ACT02 眠らない街
暗黒の空間に、無数の星が輝いている。遠近感さえ感じられない無限の空間だった。慣れなければ、まず間違いなく空間失調を引き起こす。
その不可思議な空間に男がいた。
宇宙空間に浮遊していない証拠に、男はシートに座っている。
だが、そのシートさえ輪郭がかすみ、幻想的な趣が存在していた。
星の光に浮びあがる男の表情は、驚くほど整ったものだった。
金色の髪が柔らかに波打ち、古代の彫像を思わせる顔の造形を引き立てている。
細められた両眼は、全ての感情を捨て去ったかのような輝きをしていた。無限の彼方へ視線を投げたまま、瞳には何も映していない。
かすかなコール音が、男の意識を現実に引き戻した。
「私だ」
男の声に反応して、周囲の星空が消滅した。
壁面には、大小様々なディスプレイとコンソールのイルミネーションに彩られ、宇宙空間をながめていた眼には、まぶしすぎるほどの明るさがあった。
男は、明るさに面食らったように、二三度瞬きをした。薄水色の瞳に、酷薄な意志の輝きが戻ってくる。
そこは、宇宙船の航法を司るチャートルームだった。
スターチャートの立体映像が消えた室内は、意外と狭いものだった。大型のチャートテーブルが室内空間の大半を占領し、天井には大型のディスプレイがはめ込まれている。
『アーカスシティからの緊急連絡ですが……』
シートのアームレストに装備されたコンソールのスピーカーから、控え目な声が流れてくる。
「よし、つなげ」
無表情な男の口元が、かすかにゆがむ。待ちかねていた連絡だった。ターゲットの拘束命令を出してから、もう十二時間以上が経過している。
コンソールの表示が、保留解除になったのを確認して、男は受話器を持ちあげた。
「キーラーだ……報告を聞こう」
キーラーと名乗った男の端正な表情が、通話相手の報告を聞いた瞬間、かすかに硬くなった。
「ターゲットの拘束に、失敗?」
一語一語正確に発音し、聞き返す。
キーラーの薄い水色の瞳が、一瞬険しい輝きを見せる。
「状況を詳しく説明しろ」
『1320にターゲットを捕捉。
五時間あまりの追尾の後、拘束行動に移りました……』
「そこまでは、前回までの定時報告で聞いている……その後の説明からでいい」
受話器から流れてくるグレンの声を、キーラーがいらだたしげにさえぎった。
『申し訳ございません……配下の者たち8名を使い、拘束に移ったところ……ターゲットの猛反撃にあい、拘束に失敗しました』
「貴様の部下は、十七歳の娘一人に負けるほど軟弱なのか?」
相手に反論を許さない、冷徹なキーラーの声だった。
『それが……思わぬ邪魔が入りまして……はぁ、ダウンタウンでケンカの助太刀が入るとは思っても見なかったようで……』
「追尾したのか?」
『それが、腕っぷしの強い野郎で……八名とも、口がきけない状態で、現在病院に収容されております』
「言い訳はいい……引続き、捜索を続行しろ。
特に宇宙港と、ハイウェイを重点的に監視しておけ……絶対に、アーカスシティから出すな。
アーカスシティ中のホテルも、全て監視対象に置くんだ……ターゲットが寄りそうな繁華街のたまり場もな。
それと、もっと腕の立つ連中を用意しろ」
受話器をフックに戻し、キーラーは形のいい眉をひそめた。
「役立たずめ……暗黒街の住人とはいえ、辺境のゴロツキでは、この程度が限界か……」
端正な表情に、かすかな嫌悪の色が浮かんだ。
ふと思い直し、コンソールのインカムの送話ボタンに指を走らせる。
「俺だ……バッサを出頭させろ」
命令を下すことに慣れた、尊大で事務的な口調だった。
待つほどのこともなかった。
ほんの三十秒で、ドアに取りつけられたインカムがコール音を鳴らした。
「入れ!」
サーボモーターの静かな唸りとともに扉が開き、屈強な男が入ってきた。極限まで鍛えあげられた肉体が、スペースジャケットの生地を盛りあげ、いまにも破れそうに見える。
ダークグレイのスペースジャケットを着た姿の第一印象は、灰色の男だった。短く刈り込んだ髪の色も灰色なら、感情の欠落した瞳の色も灰色にくすんでいる。血の気の薄い肌の色まで、心なしか灰色がかって見える。
「バッサ、出頭いたしました」
直立不動の姿勢で命令を待つ姿は、どこか軍人の匂いを漂わせている。だが、スペースジャケットには階級章がない。
「シャトルは使えるな?」
「四十五分で射出可能です」
「結構……では、荒事の得意な者を3個小隊分選抜し、三十分以内に降下準備をさせろ。
