第六十八話 変わり始めるエレオノーラ
「泥棒だぁぁぁっ!! 誰か捕まえてくれぇっ!!」
人が大勢いて賑わっている市場で、そんな声が響き渡りました。
うーむ……人が多くて活気があるというのはいいことですが、やはりそういう場所にはこういうことがつきものですねぇ……。
とはいえ、私たちが王都の治安の任務に就いてから、まったく改善しなかったというわけではありません。
むしろ、大きく改善されたと言えるでしょう。
それは、路地裏などで行われていた凶悪な犯罪です。
強制的な売春、強姦、人身売買、強盗殺人、違法薬物取引。これらは大幅に数を減らしました。
これには、エレオノーラさんの過激な私刑が犯罪者たちを震え上がらせたことが大きな要因となっています。
まあ、人の形をとどめないほどボコボコにされるのは、私以外ではそうそう受け入れられる人はいませんよね。
私とミリヤム、そしてエレオノーラさんが率先して取り組んだのは、このような表の市場などではなく、目の届きにくい裏で行われている犯罪だったのです。
それでも、完全に撲滅できたわけではありません。
個々人で罪を犯しているのであれば可能だったかもしれませんが、どうにも大きな組織がいくつかあるようです。
エレオノーラさんは嬉々として突撃しようとしていましたが、私たち三人ではその闇に立ち向かうのは無謀というものでしょう。
ミリヤムとエレオノーラさんには上の人に報告してもらうこととして、いつか私一人で突撃しようと心に決めました。
「どけぇぇぇぇっ!!」
「きゃぁぁぁっ!?」
おっと、怒声と悲鳴で現実に引き戻されました。
強大な悪の組織に囚われて血と鉄の拷問を受けていることを妄想している場合ではありませんでしたね。
まあ、そういうことで表での比較的軽い罪に関しては、私たち三人の目は届かなかったのです。
それらは、王都に駐屯している騎士団がどうにかすればいいと考えていたので。
それだけでは足りないので、結局私たちが表でも警邏をしているわけですが……。
さてはて、いつかと同じように、私が一発攻撃を受けてからひっとらえましょうか。
「あ……」
そう考えていると、私の隣に立っていた女騎士、エレオノーラさんがダンッと強く地面を蹴って飛び出しました。
あ、マズイです。エレオノーラさんが捕らえようとすれば、窃盗という罪に到底つりあわないほどの重罰が下されることに……。
「あぁっ!? 何だ女ぁっ! 退けぇぇっ!!」
目の前に立ちふさがったエレオノーラさんに、果敢に突撃する窃盗犯。
あぁっ、ダメです! その人、人をボコボコにすることで快楽を得るドSなんです!
そんなことを言えるはずもなく、窃盗犯はそのまま突き進み、私が是非代わって受けたくなるであろう凄惨な現場になるかと思いきや……。
「ふっ……!」
「ぶへっ!?」
エレオノーラさんはあの私を滅多打ちにした棘付きの手甲を召喚することなく、何も武装していない拳で窃盗犯の顔面を殴りつけたのでした。
手甲をつけていないとはいえ、あの重厚な武器を振り回すだけの腕力は健在です。
犯人は血を噴き出しながら吹き飛ばされ、地面にべちゃりと倒れ伏すのでした。
う、羨ましい……。
「……優しくなった。追い打ちもしない」
はっ、そうです。ミリヤムの言葉で現実に戻されます。
エレオノーラさんが、悪人をたった一発の拳で許す? そんな馬鹿な。
なかなか信じがたい光景に、私とミリヤムは目をパチクリとさせます。
エレオノーラさんはふーっと息を吐き出すと、唖然としている私たちを見て恥ずかしそうに目を逸らしました。
「……加虐性と向き直ると約束しましたからね。悪でも、過剰な攻撃を仕掛けることはなるべく自重することにしているんです」
おぉ……なんと素晴らしい人なんでしょうか。
たとえ、犯人が血を噴き出して鼻がちょっと曲がっていて、かつ地面に倒れてからピクピクとしていようとも、エレオノーラさんはそれだけで済ませたということです。
