜ」
もっとも、嫌そうな表情のわりには、ウォルフの口調は楽しそうだった。
「最初の行動はレッドだな? しくじるんじゃねぇぜ」
ウォルフが、地面に膝をついて座り込んだ。
レッドが、リンに視線を移した。
「姐さん、電話してやってくれ……姐さんが被害者で、俺は犯人を取り押さえた善良な一般市民って役で頼むぜ」
とたんに、レッドの足元でウォルフが笑い出した。
「善良な一般市民か……レッドらしいジョークだぜ」
傍らの公衆電話ボックスで古風な受話器を手にしたリンが、一瞬考える素振りを見せてから振向いた。
「事件は何にするのさ? コソ泥と強盗とどっちがいい? なんなら撃ち合いにでもしようか?」
「撃ち合いだったら、連中はびびっちまって近寄らねぇよ……それに、あんまり沢山で来られちゃ、こっちが困るしな。
ひったくりでいいや……捕まえたから、身柄を引き取りに来てくれって電話すれば、喜んで飛んでくるぜ」
そう言いながら、レッドがウォルフの右腕を逆手にねじりあげて背中を踏んだ。
「ちったぁ、加減しろ! 後で覚えてろよ」
レッドの足元から、ウォルフの唸り声が聞こえる。
電話をかけ終ったリンが、サムアップした。
作戦開始の合図だった。
「セーラ……そこのダストボックスの陰に隠れてな……姐さんは、バックアップの芝居を頼む」
待つほどもなかった。
ヒューンという甲高いタービンノイズとともに、ヘッドライトの光芒が接近してくる。
赤と青の回転灯が明滅しているのを見るまでもなく、アーカス市警のポリスカーだということがわかる独特のノイズだった。
エアカーの中でも、軍用並の大出力ガスタービンを搭載しているポリスカーは、低速走行でもその存在がわかる。
場所柄か、サイレンを鳴らさないで接近してくるポリスカーをにらみつけ、レッドが喉を鳴らして笑う。
「第一フェーズは、予定通りだ……一台だけだぜ」
「しゃべるんじゃない……芝居がばれちまう」
押し殺したようなウォルフの声だった。
了解とばかりに、レッドはウォルフの背中を踏みつける力を一瞬強めた。足元から、下品な呪詛の言葉が返ってくる。
「しゃべるんじゃないって言ったのは、おっさんの方だぜ」
レッドは、静かに接近してくるポリスカーに向けて、空いている左手を振って合図した。ヘッドライトの強烈な光芒に幻惑されないように、眼を背けている。
収納式の接地輪を出し、ポリスカーが着地した。
そのまま、静かに公衆電話ボックスの前に立つリンの側に滑り込んでくる。
「通報したのは、お嬢さんですか?」
警官の声に、リンが小さくうなずいた。
「お手数をおかけして、申し訳ございません……この道を歩いていたら、いきなりこのバックをひったくられて……そこの親切な方に助けていただかなければ……」
普段のリンの声ではない。
赤頭巾を喰おうとする狼も顔負けの、優しくか細い声だった。リンの普段の性格や口調を知らない人間が見れば、心底から怯えている乙女に見える。
大変なのは、レッドとウォルフの方だった。
笑いをこらえるのが、いかに苦痛なことか思い知らされていた。
「あたし……恐かったんですぅ……」
危うくウォルフが吹き出しそうになったのを、レッドが背中を踏みつけて黙らせる。
「もう御心配いりません……」
リンの芝居が功を奏したのか、警官が無造作にポリスカーから降りてくる。
二人の警官のうち片方が、バックアップに回り、ポリスカーの近くから離れない。
このあたりは、さすがに訓練されている。
計画を変更せざるをえなかった。レッドの瞬発力でも、十メートル先の警官を一瞬で制圧できない。殺すのなら簡単だったが、警官に恨みはないから厄介だった。
リンが素早く眼で合図したのを、レッドは見逃さなかった。
《あたしが動くよ》
以心伝心というわけでもないが、この程度の意志は通じる間柄だった。
レッドは、片目を閉じて笑って見せる。
これだけで、リンはわかるはずだった。
何も知らない警官が、小さく敬礼した。
「ご協力感謝します」
「大人しいもんだぜ……動物園の熊よりもね」
レッドは、警官にウォルフの右手を渡した。
手錠をかけようとした刹那、レッドの身体が反転した。
「!」
不用意にウォルフの右腕をつかんだ警官の表情が、凍りついていた。
レッドの拳が鳩尾に深々とめりこんでいる。
リンの方も、ほとんど同時に行動に移っていた。
「ごめんよ!」
リンの手刀が、警官の首筋を一撃した。
