序章 強行着陸
『こらぁ! デルタクリッパー!
進入禁止だってのが、わからねぇのか!』
ヘッドフォンに、怒鳴り声がとびこんできた。
こんな口が悪いのは、銀河広しといえどもアーカス宇宙港のコントロールセンターぐらいのものだろう。
パイロットシートのレッドは、うるさそうに舌を打ち鳴らした。
黒い髪と青灰色の瞳を持つ、まだ二十才に満たない若者だった。わずかにあどけなさを残しながらも、その風貌は野生味にあふれ、青灰色の瞳の奥には抑えきれないエネルギーを秘めている。
高速輸送船デルタクリッパーは、アーカスシティ上空一万五千メートルにいる。眼下に拡がる灰色の雲海を見れば、管制官に言われなくとも下界の状況はよくわかる。
『聞いてるのか? デルタクリッパー! 貴船の進入許可は認めていない! 所定のエリアで、待機してろ!』
「ばっきゃろーい! こちとら特急の荷物を積んでんだ! 許可がなけりゃ、勝手に降りるぜ!」
レッドが、負けじと怒鳴り返す。
もともと、レッドは気が短い。
『アーカスシティ周辺は、ハリケーンの直撃を受けてるんだッ! いいか、観測史上で最大級のハリケーンなんだぞっ!』
「けっ! ハリケーンが恐くって、パイロットがつとまるかってんだ!」
レッドとて、ハリケーンの恐さは承知している。
今でこそ自由貿易船に乗り組んでいるが、レッドは、ほんの三年前まで少年兵として戦闘機を操縦していた。視界ゼロで、突風の中の着陸がどれほど危険か、知らないわけがない。
「うるさいねぇ」
今まで無言だった船長のリンが、レッドの背後でぼそりとつぶやいた。
長い黒髪が、リンの動きに応じて柔らかくゆれる。薄暗いブリッジの中で、リンの白い肌と、紅い唇が鮮やかに浮かびあがっていた。デルタクリッパー船長のリンは、その美貌と大胆な性格で、自由貿易業者の間にその存在が知れ渡っている。
「レッド? 回線をこっちに回しておくれ……あの坊やを黙らせるからさ」
物騒なセリフを聞くまでもなく、レッドは手元のスイッチを切り替えていた。
「ハロー、こちらデルタクリッパー……アーカス宇宙港コントロールに告げる」
女性らしい、柔らかな口調だった。
一瞬の間を置き、リンはがらりと口調を変えた。
「ガタガタ騒ぐんじゃないよ! そっちの天候が晴れてよーが、大雪だろうが、あたしらの知ったこっちゃないんだからね!
勝手に降りるってんだから、よけーな世話を焼くんじゃないわよ」
『なっ!』
あまりの口の悪さに、さすがの管制官も絶句する。
その瞬間を狙って、リンが一気にたたみかける。
「このデルタクリッパーは、アーカス宇宙港が母港なのよ。自分の家に戻ってきて、家に入るなってのはどういうこったい、えっ?」
これは無茶な言いぐさだった。
宇宙港の安全基準に引っかかる悪天候だった。いくらルーズでうるさいことを言わないアーカス宇宙港の管制官でも、着陸許可は出せない。戦時中でも、こんな強行進入をやらかした馬鹿者は、まずいなかった。
『堕ちて死ぬのはそっちの勝手だが、シティに墜落されちゃ迷惑なんだよ!』
管制官の口調も、荒っぽくなってきた。
「うるさいね……こっちがちゃんと降りてみせるって言ってんだから、よけいな心配するんじゃないわよ」
『事故報告書を書かされるのは、この俺だ!』
管制官も、負けていない。
「だったら、あたしらが強行進入したってことにしときゃいいでしょーが! どのみち、勝手に着陸するつもりなんだからさ!」
『瞬間最大風速四十五メートル、風向きは二七三、視界ゼロ、滑走路の路面状況は目一杯ウェット……C滑走路なら、おおむね向い風になる』
リンは、喉を鳴らして笑った。
「了解……後で、一杯おごるわよ」
『あんたらが生きてりゃな……始末書は、ちゃんと書いてもらうぜ』
あきらめとも捨てゼリフともつかない言葉を残して、通信が途絶えた。
「……だとさ」
レッドの横のシートに腰をすえたウォルフが、大きく肩をすくめた。
あどけない少年の面影を残すレッドと違い、ウォルフの人相はかなり悪い。百九十センチを上回る長身は圧倒的なプレッシャーを発散させ、左頬に走る一条の古傷がさらに迫力を増加させていた。
間違えても、夜のダウンタウンで遭遇したくない凶悪な人相の持主だった。
リンが、クスッと笑った。
「あの坊やに始末書を代筆させないためにも、ちゃんと着陸してやらないとね」
「やれやれ、厄介なことは全部こっちに回ってきやがる」
レッドが鼻を鳴らした。
もっとも、緊張しているような様子はない。
◆
人間が宇宙に飛び出してから、かなりの年月が流れている。適応力に優れた人類は、外へ外へというバイタリティで宇宙に拡がっていった。
