第八十六話 進み続ける男
「尖った耳……まさか、エルフですか!?」
頬を切りつけられた快感を圧倒するような歓喜をエリクは覚えていた。
エルフ……森に隠れ住む種族で、魔法を扱う技術が卓越していると言われている。
しかし、ほとんどのエルフは生まれた森から外に出ないため、なかなかお目にかかれない存在だ。
いつかその強力な魔法をその身に受けてみたいと思っていたエリクはウキウキである。
「いや、正確にはそうではない。俺には、エルフの血は半分しか入っていない」
「ハーフエルフ、ですか」
半分しかエルフの側面がないのであれば、純血のエルフのような強力な魔法は使えないかもしれない。
だが、エリクは決してがっかりしていなかった。
先ほど、頬を切りつけた魔法は、とても魅力的だったからである。
ユーリも、魔法だけで戦おうとしているわけではないのだ。
剣技を鍛えて、魔法剣士として他者を圧倒するのである。
「魔法だけだったら、アマゾネスには勝てないかもしれないからな。剣技と魔法、この二つが合わさって、初めて俺になるんだ」
「なるほど……」
魔法を使えないエリクからすれば、羨ましい限りである。
いつか覚えてみたいとも思うが……近くに魔法を使えるのがミリヤムしかおらず、しかも彼女の魔法は彼女独自のスキルによって昇華されたものだから参考にできない。
「降参するなら、今のうちだぞ? 魔法は強力だからな……剣のように、うまく加減することはできない」
剣を向けて降伏を迫るユーリ。
これが、彼なりの気遣いだということは、エリクも分かっている。
しかし……。
「いえ、降参すると、彼女たちの元に戻るまでにまた時間がかかってしまいますから。それだけはできませんね」
ミリヤム、デボラ、エレオノーラ。もしかしたら、オラース王子やアルフレッドといった人たちも探してくれているかもしれない。
そんな彼らの元に戻るために、エリクは決して屈しないのだ。
……あと、魔法剣士にボコボコにされる快感を得ないままに降参するなんてことはありえない。
ドMのはしくれとして、精一杯謳歌させていただく。
「そうか。なら、死んでくれるなよ!」
ヒュッとユーリは剣を振るった。
そして、次の瞬間にはエリクの身体に剣筋が入り、バッと血が舞った。
「くっ……!」
どうやら、ハーフエルフということと距離が離れているためもあって、深い傷にはなっていない。
攻撃を受けて致命傷にはならないということだ。
だが、それは受ける場所によっても違ってくる。
首筋や他の太い血管がある場所を斬られれば、出血多量で意識を失ってしまうことだって考えられる。
だから、この攻撃にも何らかの対処をしなければならない。
「ですが……難しいですねぇ」
エリクが言うのは、この風の魔法が見えないことである。
ヒュッと音が鳴ったと思えば、身体から血が噴き出していた。嬉しい。
しかし、風の魔法が迫ってきていると分かった瞬間に身体を動かそうにも、完全に避けるような動きをすることができない。
「となれば、こうするしかできませんね」
エリクは猛然とユーリ目がけて走り出した。
風の魔法は遠距離、離れているからこそ効果を発揮するものだ。
接近戦に持ち込んでしまえば、あの魔法を使うことはできないだろう。
「ふっ、アマゾネスと同じ戦法をとるか。勇猛果敢だな」
だが、そんなことはユーリだって簡単に予想していた。
今まで戦ったアマゾネスも、特攻とも言うべき無謀な突撃をしてきたのだから。
彼女たち好みの戦い方に、次第にユーリではなくエリクを応援する声が聞こえてくるのも知っていた。
「だが、俺の場所までたどり着けるかな!?」
ユーリは剣を振るって、いくつもの風の魔法を放った。
それは接近してくるエリクの身体を傷つけて、血を流させる。
近づいているからこそ、その切れ味も鋭くなり、傷も深くなる。
これによって味わう苦痛も大きなものだろう。
とくに、出血という視覚的に激しいものを見せられれば、感じる痛みも大きくなるものだ。
そして、痛みというものは生物に恐怖と躊躇を抱かせる。
ユーリがかつて戦ったアマゾネスたちも戦闘大好きな女傑たちであったが、この苦痛には耐えきれずに降参したほどだ。
ゆえに、これで仕留められると考えていたユーリであったが……。
「くっ、タフだな……!」
エリクは全身に切り傷を作って血を流しながらも、なお速度を緩めることなくユーリに迫った。
顔や首筋などの動くことに支障が起きそうな場所は守り、手足などの影響が少ない場所の切り傷は諦め、突進する。
守るべき場所を限定したことによって、速度を緩めることなく突き進むことができた。
今回の戦闘では、立ち止まったら敗北する。
ユーリは風の魔法で離れた場所から攻撃をすることができるが、エリクはそれができない。