頚動脈を強打され、警官が一瞬硬直する。
レッドの目前の警官が崩れ落ちるのと、ポリスカー側に立った警官が長々と路面にのびるのが同時だった。
「手間がはぶけたぜ……姐さん、多謝!」
レッドの言葉に、リンが面倒くさそうに手を振った。
「俺の分は?」
膝の汚れを払いながら、ウォルフが恨めしそうな声をあげた。
「格好悪い目にあわされて……挙げ句の果てに、獲物をさらわれるなんざ……このフラストレーションをどうしてくれる?」
「さっきの賭けをチャラにしてやるぜ……姐さん、三分と三十秒だろ?」
左手首の汎用センサーに視線を落したリンが、小さくうなずいた。
「そうだよ……ここの警察にしちゃあ、いい記録だね」
「くそ……最悪だ」
ウォルフが、不愉快そうに唸る。
「セーラ、出ておいで……全部始末したんだからさ」
セーラは、驚いた表情でその状況をながめ渡した。
レッドとウォルフが、警官を身ぐるみはぎとっている最中だった。ガンベルトから、ジャンパーまで……これでは、追い剥ぎ強盗と変わらない。
「殺したの?」
セーラの言葉に、リンが楽しそうな笑い声をあげた。
「まさか……あたしらがいくら無頼でも、罪のない人間を殺すほど落ちぶれちゃいないさ……半日ぐらい目が覚めない程度に、ちゃんと加減してあるわ」
レッドとウォルフは、二人の警官を手錠とナイロンロープで手際よく縛りあげる。二人の楽しそうな表情を横目に、リンがため息をついた。
「で、どうするのさ? 放っとくの?」
「朝まで発見されないようにするのさ……」
「どうやって?」
「ダストボックスに放り込んどきゃ、清掃局が発見してくれる」
リンは、眉をひそめた。
「何て奴……まぁ、いいさ」
リンは、警官から奪ったジャンパーを、セーラに羽織らせた。
「ちょっとばかり、サイズが大きいけど……夜だから、わかりゃしないよね」
制帽を拾いあげ、セーラに被せてリンが微笑んだ。
「よしっ……似合うわ」
「えっ?」
戸惑うセーラを見て、リンが苦笑を浮かべた。
「ゴロツキどもがセーラを探してるはずだからね……無事に、アーカスシティを脱出するために警官に化けてもらうの」
「ばれてもポリスカーなら、高速だし軽装甲もある……強行突破も容易だぜ」
レッドの言葉に、リンが鋭い舌打ちを連打した。
「強行突破にならないように、警官に化けるんじゃないか。
あんたは、すぐに騒動を大きくしたがるから困るんだよ……いっつも、無用なぐらいの大騒動にしちまうんだから」
レッドは、リンの小言など聞いていなかった。
「おっさん、例の道具箱を貸してくれ……騒動になったら、役に立つかもしれない」
「使い方は知ってるな?」
ウォルフが、自分の腰からウェストバックを外しながら尋ねるのに、レッドがウィンクを返した。
「多謝……おっさんほど、応用は効かねぇけど、一応使えるから心配はいらないぜ」
レッドは、ポリスカーをのぞき込み、楽しそうに口笛を吹き始めた。
「姐さん……こいつは、新型のベルトロだぜ。アーカス市警は金持ちだね……使えもしない高性能マシンばっかり買い集めてやがる。
最高時速が四百キロオーバーの怪物マシンだ……こいつなら、まずケンカしても負けやしないぜ」
「このガキが……あたしの話を全然聞いてなかったのかい?」
「ちゃんと、聞いてるってば。
やむをえない状況になるまで、無茶をしない……これでオーケー?」
あきらめたのか、リンは大きなため息をついた。
「どこまで信用していいやらね……了解してるなら、さっさと行っちまいな」
ポリスカーのドライバーズシートにもぐり込んだレッドが、軽く手を振った。
浮上用ダクテッドファンが、鋭い音とともに回転し始めた。
「レッド!」
騒音に負けないような声で、リンがレッドに声をかける。
「気をつけるんだよ……くれぐれも、セーラを危険にさらすんじゃないよ!」
「姐さんは、心配性だね!」
騒音に負じと、レッドが怒鳴り返した。
軽く手を振ったリンは、浮上を開始したエアカーから離れる。
甲高いタービンノイズがピークに達し、ポリスカーが五十センチばかり浮き上がった。
「グッドラック!」
リンの合図で、レッドとセーラの乗ったポリスカーが、低周波の噴射音を残して走り出した。
「さて……あたしらも、のんびりしてらんないよ」
ウォルフをうながし、リンは軽い身のこなしで歩き始める。
「夜明けまで、あと二時間……それまでに、離陸しちまうよ」