第七十二話 騎士の誓い
エリクは自身を傷つけるのにもかかわらず、何のためらいもなく剣を突き刺した。
それは自身の身体を貫通しても力を弱めることはなく、そのまま密着していたナータンの腹部をも貫いたのである。
彼ら二人は、剣一本で串刺しにされたような形になった。
「ごふっ……!」
「あっ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
血の塊を吐き出して、(快楽で)ニヤリと笑うエリク。
そして、口の端から血を流して絶叫するナータン。
同じく腹部を貫かれた状況の二人であるが、その反応は見事なまでに違っていた。
「馬鹿がッ……! この愚か者めが……っ!! この世界のどこに、自分ごと敵を串刺しにする大馬鹿者がいるのじゃ……!!」
ナータンは荒く息をして苦しそうにしながらも、前で血を吐いているエリクを糾弾する。
自分ごと敵を攻撃してくれという者はいるかもしれない。数は少ないだろうが。
しかし、自らそれを実行できる者など、上記よりも数が少ないに決まっている。
自分で死んでしまいそうなほどの苦痛を味わい、下手をすれば本当に死んでしまうようなことを実行できる者など、そうそういて堪るものか。
ナータンは、エリクという人物を見誤っていたのである。
彼が、自身を傷つけることに何ら躊躇するような人物ではないということに、気づけなかったのである。
「ぐぅぅぉぉぉぉぉぉ……ッ!!」
ナータンは苦悶の声を上げながら、ゆっくりと身体を後ろにする。
ずるずると身体の中に入り込んでいた剣が抜けていき、べっとりと血の付いた刃が目に入る。
ナータンは脂汗を大量に浮かび上がらせ、必要以上の悲鳴を上げないように強く歯を食いしばりながら後ずさりしていく。
「あぁぁぁっ!!」
そして、ついに自身の身体から剣を抜き取ることに成功する。
結果として、剣を腹に突き刺しているのはエリクだけになった。
その姿を見て、後ろによたよたとさがりながら嘲笑う。
「は……はははっ……! 馬鹿めっ! 結局、重傷なのはお前の方じゃ、勇者! ワシを殺すために自らを犠牲にしたようじゃが……意味はなかったのぅ!!」
ナータンも確かに重傷だ。手で押さえている腹部からは、血が溢れ出している。
だが、エリクと比べれば一目瞭然、彼の方が明らかに重傷だ。
ナータンはエリクが盾になったからまだマシだが、彼の場合は最初に剣で貫いたのだから、当然だ。
ナータンの出血よりも、エリクの足元に水たまりのように溜まっている血の方が多い。
彼は苦痛に悶えながらも、くくくっと笑う。
「ワシは死なん!! ワシの目的のためにも……ヴィレムセ王国の中枢へ入り込むためにも……!! お前は無駄死にじゃ、勇者!! ふははははははははははははっ!!」
腹部からの出血が激しくなることも構わず、大きな声で嘲笑うナータン。
そうしなければ気が済まないということもあっただろうが、意識が保てないということもあったかもしれない。
そうだ、自分はこんな所で死ぬわけにはいかない。
ヴィレムセ王国の中枢にもぐりこみ、甘い汁を啜るのだ。
それは、誰にもやらせない、自分がすることなのだ。
だから、今は一応仲間ということになっている反王族派の連中にも、決して……。
「いえ」
ナータンの思考を止める声が響いた。
それは、彼の非常に近い所から聞こえた。
そして、その声をナータンはよく知っていたし、何度も聞いていたものであった。
目を動かすと、そこには巨大な手甲を振りかぶったエレオノーラがいた。
彼女が動くことができなかったのは、ナータンがエリクのすぐそばにいてナイフを突きつけていたからである。
いくら彼が死なないからといって、首を掻き切ることを許容できるような女ではなかった。
だが、今その心配はなくなった。
エリクの決死の攻撃によって、ナータンは彼から離れてしまったのだから。
「あなたは死にます。殺すのは、私です」
そう告げられて、ナータンは何も言うことができなかった。
口にするどころか、考えることすらできなかったのではないだろうか。
彼が少し口を開いたその瞬間に、彼の顔面目がけてエレオノーラの手甲が唸りを上げて迫ってきていたのだから。
それはナータンの顔面にめり込み、そして強大な腕力と破壊力でそれを粉砕し、彼の身体を簡単に吹き飛ばした。
その身体は建物の壁に当たっても止まることはなく、いくつもの棟を破壊しながら吹っ飛んで行った。
血痕だけ残っているのが生々しい。
この状況を見れば、エレオノーラがナータンの配下の男を殴り飛ばした時よりもはるかに力を込めていたことが分かるだろう。
彼女の加虐性だけでは、ここまでの力は出せなかった。
では、何故? それは、未だに腹部に剣を突き刺したまま何やら笑っている彼のことがあるだろう。