今までなら、路地裏に引きずり込んでさらにボコボコにしていたことでしょう。
私が感動していると、エレオノーラさんが近づいてきてこっそりと耳元でささやいてきました。
「その代り、私の加虐性を受け止めてくださいね。今日の夜にでも」
耳元でぽしょぽしょと囁かれて、私は身体をぶるっと震わせます。
なんと素敵な誘い言葉でしょうか。私、ホイホイと付いて行ってしまいそうです。
エレオノーラさんの加虐性を受け止めるために、私と彼女は鍛錬と称して一対一の模擬戦を繰り返し行っています。
これなら、私が一方的にいたぶられているという絵面にはなりにくいので、ミリヤムも渋々といった様子でしたが納得してくれたのです。
実際、私よりも強いエレオノーラさんと模擬戦をすることで、私が得られることは苦痛と快楽以外にもありました。
少し、強くなったような気もします。
まあ、しかし大抵ボコボコにされますが。エレオノーラさんが本当に楽しそうで何よりです。
私も楽しいので、まさにベストパートナー。
「……近いです」
ミリヤムはそう不機嫌そうに言うと、私の腕を引っ張ってエレオノーラさんから引き離します。
以前、本性を知ってできてしまった壁を取り除くべく飲み会を開催したわけですが、さらに悪化しているような気もします。
デボラに対するものと同じくらいの敵意を感じますねぇ……。
エレオノーラさんはそんなミリヤムに苦笑するという、まさに大人な対応をします。
「この男は私が連行します。一度、ここで別れましょう」
「あ、はい」
ぐるるるるるるっと唸るミリヤムを置いておいて、私にそう提案してくるエレオノーラさん。
これがデボラでしたら、ミリヤムと喧嘩になっていたのですが……彼女ならそうそう衝突することはなさそうですね。
「では、また夜に」
こそりと私の耳元でささやくエレオノーラさん。
うーむ、これが大人の色気というものでしょうか? 私がドMでなければあっさりと傾倒してしまっていたかもしれませんねぇ……。
エレオノーラさんは薄く微笑むと、倒れこむ窃盗犯の頭を掴んでズルズルと引きずっていきました。
あ、そこは遠慮しないんですね。
さて、未だに彼女の背中を見て唸り続けるミリヤムをどうしようかと考えていると……。
「……落として行った」
ミリヤムが何かを拾い上げて差し出してくる。
ハンカチ……エレオノーラさんのものでしょうか? 今日の夜にでも返しましょうか。
それにしても……。
「エレオノーラさんの落とし物を拾ってあげるなんて、優しいですね」
「……別に」
ミリヤムは恥ずかしそうに頬を染めながら、ぷいっとそっぽを向きました。
こういう嫌いな相手にも優しさを見せるところが、彼女の美点であり素晴らしい点ですよね。
私はミリヤムの優しさにほっこりします。
「……さて、少し時間が空きましたし、王城に行きましょうか」
エレオノーラさんが犯罪者を連行するということになり、予想外の時間が空いてしまいました。
そのため、この時間を有効活用しましょう。
「えっ。で、デボラに会いに行くの?」
察しの良いミリヤムは、すぐに気づいてくれました。
「ええ。最近、会っていませんでしたからね。そろそろ一度会っておかなければ、後が怖いでしょう?」
嘘です。デボラは短気でわがままですからね。すでに、かなりのイライラが溜まっていることでしょう。
まあ、私に毎日会いに来いという要求も、なかなか理不尽だと思いますが。
「さあ、行きましょう。なに、歓迎してくれるでしょう」
爆発でね。
「えー……」
嫌そうにしながらも、ミリヤムは付いてきてくれました。
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「どうして全然かまってくれなかったんだぁっ!!」
「ぐふぅぅぅぅっ!!」
「あぁっ! エリクが爆発で吹き飛ばされた……!」