ACT03 死者からの手紙
「リン姐!」
リンの姿を認めたとたん、セーラは泣き笑いのような表情を浮かべた。
「セーラじゃないのさ! 一体、どうしてここへ……」
リンが最後まで言い終わる前に、セーラがリンの胸に飛び込んだ。
「リン姐! お久し振りぃ……元気だった?
三年も経つけど、病気したりしなかった?」
リンに飛びついたセーラが、矢継ぎ早に尋ねる。リンの首に両腕を回し、セーラがワルツのようにステップを踏む。
セーラに抱きつかれたまま、リンが振り回される。
「ち、ちょっと……セーラ……」
バランスを崩し、よろめきかけるのを、リンは踏ん張って支える。
「あたし、ずっと……心配してたんだ」
不意に、セーラの声に震えが加わった。
リンを見あげるセーラの目尻に、大粒の涙が浮び上がる。
セーラは、リンの胸に顔を埋めて力一杯リンを抱き締める。
「よかった……本当に……」
「ちょっと待っとくれってば……あたしは、涙に弱いんだよ」
リンが、悲鳴に近い声をあげる。
珍しく、船長のリンがうろたえていた。常に冷静沈着で滅多に取り乱すことがないリンも、こういう場合は対処に困るらしい。
「本当に……探したんだからぁ……」
セーラの声は、半ば涙声だった。
レッドとウォルフは、予想しなかった展開に顔を見合わせた。
先ほどまでの気丈な娘の姿は、どこにもない。
「……お願いだから、泣かないでちょうだい……どうしていいか、わからなくなるんだからさぁ……」
リンの慌てぶりといったら、レッドも初めて見るものだった。
セーラにすがりつかれたまま、リンが説明を求めるような眼でレッドとウォルフを交互に見比べる。
レッドは、返事のかわりに肩をすくめた。
半泣きになっているセーラを、リンがやっとの思いで引きはがす。
「よかったぁ……会えないんじゃないかって……」
リンは、つと人指し指を伸ばし、セーラの目尻に浮かんだ涙をぬぐう。
「会えたじゃないのさ……けど、どうしてここへ?」
「父さんから……父さんから、手紙が届いたの」
「!」
リンの表情が急変した。
先ほどまでの穏やかさなど、どこにもない。
デルタクリッパーを操る時でも、滅多に見せない鋭い眼光だった。
「提督が?」
小さくうなずいたセーラは、ジャケットの内ポケットを慌てて探り、耐熱シートの包みを取り出した。
「リンに会って、これを手渡せって……」
リンの手に包みを渡したセーラの手から、不意に力が抜けた。
「セーラ!」
崩れ落ちかけたセーラを、慌ててリンが抱き支えた。
「ランディ! 早く、ファーストエイドキットを!」
大騒動になった。
意識を失ったセーラを抱えたまま、リンが手早く指示を飛ばす。リンは、素早くセーラの脈拍を計り、発熱の有無を確認する。
「ウォルフ! 薬は?
馬鹿ったれ、そんな密造ウィスキーなんざ、持ち出してくるんじゃないよっ!
ファーストエイドキットに、気付け用の薬が入ってるだろ?」
レッドとウォルフは、右往左往するばかりで、こういう場合、まるで役に立たない。
「レッド!
