兎人族は最弱種!?
あれから俺は父にあらゆることを聞いた。
なぜゴブリンから逃げてきたのか。
どうして戦わなかったのか。
なぜあそこへ行くと、体が光り瞳が真っ赤に染まったのか。
半魔とは、なんなのか。
「まず兎人族は基本的に戦わない。いや、戦えないんだ」
「どうして?」
「本能なのさ」
《脱兎の本能》と呼ばれる、兎人族にのみ備える感覚。
それは絶対弱者であることの自覚と、生き延びる術としての生存本能。
父は半魔であるため、戦えば勝てただろうと言った。
しかし、戦えない。
《脱兎の本能》という呪縛から開放されない限り、それは不可能なのだと。
逃げるしかないのだと、そう言った。
それから半魔についても少しだけ教わった。
半魔は魔素濃度の高い地域だと全身がほんのりと発光し、瞳が赤くなること。
そしてなにより肝心なのは、半魔とバレてはいけないことだとバンコ父さんは言った。
「原理はよくわからんが、俺たち半魔は魔素の多い場所にいるとき、体の調子がよくなる。おそらく、通常時の十倍くらいには身体能力も跳ね上がっていることだろう」
「目が真っ赤になるのは?」
「それは魔人族の特徴だ。俺たちの場合は一時的だが、魔人族ってのは常に目が真っ赤らしいぞ」
「バレちゃいけないっていうのは……魔人族に似てるから?」
正直、俺が一番気になるのはこの点だった。
半魔がどうして忌み嫌われるのか。
ホームレスのときみたいに、この異世界でもなるかもしれない。
そう思うと不安で仕方がないのだ。
「魔人族、というより、魔物に似ているから……かな」
「魔物って、さっき見たゴブリンみたいな?」
前世での俺はかなりのゲーマーだった。
地球でホームレス生活をしていた頃、ゲームが出来ない代わりに攻略本なんかも読んでいたし、ゴブリンなんかは当然の知識として覚えている。
「お、よくゴブリンを知ってたな。お母さんに教えてもらったのか?」
「う、うん。まあね」
外見は想像と少し異なるが、おおむね一致していたのでゴブリンだと決め込んで父バンコに話してしまったが、どうやらゴブリンで合っていたらしい。
逆に知っていたことを指摘されると、俺は咄嗟に母から教わったと嘘をついた。
「そうか。カイセルは物知りだなー、偉いぞ」
そう言ったバンコは、俺の頭をわしゃわしゃと撫でた。
耳はぺちゃんとなるし、かなり激しく撫でられたが、不思議と悪く思わなかった。
「とにかく、今日お前に覚えてほしいことは二つだ。一つ目は自身が半魔であることは絶対に他人に知られてはいけないこと。そして二つ目は《脱兎の本能》には逆らわずに従うこと。わかったな?」
「はい……」
正直、ショックだった。
兎人族がそこまで弱い種族だったとは。
いや、弱い以前に戦えないのではどうしようもない。
そのうえ俺は半魔だ。
この世界で生き残るのは、思った以上に難しいのかもしれない。
そこまで思考が到達した直後、言い知れぬ不安感がつのる。
「よしいい子だっ」
バンコは再び俺の頭を撫でる。
太陽のような手だ。
気づけば先ほどまでの不安感は薄らぎ、安堵すら覚えた。
そばにいて、頭を撫でてもらうだけで心が安らぐ。
現世での俺の父は、バンコなのだなと再確認できた瞬間であった。
「しかし戦えないとはいえ、自分を守る術は最低限身につけておいたほうがいい。明日からは護衛術を教えてやるから、今日はゆっくり休むんだぞ」
「……うんっ!」
そうだ、戦えないからとここで腐っていては始まらない。
せっかく新たな人生を歩めるのだ。
最後まで足掻こう、そう心に誓った。
「バンさん、カイセルちゃん。夕飯できたわよー」
「あっ!しまった!」
「どうしたのバンさん?」
「あ、いや、なんでもないっす……」
ソヨンは食卓に夕飯を並べる。
並べるといっても、シチューに似た白いスープが鍋に入れられた状態で、食卓の中央に置かれているだけだが。
具材はランゴとキャロントのみだ。
正直にいえば、あまり美味ではない。
スープもシチューとは程遠く、酸味と辛味の効いた味だ。
兎人族の好みが酸味の効いた料理らしく、俺もこの世界では毎日すっぱいものばかり食べている。
「うっ……うまい!ソヨンはやっぱ料理上手だなー」
バンコがバクバクと口にシチューに似た料理を食べている。
俺も口に含むが、酸っぱくてとても一気に食べれるものではない。
かといってバンコが演技しているとも思えないので、おそらく兎人族には好みの味なのだろう。
俺は少しずつ口に運んでいく。
「カイセルちゃん、お母さんの特製パニャンの味はどう?おいしい?」
パニャンは頻繁に我が家の食卓にならぶ料理のうちの一つだ。
俺は懸命に飲み込みつつ、「おいしい!」と無邪気さを装う。
「そう?よかったー」
ソヨンは心底嬉しそうに口を綻ばせる。
端正な顔立ちのソヨンが微笑むと、場が和む。
まずい、なんて素直に言わなくてよかったと心底思う。
だが実は父バンコも言動とは裏腹に、美人妻ソヨンの微笑みを見るため死ぬ気で食べていることを、このときの俺は知らない。