序 「灼熱に囲まれた洞窟にて」
(承前)
傍を流れる溶岩の川が、絶えず火の粉を噴き上げる。既にハルバートの自我は虚無へと飲まれ、狂気を孕んだその眼光だけが確実に敵を捉えていた。
彼が右手に握る剣は、そこに意思が有るかの如く、ただ獲物を屠らんとゆらゆら揺れ動いている。
「お前の運命はここまでだ」
ハルバートはぼそりと呟いた。しかし彼のその小さな言葉も、しんと静まり返った洞窟の岩壁には、反響して伝わる。
「ククッ……。貴様の中に眠れる獅子が……ようやく目を覚ましたか。いや……ここは『竜』と言うべきかな……」
無様にも腹部から大量の血を垂れ流したヴェガは、地に伏せ息も絶え絶えに言葉を紡ぐ。もう最期は近い。しかしこの状況でなお、かの悪魔の口角は吊り上がっていた。彼は、羅刹と化したハルバートに歓喜さえしているかのように、歪んだ笑みを浮かべている。
「黙れ」
ハルバートの右手が振り上げられる。最早彼には、ただ目の前にいるこの悪鬼を消し去ること以外、全てが些末なことであった。
「ハルバートさん! 何か変です! 一度回復を……!」
「よせ、エミリー! ハルバートに近づくな!」
テオボルトの静止を振り切り、ハルバートに駆け寄るエミリー。
「邪魔を……するな!」
エミリーの華奢な身体を、ハルバートの剣が無情にも切り裂く。
「うっ……!」
「エミリーッ!」
鮮血を噴きながら倒れ行くエミリーの元へ、疾走するテオボルト。
「そんな……!」
仲間の狂気を目の当たりにしてさえ何の選択もできないセリアは、唯々《ただただ》この凄惨な現実を眺めていることしかできなかった。その唇は噛み締められ、頬には溢れ出す悲しみが伝う。
「ハッ……クハハハハハ! 見よ、これが貴様の本質だ、ハルバート・クロムウェル!」
その光景を目にし、哄笑するヴェガ。しかし殺戮者へと堕ちたハルバートに、湧き起こる感情など何もない。
勇者とは、ただ邪悪を殺すのみ。
灼熱で満たされた洞窟は、悲しみの紅に染まる――。