第八十五話 魔法剣士
「おー……エリクも案外やるんだなぁ」
アマゾネスの女王のために設置された特等席では、ガブリエルがそこにいて試合を観戦していた。
戦いは、どちらかといえばユーリが優勢だ。
一撃の重さはそれほどでもないが、その手数の多さがエリクを追い詰める。
しかし、エリクもまた小さな傷は負っても深手は一切負うことなく防ぎきっていた。
時折反撃に転じ、見事な剣戟を披露してみせる。
ユーリが強いことは分かっていたが、エリクという新人も思いのほか戦えるため、アマゾネスたちはその歓声をさらに大きなものにした。
「ねっ、ねっ? 勇者も結構やるでしょ? あたしの目に、狂いはなかったということだね!」
ガブリエルの独り言を拾ったのは、彼女の妹であるアンネであった。
彼女もまた、この特等席にいて身を乗り出しながら戦闘を見ている。
「あんまり調子に乗ったら、またげんこつだからね」
「えー、止めてよー。それだったら、あたしたちも戦おうよ」
「ダメ。しんどいし」
「本当、お姉ちゃんって普段はアマゾネスらしくないよね」
頬を膨らませて不満を露わにするアンネに、ガブリエルは苦笑する。
確かに、自分がアマゾネスらしくないようにふるまっているのは事実だ。
「アンネみたいなアマゾネスのために闘技場があるんだから、ちゃんと見たら?」
「もちろん見ているよー。だって、アマゾネスの中で一番勇者に期待しているのは、あたしだしねー」
アンネはキラキラとした目をエリクに向けていた。
この闘技場に集まっているアマゾネスたちが期待しているのは、ほとんどがユーリだろう。
彼はこの闘技場で長い間戦い続け、生き延びつづけ、ついにはアマゾネスをも倒せるほどの実力者になったのである。
ユーリと戦いたいというアマゾネスたちは、とても多い。
一方、エリクは新人だ。彼が勇者だということを知っているのも、ごく少数。
彼に期待する人が少ないのも当然だろう。
だが、アンネは違う。彼女は彼と直接触れ合って、彼が只者ではないと直感が伝えてくるのだ。
「はぁ……だったら、普通に招待すればよかったのに。拉致なんかして……これ、絶対に問題になるからね。王国に返せって言われたら、この試合でエリクくんが負けても返すからね」
「えー! そんなの、闘技場の慣習からして認められないでしょ?」
「馬鹿。エリクくんは犯罪者でもないのに、アンネが拉致して叩き込まれたんだから、明らかに例外でしょ。それに、マイン・ラートの命令ならはねつけられるけど、そのさらに上からだったら、いくら何でも無視することなんてできないし」
剣闘士が闘技場から非常に脱出しにくい制度になっているのは、その剣闘士が犯罪者であることが前提だからである。
ラート領で罪を犯して送り込まれてきた以上、無事にここから出られることを想定していないのだ。
しかし、エリクはそこでテヘペロしている馬鹿な妹の暴走で叩き込まれた被害者である。
そんな彼ならば、この闘技場の慣習の例外にあっても当然だ。
それに、エリクはヴィレムセ王国の王から直接任命された勇者である。
そんな彼が行方不明になれば、捜索隊が組まれることは必至。
閉鎖的なこのアマゾネスの街にいることも、国が全力を挙げて捜索すれば見つかるのも時間の問題だ。
そうなったとき、罪を犯したわけでもないのに気絶させて拉致したけど慣習だから返せない、なんてことを言えるはずもない。
むしろ、拉致したことで咎められることだって十分にあり得るのだから。
「ちぇー。国とか王とか、難しいことなんてわからないし」
「分かってよ。君も女王の妹なんだから。何だったら、変わっても良いし」
「お姉ちゃんがやりたくないだけじゃん」
妹に押し付ける作戦は失敗である。
「……でさ、お姉ちゃんから見たエリクって、どう?」
「話題を変えたなー」
妹らしいわかりやすい話題変更に苦笑しつつ、ガブリエルはエリクとユーリの戦いを見下ろした。
ユーリの剣筋は見事である。
アマゾネスを何人か倒したことがあるというのも、うなずけるだけの速さがあった。
一方、それを、傷を負いながらも防いでいるエリクの剣の技術もまた、稚拙ではない。
だが、目を見張るほどの技術かと問われれば、首を傾げざるを得ない。
とはいえ、致命傷を避けつつ反撃に転じていることは確かな技量がなければできないことだし、エリクが勇者であると言われても不思議ではない戦いぶりだ。
「(それに、エリクくんの場合は、実力というよりも内面で勇者らしいというか……ふさわしいから選んだという気がする)」
少しだけエリクと直接話をしたが、彼ほどお人よしな性格の人はいるのだろうかと思うくらい優しい。
普通、何も負い目がないのにいきなり気絶させられてこんな危険な場所に放り込まれ、血みどろの戦いを強制されれば、恨みや憎しみを抱いても何ら不思議ではない。
のんきにヒーローを見るような目で戦いを見ているアンネを、殺したいと思ってもおかしくはないはずだ。
だというのに、エリクは不満を一つも言うことなく、恨み言を一つも言うことなく、戦いに臨んでいる。
「(……ちょっと、理解できないかな?)」
ぶるっと身体を震わせるガブリエル。