超空間航法システムの実用化が、光年単位の広大な宇宙空間を狭くした。居住可能惑星を開拓し、居住に適さない惑星は様々な方法で手を加えてその支配下に置いていった。
宇宙空間には無数の軌道ステーション群が建設され、毎日のように恒星間宇宙船が出航してゆく情景があちこちの星系で見られた。
宇宙を舞台にした大航海時代の到来だった。
銀河のあちこちへと散った人類は、その恒星系ごとにまとまり、独自の国家を創りあげた。
だが、人類は地上に張りついていた時代から少しも進化していない。
元来、好戦的な人類は、宇宙空間に戦争を持ち込んだ。
群雄割拠に近い戦争が、何度も繰り返された。
その中でも、統合戦争と呼ばれる三十年に渡る戦争は、銀河の全域を巻き込んだ最後の闘いだった。
決着はつかなかった。
どこの国家が勝って、どこが負けたという戦争終結ではない。
ノーサイドだった。
経済の限界を超えた戦争は、全ての国を徹底的に疲弊させた。戦争の続行が不可能になったために、平和が訪れたにすぎない。
だが、それでも連邦という統合政府が樹立されたことで、全面的な戦闘はほぼ終結したといえる。
辺境の惑星国家セルテゾールなどは、統合戦争の被害も少なかった。もともと、大した資源があるわけでもなく、主戦場になることもなかった。
宇宙船が補給のために立ち寄る拠点として、セルテゾールが脚光を浴びたのは戦後になってからだった。
自由貿易の拠点として名高いセルテゾールには、様々な物資が集まってくる。放任経済を自称し、関税をとらない自由貿易港があるため、豊富な品物が格安で流れ込んでいる。
それが自治惑星国家セルテゾールの姿だった。
◆
デルタクリッパーは、高度を下げて着陸アプローチに入った。
乱気流の影響で、一瞬デルタクリッパーの巨体が強くゆれる。二百メートル級の船体でも、大自然の力の前には無力な存在だった。
「あんまり、がぶられるのは趣味じゃないね」
リンの言葉に、ウォルフが乾いた声で笑いだした。
「さっきの管制官に聞かせてやりたいぜ……だからおとなしく、上空待機してろって怒りそうなセリフだ」
「お黙り……ハリケーンの乱気流の影響を最短時間に抑えて、着陸する方法を考えておくれ」
「低高度進入をするからいけないんだ……高度を下げないで進入すればゆれないぜ」
「レッド……着陸するってのを忘れちゃいないかい?」
うんざりしたようなリンの声に、レッドが首をかしげた。
「ゆれるのは嫌って言っただろ? 宇宙港の上空まで、高度一万を維持して進入すればゆれないぜ」
「着陸は?」
「垂直に降下して、一気に引き起こす」
背後の船長席から、大きなため息が聞こえた。
「積荷はどうするのさ?
急降下爆撃じゃあるまいし……引き起こしのGで、全部おしゃかだよ」
積荷は、中央星系で入手した医薬品のコンテナだった。銀河辺境では入手困難な薬品だからこそ、こうしてはるばる運んできたのだった。耐衝撃コンテナに納められているとはいえ、レッドの好きにさせれば積荷の安全は保障できない。
「じゃあ、あきらめたら? ハリケーンの中を突っ込むってのが一番穏やかなGだぜ」
「勝手になさい……あたしゃ、ちゃんと積荷が届けられりゃ文句は言わないよ」
確かに、ちょっとしたハリケーンだった。
大気を切り裂いて着陸体勢に入ったデルタクリッパーを大地に叩きつけようと、旋風が船体を激しくゆさぶる。
全長二百メートル近い巨体でも、コントロールを失えば不様な結果が待っている。
「ちっ! 自動制御じゃ、反応が遅すぎらぁ!」
レッドは、自動制御システムを手動モードに切り替えてしまった。
大気速度に応じて船体各部に展張されるフィンスタビライザーを、手動で収容してしまう。気流による姿勢の乱れは少なくなるが、一度姿勢を崩せば回復が難しくなる。
「何を始める気だ?」
ウォルフの声に、レッドが苦笑した。
「突風がある時には、翼面荷重が低い方が安定する……」
だが、レッドの操船は確かだった。
突風に、力技で対抗するのではなく、突風を味方につけて船をコントロールしている。
風には谷間がある。
レッドは、風の谷間を読んで、デルタクリッパーの巨体を降下させていた。
「最終進入コースに乗ったよ」
「ちょいとゆれるな」
ウォルフがつぶやいた。
ランディングギアを下ろせば、空気抵抗が増えるのはやむをえない。
速度が低下するのは当然だが、気流の影響をまともに受ける。
「ちっ!」
スタビライザーを展張させたとたん、強烈な横風にあおられた。デルタクリッパーの巨体が、一瞬側方にスライドする。
反射的に、レッドは姿勢制御スラスターを噴射させて、針路を元に戻す。宇宙空間の操船技術を大気圏内で使うのは、レッドぐらいのものだった。
「タッチダウン!」
デルタクリッパーは、豪雨で光る滑走路に、水しぶきをあげながら接地した。