とにかく、ナータン・ビュートウという貴族は顔面を破壊されあっけなく死んだ。
彼の目的であるヴィレムセ王国の中枢にもぐりこむこともできず、その目的に手をかけることすらできずに死んだ。
その死を嘆く者は、誰もいなかった。
◆
「エリクさん、大丈夫ですか!?」
ナータンを殴り飛ばしたエレオノーラが真っ先に視線を向けたのは、血だらけのままたたずむエリクであった。
以前までならば、殴り飛ばした相手の様子を見に行っていただろう。自身がボコボコにした惨状を見れば、ゾクゾクするからだ。
しかし、今のエレオノーラはその加虐性を押し殺し、エリクの元に駆けつけた。
彼女の中での優先順位が変動しているということだ。
「ふっ、ぐぐぐっ……あぁっ!!」
「エリクさん!?」
エリクはニッコリとエレオノーラに微笑むと、腹部に突き刺した剣をまるで苦痛を楽しむかのようにゆっくりと引き抜いて行った。
そして、剣を抜き取ると、ドパッとまた血が大量に溢れ出した。
エリクはそのまま血の海に倒れこもうとするので、エレオノーラは慌てて駆け寄って抱き留める。
「こんな無茶を……!」
彼を見下ろせば、非常に危険な状態であることが分かる。
顔色は青白くなっているし、息も浅い。触れる肌は少し冷たくなってきている。
普通ならば、死んでいてもおかしくないほどの重傷なのだ。
「どうして、こんなことを……! いくら死なないからといって、苦痛は感じると言っていたではありませんか……」
不死のスキルも完璧ではない。
受けたダメージに苦痛は存在するし、怪我が勝手に回復するなんてこともない。
完璧に見えるエリクのスキルは、まったくもって完璧ではないのである。
「ふっ……こんな所で、エレオノーラさんを失うわけには、いきませんからね……ごふっ」
血を吐き出しながら、そんなことを言うエリク。
エレオノーラは身体に彼の血が付着するのも構わずに抱き寄せる。
「……あなたは本当にどこまでお人よしなんですか。私のために、こんな致命傷を負って……」
「お人よし、ではありませんよ……。加虐性と向き直ろうとしたエレオノーラさんを、ここで失うわけにはいきませんからね」
「エリクさん……」
エリクは青白い顔で血を吐き出し、苦しそうに顔を歪めながらも微笑む。
その姿に、エレオノーラは今まで感じたことのない気持ちが湧き上がってくる。
「これから一緒に加虐性を治していきましょう、というときにエレオノーラさんが奴隷なんぞになられては困りますから」
奴隷になるのであれば自分がなる。
もちろん、そんな薄汚れた欲望を知らないエレオノーラは、胸を高鳴らせる。
「これから、私と共に歩んでいくのですから。一緒に、頑張っていきましょう」
頑張って私をボコボコにしてほしい。
「エリクさん……!」
副音声の聞こえていないエレオノーラは、目を涙で煌めかせる。
こんなにも、自分と向き合って大切に想ってくれた人がいただろうか。
自身が死と同じくらいの苦痛を味わいながらも、自分のために戦ってくれる人がいただろうか。
エレオノーラは、初めてその人物に出会えたのである。
「エリクさん、私は誓います」
「はい?」
苦痛と快感で意識が遠くなってきたエリクは、ぼんやりとした感覚でエレオノーラを見る。
そんなハッキリとしない状態でも、彼女の笑みが今まで見た中のどれよりも魅力的なものであることは理解できた。
「エリクさんが傷つくのは、私の加虐性を発散する時だけだということを。それ以外の降りかかる火の粉は、私があなたの盾になって払うことを。あなたとその血に、誓います」
エレオノーラのこの誓いは、残念ながら果たされることはないだろう。
彼女がいくら盾に徹したとしても、本体であるエリクが盾を放り捨てて苦難に飛び込んでいくことは、彼のドM性癖から考えれば容易に想像できるからである。
だが、エレオノーラは今まで加虐性を満たすために振るってきた暴力を、誰か他人を守るために使うことを明言したのである。
その意義は、いまいちよく聞き取れていなかったエリクが考えるよりもはるかにあった。
「ふっ……そう、ですか……」
エリクは満足気に呟いて、目を閉じる。
ドMの彼はエレオノーラのこの発言を拒絶するはずだが……残念ながら意識がもうろうとしていた彼は、『加虐性を発散する』という言葉だけを聞き取って満足してしまったのである。
エレオノーラは、意識を失ったエリクを大切そうに抱きかかえた。
彼の血が付着して染み込んでいくが、決して汚いとは思わなかった。
むしろ、尊いとすら思い始めた。ただの血液に興味はないが、エリクのものには興味を抱き始めたのである。
倒れる勇者と寄り添う女騎士の姿は、王城から息を切らしてミリヤムが駆けつけるまで見ることができるのであった。