クラスメイトが痴漢している女装男
クラスメイトが痴漢している女装男を前に考える。彼は気づいているだろうか。電車が揺れてつり革を持った女装男が座席側に身を倒してくる。すでに見慣れた見知らぬ顔は、見知った制服を着慣れていた。スカート、あるいはプリーツ、白いライン、シャツの半袖、淡い緑のリボン、あるいは白いライン、ポケットと校章、僕と同じ学校の制服。なぜ彼もしくは彼女が女装男であると気づいたかといえば、たつものがたっていたからである。またクラスメイトがなぜそれに気づいていないのかと疑っているのかといえば、彼が胸をまさぐっているからである。一般的に男と女は胸の柔らかさや乳首の位置が違うから、彼も相手が女装男であると気づくに違いない。しかし登校中の電車の中で、毎朝同じ人の、しかも女装か正装かはさておいて同じ学校の制服を着た人の胸を触っている者に常識を問えるものだろうか。
僕が座席の端に座り、女装男がその前に立ち、クラスメイトがその後ろに立つ。文庫本を読んでいるふりをしながら、立っている女装男のたっているものを見やる。ひょっとしたら女装男は本当は女で、このたっているものはその後ろにいるクラスメイトのものかもしれない。彼女の太腿の間を通って布にぶつかり、少し押して、たつものがたったというわけである……彼が男性であることは間違いなかった。なぜなら男子トイレで見かけたことがある。性器の構造から女には立ちションが困難であるから、ごく普通に僕の隣の隣で小便を排出していたクラスメイトはほぼ男と言って間違いない。
ページをめくりながらにあくびをする。そもそも痴漢なのだろうか。彼は女装男と交際しており、痴漢プレイをしているのではないか。その場合、クラスメイトは女装男が男であると知っていることになる。視線をあげると、女装男と目が合う。しかしよくよく見てみると、彼の視線は僕の手にある文庫本に注がれている。本を左右に動かしたり、上下に揺らしたりする。女装男の目が追う。そのうち目的地に到着し、僕たちは降車する。
図書室にやってきたクラスメイトを前に考える。彼は一直線に新書コーナーに向かい、腕を組んで背表紙を二分ほど眺めていたが、カウンターそばにある「新しく入った本」のコーナーに戻ってきて、ドラマ化が決まった有名小説を一冊手に取ると、椅子に座ってそのまま読み始めた。
彼はふだんから図書室を利用する生徒ではなかった。クラスメイトが頬杖をつきながら文庫本を読む姿を見ながらに考える。もともと本が好きなのだろうか。今朝、女装男は本に興味を示していた。彼もまた本が好きなのだろうか。とすると、二人の間には共通の趣味があることになる。それとも、クラスメイトはもともと本が好きではないのだろうか。今朝、女装男は本に興味を示していた。彼が本を好きだと考えたクラスメイトは趣味を合わせるために本を読みにきたのではないだろうか。または、理由もなく気まぐれに本を読みにきたのだろうか。彼がカウンターに近づいてくる。僕は女装男を痴漢していたクラスメイトのために貸出手続きを行う。
姿勢を正して授業を受けるクラスメイトの背中を見て考える。彼には心の闇があるのだろうか。これを解決するためにはまず痴漢か痴漢プレイか考える必要があった。常習的な痴漢であれば病的であるといえるし、常習的な痴漢プレイであればやはり病的であるといえるが、その二つは決して同じではない。彼が一度振り返るが、何もなかったかのようにふたたび前を向く。彼も人目を気にするのだろうか。痴漢または痴漢プレイはいつもそこまで混んでいない車内で行われる。彼、もしくは彼と彼、または彼と彼女には痴漢あるいは痴漢プレイを他人に見せつける意図があるのだろうか。ノートに書いていた数式が罫線からはみでている。不特定多数の人間に見られたほうが興奮するのだろうか。だれも見ていない場所では触れもしないのだろうか。それはただの痴漢や痴漢プレイよりもっと重篤ではないだろうか。そもそも帰りの電車でも痴漢や痴漢プレイをしているのか。その場合、他にだれも目撃していないということはないはずだから、注意されたことがあるかもしれない。彼または彼らはそれでも止めなかったのだろうか。もしも朝の電車でだけ行為を続けているとしたら、痴漢や痴漢プレイに価値を見出しているのではなく、同じ場所と時間に痴漢や痴漢プレイをすることが彼または彼らにとって重要なのではないか。いずれTV放送やDVDで観られる映画を映画館にまで足を運んで観るように。黒板に解答を書いて自席へと戻る彼と視線がぶつかった。僕は朝の電車で女装男に痴漢あるいは痴漢プレイをしていたクラスメイトから目をそらしてノートを見直す。
生徒会長に渡された資料を読みながら考える。なぜ生徒会長は完成版と生徒会役員に渡すプリントで紙を変えているのだろう。つるつるとした紙の表面を撫でる。メリットはすぐに浮かぶもので三つある。一つはプリントが他の生徒に出回った時に役員が流出元だと分かること。次に修正した完成版とオリジナルの見分けがつくこと。最後にこちらのコピー紙の方が安い場合に経費削減になること。粗悪な紙を大量に購入したために、早く消費したいという事情があるのかもしれない。問題はだれがいったいこれを発案したかということだ。現生徒会長が自発的に始めたのだろうか。それとも他の役員から助言があったのだろうか。妥当な線でゆけば前生徒会から引き継いだのかもしれないし、教師から指導があったのかもしれない。あるいはまったくの偶然ということも考えられる。気分で選んで紙を入れ替えているうちに、完成版とオリジナル版で使用される紙がわけられたという可能性だ。生徒会長に肩を叩かれ、コピーを頼まれる。そういえばそもそも生徒会長が生徒会室の印刷機を利用してプリントしている現場に居合わせたことがない。印刷機の使い方は教えてもらったが、出てくる紙がざらついたものかつるつるしたものか、意識したことがなかった。つまり、生徒会長は紙の種類についてまったく関与しておらず、生徒会室の印刷機とそれ以外の印刷機で使用している紙が違い、オリジナルと完成版で使用する印刷機が異なるために紙が変わるのではないか。僕が適当な理由をつけて断ると、先輩の頼みを断るなよなと生徒会長は半笑いで印刷機に向かう。
