第九十五話 ハンデ
この日、アマゾネスたちの闘技場は大盛況だった。
空いている席はないくらいアマゾネスたちが詰めかけた闘技場は、もしかしたら創設以来最大の盛り上がりを見せているかもしれない。
最強の剣闘士であるユーリや、これまでの最強を冠した剣闘士たちの試合でも、完全に満席……いや、立ち見が発生するくらい多くの人が集まったことはなかっただろう。
アマゾネスたちは、血と闘争を好む。
とくに、強者同士の戦いや、戦いに並々ならぬ思いを抱いて臨む試合は大好きだ。
それを考えると、今日これだけたくさんのアマゾネスが詰めかけるのは、何もおかしなことはなかった。
試合をする一人、エリクが闘技場に現れて、歓声が大きくなる。
エリクは、自身を含めた不法に闘技場に放り込まれた剣闘士の解放という強い思いを抱いて戦っている。
さらに、それを達成するために最強の剣闘士であるユーリを下剋上で倒し、さらに熾烈なトーナメントを勝ち抜いたカタリーナとアンネの二人のアマゾネスをも倒し、その思いが果たされるまであと一歩というところまできていた。
まさに、今のエリクは強者と強い思いという二つの要素を兼ね備えた存在なのである。
そして、だ。
エリクの立つ反対側からゆっくりと現れたアマゾネスを見て、観客たちはわっと沸いた。
アマゾネスたちが好むのは、強者同士の戦いである。
エリクだけが強くても、対戦相手が弱ければこれほどの観客は集まらなかっただろう。
つまり、彼の対戦相手は、アマゾネスたちを熱狂させるに十分な力を持っているということである。
「……まさか、最後の相手があなたとは」
エリクは前にやってきたアマゾネスを見て、笑みを浮かべた。
心のどこかで、予想していたことはあった。
だが、まさか本当にこうなるとは……。
「まあ、最後だしね。大きい壁があった方がいいよね?」
ニッコリと笑みを浮かべてきたのは、アマゾネスの女王ガブリエル・モニクであった。
人懐こそうな笑みを浮かべていて、とても今から戦いを始めるとは思えなかった。
「それにしても、大きな歓声ですね」
「そうだねー。下剋上を達成して、アマゾネスを連戦で二人も倒した剣闘士は今までいなかったからね。もしかしたら、エリクくんも今日で最後かもしれないし、アマゾネスたちは見に来るよ」
普通、下剋上を達成すれば、さっさとこの闘技場を抜け出すものだ。
実際、今までの闘技場の歴史の中で、数は少ないが達成した者は皆すぐさま抜け出して行った。
それもそうだ。下剋上を達成した時点でアマゾネスに目をつけられているし、それから戦闘種族と血みどろになって命の取り合いをするのを、いったい誰が求めるだろうか?
