第六十九話 牙をむく老人
「おお、エレオノーラか」
「ナータン様……」
窃盗犯を引きずりながら歩いていると、前から彼女の上司であるナータンが二人の男を引きつれてやってきた。
朗らかな笑みは、いつも通りの優しいおじいさんという印象を与えてくる。
「どうしてここに?」
「どうしても何も……ここはワシが泊めさせられている場所から近いからのぅ。散歩じゃ、散歩」
エレオノーラはなるほどとうなずいた。
ナータンは他の領地から一時的に王都にやってきているのであり、彼には宿が手配されているのであろう。
公爵などの貴族の中でも高い地位になれば、王城に滞在することが認められるのだろうが、ナータンの地位はそれほど高くなかった。
だからこそ、エリクなどというぽっと出の男が王城での滞在を許されていることに怒りも抱いているわけだが……。
それでも、王都の治安対策を任せられているということもあって、王城からほど近い宿に泊めさせられていた。
「そやつは……」
「ええ、悪人です。捕らえたので、詰所に引き渡しに向かっていました」
「おお、そうかそうか。それなら……おい。連行せよ」
エレオノーラから報告を受けて、ナータンは後ろに控えさせていた一人の男に命令する。
男は窃盗犯を引っ立てて行った。
それを見送るエレオノーラとナータンであったが、ニッコリと笑った彼が彼女に話しかける。
「それにしても、よく頑張ってくれているようじゃな。王都の治安が目に見えて良くなった、民から感謝の声が届いている、と陛下もお喜びになっておる」
「そうですか。それはなによりです」
最大級の賛辞にも軽く頭を下げるだけで済ませるエレオノーラ。
正直、彼女は騎士だが王族に対する忠誠心なんてものはほとんどなかったりする。
というのも、彼女の本性は加虐性マシマシのドSである。
それを抑えようと、またはうまく発散しようとして選ばれた職業が騎士だったのであり、決して王族への忠誠心または愛国心などから騎士になったわけではないのだ。
ゆえに、褒められたと言われても特別嬉しく思ったりはしない。
それに……。
「私だけではできることではありませんでしたから」
ナータンに褒められても決して緩ませることのなかった頬が、薄く緩んだ。
エレオノーラの頭にあるのは、エリクとミリヤムである。
彼らの助けがなければ、王都の治安をこれほど急速に改善することは不可能だっただろう。
「ふーむ……勇者か」
「ええ。エリクさんは、とても良くしてくれています」
顎に手をやって難しそうな顔をするナータンと打って変わって、エレオノーラの顔からは信頼が見て取れた。
それを、彼はばれないようにこっそりと覗き見る。
その目は怪しく光っていた。
「お前がそう言っているということは、勇者は悪ではなかったということかの?」
「はい。エリクさんは巨悪ではありませんでした」
エレオノーラはナータンの質問に答える。
ナータンはエリクが『狂戦士』であると断じて巨悪だと宣言した。
なるほど、確かに自身の欲望のために血なまぐさい争いを引き起こすような者であるならば、それは悪と言える存在だろう。
だが、エリクは『守護者』の二つ名がふさわしいと思えるような存在であった。
一度彼をボコボコにしたエレオノーラが言えることでもないが、彼が巨悪だとはもはや微塵も疑念が残っていなかった。
「そうか、そうか……」
ナータンはそう呟いて黙り込んでしまう。
「それでは、ナータン様。この後もエリクさんたちと約束がありますので、ここで失礼させていただきます」
エレオノーラは軽く頭を下げてナータンに背を向けた。
それを見て、狡猾な老人の顔がくしゃりと歪んだ。
「ああ、さらばじゃ」
ナータンは後ろに立つ男に目配りする。
コクリと頷いた男はふっと姿を消し、次に現れたのはエレオノーラの背後であった。
手には巨大な剣が握られており、たとえ彼女が重厚な鎧で身を覆っていても切り捨てることができるかもしれないと思えるほどであった。
強靭な脚力で飛びあがって接近したため足音もないので、エレオノーラに知るすべはない。
これこそが、ナータンがエレオノーラを無力化できると確信していた手段であった。
自身のことを信頼している今こそが好機なのである。
ここには、エリクとミリヤムはいない。
彼女の危険を知らせる者もおらず、彼女の首は男に斬りおとされ……。
「やっぱりですか」
「…………ッ!?」
――――――るようなことはなかった。
剣が届く寸前にくるりと振り返ったエレオノーラは、すでにその腕に手甲を装着させていた。
それで大男の振り下ろしを受け止めてみせる。
甲高い金属音が響き渡り、エレオノーラの脚にズンッと重さがかかる。
しかし、それでも彼女を押しつぶすことはできなかった。
剣が受け止められて硬直してしまえば、もはやエレオノーラの独壇場である。
ありえないものを見る目をしている男の顔面に、容赦なく手甲付きの拳を叩き込んだ。