クラスメイトが痴漢している女装男を前に考える。彼らの前にいつも座っている僕が遅刻で一本乗り遅れたとして、痴漢あるいは痴漢プレイは行われたのだろうか。女装男がスカートのひだを整える。それは考えてはいけない話だ。なぜなら一本乗り遅れた時点で、協力者でもいないかぎり、一本前の電車で行われたもしくは行われなかった痴漢または痴漢プレイを観測することはできないからだ。さらにもし協力者がいたとしても、必ず真実を言うとは限らない。また本当か嘘かを判定する術もない。当人はだますつもりがないにしろ、表現が事実と乖離することもありうるし、正確な表現に努めても聞き手が誤解する危険もある。
他者を仲介すればするほど、連想は現実的な強度を失い、空想に転じてゆく。
あらためて、クラスメイトが痴漢している女装男の胸をまさぐる手の動きを捉えながら考える。そこに性的な快楽はあるのだろうか。まず、女装男はたつものがたっている。しかしたつものがたつとき、必ず性的に興奮しているとは限らない。文庫本から少し目をあげて顔を見てみる。あいかわらず文庫本に視線を落としている女装男の顔に紅潮や発汗は見当たらない。唇は閉ざされているが、歯を食いしばったように強く結ばれているわけでもない。表情に出ないのだろうか。それとも状況に対して何の感情も抱いていないのだろうか。それとも度重なる痴漢被害から摩耗しているのだろうか。それとも怒りを隠しながら復讐の機を窺っているのだろうか。それとも他の乗客に痴漢または痴漢プレイの最中であることを悟られたくないのだろうか。それとも気持ちよくても表情に出さないように調教されているのだろうか。
女装男を痴漢しているクラスメイトはどうなのだろう。消しゴムのごみを丸めていて絶頂を迎えないように、単純に他人の胸をこねているだけでは快感を得るのは難しいのではないか。しかしクラスメイトに限ってはそうでないかもしれない。緊張感と背徳が倒錯的な悦びをもたらしている可能性もある。しかし無我夢中で周りの目なんて気にしていないかもしれない。恋人たちが抱きしめあいキスをするように、それは愛の儀式というのも考えられる。しかし憎しみゆえの行為というのも捨てがたい。痴漢しているクラスメイトと女装男が電車を降りた。僕は慌てて降車する。
一本後の電車でついた教室のなかで考える。なぜいつもより騒がしいのだろう。そして、ふだんの電車に乗っていたはずのクラスメイトがいないのはなぜだろう。風邪で休みなのかもしれないし、遅刻しているのかもしれない。その場合、痴漢あるいは痴漢プレイは行われているのだろうか。クラスメイトが痴漢している女装男は今日もクラスメイトに痴漢されているのだろうか。
時計の針のように、声は心の空隙に響く。
「だからさ。あいつ痴漢として取り押さえられたんだって」
クラスメイトの席を足蹴にした男子生徒が周囲の人間に語り聞かせる姿を見ながらに考える――。
「しかもその痴漢に遭ったのがさあ、うちの生徒会長で!」
興味を抱いたように身を乗りだす女子生徒を前に考える――。
「えー、カワイソー」
「そうでもないぜ。くく、なんだって会長、女子の制服を着てたからな」
ついた頬杖で耳をふさぎながらに考える――。
「あー、なら何? 痴漢じゃなくてそういうプレイって感じなわけ?」
「わけわけ。で、現場にいたやつの情報によると注意されたときに二人で逃げだそうとしたらしい。まあ無事に確保されたんだけど、『最初はそんなつもりじゃなかったんです』『遊びで胸を触ってたら興奮してきて』って言ってたらしくて。常習犯じゃないかということで、取り押さえようとしたおっさんに暴行をふるった件も含めて速攻連絡を受けた学校がてんやわんや。一時間目は自習になるぜ。今、担任が向かってるらしいから」
開けはなたれた廊下側の窓から聞こえる会話に集中しようと考える――。
「すっごくどうでもいい話なんですけどねぇ、センセ。こういうプリントってざらざらしてるじゃないですか。コンピュータ室とかにある印刷機の紙と違いますよねぇ」
「わら半紙ね。ふつうの印刷機だと滲んじゃうから、上質紙と使い分けてるの」
考えて、考えて、考えて、考えて――。
「でもでも、本当に意外! そもそも生徒会長とあいつがどうしてそんな関係になるんだろ? 何の委員会も入ってなかったよね」
「あー。あいつよく本を読んでたじゃん? で、さっき新聞部のやつから聞いたんだけど会長も読書が趣味らしいのよ。だからそういう縁でつながったって話が有力」
「あはは、ほんとにありえない! それって作り話とかじゃないよね?」
「オーケー。クラスのグループにアルバムで写真共有してるからとっとと開いてさっさと見てちょ」
「んな汚いもん見たくねえわ!」
僕はきみたちのことを醜いと思った。