外傷がないんだから、鎮痛剤も包帯もいらないんだよっ!」
リンが、どやしつける。
騒動が落ち着いたのは、一時間も経ってからだった。
レッドとウォルフがいなければ、もっと早く落ち着いた状況が訪れたはずだった。
リンに追い立てられ、隣の部屋に追い立てられていたウォルフとレッドがドアのすき間から、顔をのぞかせた。
「症状は?」
「ただの疲労よ……心配はいらないわね」
ソファにセーラを寝かしつけたリンが、そう言って大きく息を吐き出した。
「極度の緊張状態が続いていて……それが途切れたとたん、反動が一気に出たのね」
「あー、びっくりした」
レッドのとぼけた言葉に、リンが苦笑を浮かべた。
「びっくりしたのは、あたしの方だよ……」
「この娘は、何者だ?」
毛布とファーストエイドキットを抱えたランディの問いに、レッドは大きなため息をついて肩をすくめる。
「提督の娘……だってさ」
「シェラザート提督の?」
ランディは、大きなため息をついた。
「えらい騒動を、持ち込んでくれたな」
ランディが、レッドの背中を、力一杯どやしつける。
「どうりで、街が騒々しいと思ったぜ……この娘は、暗黒街の連中に手配されている」
「?」
リンの表情が、険しくなった。
「どういうことだい?」
「詳しいことは後で話すが……暗黒街の連中が、必死で探してる娘だ」
「!」
寝かされていたセーラが、眼を開けた。
リンの手当てが効果を発揮し、意識は取り戻している。
「賞金首って奴さ」
「あたしが、賞金首ィ?」
セーラが跳ね起きた。
「まだ、寝てなきゃ駄目!」
慌てて、リンがセーラの肩を押えつける。
「だって!」
「寝てても話は聞けるわ……今は、体力を回復させるのが先よ」
リンは、強引にセーラをソファに寝かしつける。
リンの眼が、ランディを真正面から見つめる。
「さっ、話しておくれ……セーラが賞金首だって情報をさ」
ランディは、部屋の奥のロッカーから一冊のファイルを取り出してくる。
ファイルのページを素早く開き、テーブルに置いた。
「つい昨日だ……お嬢ちゃんの手配書が、裏から回ってきた」
「!」
セーラは、かすかに顔色を変えた。
手配書には、セーラの顔写真が載っている。遠距離から隠し撮りしたらしい画像だが、明瞭にセーラと識別できる鮮明なものだった。
この娘を生きたまま無傷で捕らえれば、アーカスシティの暗黒街を縄張とする三つの犯罪組織が共同で賞金を支払うといった内容の文面だった。
報奨金の額は、一千万クレジットだった。
「一千万クレジットたぁ、豪勢だな……アーカスシティのごろつきどもが、目の色変えてお嬢ちゃんを探し回るはずだ」
ウォルフが肩をすくめた。
「昨日の深夜だが……お嬢ちゃんに似た人間が、宇宙港で一時的に拉致された事件があったが、警察は見て見ぬ振りさ」
リンが、鋭く舌を打ち鳴らした。
「どこの、どいつだか知らないけどさ……警察当局にもガタガタ言わせないだけの力量を持ってるって考えた方が、妥当な線だと思わない?」
「下手をすると、裏社会の連中と一戦交える羽目になりそうだな」
ウォルフが、音を立ててファイルを閉じた。
「嫌な状況だぜ……尻をまくって逃げた方がいい」
そう言っているわりには、ウォルフの表情に怯えはない。
「暗黒街の連中がセーラをねぇ……あ、こら!」
リンの前にあったウィスキーボトルが、横から手を伸ばしたレッドにさらわれた。
「飲らなけりゃあ、やってらんねぇ……」
「後にしな!」
リンが、ボトルを奪回する。
「酒を飲んでる場合じゃないんだよ……」
リンは、セーラから渡された包みを、テーブルの上に載せた。
「さっ、話してもらおうかしらね……どういう事情で、こうなったのかをさ」
レッドは、肩をそびやかした。
「ウォルフから説明してやってくれよ」
セーラ・シェラザートは、戦災孤児だった。
メルイアが統合戦争に敗れたとき、十四歳だったから、今年で十七歳になる。
父親は、勇猛で鳴り響いたロッド・シェラザート少将だが、メルイア降伏直前に戦死したという。
正確には、行方不明だった。
メルイア崩壊の三カ月前、極秘任務を帯びたロッドは、最新鋭巡洋艦一隻で何処かへ出港している。