「ぐぎゃっ!?」
男の悲鳴と血が吹き出し、彼はその勢いのまま吹き飛ばされた。
大の男を吹き飛ばすだけの力が、エレオノーラにはあるのだ。
建物の硬い石の壁に衝突した男は、そのままずるずると地面に沈むのであった。
「なっ……!?」
「あぁ……やはり、良いですね」
愕然とするナータンと、人の顔面を破壊するだけの力で綺麗に殴り飛ばせた快感に浸るエレオノーラ。
その両者の表情の差は、かなりのものがあった。
「な、何故じゃ? どうして攻撃が分かった?」
「ああ、やはり攻撃だったんですね。あなたが悪だとはっきりして良かったです」
「…………ッ!」
自身に向けられるエレオノーラの目にゾクリとするナータン。
もともと、彼女から向けられる目には好意的でもなければまた逆のものでもなかった。
しかし、今の行為で完全に獲物を見る目に変わっていた。
エリクとの衝突によって、彼女の加虐性が完治したわけではないのだ。
「何故分かったか、でしたか? 別に、大したことはありません。少し、あなたのことを警戒していただけです。だからこそ、攻撃に気づくことができたんです」
ナータンはエレオノーラが自身に嫌疑をかけていなければ警戒もしていないと予想していた。
想定していない人から攻撃を受ければ、大抵の人は避けることができずに初撃を受けることは免れないだろう。
少し前までなら、彼女も避けることができずに攻撃を受けていたかもしれない。
だが、エレオノーラはナータンに全幅の信頼を寄せていたというわけではなかった。
「何故じゃ? 少なくとも、ワシのことを信頼はしていてくれたと思っておったのじゃがのう……」
「ええ、信頼しておりましたとも。私にとっては、殴って良い相手を提示してくれる、都合の良い人でしたから」
「なに……?」
ナータンはエレオノーラの加虐性を知っていたわけではないので、本当に正義狂いの女だと思っていた。
利用していると考えていた彼であったが、結局はお互いが利用し合っていたというだけである。
ナータンはエレオノーラを使って邪魔な者を排除し、エレオノーラはナータンを使って加虐性を満たすための相手を得る。
「ですが、エリクさんのことです。それで、あなたに対する疑念がわいたのです」
「ほう……」
「あなたはエリクさんを巨悪とみなしました。なるほど、仮に噂の一つである『狂戦士』でむやみに争いを引き起こすような人であれば悪と言えるでしょう。しかし、エリクさんは結局そんな人ではなかった。彼とふれあい、彼の人となりを知ったからこそあなたを警戒できたんです」
ナータンは執拗なまでにエリクを悪だとし、しかも巨悪だと断じていた。
噂だけを信じて言っているのだとしたら、あまりにも必死すぎやしないだろうか。
だからこそ、エレオノーラは彼を不審に思って警戒していたのである。
「そうか、そうか。もう、ばれてしまっては仕方ないのぅ」
ナータンは不敵に微笑む。
「そうじゃな。お前を自由に使って邪魔者を消すことは、もうできんようじゃからのぅ……。ああ、心配するな。お前が殺した奴らは、それなりに悪事を働いておった奴ばかりじゃ。何も罪を犯していない者など、おらんかったよ」
これは、ナータンがエレオノーラを気遣ってしていたというわけではない。
完全に白の人間を殺させようとして、もしばれてしまえば、次に悪とみなされて殺されかねないのは自分だったからだ。
エレオノーラなら、たとえ直属の上司であろうとも悪人であれば殺していただろう。
「そうですか。それはよかった。では、私に殺されるか捕らえられるか選んでください」
エレオノーラは手甲をぶつけ合わせて問いかける。
あんな重厚で痛そうな手甲で殴られれば、老人のナータンは一発で死んでしまうだろう。
近接戦闘に優れるエレオノーラと、その土俵で戦うつもりなど毛頭ない。
とはいえ、捕まってしまうのも問題だ。
調べられれば、今まで隠していたものが全部表に出てしまう。
「ふーむ……随分と柔らかくなったものじゃな。以前までのお前ならば、問答無用で殺しにかかっていたじゃろうに……」
「そうですね。ですが、エリクさんと約束したので……。度を越えた暴力は、彼にしか振るわない、と」
「……それはそれでどうじゃろうか」
邪魔に思っていたエリクのことだが、簡単に人を殺せるエレオノーラの暴力を振るわれていることには同情してしまった。
ゾクゾクとどこか恍惚とした雰囲気を醸し出すエレオノーラを見て、変わったものだと改めて思う。
それが、自分にとって都合の悪い方でなければよかったのだが……。
「それで、どうしますか?」
「そうじゃなぁ……。お前と戦って無事に逃げ切れるとは到底思えんし……かといって捕まることも論外じゃ」
ナータンの手には、いつの間にか大きな杖があった。
それをエレオノーラに向けて……。
「じゃから、お前に味方になってもらうとしようかの」
杖にはめられていた宝玉が、怪しく光った。