指揮は俺がやる……副官は、貴様だ。
ここのゴロツキ連中では、無駄な時間がかかりすぎる……ターゲットの捜索並びに拘束活動に入る」
「イエッサー! コマンダー!」
バッサが、踵を打ち鳴らし、正式の敬礼を送った。肘を前に向けるその敬礼は、三年も前に崩壊したメルイアの大統領警護隊特有の敬礼だった。
「作戦の詳細は、追って伝える」
バッサが下がるのを見送りながら、キーラーの口元に初めて微笑みらしきものが浮かびあがる。
それは、微笑みと表現するにはあまりにも冷たいサディスティックなものだった。
「必ず、返してもらうぞ……提督が我々を裏切ってまで、隠そうとしたメルイアの遺産をな!」
◆
自治惑星国家セルテゾールの首府であるアーカスシティには、混沌と無秩序という言葉が一番似合う。
古びた建物の壁面にしがみついた、大小様々な看板が頭上を彩っている。
夕暮れ時でも、メインストリートは派手な光の洪水だった。
極彩色のイルミネーションがあふれるこの街は、真夜中をすぎてからが一番活気がある。紅や緑の色彩がまばゆく輝き、明け方まで人通りが途絶えることはない。
軌道ステーションとアーカス宇宙港を結ぶ定期便のシャトルが、ブースターの派手な火炎の尾を引きながら、夕焼け空を切り裂いて上昇してゆく。腹の底に響くソニックブームの震動が、街の全てをゆさぶっている。
騒音公害など、まるでおかまいなしの街だった。シャトルやエアバスの離着陸は、終日行なわれている。この程度の騒音に驚いていては、この街で生きてゆく資格がない。
アーカスシティそのものが、宇宙港のために存在する街だった。
あまり上品な街じゃない。
だが、ここには生命力の輝きがある。この街角に立つと、宇宙を舞台にした統合戦争が終結し、どこの星系も疲れきっているとは思えなかった。
多種多様な匂いが混ざりあい、独特の空気に仕立てられている。
あちこちの言語が乱暴に飛びかう、無国籍の街……それが、惑星セルテゾールの首府アーカスシティの姿だった。
アーカスシティの旧市街区の東外れに、ジャンク屋が建ち並ぶ通りがある。
軍の払い下げの宇宙船のスクラップなどを買い取り、再生して売る連中の集まりだった。スクラップ寸前の車両でも、ジャンク屋の手にかかれば、見事に再生されて実用品として再び売りに出される。宇宙船でさえ、再生してしまう連中の街だった。
その一角に、古い三階建てのビルがある。
壁にへばりついたプレートには、墨痕鮮やかに東洋系の旧字体が踊っている。
『星港旅運有限公司』
今時、漢字が読める人間などほとんどいない。これは、船長リンの趣味だった。
その下には、ほんの義理で『STAR EXPESS RIMITED』の文字が並んでいる。
一階部分が、作業場になっており、あちこちに機械部品の残骸が放り出してある。
その建物の、二階に明りがついていた。
部屋のいたるところに何かの機械部品が放り出され、壁には様々な宇宙船の電装系に使う光ファイバーのリールが立てかけられている。
「メルイアの遺産ね……興味を引くうわさ話だよ」
ソファに腰を下ろしたリンが、静かにつぶやいた。高速船デルタクリッパーの船長として、リン・リンファの名前は自由貿易業者の仲間内では有名だった。
名前だけの貿易会社スターエクスプレスの書類上のオーナーでもある。
リンは、どことなくミステリアスな、東洋系の美貌を持っている。三十代半ばの若さと落ち着きを兼ね備えた、独特の雰囲気を漂わせていた。切れ長の瞳は、何ともいえない輝きをたたえ、薄い口元は強く引き結ばれている。
テーブルには、ポータブルタイプのコンピュータが置かれていた。
液晶ディスプレイに視線を走らせ、リンは小さく舌を打ち鳴らした。統合戦争末期に、メルイア軍が隠匿した膨大な戦略物資の行方を示すという、スターチャートだった。
腰まで届く黒髪が、リンの頭の動きにつれてかすかにゆれる。
「興味は引くけどさ……話が出来すぎてると思わない?」
「まぁ、宝の山を掘り当てる確率は……低いかも知れないがな」
部屋の隅のコーヒーメーカーの前に立ったランディが、あっさりと同意した。この情報を拾ってきた本人も、この情報の信頼性を、今一歩信用していないような口調だった。
ジャンク屋と情報屋を兼業しているが、リンたち自由貿易業者に仕事を斡旋する商売もやっている。
本名は、ランディ・モーロック。だが、"嘘つきランディ"という通称の方が通りはいい。もっとも、ふざけたあだ名と裏腹に、信頼できる相手だった。