逃げ出せるのであれば、誰だって逃げるだろう。
だが、エリクはそうしなかった。
自分だけでなく、他の者のことまで慮って、彼らのために命を懸けて戦っているのである。
「エリクくんは、今アマゾネスの中ではアイドルみたいだからね」
エリクは、戦闘能力的にとくにすぐれているとは、ガブリエルを筆頭にアマゾネスの誰もがそう思っていない。
技量で言えば、彼より強いアマゾネスの方が多いかもしれない。
しかし、それでも選び抜かれたアマゾネス二人を倒すことができたのは、ひとえに彼の諦めない強い心のおかげだろう。
そういう面が、アマゾネスたちの心を引き付けているのだ。
「もし、エリクくんがあたしに負けたとしても、君とユーリくんは必ず解放することを約束するよ。多分、実績が足りないと批判する子はいないと思う」
ガブリエルは優しくエリクに微笑む。
彼の戦いをもっと見たい、彼と戦いたい、だから解放するな。
そう言うアマゾネスはいるかもしれないが、それはエリクには言わなかった。
たとえ、そんなことを言う子たちが現れたとしても、ガブリエルは解放するつもりだった。
それくらいのことをエリクは成し遂げたし、あと妹の馬鹿な行為が申し訳なかったからだ。
「いえ、ガブリエルさんに迷惑はかけられません。そもそも、私と他の剣闘士の解放というわがままは、すでに叶えてもらっていますから。自分の力で勝ち取りますとも」
「おー、男の子だー。そういうところ、やっぱり女と違って格好いいよね。アンネのことはごめんねだけど、やっぱりあたしもエリクくんと会えてよかったかな」
エリクの言葉に、楽しそうに笑うガブリエル。
「実はね、あたしってほとんど闘技場で戦わないの」
「……もしかして、この歓声はガブリエルさんに向けられたものが多いんじゃないですか?」
「そうかな? それだったら、少し照れるかも」
褐色の頬を赤くしながら、白髪をかくガブリエル。
「それでも、あたしが戦いたいって思ったのは、エリクくんの戦う姿が熱くて泥臭くて……格好良かったからだよ。血みどろで、片目を失って、でも戦うんだよね。あー……いいなぁ、格好いいなぁ」
顔を蕩けさせてエリクを見るガブリエル。
圧倒的強者の肉食動物を前にした感覚になり、エリクはご満悦である。
「でもね、これはエリクくんを馬鹿にしているとか、侮っているとかではないんだけどさ……それでも、多分エリクくんはあたしに勝てないと思う」
「それは……」
エリクは、こちらの顔を窺いながらおそるおそる言ってくるガブリエルに、すぐに否定することはできなかった。
カタリーナやアンネを倒したときも、まさに辛勝というものだった。
彼女たちとの戦いの疲労が残っている今、ガブリエルと戦って勝てると確信を持って言うことはできなかった。
負けることも大好きだし。
「だから、これはハンデね」
ガブリエルはそう言って、背中を見せた。
鎧も装備されておらず、彼女の美しい褐色色の背筋が見えていた。
そして、そこには何らかの模様が描かれていた。
「これに触れることができたら、エリクくんの勝ちでいいよ。もちろん、あたしを打ち倒すことでもいいよ」
「なるほど……」
背中を触られるということは、戦う者にとっては致命的なことである。
たとえ、剣で切ることはできなくとも、拳で、蹴りで、ただ触れることができたとしても、ガブリエルはエリクの勝利にすると言うのだ。
まっとうな戦士なら、侮るなと怒ることかもしれないが、こうして上から見下されている感じもエリクは好きである。
ガブリエルの視線や言葉に、彼を侮辱するような色がないことは残念極まりないが。
「では、それでお願いします」
「おっけー」
エリクとガブリエルは向かい合う。
激突が近いと悟り、さらに観客たちのボルテージが上がる。
「頑張れー、勇者ー! お姉ちゃんを倒せー!!」
「死なない程度に頑張りな!」
アンネとカタリーナの言葉に、苦笑いするエリクとガブリエル。
エリクは剣を抜くが、ガブリエルは武器をとらないことに首を横にひねる。
「あの……武器は?」
「あ、そうだね」
ガブリエルは手に武器を召喚した。
それは、エリクもまだ見たことがない武器だった。
槍のような長さがあり、当然先には鉾がついていた。
しかし、それだけではない。横にも刃が付いており、突き刺すだけでなく斬ることもできそうだ。
それは、戟と言った。
長くて重いそれを、ガブリエルはブンブンと振って扱えることをアピールする。
そして、ニッコリとエリクに微笑んだ。
「じゃ、簡単には死なないでね。あたしを、楽しませて?」
「…………ッ!?」
眼前に現れたガブリエルが戟を横に薙いだ。
エリクはそれを何とか受け止めたが、カタリーナやアンネをも上回る圧倒的な力に、なすすべなく吹き飛ばされたのであった。