ひたすら耐えて魔力切れを待つという手もあるが、ハーフエルフのユーリの限界がどこまでなのか想像もできないし、不可視の斬撃をいつまでも防ぎきれるとは思えない。
エリクはそう考えたことと、あと突進した方が苦痛を味わえそうという考えで突き進むのであった。
「とりました」
エリクはついに自身の剣が届く場所までたどり着いた。
そして、ユーリの身体を切りつけようと剣を振りおろして……。
「残念だったな」
エリクの剣がユーリを捉えることはなかった。
彼の身体は、いつの間にかエリクの背後に存在していた。
「ぐぁっ!?」
エリクの背中に熱い感覚と苦痛、そして快感が走った。
完全に無防備になっていた彼の背中を、ユーリが細剣で切り付けたのである。
斜めに大きな切り傷が生まれてしまった。
エリクがそのダメージで四つん這いになると、アマゾネスたちの歓声と悲鳴が響き渡った。
「な、何故後ろに……?」
「なに、簡単なことだ」
すでに、勝負は決した。
そう考えたユーリは、追い打ちをかけることなくエリクの疑念に応えてやる。
これが救いようのない犯罪者ならば、止めを刺すのだが……。
「俺の風の魔法は、剣の斬撃として飛ばすだけしか使えないというわけではない。身体に纏わせて、身体能力を向上させることだってできる。お前の剣を受ける前に、高速で背後に移動したというわけだ。……まあ、身体の負荷も大きいから、そう頻繁にかつ長時間使うことはできないがな」
「なるほど……」
丁寧に教えてくれたと思うが、それはユーリが自身の勝利がゆるぎないものだということを確信しているからだろう。
今のエリクの状況を見れば、それも当然だ。
ユーリに迫るまでに彼の身体は風の魔法で切り裂かれており、致命傷こそないものの出血はとても派手である。
そして、背中に刻まれた切り傷は、魔法によるものと比べてはるかに深かった。
どくどくと溢れ出す血液は、止まる様子を見せない。
勝負は決した。それは、ユーリだけでなく観客のアマゾネスたちもそうだった。
戦闘を愛してその経験も多いアマゾネスたちも、もうエリクは戦えないと判断した。
自然に、ユーリや観客たちの目が向けられるのは、女王であるガブリエルであった。
彼女もすでに立ち上がっていた。
死ぬまでエリクを戦わせるつもりはガブリエルには毛頭なく、そしてユーリもエリクを殺すつもりはないことは分かった。
ならば、この戦いを止めるために声を出せばいい。
試合終了の言葉を発しようとして……。
「ふー……ふー……」
エリクは息を荒くしながらも、身体を反転させてユーリと向き直る。
未だに立つことはできない様子で、しかも顔も出血と痛みのせいで青白くなっているが、彼の目はまだ死んでいなかった。
『おぉ……っ!』
そんな彼の泥臭い態度を見て、観客のアマゾネスたちは感嘆の声を漏らす。
彼女たちには好みの違いはあれど、多くの人は泥臭く血なまぐさくなっても進もうとする戦士が好きだった。
「……もうよせ。お前は十分戦った。ここで降参をしても、お前を責める者は誰もいない」
ユーリは剣先をエリクの目に近づけた。
視界から多くの情報を取り入れている人間が、そのようなことをされれば恐怖心を抱かずにはいられない。
エリクはすでに重傷だ。一刻も早く治療を受けさせなければならない。
それほどのダメージを受けている中、目元に剣先を近づけられれば多くの者が戦う意思を折られてしまうだろう。
ユーリもこれ以上エリクを傷つけるつもりは毛頭ないので、それを期待していたのだ。
しかし……。
「いえ、ダメなんです。ここで降参したら……」
「ッ!?」
エリクはこの状況の中で、笑って身体を前に進ませた。
目元に剣先を突きつけられている状況で、である。
「ミリヤムたちに、ドヤされてしまいますからね」
ニッコリと青白い顔で笑みを浮かべるエリク。
そして、その片目には、ユーリの剣が突き立てられたのであった。
エリクは自分から進んで、片目を失った。
「なっ!? なっ、何を……っ!?」
ユーリはゾッと背筋を凍らせる。
追い詰めているはずの男が、怖くて仕方なかった。
手に伝わるのは、柔らかな眼球が潰れる感触。
こんな拷問まがいのことを、ユーリはするつもりなど毛頭なかった。
目という重要な部分を潰すつもりなんてなく、ただエリクの戦意を折ることができればと思っただけで……。
「お、俺は……」
ユーリは剣を落としてしまった。
やってしまったという気持ちと激しい罪悪感が彼を襲った。
そして、エリクはその隙を突いた。
出血量も多く、片目という人体でも非常に重要な部位を破壊されても、その動きはとてもスムーズであった。
抜身の剣をユーリの首筋に当てて、薄く微笑んだ。
「私の勝ち、でよろしいでしょうか?」