その在り方は賞賛されるべきものだし興味も抱いているが、少し怖かった。
まるで、自身の欲望を何も持っていないようで……。
そう考えていると、アンネが不思議そうに自分を見上げてきているのに気が付いた。
そう言えば、戦闘を見ている感想を聞かれていたのだった。
「ほとんど互角じゃないかな? 体力がある方が押し切ると思う」
ガブリエルは改めて戦いを見守る。
必死の形相を浮かべて、しかし恨みあっているわけでもなく、ただ純粋に勝つために顔を険しくて剣戟を繰り広げている彼らを見ると、ガブリエルの心の内が熱くなる。
普段は抑えているが、やはり自分もアマゾネスなのだなと思う。
実際、他の観客のアマゾネスたちは大いに熱狂している。
最強の剣闘士であるユーリが強いことは分かっていたが、挑戦者のエリクもこれだけ強いとは思わなかったのだ。
アマゾネスたちは、圧倒的な戦いよりも接戦を好む。
屈強な男たちが血と汗を流しながら、自らの持ちうる力を全て出し切って激しくぶつかり合う戦いが大好きだ。
ガブリエルだって、その例に漏れない。
「ねっ、ねっ! 勇者、やっぱり凄いでしょ? 最強の剣闘士と、これだけ互角にやり合えるんだもん。アマゾネスとだって、十分に戦えるよ!」
嬉々として戦いを見て、お気に入りの玩具を自慢するように姉を見上げるアンネ。
しかし、ふっと顔色が少し暗くなる。
「でも、多分勇者は勝てないかなぁ」
「どうして? アンネがあれだけ入れ込んでいるのに……」
ガブリエルは首を傾げる。
彼女はあまり闘技場には脚を運ばないから、いまいち理解していないのだ。
「やっぱり、ユーリもだてに最強の剣闘士と呼ばれているわけじゃないっていうことだよ、お姉ちゃん。剣技も凄いけど、ユーリの強さはまた別のものだから」
「そうなの?」
じーっとエリクとユーリを見るガブリエル。
やはり、少しエリクが押されてはいるものの、戦いは均衡しているように見えるが……。
だが、エリクが拉致されてから尚更よく闘技場に脚を運ぶアンネが言うのであれば、そうなのだろう。
「でもでも、負けちゃったとしても、あたしの期待通りだったよ! もし負けても、今度はあたしが戦いたいなぁ」
「まずは謝罪しないとダメ」
「えー……」
ガブリエルはため息を吐いて、視線をエリクに戻す。
もし、もしだ。
この戦いにエリクが勝ち、それから何度も申し込まれるであろうアマゾネスとの戦いにも勝ったとしたら……。
「(その時は、あたしも一回戦いたいなぁ)」
そして、万が一自分にもエリクが勝てば、その時は……。
「(……恥ずかしいし、考えるのは止めよう)」
ガブリエルは少し火照った頬を冷まし、戦いに目を向けるのであった。
◆
ギィンッと甲高い金属音が鳴り響く。
「くっ……!」
「ぐっ……!」
エリクとユーリは、一度距離をとった。
荒くなった息を、二人とも整える。
「ふっ、やるな、エリク。流石は勇者だ。まさか、ここまで互角の戦いをすることができるとは、思っていなかったぞ」
「それはどうもです」
ユーリは嫌味でもなく、心からそう思っていた。
今まで戦ってきた剣闘士ならば、彼の剣技だけでも十分に倒すことができた。
力はそれほどでもないが、それを気にさせないほどの圧倒的な手数の前に、所詮犯罪者の相手たちはなすすべなく倒れ伏していた。
「(だが、修羅場は潜り抜けているということか)」
ユーリが経験を得たのは、この闘技場で戦い続けて、である。
一方、エリクは外で十分な経験を積んできたのであろう。
剣の技量はユーリが上回っているが、致命傷の避け方や効果的なカウンター、そして体力はエリクの方が上だった。
このまま両者ともに決め手を欠けて戦い続ければ、攻勢に出ているユーリの体力が先に底を尽き、エリクに止めを刺されるだろう。
「だから、俺も切り札を出そう」
「切り札、ですか?」
ユーリの言葉に、どこかワクワクとした様子で反応するエリク。
それを見ると、あながち『狂戦士』という評価は間違っていないみたいだ。
ユーリは苦笑しつつ頷く。
「ああ、そうだ。この闘技場の剣闘士くらいなら、俺の剣の技術だけで十分に倒せる。だがな、アマゾネスはそんな生易しい相手ではない」
アマゾネスと戦ううえで注意したいことは、とくに強靭な力である。
一般的に女は男に比べて力が劣るが、アマゾネスはそれに該当しない。
とくに力自慢というわけでもなく、手数のために細めの剣を使っているユーリは、まともに打ち合ってしまえば剣を破壊されてしまうのである。
「だが、俺は絶対にこの闘技場を抜け出さなければならない。だから、アマゾネスにも絶対に勝たなければならなかった」
そこで、ユーリが使った戦法が……。
「俺がアマゾネスに勝てる理由が、これだ」
ユーリが軽く剣を振るった。
これに、エリクは首を傾げる。
いったい、これで何ができるというのか。
「つっ……!?」
しかし、自身の頬が切れて血が垂れているのを感じて、ユーリの為したことを理解した。
驚愕の目を向けられて、ふっと笑うユーリ。
「俺はな、魔法を使う魔法剣士なんだよ」
そう言って、ユーリは普段は隠れている尖った耳を露わにした。