公式記録でたどれるのは、そこまでだった。
それ以降、ロッド・シェラザート少将の消息は聞かれなかった。
ロッド・シェラザート少将は、巡洋艦ごと消息を断った。一説では、キラー衛星に接触し撃沈されたという。
だが、確認はされていない。
最期の任務内容も、不明だった。
ロッドの秘書的な立場にいたリンでさえ、その任務内容を知らされることはなかった。
それゆえに、様々な憶測を呼んでいる。敗戦を予期したメルイア軍上層部が、戦後の再興の資金としようと隠匿した戦略物資を運んでいたとか、逃亡を計った大統領を乗せていたとかといった類の伝説だった。
メルイア崩壊直前の大混乱していた状況だけに、情報も錯綜している。
セーラを救ったのは、リンたちシェラザート部隊の人間だった。メルイア崩壊後、セーラが中央星系の商船学校に身分を隠して入学できたのも、リンたちの援助があったからだった。セーラが希望する中央星系の商船学校に入学させることも、シェラザート提督からの依頼だった。
そんなセーラの元へ、行方不明だった父からの手紙が届いたのが一月ほど前だった。
"リン・リンファ元中尉に、同封の物を直接手渡せ"
手紙の署名は、三年前に行方不明になったはずの父親の筆跡に間違いはない。
リンの居場所がアーカスシティだということまでは、セーラも承知していた。だが、中央星系から辺境のアーカスシティは遠かった。ちょっと外出というわけにはいかない。
セーラは、休学届を叩きつけるようにして商船学校を飛び出し、リンを探す旅に出た。
セーラが、アーカスシティを訪れたのは、こういった事情からだった。
「つまり……ごろつきに絡まれていたセーラを、偶然にあなたたちが助けた……そう言いたいわけ?」
事情を聞き終ったリンが、レッドとウォルフを均等に見比べる。
「助けたセーラが、あたしを探していたから連れてきた……と?」
「まぁ、おおまかに話せばそんなところだな」
リンの冷たい視線ににらまれ、ウォルフが決まり悪そうに鼻の頭を指先でかいた。
デルタクリッパーの船長兼オーナーのリンだけは、ウォルフも苦手だった。整った容姿と裏腹に、口が悪い。
口だけでなく、酒もケンカも滅法強い。
荒くれ者がそろう自由貿易業者の世界で、対等に生き抜いているのだから、そのしたたかさは群を抜いている。
「ケンカを止めるつもりで、逆にケンカを売られた……で、全員を叩きのめしたってわけね?」
「リン姐さんは、話が早い」
リンは、軽口を叩きかけたレッドを、にらみつけて黙らせる。
「嘘をおっしゃい……どーせ、ケンカをしたくてうずうずしてたんだろ?」
「とんでもない……先に手を出したのは連中だぜ」
「挑発してなきゃね。
まぁいいさ……今回は、結果オーライってことで不問にしてあげるよ。
暗黒街の連中がセーラを狙っている、なんて知らなかったし……偶然でも、レッドが馬鹿をやらかしたから助かったんだものね」
リンは、傍らのソファに横になったセーラに視線を移した。
顔色がまだ悪い。商船学校のある中央星系のクーリェから、辺境のセルテゾールにたどり着くまで、恐らく神経を張り詰めたままだったのだろう。極度の疲労と緊張から、急に解放されたために起きた反応だった。
「そんなに緊張しないでもいいよ……こいつらは無頼だけど、取って喰ったりしないからさ」
リンは、そう言って微笑んだ。
リンが笑うと、さっぱりとしたいい笑顔になる。レッドとウォルフをにらみつけていた時の険しい眼光など、どこにもない。
「三年ぶりだものね……それにしても、よくここまでやってきたもんだよ」
自分のピアスを指でいじりながら、リンがしげしげとセーラを見つめる。
「しばらく見ないうちに、背が高くなったね……目元の鋭さなんて、提督に似てるよ」
「父さんは……生きてるの?」
セーラの言葉に、リンは首をかしげて見せた。
「生きていて欲しいって思いは、あたしも同じだよ。
けど、生きてりゃ、あたしたちシェラザート部隊の生き残りに連絡を取るはずだよ。
まだ何とも言えないわね……誰かに手紙を預け、三年間経って投函するって方法もあるからさ」