第九十七話 文様
「はぁぁっ!」
エリクが打ち込んでくる剣を受け止める。
ああ、なかなかいい攻撃だ。重さの乗った、良い攻撃。
だが、それ以上に、強い思いのこもった攻撃だ。
こういう攻撃は、食らったら効くものだ。
だから、攻撃をもらってしまうわけにはいかない。
全て、彼の攻撃は戟で受け止める。
「えいっ!」
「ぐあぁぁぁぁっ!!」
そして、受け止めた戟を力を込めて切り払えば、エリクの身体は面白いように飛んで行ってしまった。
また地面を転がされ、石で皮膚を抉られ摩擦で血を流してしまう。
ああ、痛そうだ。とても痛そうだ。
もし、自分があのようなダメージを受けたら、どうなってしまうのだろうか?
地面を転がされただけのダメージしか、エリクに通っていないわけではない。
思い切り殴りつけてやったこともあった。蹴り飛ばしてやったこともあった。戟で切り付けてやったこともあった。
エリクの身体はボロボロで、様々な種類の苦痛を味わっていることだろう。
自分は、あんなことをされたら、どう思うだろうか?
確かに、戦うことは好きだ。だが、痛みも受け入れられるかと言われれば、首を傾げる。
もちろん、まったくダメージを受けないで勝つことができるほど戦いは甘くないことは知っているし、切られるたびに泣き叫ぶなんて情けないことはないだろう。
だが、あれだけ確固とした戦意を持ち続けることが可能だろうか?
耐え難い苦痛を味わい、出血という目に見えた恐怖を目の当たりにしながらも、それでも強い目を持って剣を握り戦い続ける。
「男の子だなぁ」
どうしても、ガブリエルは口元が緩むのを止められなかった。
傍から見れば、対戦相手から見れば、軽んじて馬鹿にしているのかと思われてしまうかもしれない。
エリクはドMなのでそれでも嬉しそうだったが、そんな業の深い性癖を知るはずもないガブリエルは、慌てて口元を隠す。
だが、嬉しくて仕方ないのだ。
自分に正面からぶつかってきてくれる男がいることが、嬉しくて仕方ないのだ。
エリクも弱者ではない。
自分が『手加減しているとはいえ』、ここまで戦えていることがその証拠である。
「ああ、ダメだ。本当に、好きになっちゃいそう」
口元を隠しながら、ボソリと呟くガブリエル。
まだ、恋に落ちることはなかった。
それは、自分が手加減をしているから。
だが、もし。もしである。
もし、本気で戦ってエリクが生き残ることができれば、自分はどうなってしまうのだろうか?
「~~~~ッ!」
一度考えてしまえば、その思考を振り払うことができなかった。
してはいけないことだ。
この戦いで、エリクには勝つにしろ負けるにしろ、生き残ってもらって闘技場から解放されなければならない。
それが、妹のしでかしたことの姉の責任の取り方だ。
でも……。
「ぐぁっ!!」
ガブリエルに切りかかっていたエリクが、また弾き飛ばされた。
もはや、満身創痍と言ってもいい。
カタリーナやアンネと戦った時もそんな感じだったが、絶望感で言えば明らかにこの戦いの方が大きかった。
彼女たちとの戦いのときは、自分もボロボロだったが彼女たちにも最低限の攻撃は通っていた。
勝機は薄かったが、確かに見えてはいたのだ。
だが、ガブリエルにはそれがなかった。
彼女は、一切……まったく傷を負っていなかった。
エリクの繰り出す攻撃は全て見事に戟で受け流されていた。
勝機が、見えなかった。
「(ふっ……最高ですね)」
だが、その絶望はエリクのMを満たすための材料にすぎなかった。
彼は、ウキウキで身体が動く限りガブリエルに挑み続けるつもりであった。
「ねえ、エリクくん」
もう一度攻撃を仕掛けようと脚に力を溜めていた時であった。
ガブリエルが、ふと戦いをしているとは思えないほど穏やかな声をかけてきたのである。
それは、彼女からすれば、緊張感を持たなくても自分と十分に戦えるという余裕からくるものだろうか?
それだったら、なおさら嬉しい。
「はい、何でしょうか?」
エリクもまた穏やかな声だった。
彼からしても、ガブリエルは憎い敵ではなく、自分を痛めつけてくれる良い敵である。
尖った声が出てくるはずもなかった。
その結果、この二人は戦場、しかもすでに戦って片方は大きな怪我をしているというのに、世間話のような感覚で話しはじめたのであった。
「エリクくんは、もうあたしにかなわないということは分かっている?」
「それは……いえいえ、まだ戦えますよ、私は」
「あたしが手加減していたとしても?」
ガブリエルの言葉に、目を見開くエリク。
なんと……これでもまだ手加減をしていたというのか。
自分の無力さを認識させられているほどの強さだったというのに、これ以上の力をまだ隠していたというのか。
もっと、自分を気持ち良くしてくれる余地があるということに、エリクは感動した。
「でしたら、なおさら降参するわけにはいきませんねぇ」
エリクは剣を構える。
その本気、是非とも身体で受けさせていただきたい。
「そっか……そっかそっか」
一方、ガブリエルは嬉しそうに笑っていた。
自分が一切攻撃を加えることのできていない現状が、手加減されていた。
それを知ってなおも戦おうとできる者が、いったいこの世界にどれくらいいるのだろうか?
本当に……もし自身の本気を受けてエリクが生きていられたら……。
「恋に落ちちゃうかもしれないなぁ」
それは、悪いことではないように思えた。
「これは……」
エリクは、目の前のガブリエルから立ち上がる不思議な雰囲気に声を漏らした。
魔力? いや、彼女は魔法を使わないはずだ。
もしかしたら、ユーリのようにいざというときまで隠していたのかもしれないが、どうにも力の波動みたいなものが魔力と異なっている気がする。
もちろん、エリクは魔法を使えないので、それに精通しているわけでもないから断言はできないが。
「あたしはね、アマゾネスの女王に選ばれたからには、自分のためだけに行動することはしてはいけないと思ったんだ」
ガブリエルは話し出す。
「でも、あたしは結構アマゾネスの血が強いみたいでさ。戦うことも大好きだし、血戦をするのは特に好き」
ガブリエルの褐色の肌の上に、黒い文様が走る。
それは、頬まで達していた。
「だから、その特性みたいなのを抑えるために、あたしの力を封印したんだ。そうすれば、それほど闘争に執着することはなくなったからね。実際、闘技場にもほとんど来なかったし」
ふわりと力が溢れ出すのが止まった。
白の髪を束ねていた紐がほどかれ、少し長めの髪が風に揺れた。
そして、戟を持つその姿は、まさに戦乙女のように凛々しくも圧力のあるものだった。
「本気になると、手加減もうまくできなくなるんだけど……死なないでね?」
ガブリエルはそう言うと、文様が近くなった唇をペロリと舐め上げるのであった。