元々はリンと同様メルイア軍人だったが、現役を退いてかなりの年月がすぎている。
だが、メカに滅法強く、表稼業のジャンク屋としても評判はいい。リンの愛船デルタクリッパーを改造したのも、この男だった。
「メルイアが隠匿した膨大な戦略物資の行方を突き止めたって話は、まだ聞いたことがない……」
マグカップを持ったランディが、注意深い足取りでリンの方へ歩きながら答える。
「おまけに、戦争終結直前に行方を消した宇宙船の数は数百隻にのぼっている……何かをどこかへ運ぼうとしたってのは事実だと思うがな」
リンの前に、マグカップを滑らせる。
「けどさ、こういった噂話はそれこそ、星の数ほどあるよ……統合戦争にまつわるミステリーだけで一冊の本が書けるほどね」
リンは、かすかに皮肉めいた笑いを口元に浮かべた。
メルイアが隠匿したという高エネルギー源オメガストーン、トラルキア連合の高速戦艦が消息を絶った魔の星域……数えあげればきりがない。どれか一つでも発見できれば、ちょっとした財産になる噂話だった。
リンの言葉を予想していたらしく、ランディが苦笑を浮かべた。
「やはり……挑戦する気はない、かい?」
ランディの顔を見あげ、リンは照れ臭そうに肩をすくめてみせた。
「最近、大きな仕事がないからね……少し真面目に稼がないと、デルタクリッパーの運行費さえ払えなくなっちまうのよ」
「ギャンブルに手を出すにはつらい……かい?
宝の山を掘り当たれば、一生遊んで暮らせるんだぜ」
リンは、首を横へ振った。
「ここしばらく赤字続きでねぇ……今必要なのは、当座の回転資金なの」
「夢もかけらもないな……」
先にため息をついたのは、どちらだったかわからない。一瞬、顔を見合わせ、二人とも同時に吹き出した。
「商売で宇宙船を飛ばしてるからね……うちのごろつきどもは、経済運航なんて考えるような連中じゃないから、あたしが胃の痛い思いをしてるのよ」
喉を鳴らして笑いながら、リンが大げさに胃を押えて見せる。
「それで思い出したが、坊やはどうしてる? 元気にしてるか?」
とたんに、リンが眉根を寄せて、小さなため息をついた。
「レッドかい? 元気すぎて手に負えないくらいさ」
「だが、役には立つだろ?」
「まぁね……一流のパイロットってのは、認めるけどね。
トラブルが大好きってのがね……頭痛の種なのよ」
そう言っているわりには、リンの表情は嬉しそうだった。
レッドとウォルフがいなければ、デルタクリッパーは性能の半分も発揮できない。自由貿易業者の中でも、飛びきりの腕前を持った仲間たちだった。
かすかな音量で、アラームが鳴った。
敷地に張りめぐらせたセンサーが、接近する人間をキャッチしている。
「噂をすれば何とやら……だな」
ランディが、壁際にすえつけられたモニターに視線を走らせた。この街では、このぐらいの警戒システムでもなければ、安心して暮らせない。
「デルタクリッパーのごろつきどもがお目見えだ……ありゃあ? 珍しいことに、女を連れて来てやがる」
「あんの馬鹿者どもが……」
リンは、マシンガンのように舌打ちを連打した。
「ここへ、よそ者を連れて来る時は、事前に連絡しろって強く言ってあるんだけどね」
裏稼業をなりわいとするため、このぐらいの警戒心がなければ生き抜くのは難しい。
リンは、左手首のリストバンドの画面に指を触れた。一見するとごく普通の腕時計だが、通信機能を持つ宇宙船乗り用の多目的センサーだった。
画面のセレクターに指を触れ、ウォルフを呼び出した。
「!」
鋭い電子音が、かたわらで鳴り響いた。
コール音がしたのは、リンのハンドバックの中からだった。
「あんのやろぉどもが……」
リンは、ハンドバックの中からウォルフとレッドのリストバンドを引っ張り出した。
「いつの間に、ここに放り込んだんだか……」
夜遊びの最中に、リンに呼び出されてはたまらないとばかり、逃げ出す時のどさくさにまぎれてレッドが放り込んだのに違いない。
「帰ってきたら、とっちめてやる」
ランディが、リンの注意をうながした。
「とっちめるも何も、様子がおかしいぞ」
「?」
リンもモニターに移るレッドたちの素振りに、いつもとは違う違和感を覚えた。
「妙に背後を警戒してるな……ここはジャングルじゃないんだが」
「どーせ、厄介なトラブルを背負い込んできたんだよ」
リンは、レッドたちを迎え入れるため、立ち上がった。
「死人が出てなきゃいいんだけどね……それが、一番の心配よ」